Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

再びポルトガルへー言葉の変化

2018-02-28 18:29:16 | 再びポルトガルへ2017-2018

先日スーパーマーケットでキーウイフルーツの苗を買った。

高さ20センチくらいの苗が3本入っていた。

昨年タヴィラのマーケットで1メートルくらいの木を1本買って温室の外側に植え、木は温室の中に入れて葉が茂っている。キーウイは雄雌があるということを持って帰るまで知らなかったため、買った木がどちらか判らない。

今回の小さな苗は2本が雌で赤のマーカーがついていて、1本が雄、ブルーのマーカーにMale/Machoと書かれていた。

ポルトガル語では男はマッチョなんですねー。私たちの感覚からすると、マッチョな男は筋肉たくましいタフガイのイメージなんだけど(これは英国でも同じ意味らしい。)この痩せて小さなキーウイの木すらマッチョで大いに笑ってしまった。

日本では子供のころから使うボーイフレンド、ガールフレンドも英国では簡単に使えない。10代くらいまでの子供なら、私のボーイフレンド(ガールフレンド)と言っても微笑ましいが20代を過ぎると微妙に違ってくる。

私が英国へ来たときは28歳近くで、当時住みこんだ家庭の老夫婦からボーイフレンドは居るの?と聞かれ 日本にたくさんいるよ。と答えたが、この場合のボーイフレンドは肉体関係のある恋人を指すということを随分後になって知った。

今では同棲している若い人たちはガールフレンド・ボーイフレンドであって、単なる異性の友達はボーイズまたはマンズ フレンドと言われる。

日本で定着したナイーブという言葉も日本人は繊細なと言う意味で使うが、英国ではナイーブは決して繊細なだけでなく物を知らない薄らバカという感じで使われる。

だから私はとってもナイーブなのよなどと使ってはならない。 

私が楽しみに読んでいる日本のブログに ドンマイ という言葉がありいったいこれは何語だろうと不思議に思っていた。そしてこれが I don't Mind の日本語版だと気づいて驚いたのなんの。 日本人の耳には英語の t や d などの吃音が聞こえないんですね。英国へ来てドンマイと言っても通じません。

毎朝のラジオ体操の後に皆でおしゃべりしているときに、マイクが I'll ask her といった言葉が私にはアラスカと聞こえて,え、アラスカってお店どこにあるのと言ってしまった。もう45年も英国に住んでこれなんですから。言葉は難しい。

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再びポルトガルへーファーロ救急病院

2018-02-27 22:19:16 | 再びポルトガルへ2017-2018

2週間前、亭主の体中に赤い発疹ができて痒くてたまらないと言う。それでタヴィラの病院へ行った。タヴィラの病院はキャンプサイトと正反対の町はずれにあり、歩いていくが、片道30分はかかる。

この日は英語のできない医者が、ろくに発疹を調べもしないでかゆみ止めにものすごく痛い注射をお尻にして、2週間分の薬をくれた。

そして2週間後発疹は盛り上がって痒く、また薬をもらいにタヴィラの病院へ行った。診療は午後3時過ぎから始まるから、病院へ着いたのが1時半。3時10分まで待ってやっと亭主はドクターに会えた。

この医者もほとんど英語ができなかったが、丁寧に調べてくれ、Urgent (緊急)と表書きした封筒をくれてすぐファーロの救急病院へ行きなさいと言う。もう3時半今からでは遅いから明日ではだめかと聞くと今日の日付にしたからすぐに行きなさいと言われた。

たかが発疹、どうしてUrgent なのだろう、仕方がないからタクシーを頼んでファーローまで飛ばして着いたのが4時20分。救急病院は50人くらいの人たちがわさわさしている。激しい咳をしている人たちや、太ったジプシー女達が10人近く声高におしゃべりし我が物顔にあるきまわる。待合室に入るドアは出入りする人たちがあまりに多くて毎分激しい音をたてる。患者を呼ぶスピーカーの音はキーンと悲鳴を上げてから聞き取れないポルトガル語で呼ぶ。

待合室に入って10分ぐらいしてから名前を呼ばれてまずはナースからの問診。ここで患者の緊急度を図られる。亭主はUrgent の手紙をもらったにもかかわらず、緊急度は5段階の4段目。グリーンの名札を腕に巻き付けられて,待ちに待った。

6時過ぎると暗くなってきても待合室の患者数は減らない。5分おきに救急車が入ってきて患者の搬入が頻繁になっている。

8時過ぎても呼ばれないから、もうあきらめて帰りの電車の時間を聞くが受付の人たちは誰も知らない。最終電車に乗り遅れたらまたタクシーで帰らねばならぬ。

近くでじっと待っている若い女性に ”何時からここで待っているのか” と聞いたら3時だという。5時間も待ってまだ医者に診てもらえないなら、私たちも何時になるか判らない、また明日来よう。と8時20分4時間で諦めて駅まで歩いた。

幸い9時過ぎの電車があっておなかをすかせて帰ってきた。

翌朝サンドイッチに飲み物も準備して、サイトの体操仲間が載せてくれた車で病院へ向かった。

10時半から待合室で待っていたがこの朝は患者数が少なく15人ほどしか待っていなかった。これでは午前中に医者に会えるかと思っていたが、12時ごろから徐々に待合室がいっぱいになってきた。おまけに昨日のジプシー女がまた数人出入りしている。

とうとう2時10分に亭主の名前が呼ばれて診療室へ入っていった。私は待合室で待つこと4時半までの6時間。ほとほと疲れてもう2度とここへは来たくないとおもった。あんなに激しい咳をしている患者など、お家で寝ている方がどんなにか早く良くなるだろうに。

4時半に薬2剤をもらって出てきた亭主は、医者4人が徹底的に見てくれて、話し合い、この薬が効かなければまた来いと言われた。診療室までの廊下一面にストレッチャーに乗って寝ている患者がズラーと並んでいて、2時間以上も時間をかけてみてくれたこの病院に申し訳ないと思った・・・・という。

かゆみが取れてきて発赤も収まってきているから、なんとしても早く治って、もう2度とあの地獄のような待合室に行きたくない。

先週金曜日発行の英語新聞にはヨーロッパ各国のナショナルヘルス(国民医療組織)の番付が載っていてポルトガルは14番目英国は15番目。ポルトガルの方が上とのことで本当に?と疑ってしまった。

ちなみに一番はオランダ、2番がオーストリア、3番がデンマークだという。

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再びポルトガルへータヴィラの旧市街散策

2018-02-27 11:43:43 | 再びポルトガルへ2017-2018

先週水曜日にタヴィラ在住の英国人によるタヴィラ歴史散策が行われた。もうすでに過去2週間でタヴィラのジラウ河を挟んで南側は散策を終わっていて、この日はローマ橋から北側を歩き歴史を説明するとのことだった。

ケンブリッジ・ペンブロック大学出身歴史学者のピーター・ブッカー氏はポルトガルに住んで10年、この地に住む外国人特に英国人が、この国の歴史をあまりにも知らなすぎると考えて、彼らを教育するために英語のツアーをすることにしたそうだ。

11時にローマ橋の上に集まった人たちは全部で28人。私は英語が少しできる隣のブリッタに誘われていった。1時間半のツアーは2.5ユーロ。

 

 

ローマ橋のすぐ近くの細道がドクター・アントニオ・カブレイラと呼ぶ名前でこのドクターがこの通りに立派な建物を建てて、図書館を町に寄付したが、この川渕は良く洪水になって本が損なわれるため、現在は南の魚市場よりの高台にある。でも今現在も町の公共の場として使われている。

 

この建物のドアノブが面白い。

内装は典型的なポルトガルのタイル張りの壁で2階への階段の両側もこのタイル張り。

 

 

来週オープンするというカフェの壁飾り。大きさにすると全長50センチ位。川渕に小さなモダンな建物がつくられた。

 川渕からこの急な階段を登ってすぐ小さな教会がある。

 

 

このサンタ・アナ教会は過去に何度か土曜日のコンサートに行ったことが有る。

この教会のスクエアに川を見下ろす小さな建物があり、これは昔海賊が襲ってくるのを見張っていたウオッチタワー(見張り台)だということ。このような小さなウオッチタワーがアルガーヴの海岸線に多くあるそうだ。急変には火をつけて連絡しあったものだという。

今まで何気なく通り過ぎていたこの建物は古いタヴィラの音楽学校があったところだそうで、現在はこの建物から500メータほど離れた、平屋の独立した建築物に移っている。

 

旧音楽学校から10メーターも離れていない大きなスクエアーはビショップスクエアーと呼ばれる。

アルガーヴのビショップ(カトリックの司教)だったマルセリノ・フランコの像が建っている。この人贅沢を嫌い、どこへ出かけるのもロバにひかせた馬車か汽車を使い、決して自動車を使わなかったという。

 

昨年クリスマスに娘夫婦が来て借りていたお屋敷の近くの小さなチャペルは、このブッカー氏が今まで訪れて一度も開いていたことがないという。今回初めてチャペル横の小さなドアーが開いていて、小さな老女が皆を中に入れてくれた。聖ブラスチャペルという。

 

 

こんな小さいチャペルがタヴィラには非常に多い。

 

 

このきれいなタイルに覆われたチャペルは、上の聖ブラス・チャペルから坂道を下ったところにあり、今まで一度も正面のドアーが開いていたことがない。15-16世紀のものだという。

このチャペルの近くに広大な建物があって、今まで小学校だと思っていた。ところがここはアルガーヴ最大の身体障碍者のための施設で元はお金持ちの女性が死後に残した庭に建築されたものだという。

この玄関付近に有った大きなリサイクルビンは壊れた電気製品をここに入れてもらって、この施設て再生して売りに出すものだという。なんと素晴らしいアイデア!!!

 

上の白い西洋長屋は、19世紀のお金持ちだったセバスチアノ・マーティンス・マストレというプレジデントが私財をなげうって貧しい人々のために住居を作ったそうで、2005年に再建されたもの。

 

なかなか有意義なツアーだったから、これからも気をつけてこんな催し物にはぜひ参加してみたい。イギリス人だけでなく、スカンジナビアやオランダ人など、英語の判る人たちが多かった。

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再びポルトガルへーオペラ・トスカ

2018-02-26 22:45:34 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

昨夜近くの映画館でロイヤル・オペラハウスからのオペラ・トスカの直放送があった。

キャンプサイトの友達5人で見に行った。

トスカと言えばマリア・カラスのオペラ映画がことのほか有名で、私もこのビデオを持っていて、手放すことができない。マリア・カラスはこのオペラの時は体重を落としてスマートな体に真紅の長いドレスで階段を駆け下りてゆくところなど今でも目に浮かぶ。

昨夜のトスカはカナダ人ソプラノのAdrianne Pieczonkaという人。太っていて彼女に太刀打ちできるテナーに選ばれたのがマルタ島出身のJoseph Calleja。

このテナーのカレヤさん、10年ほど前ロイヤルフェスティバルホールの彼のリサイタルで一緒に写真を撮ってサインももらったのだが、この時はやや太目の人との思い出はあるがそんなに太っていなかった。昨夜のジョーゼフ・カレヤはまったく太りすぎ。声は10年前よりもっと円熟して素晴らしいが、映画で大写しにして見られるものではない。

トスカとその恋人マリオ・カバラドッシの太りすぎの体で歌うどの歌も素晴らしかったが、一番印象に残るのがトスカに横恋慕する警察署長のスカーピアでバリトンのカナダ人Gerald Finley 恐ろしい目つきで悪役に徹するが、本来はいい人だそう。一緒に行ったフランス人のブリッタなど彼が一番素晴らしかったとお気に入り。

もう10数年前、イタリアのシアナのオペラハウスからの直放送でトスカを放映した。ロンドン市内の映画館まで出かけて見にいった。この時のトスカが今までで一番印象深い。

シアナのイタリア人のオペラを見に行く態度や心は、ロンドンのオペラハウスで澄ましてみる芸術ではなくて、まるで昔の日本人がお弁当を持って歌舞伎を見に行くような、楽しみ方や興奮が伝わってくる。これはミラノのスカラ座でなかったからなのか、シアナが田舎だからなのか判らない。観客がとっても田舎の素朴な人たちに見えた。

トスカがスカーピアに迫られて恋人を助けるために悲しみながら歌う場面で、歌が終わっても拍手が止まず、トスカはもう一度同じ歌を歌った。そしてマリオ・カバラドッシが牢獄からトスカを恋い慕って歌う名曲も終わると同時に拍手が鳴りやまず、とうとう歌手と指揮者が顔を見合わせ、マリオがにっこり笑ってまた同じ歌を繰り返した。マリオはすぐ銃殺される運命なのに・・・・・。昨夜のオペラハウスでは、マリオが歌い終わっても拍手ひとつ出なかった。イタリア人がどんなにオペラを楽しんでいるかがよく分かる。

映画やテレビでは時間が決まっていると思うがこの夜は面白いハプニングで、11時過ぎにやっと終わり、最終電車にやっと間に合って帰宅した。イタリアは時差が1時間あるから観客は12時過ぎて無事帰れたのだろうか?

 

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再びポルトガルへー海岸散策

2018-02-25 14:56:42 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

 

先週素晴らしく暖かい日、急に思い立ってモンテゴードへ行くことに決めた。山手に行けばレストランもお店もないから今日は海岸線からモンテゴードの町中で昼食に決め水のボトルとカメラだけで10時半過ぎの電車に乗った。

 

カステロマリームの駅は最終点のの2駅前、ここからいつも歩くのは北へ向かうがこの日は正反対の海岸へ向かう。

駅から海岸までは2㎞程、途中に素晴らしいお家が並び、特にこのモダンな住宅の前庭が見事。

 

 

 

非常によく手入れされた庭はあらゆる種類のサボテンで、只ただ感心して写真を撮りまくった。

 

海岸へ着く前の松林の中を歩く。この日は風もなくティーシャツで歩いても寒くないどころか、日焼けが心配な亭主は長そでシャツで出かけた。

 

 

海岸へ出ると遠くにモンテゴードの独特のホテルが見える。この写真は望遠で撮っているから距離感がないが、海岸線はヴィラ・リアルまで延々と伸びている。

 

 

 

後ろを見ればたくさんの人々が砂浜や水際を散歩している。この海岸もどこまで伸びているのか見当もつかない。

 

 

上の写真の水平線の最先端がヴィラ・リアルの河口。

 

 

海水が流れてできた自然の砂模様。

 

 

波打ち際にはいろいろな貝殻や小さなウニ、魚の死骸などが打ち上げられて、カモメやチドリがえさを求めて歩き回っているが、驚いたことにゴミが一切落ちていない。最近大きなニュースになっているプラスチックやビニールのゴミは一度もみなかった。

もしかして海岸を毎日掃除している人がいるのだろうか? 

 

モンテゴードを通り過ぎると人影はだんだん少なくなり砂浜には波が残した面白い模様が伸びている。

 

気温は20度くらい、直射日光の下では風がなければ汗ばむくらい暑い。ヌーデストの男性二人が楽しそうに泳いでいた。

 

 

ヴィラ・リアルの河口が近くなってきたので砂丘に上がり町への近道を探すが、松林の下草は2メーター以上もあるブルームの藪に覆われて通れそうな道は一切ない。

 

歩きにくい砂丘を散々歩いてとうとうフリーのキャンプサイトを見つけた。そこからまっすぐ伸びている道を行くと道端の藪はミモザの花盛り。このミモザはタヴィラで見るのとは違う。

 

 

このまっすぐな道をてくてく歩いて遠くに町が見えるからあそこがヴィラ・リアルの町だろうと見当をつけた。ところが

 

 

その町は対岸のスペインの町・アヤモンテだった。とうとう川渕についてアヤモンテの町だと気が付いた時はガックリ、まだ相当歩かないとヴィラリアルの町中へ着かない。

 

 

道端のサボテンにプリックリー・ペアー(サボテンの実)がたくさんついてとってもきれいに見えるが今まで食べたことは無い。

 

 

アヤモンテの町を横目に見ながら数キロ歩いてやっと町の入り口へ着いた。

 

この高い煙突がヴィラリアルの郊外の目印、ここからまた3kmほど歩いて午後2時過ぎピンゴ・ドーシーのキャンティンにたどり着いた。

このキャンティーンは安くて私の好きなポルトガルの食事が食べられる。いつもは食べないチョコレート・パフまで食べてしまった。

 

町中に今まで見たことの無い木の花が咲いていて、しばし見とれてしまった。

この日の全行程は18kmだった。

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再びポルトガルへータヴィラのマーケット

2018-02-24 22:23:03 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

 毎月3週目の土曜日にタヴィラの広場で露天市が開かれる。これが楽しみで、この日が待ち遠しい。不思議なことに過去5年間10月から3月までのこの日々に雨が降ったことは一度もない。

 

今回はこのマーケットで売り出されるいろいろなものを紹介してみたい。

今がしゅんのオレンジはこの果物屋で見られるように1㎏が50セント、ショッピングカートを持って行って5㎏は買う。それにアボカドも今が収穫期、まだ固いグリーンのを買って暖かい場所に並べておくと柔らかくなり食べごろになる。木で熟れた実を収穫することは無いらしい。

数年前アボカドの木がいっぱいあるスペインのキャンプサイトで、何時収穫するのを聞いたら、まだ固い間に採ってしまうとのことで驚いたものだ。

 

下着や靴下、パジャマ、シーツなど何でもありで、とにかく安い。

 

日用品の小間物、中国製が多くてバッテリーなど結構高い。

 

 

ポルトガルのお土産または日常に使うテーブルクロスや布巾など。町中のお土産店で買うよりは確実に安い。

 

 

ポルトガル独特の模様の食器、きれいだけれど重いし欠けやすいから絶対買わない。

 

 

ポルトガル産のチーズは結構値段が高いし、好みがあり亭主は英国のチェダーチーズが一番だと固く信じているからこれは買わない。

 

 

このマーケットではローカルの人たちより、このタヴィラに移住した外国人やキャンプサイトからの外国人が非常に多い。

 

コルクの皮をビニール加工して作られたハンドバックや財布などあちこちの屋台で売られている。これらもお土産店で買うよりは確実に安い。

 

 

 

春の花が一面の花屋さん、上の写真の花は今まで見たことがない。アジサイが2月から満開なんて、季節感がなくなりそう。

 

 

ニワトリやウサギ、ウズラ、アヒルなどをこんなかごに入れて売っている。でも今まで誰かが買っていくのを見たことがない。

 

 

 

いつも一番人だかりがしているのは、小鳥を売っているお店、色とりどりの小鳥やオウムまでかごがいっぱい。ポルトガル人は小鳥を飼うのが好きらしく、住宅の窓辺などでかごの鳥がさえずっている。この小鳥やさんの周りのにぎやかなこと。

 

 

 

春野菜の苗を売っている店は1月にも青々としたレタスやネギやトマト、ビーンズなど大きくなった苗を売り出していて、まだ英国では地面が凍っているだろうに、さすが南国と感心してしまう。

 

 

私が一番興味のあるのがこの果物の木を売っているお店で、思いつくほとんどの果物の木、例えばマンゴー、オレンジ、レモン、プラム、キーウイ、柿、ザクロ、ビワ、アボカド、カスタードフルーツ、ライチ、など。いつ来ても珍しくて時間をかけて楽しんでいる。

 

 

これはドーナッツの生地みたいのを油で揚げたもので揚げたての熱々に粉砂糖をたっぷりかけて食べるのだが、ポルトガル人は甘いものが好きで、糖尿病患者が非常に多いと聞いている。

 

コルクの台にポルトガル独特の模様のタイルを張ってあるテーブルウエアー。お土産にぴったりでもう10枚以上も買ってしまった。

 

 

 

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再びポルトガルへートア・デ・アルガーヴ

2018-02-22 12:10:07 | 再びポルトガルへ2017-2018

昨年もテレビで放映された、インターナショナルのプロサイクリストを集めたトア・デ・アルガーヴが行われた。

土曜日の午後4時半過ぎにタヴィラの通りが終着点で、朝8時前から通りを通行止めにし着々準備を進めていた。

 

 

テレビのためにこの高い起重機を設置しててっぺんに大きな受信機をつけてある。

 

午後3時過ぎに行った時は、通りから駐車場は車で満杯。

 

 

アルガーヴのポリスが総出じゃないかと思うほど、ズラーと並んで写真を撮っていた。

 

まだ1時間半以上は待たないと自転車のグループは来ないと思うのに通りはびっしり人々で埋まっていた。皆赤い帽子に赤いカスタネットのような応援グッズを持っている。

 なぜかあと1時間も待たないといけない頃に警察のバイクが走って来て、観客は大喜び。歓声が上がっていた。

 

スポンサーがお金があるせいかいろいろ応援グッズをくれる。こうして皆に分け与えていた。私も赤い帽子2枚と赤い手のカスタネットを2個もらい孫へのお土産。

 

待っている間のエンターテイナーは一輪車に乗って走り回る若い男女。いろいろ曲芸をして見せてくれる。

 

午後4時過ぎの巨大テレビスクリーンではタヴィラから20㎞離れたカステロマリームを走る抜けるサイクリングの一団が映った。すると4時半ころにはやってくるだろうと思われる。それ以来テレビでは一団が走っているところを見せてくれるが早口のポルトガル語では全然判らなかった。

先頭チームがやってきて周囲はにわかににぎやかになり、一瞬の間に自転車が通り抜ける。いったい誰が誰だか判らない。あっという間にすべては終わってしまう。

 

 

表彰式が行われるスクエアに張り出されたポスターと一輪車。5時頃からスクエアーに人々が詰め掛け表彰式がはじまった。

イエロージャージーはオランダ人だったらしい。各色のジャージーによってこの日一日の勝者や、全体のコースでの勝者、スカイチーム内の勝者などいろいろカテゴリーがあるらしい。

ホワイトジャージーのプレゼンテーション。

ブルージャージーのプレゼンテーション。

 

レッドジャージー

 

スカイチームの勝者

 

最後にすべての勝者が集まって、大きなシャンペンボトルを振り回しシャワーを浴びていた。

 

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再びポルトガルへー土曜日のコンサート

2018-02-20 21:55:02 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

毎週土曜日の夜1時間、タヴィラ音楽学校が主催する種々のコンサートが教会で開催される。

 

先週は聖フランシスコ教会でファドのコンサートがあった。聖フランシスコはポルトガルやスペイン語でサン・フランシスコという。アメリカの西海岸サンフランシスコはこの聖人の名前を付けただけ。

 

ここタヴィラではやや大きめの教会で最近内装を更新している。

 

 

 

祭壇周囲もまだ改装されていなくてあちこち傷みが激しい。

 

 

天井だけはきれいに仕上がっている。

 

ファドはポルトガル独特の歌でポルトガルギターと普通のギターの伴奏で、恋歌などを歌う。日本の演歌に似ている。

 

ファドは聞いていても何を歌っているのかが判らないが、ポルトガルギターの奏者が非常にうまく

彼らだけの演奏では拍手が鳴りやまなかった。

 

さて次の週末はマーケットの日とサイクリングが重なった日で、サイクリングの表彰式を見たその足で、教会へ向かった。

 

この夜は音楽学校のピアノ教師ㇽイッシュが演奏する日。

 

 

この教会は相当古くて両側の壁のブルーのタイルが有名。ポルトガルではブルーのタイルがほとんどの公共建築物に見られる。

 

この日のㇽイッシュが演奏するのは1930年代のドイツ無声映画の伴奏で、1930年代にモダンな未来映画メトロポリスが作られただけでも素晴らしい。

映画は3時間近くになるがそれを50分に短縮してルイッシュが作曲したピアノ曲を聞きながら映画を見る。映画は会話のドイツ語がスクリーンに映るがその翻訳もポルトガル語で全然わからない。

ルイッシュは楽譜なしで画面を見ながら素晴らしい演奏をして、まったくこんな片田舎に埋もれさせるのが惜しいくらいだった。映画は会話が判らなくても、画面を見ていてほとんど想像がつくが、帰ってインターネットで調べて見たら、ストーリーがよく分かった。もう一度見て聞いてみたいコンサートだった。

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再びポルトガルへーアーモンドの花

2018-02-19 11:33:59 | 再びポルトガルへ2017-2018

一月末から咲き始めるアーモンドの花は2月中旬が真っ盛り。どこを見ても必ず薄いピンクの花が目に付く。毎日晴天の続く2月半ば二人で長距離散歩に行った。

 

道端に咲くこの花、野生の花とは思えないが草むらに目が覚めるような色彩。

 

鉄条網の向こうのレモン畑、こんなにたくさんなっていてそれでもお店で買うと結構高い。

最近はNHK のテレビで見せてくれた新鮮なキャベツを千切りにしたのにレモン一個を絞り小さじいっぱいの砂糖とオリーヴ油でおいしいサラダができる。キャベツは生が一番胃に良いそうだ。

 

やっぱりたくさんなっているレモンの中にはこんな異常な形の実もできるのだ。

 

レモン畑の一角、アーモンドの花が満開。黒いのは昨年なったアーモンドの実がそのまま枝にしがみついているからだ。

 

ミモザの花も咲きだした。3月が最盛期だけれど早咲きの花が素晴らしい。

 

 

桃畑も満開になってきた。実が実るころにはこの国に居ないので、いったいどれほどの大きさの桃の実なのか判らない。

 

桃畑を開墾したときに出た巨岩を道端の塀の代わりに積んだもの。こんな岩を動かせる機械がすごい。

 

 

道端の草むらのそこかしこに咲く野生の水仙。英語でナルシシスという。ギリシャ神話に出てくる美少年ナルシシスが自分の美形にあこがれ、水面に我が身を映して見とれているうちに水没死したのを、かわいそうに思った神様がこの花に変えたのだとの神話。

 

田舎のオレンジ畑とオリーヴ畑の中に立つずらっと並んだ電柱の上には、コウノトリ達が大きな巣をかけ、一羽が帰ってくるたび嘴を打ち鳴らし ’お帰り’ の挨拶、遠くまでカチカチという音がこだまする。

 

もう乳離れした子牛の群れ、人間にすればティーンエイジというところ。まだお母さんが恋しいかもしれない。

 

高速道路下のトンネル、落書きはここでもか!!と思わせるが結構上手な絵で マーいいか。

 

道端のアーモンド畑。白い花のアーモンドは甘くておいしいが、ピンクのきれいなのは苦くて食べられない。だからアーモンド畑の花はピンクのよりも寂しい感じがするのは仕方がない。

 

道端に突き出たこの鈴なりのレモン。昔ダークダックスが歌っていた ’幼馴染の思い出は青いレモンの味がする。思わずこの歌が口をついて出てきた。

丘を埋めるオレンジ畑。多分この春植えた若木で2-3年はかかるだろう。

もう樹齢100年以上は経っているオリーヴの並木、こんな木々が田舎には多い。

 

 

 

国道わきのピンクのアーモンドの花は鑑賞用、巨大な木になっていた。

 

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再びポルトガルへーフーパーの求愛

2018-02-17 23:16:59 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

3月のはじめ、キャンパーからやや近い草むらにフーパーが3羽いるのを見つけた。

早速カメラをもっていったところ、3角関係はうまく話し合いがついたのか、2羽だけになっていた。

今まで一羽づつしか見たことがなかったから、比べようがなかった。今回2羽が一緒にいるとオスはくちばしが長い。すぐ彼はマッチョ君と名付けた。

メスはマッチョ君と比べるとくちばしは短く、口の横に白い斑点が見える。時々頭のとさか?か冠が立って、マッチョ君に ’いかが、私って素敵でしょ” と見せびらかしている感じ。

 

マッチョ君は草むらの土をつつきまわして食べ物を探しているらしい。 虫かミミズか掘り当てると急いでメスのところへ走って行って、彼女に口移しで食べさせている。

 

これはまさしくマッチョ君の求婚であり、彼女がえさをもらうことで、結婚の承諾を得たのだ。

マッチョ君は何度も何度も広範囲を歩き回ってえさを探し回り、せっせと彼女に口移し。

彼女の方は時々土をつついたりしているが、明らかに彼のプレゼントを待っている。

 

マッチョ君がえさをくわえてやってくると、彼女は雛がやるように大きな口をあけて ” 早く、早く ” と急き立てていた。

私の方、30分以上も写真を撮ったりビデオに収めたりでもう十分と帰ってきた。

さてそれから1週間後、キャンパーの近くに2羽が現れ、木の下の草むらを歩き回っている。

マッチョ君の方は忙しそうに足早であちこちつつきまわるが、決して彼女に口移しのえさをやらない。それでも彼女の方は新妻らしく嬉しそうにマッチョ君の後を追いかけまわしていた。

これって釣った魚にえさはやらないという昔の日本男性によく似ていると思わない?

 

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再びポルトガルへー古物市とフリーキャンピング

2018-02-17 15:16:03 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

 

先週の土曜日、魚市場へショッピングに行った。久しぶりに行ったので、毎週土曜日にマーケットの周囲で古物市、骨董市が開かれるのを忘れていた。

 

 

殆どは地面に置いてあるだけのガラクタが多い。最近テレビではこんなガラクタから何万ポンドもする宝物が見つかったりして、そんなものを見ると亭主が、’お前はどうしてあんな宝物を探してこないのだ’ という。

 

太陽があたってキラキラしているクリスタルのディカンターがあまりにきれいだったから写真を写したら、 ’10ユーロ払え” と出店のおじさんが言った。

写真写すのに?と聞いたら笑ってジョーダンだよ。 アーほんとにここがアラブの国でなくて良かった。

 

 

こんな物に興味のある人には面白いかもしれない。そしてこの辺りでスペインのきれいなタイルを売っている店で、値段を聞いたら一枚50セントだという。

すっかり舞い上がって20枚欲しいと言ったら、床に広げてあった8枚だけが無傷であとは全部どこかが欠けているという。どうしても欲しくて8枚だけ買った。

’帰国したらテーブルトップにするのだ´とキャンプサイトの友達に見せたら ’だれが作るの?’ と聞くから ’もちろんポールが’ ”彼は作るのを知っているの?” ”いやまだ知らない“ そこでみんなで大笑い。

 

こんなどこかのお屋敷から盗んできたような素晴らしい椅子や

 

スパニッシュダンサーの着るきれいなドレスも売られている。

写真の手前に見える切り石はどこかの遺跡から盗んできたのかもしれない。

 

古いオリーヴ油を入れる壺はヨーロッパのお屋敷やレストランの装飾に人気がある。

もう14年も前、初めてポルトガルへキャンプに来た時、キャンパーの隣に住み着いていたオランダ人は、農家を回って古い壺を買い集め、ヴァンに積んでオランダへ持ち帰り、売るのを生業にしていた。こんな仕事もあるのかとつくづく感心したものだ。

 

テレビなとで投機の対象になるアフリカの木彫りの面、私にもう少し骨とう品を見る目が有ったなら・・・と考えてしまう。

初めて見るような面白い容器や、道具を見て歩くのも楽しい。

マーケットのコーナーは強い春の日差しの下、コーヒーを飲んでくつろいでいる人たちが多かった。

 

 

古本屋、レコードの屋台。

 

 

 

魚市場や骨董市の周りに無数のキャンパーが駐車している。彼らはここで無料のキャンピングをしている。この駐車場は電気も水もないが、魚市場にトイレの設備だけはある。キャンパーにはトイレもシャワーも台所もついているから、こんな場所で停車、キャンプしていれば安く生活できるだろう。でも水の補給やトイレを捨てる場所などどうするのだろうと不思議でならない。

 

キャンプサイトから一番近い踏切の真横に小さな小屋がありおじいさんと犬2匹が生活している。

水や電気はあるのだろうか? 入り口は狭そうだが石造りの奥行きはありそうな小屋だから、楽に生活しているのかもしれない。

ショッピングモールの近くに、小さなドイツのヴァンが駐車してもう10年近くになる。

小さなドイツ人のおじいさんがこのヴァンで生活している。最近汚れた服を着たまま早歩きかジョギングのつもりで道端をよたよた来るのを3回も見かけた。10年も生きているところを見ると、年金をもらって食料が買えるのだろう。自由な生活をしているのかもしれないが、やっぱり精神異常に見える。

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再びポルトガルへー悪天候。

2018-02-11 11:08:04 | 再びポルトガルへ2017-2018

つい3日前まで毎日晴天が続いて、キャンプサイトの片隅のオレンジとオリーヴの木々が茂る運動場で、ラジオ体操をしていた。

 

3日前から急激な天候不順、強風と絶え間ないにわか雨がやってくる。朝夕お構いなしの雨でこんなに雨が降り続いた年はポルトガルで越冬してきた過去9年間で初めて。雨が降っても風が吹いてもラジオ体操をやめない6,7人はビニールの天幕が張ってある砂場(テント用)で体操とストレッチ、それにおしゃべりで楽しんでいる。

この3日間体操に来ないマイクはどうしたのだろうと話題になったら、彼からメールが来て、彼の運動靴の底が破れて水が漏るようになった。新しい靴を買わなければいけないが雨がひどくて・・・と言ってきた。思わず笑ってしまった。

ストーム・エマと名付けられたこの嵐はヨーロッパ各地で雪を降らし、英国では交通マヒや停電などを招いている。

昨夜BBCのテレビで1963年の大寒波の様子を1時間にわたって放送していた。この時は12月26日に降った雪が溶けぬ間に豪雪と寒波に襲われた英国全土は、2か月間寒波が去らず、孤立してしまった町村にはヘリコプターでの食料移送と急患の移送を行った。

この時はテームズ川が凍り北海の海辺も氷で覆われ、小鳥や海鳥がえさを探せなくて何万羽も死んだそうだ。この時オランダもすごい寒波でオランダには山がないから雪こそ積もらないがすべてが凍ってしまったと、オランダ人のヤン夫妻が話してくれた。

この1963年は私が福井の日赤病院で看護学校へ入った年、福井の山奥の村では積雪7メータになり雪の重みで農家が何軒か押しつぶされた。そんな中で3,4歳の男児が3日後に救出されたというニュースが有った。

ヨーロッパと日本では北半球の反対側になるけれどもこの年は北半球がほとんど寒波に襲われたのかもしれない。地球は狭いとつくづく感じながらテレビを見ていた。

 

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再びポルトガルへー悪天候継続

2018-02-09 17:46:07 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

2月末から降り出した雨は、3週間毎日降ったり止んだり、その間嵐が3回もやってきて、大西洋に面した海岸線は高さ9メーターもの高波で崖が削り取られて大被害をもたらしている。

南部の海岸線では竜巻が2本襲ってジプシーの掘立小屋が吹き飛ばされ、100人もの人たちがホームレスになったという。今まで干ばつで心配していた貯水池は満々と水を貯め、国民感情としては ’神様もう十分です。’

 

 

タヴィラの我がキャンプサイトでは、雨で喜んでいたのは向かいのフランス人・ハッピーウィスラーだけ。激しい雨の中で口笛を吹きながらキャンパーの屋根を磨いている変な人。

 

 

 

真夏の警察官用のテント地には天幕が張り巡らされていて、直射日光を防いでいる。この天幕も直射日光にさらされていると2-3年で弱くなってしまい、おまけに3週間ほとんど毎日強風にあおられてボロボロに破れ垂れ下がってしまった。見るも無惨!!!

 

 

 

2月末からキャンプサイトの体操仲間がどんどん帰国していき、今では5人になってしまった。

隣のフランス人もその一人。彼らはこの地に滞在中は小型車をレンタルしていて、オルガニック農家へオレンジを買いに行っていた。彼らの帰国二日前に初めて10㎏で5ユーロのオレンジを買ってきてもらった。このオレンジが皮は薄くて果汁が豊富、スーパーのオレンジなど目ではない。

3週間のうちただ1日だけ雨の降らなかった日に、サイトから北の山へ行った。例年なら3月に入ると山中花盛りのはずが、今年は寒くてほとんど咲いていない。

咲き出したばかりのラヴェンダーを摘んで二日後に帰国する友達へのプレゼント。

 

 

この3か月ほど隣同士で生活したフランス人の愛犬。雨の日も嵐の日にもこの犬と真っ黒のパグを連れて散歩に行っていた。子豚のようにコロコロ太って人懐こい。

 

 

 

 

 

 

NHKのテレビでオリーヴの葉のお茶が体に良いことを知り、インターネットでその効用を確かめた。それで、サイトの隣の広大なオリーヴ畑へ葉を摘みに行った。3月のこの時期にはオリーヴの枝は剪定されて来季の収穫のため手入れされるはず、ところがこのオリーヴ畑はまだ手入れされていない。

葉を袋いっぱいに摘んで足元を見てやっと気が付いた。草むらのあちこちにランの花が咲いている。翌日カメラをもって歩き回り、4種の花を見つけた。どれも高さ10センチ前後、花の色も黄色以外は目立たず、よほど注意してみなければ踏みつけてしまいそうになる。

今年は遅い春が確実に近づいてきた。

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再びポルトガルへーカステロ・マリムからカセラへ

2018-02-08 13:28:28 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

やっと大西洋からの低気圧が去りここアルガーヴも例年の3月らしくなってきた。

あと数週間で帰国しなければならないと思うと一日の晴れ間も見逃せない。

この日は電車でカステロ・マリムの駅まで行き、2月時とは反対に海岸を歩いてタヴィラへ向かう。もちろんタヴィラまで歩いてこられないから、一駅手前のカセラ(Cacela)まで歩く。電車ではこの駅間は6分、しかし駅は内陸にあり、駅から海岸までは2-3Kmはある。

 

 

道端や野原はワイルド・カモマイルの花や黄色のブルームで彩られている。まさしく春爛漫。

 

 

棕櫚の葉が面白い影を作っている。

 

 

工事現場らしいところにできた人工のピラミッドのよう。これが一体何なのか判らずじまい。

 

 この肉厚の葉をもつプラントはポルトガルならこそ、寒冷地では葉が凍ってしまうから野生では助からない。海岸に群がって花が咲いていた。

 

 

黒人女性のモデルを使っての撮影隊が海岸に群れていたが、たった一人のモデルにこの多くに人たち。

 

 

 

久しぶりの太陽のもと、海も凪いで風も気持ちよく、多くの人たちが散歩している。

 

夏の観光客用のいすが山積で、面白いパターンを作っているレストラン。

 

 

砂山の上に長く伸びているプロムナード。途中で出会ったドイツ人またはオランダ人のカップルにカセラまでの海岸道を聞いたところ、途中の川で通行止めだという。

諦めて国道近くまで行き、自転車道を見つけた。地図を持たない私たち、いつも行き当たりばったりでそれでも何とかなる。

 

 

自転車道の横に設置されたテーブルとベンチ、ここで持っていったサンドイッチを食べ、コーヒーを飲んで一息。おなかを空かせた猫の親子がえさをねだる。

 

 

海岸近くの砂地はこの白いブルーム(エニシダ)の最適地らしく一面に白く花が咲いている。

 

 

 

門の上の面白い鉢植え、これならだれでも作れそう。アイディアが素晴らしい。

 

 

お屋敷の前庭のオレンジの木下。こんなにたくさんのオレンジが落ちていて、もったいない。

 

 

 

素敵なお城を摸したホテル、その名もカステロ こんな田舎町で一体どんな人たちが泊まるのだろうか? 高級ホテルなら洗濯ものを前庭に干すことはないだろう。

 

今年の3月は温かくなかったから、サイト近くの枇杷の実はまだ熟れていないがカセラの駅近くのスクエアーではもう食べごろ。残念ながら私の背丈では届かない。

亭主が3個だけ取ってくれた。

 

カセラの駅のタイルはとってもきれいで新しく、壁にタイルを盗んでも写真が公開されるから盗人は起訴される。と書いてある。

こんな壁に貼ってあるタイルが盗まれるとは驚き。無人駅だからだろうか?ポルトガルの昨今は貧富の差が激しい。

 

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再びポルトガルへーパルム・サンディ(Palm Sunday)

2018-02-06 22:59:39 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

今年のイースター(復活祭)は4月1日その一週間前の日曜日はパルム・サンデーと呼ばれる。カトリックが主宗教のポルトガルでは、このパルムサンディからイースターまでの一連の行事が重要になる。

 

聖体の行列は Eglise de L'Ordre Tiers De Nossa Senhora Do Carmo (カルモの聖女教会)から始まる。この教会はクリスマス時に娘夫婦が借りたお屋敷から非常に近いところにあるが、いまだこのパルムサンディ以外に開いていたことがない。

夕方5時から行列が始まるとのことで4時半過ぎに行ってみると教会の周囲は大変な人だかり、そんなに多くの人だかりでもあまり人声のしない静かな雰囲気。

 

教会の前には枯れたラヴェンダーの枝が敷き詰められている。このフレンチラヴェンダーは花盛りの時にもあまり香りはしないが、人々が枯れた枝の上を歩き回ると素敵な香りがあたりに漂った。

 

 

まずはこの楽団が先頭を切って出て行ったが、ほとんど音がしない。パルムサンデーはイエスキリストが貼り付けの刑にされて亡くなったのを悼む行事で、信者にとっては決して楽しい日ではない。

 

 

 

傷だらけのキリスト像などが素晴らしい生花に囲まれて次々に担ぎだされる。

 

最後の像はサンタマリア像でポルトガルやスペインではマリア信仰が非常に篤い。

 

 

 

聖体とともにほとんどの人たちは後に従って行ってしまった。まだ開いている教会の中へ入ってみると金襴のデコレーションにマリア像の天井画、すべてがきらびやかで素晴らしい。

 

 

 

教会内を一回りして写真を写し、行列の後を追った。 最後尾はまだ200メーターほどしか行っていない。後尾の音楽隊は静かな悲しそうな音楽を奏でている。

わき道からビショップスクエアーに行ってみるとキリスト像はこのあたりで止まっていた。

 

ローマ橋の上も枯れたラヴェンダーの枝が敷き詰められ、やっと先頭の楽団がやってきた。

 

 

 

 

信者にとっては彼らのすべての罪を背負って死刑になったキリストを悼む日。楽しかろうはずがなく、なんとも静かな行列だった。

この十字架を背負っていくキリスト像を見て、ずっと前に見たベンハーを思い出した。一昨年久しぶりにDVDでベンハーの映画を見て、あの映画が刑場へひかれていくキリストを描いているのを初めて知った。

 

 

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