Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

再びポルトガルへー出発

2018-03-24 21:22:10 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

 

10月10日、フェリーの予約は12時50分だったから我が家を出発したのは9時だった。出かける前に電話会社に電話してAnytime callというのをキャンセルしてもらった。9月末に電話会社と話して電話線レンタルとインターネットが6か月は無料になるという。それでもAnytime call は前日まで必要だったから1か月7ポンドで継続してもらった。この日以降来春まで電話に関しては無料になる有難いことだ。しかし帰国後1年間は以前より多額を払わなければならない。

我が家はロンドンの南に位置するからドーバーまでは2時間で行ける。

 

 ドーバーの白い壁が見えてきて、狭い海岸通りに入る。

 

 白い壁の上には大きなドーバー城が威容を誇る。一度行ったことが有るがあまり記憶に残らない城だった。

 

 フェリーポートに着いたのが11時5分だったから、早く着いたから1船先のに乗るように言われ12時5分発だった。

わがキャンパーの横に3列に並んだ乗用車と荷物満載のトラックが数10台。

フェリーの客席はがらんとしていてソファーに長く横になって1時間半寝ていった。実際はソファーの後ろに子供の遊び場があり、大騒ぎの子供たちの声でぐっすり眠れるものでもない。ただ船酔いだけはしなくて済んだ。

フランスのカレーの港に着いた時は時差の関係で時計を1時間早くしなければいけない。カレーの町はずれのスパーでディーゼルを入れ今夜はカレーの郊外のキャンプサイトでゆっくり過ごす予定。

ところが亭主が書いたカーナビの数字が間違っていて遠くの田舎の細道に着いた。20㎞くらい時間とディーゼルのロスをしてやっと1昨年泊まったカレーのキャンプサイトにたどり着いた。まったくやれやれだった。

 

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再びポルトガルへーヴェンドーメ(Vendome)

2018-03-23 15:25:51 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

 

 

フランスでの夜明けは遅い。英国と1時間違いで朝の7時は英国の6時にあたる。

8時ごろにやっと青みがかった夜明けがやってきたが、今朝は雨模様で8時半までジャンジャン降った。この日はカレーから390Km南のロワール河近辺を目指す。

いつも南下するときに通るルーアンのトンネルへ行く前で閉鎖の表示が出ていてとっても心配した。数年前トンネルが水浸しになり閉鎖されたとき、カーナビがどれだけ走っても元のトンネル前へ導き1時間もあたりをうろうろしたものだった。

今回は高速道路の表示にトンネル閉鎖とあるのに実際は問題なくトンネルを通ってルーアンを難なく通り過ぎた。

今日のキャンプサイト・ヴェンドーメは古い歴史のある町(キャンピングブックによれば)とのことで、期待していった。

サイトから500メータほどで町の中心へ歩いていける。

 

 

 

 ヴェンドーメの大聖堂はフランスの各町のとほとんど変わらず、古くて大きく堂々としている。

 

 両側のステンドグラスも華やかだが、どこの教会のかと聞かれても答えられないほど、どれもよく似ている。

 

 聖堂の屋根にはガーゴイルのような醜い動物が口を開けている。これらは雨どいで雨が降ればこの口から水が流れ落ちるようになっている。

 

 大聖堂の横の建物は博物館・美術館になっており2階から6階までの多種の展示物を見て歩いた。

 

上3枚の写真は12世紀のこの町のサイズから1811年当時の町の広がり、そして2013年のこの町の発展を表しているもの。河の中州にあたるところが旧市街できれいな落ち着いた街だが、地球の歩き方にも英語のフランスガイドにも名前さえ出てこない。

 

 

日本の伊万里焼きのように見えるこのきれいな大皿はデルフト焼きだとのことで、伊万里の模様のコピーに間違いない。

 この中国風の模様のお皿はルーアン焼きだそうで、ルーアンにこんな文化があることなど全く知らなかった。

 

町のスクエアはきれいな石畳で周りにレストランやカフェーが並んでいて、観光客か地元の人たちか火曜日の午後というのに相当の人出だった。

 メインのショッピング通りを離れると町を取り囲む河から運河が流れ懐かしいススキがそよ風になびいていた。

市役所の横の公園に並んでいる屋台のパン屋、チーズ、ソーセージなどのお店の前に行儀よく並んでショッピングしている人たちはまさしく地元の人たちに違いない。

 きれいな市役所の中庭には四辺のベンチに大小の変わったかぼちゃが置かれてあった。収穫祭などが行われるのだろう。

 

 花いっぱいの太鼓橋が運河に架かっている。

 旧市街の川渕から急な坂道を上ると廃墟のお城があり、この庭からの眺めが素晴らしい。

  

石畳の町のショッピング通りが真下に見える。

 

 よく手入れされた庭は花盛り。

 

 16世紀の古城は完全に廃墟になっている。

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再びポルトガルーパンプローナ(Pamplona)へ

2018-03-22 13:57:29 | 再びポルトガルへ2017-2018

  

今日はパンプローナまでの391㎞を走破する。朝もやに覆われたぶどう畑を左右に見ながらポー(Pau)までのまっすぐな道を南下する。

 

 

 

 

ローマ人が作ったに違いないまっすぐな道、ポーの郊外から西に50㎞そこから山越えのジグザグ道を200㎞近くゆく。

 初めはなだらかな丘や牧場が現れ、まるでオーストリアの景色のようだなどとよろこんでいた

 

スペインの国境に近い街 サン・ジョーン ピエ・ドゥ・ポォー(St Jean-Pied-de-Port)はあちこち道路わきのレストランやカフェーなどで観光客があふれている。駐車する場所もその気もない亭主はまっすぐ通り過ぎたが、素敵な橋の風景だけは写真に収めた。

あとでインターネットで調べたところ、この町からスペインへのサンティアゴ・デ・コンポステーラの出発点だとのこと。知られていない観光名所らしい。

   

ここ以降の道路脇に上の写真の標識がいたるところに見られた。

 

 

 この辺りからスペインの国境(初めて国境標識がなかった)を通って道路はジグザグあまり急坂ではないがいつまで行ってもこんなに曲がりくねっていて、対向車が曲がったコーナーで通り過ぎると危険を感じるほどだった。

 

途中で一人だけコンポステーラへ向かって歩いている巡礼を見かけた。この辺りからコンポステーラまで800㎞程を歩くことになる。すごい気力と体力だと思う。

 

 ピレニーの山越えを終わったところで、一塊の教会や大きな建築物は巡礼を泊める設備らしい。

 

 巨大な家屋が長々と並んでいる通りには、人影が一切見えずまるでゴーストタウンのようだった。

 

 

 もう何度も来たことのあるパンプローナのキャンピングサイト、400㎞に満たないが曲がりくねった山道を神経をすり減らして運転してくれた亭主は疲労困憊していた。

 

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再びポルトガルへーソリア(Soria )からロードN110へ

2018-03-21 23:39:07 | 再びポルトガルへ2017-2018

朝から晴天でキャンパーの窓を全開して走っても暑い。パンプローナからソリア(Soria )を通ってマドリッドの北東にあるキャンプサイトを目指した。この日の走行距離308㎞。

パンプローナからログローノ(Logrono)までの90㎞近くは無料の高速道路で快適に走った。 

 

 

 ログローノからソリアまで南下する道路は山道の2車線道路で、前にトラックがのろのろ走っていると追い越せない。そしてこの辺りは👀を見張るほどの巨大な岩山が相次ぎ、まるで巨人が大ナタを振るってまっすぐ切り取ったように見える。

 

 

 

 辺りの木々は黄葉し、これらはほとんどポプラの木らしかった。

 

 

ソリアを通り過ぎると周囲は平らな農地になり山もなく川もない乾燥地帯。

そんな平野の道路脇にハゲタカの群れ、すぐキャンパーを止めて数枚写真を撮ったところで、後方から車がやってくる。2車線道路では止まっておれないからすぐ発車させた。

この日は今までよりも短距離を行くからあまり急がなくてもよい。それで途中から引き返して道路わきの空き地に停車し、100メータくらい離れたところから写真を撮りまくった。

 

 

野原の真ん中に動物の死骸があるらしいが、あまりに多くのハゲタカに囲まれていて見えない。今までスペインで見たハゲタカは山の中ばかりで、こんな平野にこんなにたくさんのハゲタカがいたなんて信じられない。

 

鳥の仲間ではハゲタカと七面鳥が一番醜くいと思う。死肉を喰らい、いかにも ”俺のだ、いや俺のだ” とけんかしている浅ましさ。

 

 自然界の葬儀屋だが彼らがいないと自然のサイクルが狂ってくる。

アフリカのある小さな水源地に誰かが毒を注いで、水を飲みに来た動物が全部死んでしまった。ハゲタカも全滅してしまい、死骸を始末するものがいなくて、病気が蔓延したという。

こんなチャンスは2度とないだろう。残念だったのは三脚を持って行ってもう少し近くからヴィデオで写せたらよかったのに、望遠を最大にしてヴィデオでとると手ぶれが激しくて、見られたものじゃない。

この日は土曜日で着いたキャンプサイトはスペインのキャラバンでいっぱいだった。聞けば今日から4日間の連休だとのこと。子供たちが11時過ぎまで騒いでいた。

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再びポルトガルへーカセーレスからタヴィラへ

2018-03-20 11:53:49 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

 このRoad N 110に面したキャンプサイトには今まで何度も来ていて、タイヤがパンクしたときもキャンパーが雪に埋もれて動けなくなったのもこのサイトだった。それなのにこのキャンプサイトだけは名前が覚えられない。大変高級なサイトで、夏など相当の値段がすると思うが、私たちの停まるときはオフシーズンでおまけにキャンピングカードも持っているから一泊19ユーロとなる。それでもキャンピングカードの中では一番高い。

 

 キャンピング場のあるあたりには必ず観光名所や、家族が楽しめる施設が有るはずだが、ここにはそれらしきものが一切ない。それなのに連休だからとキャラバンが集まるのはどうしたことか。

 この朝9時近くに出発したときは、昨夜遅くまで騒いでいた子供たちがまだ朝寝坊しているのかサイトは静まり返っていた。

 

 

 この日の走行距離は424km、サイトから全行程無料の高速道路に乗り、マドリッドの北部環状線を通って、毎時速100㎞以上で走りスイスイとカセーレスに着いた。長距離をこんなに楽に運転できたのは高速道路のおかげと亭主はご機嫌。カセーレスはメリーダ(Merida)の北80㎞にある。

 

 

高速道路の左側には時々こんな立派なお城が現れる。今年のマドリッドは48度と灼熱地獄だった。とっても住めるものではないと思ってしまう。

カセーレスで2泊して今までの疲れと汚れを落としてキャンパーの水のタンクを満杯にし17日の火曜日にサイトを出た。

 17日のこの日は朝から雨で、セビリアへ着くまでの261kmは雷、稲光と激しい雨で前方が見えない時もあった。これでポルトガルとスペインの山火事が収まるだろう。

セビリア以降のポルトガルまでの高速道路180㎞の中間分離帯はキョウチクトウ(夾竹桃)の並木が延々と続いていた。両脇は春になるとミモザが真っ黄色に花を咲かせ、秋は夾竹桃。

午後一時過ぎにタヴィラのキャンプサイトに着き昨年停車していた丘の上へ行ってみると、その場所に自家用車とイスが2脚並んでいる。

誰かが場所取りしていると思ってがっかりしたら、友達のアランが彼のキャンパーから出てきて私たちのために取って置いたのだと言い、大感激した。

それにしてもスペインであんなに激しい雨だったのに、ここでは地面が乾燥していてもっと驚いた。

 

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再びポルトガルへータヴィラ着(Tavira)

2018-03-19 17:09:14 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

 

過去2年は同じ場所に駐車して5-6か月生活していたから、お向かいのフランス人ハッピーウィッスラーもここは私たちの場所と心得ている。私たちもここ以外に駐車するところは考えられない。

 右のハッピーウィッスラーの巨大なキャンパーには後ろに大型のトレーラを引っ張っていてこの中にはあらゆる荷物と、停車したときはキッチンになっている。おまけに小型の自家用車は奥さんが運転してこのサイトへやってくる。

左のフランスキャンパーは、数年前一緒にラジオ体操したアニーのもので、彼女たちがこのハイランドに駐車したのは今回が初めて。今年はここのハイランドが雑草だけでなく土地も均されてきれいになっていた。ただシャワールームやトイレのメインテナンスが行き届いておらず、トイレなど8室のうち3室しか使用できない。

 

今年もほとんどのキャンパーがフランスからのもので、彼らは毎昼食時に集まってパーティーを開いている。

 ローランド(低地)のグランドにはまだ半数ほどのキャンパーしか駐車していないが彼らもほとんどがフランス人たち。

 

アランからオランダ人のジェラルドとマリアン、そしてイギリス人のマイクとシオナがもう来ているからと聞いて会いに行った。6か月ぶりの友達と旧交を温めあう。マリアンはこのピンクのセーターを編んでくれた。私はこの6か月の間運動をしないで甘いものを食べ続けたせいで、3㎏太った。その3㎏は全部おなかの周りに分厚い脂肪となって、このピンクのセータを着ると達磨のように見える。

 

 

 このサイトは昔はオリーヴ・オレンジ畑だったらしく周囲に生えているオレンジの木々はまだグリーンの実がいっぱいついている。オリーヴは昨年実がならなかった大木が今年は鈴なりで、大いに楽しみ、もう終わりかけのザクロの実が10本くらいの木々になっているから全部取ってきた。

ここでは誰も採らないので昨年は私たちが着いた10月末では実がはじけたり腐ったりして惜しいことをした。

 

 

キャンパーの前の砂地にフーパーがやってきて砂をかぶっての砂風呂やあちこちつつきまわして餌を探していた。あまり人を恐れる様子もなく、きれいな鳥だ。

着いた翌日からラジオ体操を始めたがこの朝土砂降りの雨になり、9月の干ばつがやっと解消したと喜んでいた。その後数日蒸し暑く曇り空が続き小さな蚊と素早い蠅に悩まされた。

今年も12月まで蚊が跋扈するだろう。キャンパーの外で夕食などできそうにない。

 

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再びポルトガルへー2週間の特記事項。

2018-03-19 10:15:31 | 再びポルトガルへ2017-2018

今年のポンドとユーロの交換レートは2年前とあまりに格差があってポンドで英国外で生活する人たちには大変な負担になる。

2年前は1ポンドが1.4ユーロ以上にまでなった。今秋のレートは1ポンドが1.12ユーロを上下している。これでは何にも判らないだろうが、私がキャッシュマシーンから現金を下ろすのは毎回200ユーロに決めているからその交換レートで私の口座から引き落とされるポンドの額に大変な違いが出てくる。

1ポンドが1.4ユーロ時のポンド額は143ポンド、今現在のレート1ポンドが1.12ユーロでは179ポンド、同じ200ユーロを手にしても口座から引き落とされるポンドが40ポンド近くの違いが出てくる。ひと月に2-3回現金を引き下ろすとその差額は巨大なものになる。それも6か月も!!!

英国の年金でここポルトガルやスペイン、フランスで生活している年寄りは非常に多いからこのレートでは生活も苦しいだろう。

先週サイトから正反対の町の片隅にあるスーパーマーケットへショッピングに行った。その時そのスーパー近くの歯医者で奥歯の詰め物を入れてもらい、カード支払いがうまくいかず、手持ちの現金で支払った。

スーパーで食料を買い入れカードで支払った後、スーパーに設置されているキャッシュマシーンで現金を引き下ろそうとしたところ、200ユーロは出てこず、カードも飲み込まれて出てこない。スーパーではこのマシーンは自分たちとは関係ないと助けてもくれない。スーパーのマネージャーがすぐ使用不可のサインをマシーンに取り付けた。周囲のポルトガル人や外国人たちはこの銀行へ行って助けてもらいなさいと助言する。

このキャッシュマシーンMultibank がどこにあるか判らないので観光案内所で聞いたところそんな銀行はないと言われた。キャシュマシーンの名前だけで実際にその名前の銀行はないのだそうな。

英国の銀行に連絡しなさいと言われてすごすご帰ってきた。キャンパー内でスカイプの電話を使いカードを発行してもらった銀行へ電話をしたところ、大変親切な対応で有難かった。すぐ無くなったカードをキャンセルして新しいのを自宅に送ってくれるという。娘に連絡して取りに行ってもらい、クリスマスに彼ら一家がタヴィラにやってくるときに持ってきてもらうことになった。その間亭主のカードを使うことになった。やれやれとんだ人騒がせだ。

今週末で英国もポルトガルもヨーロッパ諸国も冬時間になった。ポルトガルと英国は同じ時間でスペイン、ドイツ、フランスなどが1時間早くなっている。各国が同時に1時間時計を遅らせて、来春3月までは夜が早くやってくる。

ラジオ体操仲間と冬時間のことを話していたのに〈時間変更は日曜日の深夜1時)すっかり忘れて昨日と同じ時間に起き、同じ時間にジムへ行ったのに誰も来ない。

もしかして皆土曜日に飲みに行って二日酔いで来られないに違いないと自分の都合の良いように解釈してキャンパーへ戻りキャンパー脇でラジオ体操。

マイクやメアリーは変更した9時に行ったのに私が来なくてすぐ私の間違いに気付いたという。翌日は皆に笑われた。もう40数年一年に2回の時間変更でも慣れないのがおかしい。

 

 

 

 

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再びポルトガルへータヴィラ(Tavira)

2018-03-18 19:24:10 | 再びポルトガルへ2017-2018

 タヴィラのいつもの場所に落ち着いてもう2週間経ってしまった。

この2週間の間に昨年まで一緒にラジオ体操をしていたメアリーとピーター夫妻、まだ50歳にもなっていない若いヴァネッサとデェィヴ夫妻が着いた。フランス人のミッシェルとエドモンダ夫妻も昨日着いた。

アランとエプリㇽ夫妻は最近ポルトガルの中央部に一軒家を買い、2週間の予定で家の掃除へ行っている。彼らは昨年からポルトガルに落ち着く話をしていて、この夏9月上旬からポルトガル北部のハウスエージェントを訪ね歩いていた。

 

 キャンプサイトの巨大なオリーヴの木には今年は鈴なりの実が着いた。6リッター入りの水のボトルに黒とグリーンのオリーヴの実を塩漬けにして灰汁出しをしている。

 

 町へ行く途中の家々の前庭にはいろいろな果物や花が咲いている。青紫の朝顔の花ももう時季外れ、昨年も鈴なりだったパパイアの木に今秋もたくさんの実がついている。

 

 クリスマスには小さな鉢植えのポインセチアが店先に出るがポルトガルではこんなに巨大な木になる。

 

 ここポルトガルでしか見たことの無いこの花は10月に花が咲いて、春に葉が出てくる。芝生の上にカーペットのように花弁が散っている。

 

 10月半ばにポルトガルへ来たのは初めてで、オレンジもレモンもまだグリーン。ブーゲンビリアの花は南国ノシンボル。もう1週間以上晴天が続き30度近くの暑さ、こんな気温は英国の夏では1週間くらいしかない。暑さ負けして毎日昼食後は昼寝しないでは体が続かない。

 

 取り残しの海塩が残っている塩田ではカモメが昼寝をしているのらしい。彼らもシアスタがあるのかしら。

 

 

 

 夏の間に働いた汗の結晶、塩の山は塩田のあちこちや、製塩所の広場に見上げるような山になっている。

 

 夏の間中咲いていた鬼アザミは枯れて綿毛になっている。来春2-3月には新しい芽が出てきて又花のサイクルが繰り返される。

 この花は雑草ではないが、あまりにもどこでも見かけるので栽培植物には見えない。サイトの中も道端でも今から来春まで長い花の時期がある。

 

 

スパーマーケットで見つけたこのかぼちゃは北海道と名前入りだったから買ってみたが、日本のおいしいかぼちゃには程遠い水っぽいものでがっかりした。

ところでこの巨大な茄子はマイクがポルトガルの知人からもらったものだそうで、1個を私にくれたものだが、日本の茄子はこれだけ大きいと種が多くてかたくて食べられないと思う。この茄子は実がしっかり詰まっていて種がほとんどなく一回ではとても食べきれなかった。半分を茄子とミンチ肉のカレーにしたら亭主が喜んで食べていた。

 

 

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再びポルトガルへーポルトガルの干ばつ

2018-03-17 10:08:37 | 再びポルトガルへ2017-2018

タヴィラに着いた翌日10月18日に夕立のような激しい雨が降り翌朝も午前中1時間ほど激しいにわか雨が降った。

ポルトガルは昨年夏から恒常的な干ばつに悩まされていて先週の英語新聞の一面記事が干ばつで水源地が完全に干しあがっている写真を載せていた。一時的なにわか雨ではこの干ばつは解消されないとのこと。もう今は奇蹟を望むしかないと、まったく悲観的な記事だった。

その新聞の出た翌日2週間ぶり急激な土砂降りになり、シャレーの上の覆いから落ちる雨を受けるべくバケツを2個置いたところ、30分で雨は止んでいつもの青空になった。なんと驚くことに雨水はバケツ一杯になって6リッターの水のボトル4杯分になった。この雨水は持ってきた鉢植えのプランツにやるが、それだけでなく来春トマトやかぼちゃの種を植えた時の水やり用。今度はいつ雨が降るか判らないから今からしっかりと蓄えておく。

キャンプサイトの水は地下水をくみ上げているとのことだが、消毒薬が入っていて、ティーを作っても日本茶にしてもまずくて飲めない。植物にしても発芽に影響があるらしく、今春3月に植えた種はほとんど出なかった。

ポルトガルは1年のうち300日は太陽が出ていると言われるくらいで、毎日青空が続き、私たちのようなホリディー気分の人たちには良いだろうが、農業を営む人たちには、奇蹟を願い、神頼みをするしか方法がないのだろう。どうしても干ばつに強いオリーヴやぶどうが主生産物になる。オレンジの木の下にはいつでも水やりできるように長いゴムのチューブが配置されている。それでも川や水源地に水がなければ枯れるしかないが・・・。

2週間前にポルトガルの中央部あたりに家を買ったアランとエプリㇽ夫妻は、庭の草花が枯れて悲惨な有様、雨が欲しい・・・とe-mailを送ってきたが、その2日後に一時的にでもにわか雨で潤ったらしく、庭の植物も彼らも天を向いて神に感謝したとメールをくれた。

雨が多くて寒いヨーロッパ北部から来た人たちには、毎日の青空はしあわせのシンボルみたいに思えるが、今季2回目のにわか雨にはもっと降ってほしいと、30分でやんだ時にはがっかりした。

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再びポルトガルへー塩田散策

2018-03-16 18:26:20 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

毎日青空の日々だけれど 11月になって気温は確実に下がってきている。10月中は30度近くの炎天下を歩くと、異常に疲れが出て足がだるく、2-3時間で音をあげたものだが、ティーシャツ一枚で涼風を感じながら歩けるのは本当に気持ちがいい。

 

 

タヴィラの町と塩田の間にはビニールハウスが延々と並び、昨年は鉢植えのラウズベリーが長い列を作っていた。今年はまだ何を植えるものやら、作業が始まると中国人の日雇いらしい作業員でいっぱいになる。

 水をたたえた塩田は今年の塩の生産は終わっている。

 只1箇所の塩田が真っ白な塩を取り残したまま水も入ってない。このまま来年夏まで置いておくつもりらしい。

 

 

 広大な塩田地帯は塩田ばかりでなく海水を引くための水路や沼地のようなところもあって、必ずどこへも行けるとは限らない。

 

 そんな水路ではフラミンゴや鵜がのんびり日向ぼっこをしている。

 

 沼地の私たちが近寄れない湿地帯では、真っ白なヘラがもが集まっていた。

 

 昼寝をしているものや羽つくろいをしているもの、こんなに多くのヘラがもを一堂に見たのは初めてだった。

 

 

 川渕では大きな白鷺がえさを求めてせっせと歩き回っている。

 

 川渕の土手ではちいさな蟹が穴から出たり入ったり。彼らはどちらかのはさみが大きく、これは戦闘用。小さい方のはさみで泥をひっきりなしに口に運ぶ。

 最近まで通ることのできたこの橋もとうとう通行止めになってしまった。いつ倒れてもおかしくないような斜めに傾いたままでもう4-5年もそのままになっていた。

それまでも車は通れないが自転車と人は通行可だった。

 

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再びポルトガルへーサンタ・ルチア(Santa Luzia)

2018-03-15 17:13:08 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

 11月に入ってからは今までの暑さは無くなり、ティーシャツ1枚で歩いて汗をかかない気持ちの良い天気になった。

亭主は坂道を歩くとすぐ足が痛くなると言うので、山側はなるべく避けて海岸線の平野を選ぶ。

この日はファーロへ行く道路と平行に走っている線路近くの農道を散策に行くことにした。

 

 農家の壁に這っているブーゲンビリヤは今が盛り、光を浴びている色彩はいつも心奪われる。

 

 

 南ポルトガルの海岸線一帯はアルガーヴと呼ぶ。単線の鉄道がスペインの国境ヴィラ・リアル・デ・サン・アントニオからポルトガルの最南端のサグレスまで伸びている。

11月となれば英国や日本の農家は野菜の育成はほとんど望めないが、こんなに生き生きと育っている野菜畑を見るとうらやましくなる。

  

マメ科の花を咲かせるこの灌木の自衛は恐ろしいとげ。土埃の激しい農道わきにズラーと生えていて、触りたくない枝ぶり。

ポルトガルの昔からある水道システムがこれ、こんなに大きくしっかりと建っているのは今も稼働しているのだろう。地下水をくみ上げてオレンジ畑や、野菜畑へ灌水している。

 

 

遠くから見たらいったい何の花だろうと思った地面を這うブーゲンビリヤの花。ここは立ち入り禁止の私有地でこの奥に何があるのか判らない不思議な場所だった。

 素敵な白壁の新しいヴィラが立ち並ぶペドラス・デル・レイの新興住宅地。ほとんどが別荘らしく、人影は見えない。

 

 2軒の屋敷の白壁を覆っているブーゲンビリヤの派手な色。

 サンタ・ルチアはタヴィラの隣町で一本の海岸通りにレストランが立ち並ぶ小さな漁村だった。

この町へ来るまで、サンタ・ルチアという名前が聖女ルチアだということを知らなかった。昔から日本ではサンタール・チーアと歌われていたから、子供心に意味も知らないでそんなものだと思っていたことが多い。サンタ(Santa )は聖女、男性はサン(聖)と呼ぶ。サン・セバスチャンとか、サン・アントニオとかキリスト教で祭り上げられた聖人の名前が地名になっている。

 

 街路樹がこの素晴らしい色彩の花を咲かせている。黄緑色の葉にこの藤色の花と青空がなんともいえぬコントラストで、並んでいる街路樹一本づつ写真を撮りながら歩いていた。

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再びポルトガルへーカステル・マリム〈Castro Marim)

2018-03-14 17:02:20 | 再びポルトガルへ2017-2018

 毎年1年に一回は来ているカストロ・マリムへ今回も電車で来た。ここの駅はカストロ・マリムの町から5kmほど離れたところで、周囲には崩れかけた田舎家が一軒あるだけ。電車は道路を横切って止まりプラットフォームの無いところもある。

線路わきに派手に咲いている朝顔は地面を這っている。 

 

駅から100メーターばかり言ったところで左にリオ・セコ〈Rio Seco)のサインを見つけ、地図も無いのに行ってみる気になった。距離も判らないから、行き当たりばったり。

 道路わきの空き瓶リサイクルの容器にこの素晴らしい落書き、これなら許せると思う。

 

道端の草むらに咲いていた珍しい花、まるでどこかの園芸店から買ってきて植えたような、雑草には見えない。ところがこの辺り一軒の家も見当たらない。

 枯草と乾燥して何もないような地面にあたり一面咲いていたこの花、今まで見たことの無い花だった。

道路が高速道路と交差する辺り、右に見えてきたのがきれいな村で、荒れ地の細道を通ってこの村へやってきた。

 立派なお家の前庭にたわわに実っているザクロ、どうして採って食べないのか不思議でならない。このまま腐って落ちてゆくのに、それでもよその庭の木だからとるわけにもいかないし・・・・ただただもったいない。

 

 最近のポルトガルの経済は上向きとの新聞での報告。こんな素晴らしいお家を見つけると本当にその通りだとうなずける。

 

 どの家もきれいな花や果物の木が植わっていて、小さなきれいな村を結構楽しんで通り過ぎた。

  

直径30センチ以上もあるサボテンを見つけ、これは決して英国では戸外で育たないだろうなとうらやましい。

 この村へは裏口から入ったので、正面の村の入り口へ行って初めて村の名前が分かった。そして村の門の脇にこのかわいいカエルのデコレーション。

 

 この村からカストロ・マリムの町まで3㎞、のんびり歩いて町の入り口で見たことのあるサイン。なんとフランス、スペインでよく見かけたサンティアゴ・コンポステーラへの巡礼道のサインだった。この町から933kmというから、ほとんどスペインを横切るのと同じくらいの距離だ。ポルトガル人も信心深い人たちが多いから、巡礼道があると見える。

 

町のメイン通りは両脇に巨大な城壁が見えその真ん中に純白のメイン大教会が建っている。

 メイン通りで塩だけを売っているお店を見つけた。その店頭の塩の種類の多いのに驚いた。店先の道路に積まれている大きな塩の袋が面白い。お店の宣伝は手作りの塩と書いてあった。

 

 昨年この町のお城へも行ったから目新しいものはないが、城下町のイメージとかけ離れた町はずれのこの場所が面白い。なんとなくエジプトの神殿をイメージさせるところで、丘の上にあるサント・アントニオ教会のものらしい。小さな教会の前には大きな風車が建っている。

 

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再びポルトガルへー水の無い滝へ

2018-03-13 22:37:58 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

あと数日後にタヴィラのスポンサー・ウォークに行くので、予行演習と称して二人で出かけたのが,毎年行っているウォーターフォール〈Water Fall)ここの滝壺は、昔はたっぷりと水があって暑い夏には泳ぎに行く若者が多かったそうだが、5年前から私たちがこの地を訪れたときは、哀れなほどの水が流れていた。

昨今の日照りで、滝も川も乾ききっていて、巨石がごろごろ転がっていて雑草に覆われている。

 

 

 放し飼いの羊やヤギはいったい何を食べて生きているのだろうかと思うほど、草が枯れている。

 

 ビワの花は今が盛りで来年春3月から4月には実が実る。

 

 イギリスでは絶対見られないほど大きいどんぐり、残念ながらこれは食べられない。ところが以前オルニャオのマーケットでコルク樫のどんぐりを買って食べたことが有る。あまりおいしいとは思えなかったが。

 

 

 根元が真っ黒に焼けているのにそれでも芽を出し大きくなったオリーヴの木、すごい生命力だと思う。

 

 丘の頂上まで耕されたオレンジ畑予定地。この辺りはどこを見てもオレンジ、レモン畑で、あんな頂上までの灌水が大変だろうなと他人事ながら気の毒になる。

 

 一応川があった谷間の対岸にぽつぽつ建っているきれいな家。クインタ・ボニータはかわいい農家とでも訳そうか。

 

 オレンジがまだほとんどグリーンなのに、この鈴なりのオレンジはもう収穫間近。畑の真ん中に見られる大きな丸いタンクから水を各木の根に送っているが、地下水をくみ上げているのかそこが判らない。

 

 

道端のザクロの木になっている小さなザクロが面白い。こんな実がいくつかあったから、小さなザクロはこんな風に実るらしい。

 

 

農家の塀の飾りが面白かった。

 

来春3月には一面がピンクの花で埋まる桃畑。今は紅葉でもうすぐ丸裸になってしまうだろう。

空の滝までの往復は12マイル、へとへとになって帰ってきた。

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再びポルトガルへースポンサーウォーク

2018-03-12 17:12:21 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

 

日曜日、タヴィラの町でスポンサー・ランとウォーキングがあった。

今年3月に有ったチャリティーランと違って、今回は有力会社がスポンサーだったから、ランニングには21km、と12.5kmの距離によって参加料が違い、7.5kmのウォーキングは参加料2ユーロ。

それで上質のTシャツをもらい、途中ではオレンジと水のボトルが配られた。 

 

 

 

朝9時キャンプサイトの玄関に集合し、タヴィラの町の中心地アンプシアターまで歩いた。ほとんどが毎朝ラジオ体操をしている仲間で、1週間前から相談しあい計画していた。

 

このカッコいいTシャツは大変上質で、このイベントの後もいつでも着てショッピングに出かけたり、体操に着ているが色落ちしない。

 

コースは今春のチャリティと同じかと思っていたら、長距離ランニングのために町中の車を殆ど止めて街中のストリートを走り回る。ウォーキングもはじめだけ港までの直線コースを往復後は、町の静かな通りがメイン。

 

 家族連れのウォーカも多く皆和気あいあいで歩いていたら、まず初めに出発したランナーが港の折り返し地点から戻ってきた。

 

 港までの往復には道路わきの塩田が水をたたえ、水鳥やチドリがえさを探して塩田の中をウロウロしている。

港から帰って4㎞の地点、もう一回りしたランナーが橋の上を通り過ぎて行った。 

 

 

 水とオレンジの補給処では音楽隊の3人が派手にメキシコの曲を演奏していた。オレンジを2切れ貰って歩きながら食べる。まだオレンジの最盛期ではないので、スーパーのオレンジは結構高い。

 

  

 

今年のウォークは全体に昨年よりも早く歩いて終わったので7.5kmを1時間15分で完歩した。

あまりに早く終わってなんだかがっかり、今春のチャリティーウォークより500メータ少なかっただけなのに本当に7.5kmあったのかしらと思ってしまう。

 

 

 ランナーの終着点では家族や友達が並んで、ランナーの帰りを待っている。

 

12時には予約しておいた川渕のアイリッシュ・レストランでのんびり昼食。サンデーディナーにつきもののローストビーフとヨークシャプディングを食べ、とってもおいしいサイダー〈リンゴ酒)を1.5パイントも飲んでご機嫌。

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再びポルトガルへー ラジオ体操のテープか CD プレーヤー

2018-03-11 21:41:37 | 再びポルトガルへ2017-2018

今年3月末までラジオ体操時に使用していたCDプレーヤーは2004年、従妹が訪英の際わざわざ日本から持ってきてくれた薄型のソニーのもので、13年も使った。今年2月や3月に時々音が出なくなり、体操時に皆でハミングしたり口笛を吹いたりして体操したこともたびたびあった。

4月に帰国した後このCD プレーヤは完全に壊れて音が出なくなってしまった。でもこれほど薄型で、持ち運びがよくバッテリーもAA4個で結構長持ちしていたのは、後先これしかない。

それでこのプレーヤーを修理に出そうと考えた。同時に替わりのプレーヤも買いたい。我が家の近くの家電修理店へ持っていったら、ここではできないと言われロンドン市内のトッテンナムコートロードの電気店が並んでいるところでなら修理しているだろうとのこと。

この間にも近くのマーケットで売っていた安いCDプレーヤーを買って帰宅後すぐに使ってみたら、ラジオは聞こえるがCD が動かない。すぐ返品に行ったら、私の顔を見るなり何も言う前に返金してくれ、売り手も壊れているのを承知で売ったらしいと頭にきた。

次に我が家から電車で30分ほど行ったクロイドンのスェーデンが本店のお店で小型のCD プレーヤーを売ってるのを見つけた。かわいい赤のプレーヤーでお金を払ってレシートをもらって店を出る時に警報ブザーが鳴り、セキュリティーのおじさんに調べられた。セキュリティータグが箱についていて、それをとってもらいにまた長い行列を作ってやっととってもらったのに、また出口で警報が鳴った。セキュリティのおじさんは今回は諦めてもういいから行きなさいと言う。帰宅して箱を調べたらセキュリティータグが2個もついていた。おまけにCDプレーヤの音が悪くて、満足できない。翌日また返品し、返金してもらった。

とうとうロンドン市内のトッテンナムコートロードへソニーのCDプレーヤーを持って行った。インド人が経営するお店で、修理の前に修理可能かまた修理代がいくらかかるかを調べるのに20ポンド払えと言われた。数日後に電話しなさいと言われてその店にCDプレーヤーを預けた。

修理屋から数軒行った先の店でCDプレーヤーを売っているのを見つけ、まずは音を聞きたいとその店でCDの音楽を聴いた。音には満足したが初めに50ポンドと言っておきながら現金で60ポンドというから断ったところ、仕方なさそうに50ポンドにまけてやるという。この店もインド人経営だった。

50ポンドで買って帰ったCDプレーヤーは毎日聞いていると時々音がプツンと切れる。それがだんだん頻繁になってきて、また替えてもらおうと持って行った。インド人の若い店員は愛想よく替えてくれ、持って行ったCDで音も確認した。

数日後わが亭主が近くのスーパーマーケットでまったく同じメーカーの同じものを19.99ポンドで売っていると言ってくれ本当にがっかりした。インド人のお店では買うまいと思う。

修理に出したソニーのプレーヤーは修理代130ポンドだという。そんな高いのならいらないと言ったところあれこれ言い訳の末、90ポンドでいいという。2週間後に電話したらできているから取りに来いと言われた。その時はもうインド人に不信感いっぱい、いくらだと確認したら130ポンドという。

亭主はもうあきらめろと言い、友達も諦めなさいと言ってくれ、ソニーはそのままインドのお店に預けたままにしている。

10月にポルトガルへ発つ前に高い買い物をしてしまったCDプレーヤにバッテリーを入れようと思い裏を見たらバッテリー入れのふたがないことを発見した。あのインド人には初めから騙されっぱなしと気づいてしばし呆然。もう数か月たってるから返品も無理とあきらめプラスチックのふたを作りセロテープで止めてある。

10月18日からタヴィラで友達数人でラジオ体操を始めた。せっかく買った騙されっぱなしのCDプレーヤーはすぐにダメになり、マイクが持ってきたCDプレーヤーも同じ運命。とうとうマイクは私のコンピューターにラジオ体操をダウンロードしてくれ毎朝コンピューターを持って行って体操していた・・・・が音が小さすぎて多人数になると後ろの人たちは聞こえない。

昔従妹がラジオ体操のCDを送ってくれた時にテープも送ってくれた。そのテープが今役に立っている。古いラジオとテープレコーダーで、一度テープが絡まって大事なお話のテープをダメにしてしまった経験があるので、あまり頼りにならないが、このラジオが今のところ一番役に立っている。来春までテープがダメにならないことを毎日心配しながらテープを回している。

教訓 トッテンナムコートロードのインド人からは何も買ってはいけない。信用してはいけない。

 

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