Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ヘイドリアン・ウオール(ハドリアヌス)を歩く準備

2024-08-13 06:15:15 | 独り言

7月末、娘と孫のジュードは英国北東のニューカースル(New Castle)から近くのヘイドリアン・ウオールの出発地点へ行って写真を送ってきた。

へードリアン(日本語ではハドリアヌス)ウオールというのは紀元後43年、ローマ人が英国へやってきて、今で言うスコットランドとイギリスの間に全長135kmの塀を作り、当時の蛮族(スコットランド人)を締め出すオーダーを出したのがヘイドリアン(ハドリアヌス)皇帝だった。これぞ西洋万里の長城。

私は以前からこの場所にとっても興味があり、一度歩いてみたいと思っていた。そのことを娘にいうと、いとも簡単に じゃ行きなさいよ。

それで行くことにした。まずは一日20-25kmを歩けるかどうか?ある日いつものスポーツシューズで7kmほど歩いたら足の2箇所に水ぶくれができた。

それでインターネットで軽くて靴底が柔らかいウオーキングブーツを注文したら39.99ポンド、送料4.5ポンドという。40ポンド以上の買い物なら送料はただと言う。サンダルを15%引きでオファーが来たのではじめにサイズ6でショッピングカートに入れた。

ところがサイズ5.5に直そうとしても出来ず、キャンセルも出来ずそのままにしておいたら、ブーツのサイズを変えると思ったらしく、いつまで経ってもこない。

それで街のスポーツ店でサイズ6のを買ったら家の中で数時間履いてみたのに足指が熱く痛く眠れなかった。

翌日取り替えてもらってサイズ7にしたら足指は触らないがやっぱり全体にゆるゆる。(写真左のブラウンのブーツ)

今度はアマゾンの男の子用のブーツでサイズ6.5(真ん中のブルーのブーツ)を取り寄せたら、やっぱり大きすぎる。ではサイズ6と5を一緒に注文したら翌日夕方には配達されるという。

その朝、中国からやっと10日ぶりに注文したブーツ(ピンクのブーツ)が届いた。その夕男の子用サイズ6と5が届きまるで靴屋みたい。

ピンクのブーツが一番履きやすく足にも優しく、ほかは持っていったり、アマゾンに返品したりでやっと落ち着いた。

それで昨日はブロムリーのスポーツ店に返品したその帰り履いていったブーツを慣らすために、5kmの直線コースをあるいてかえってきた。広大なベッケンナム・プレース・パークの中は木陰で憩う人たちとサッカーに興じる人たちが楽しんでいた。この所気温28-30度くらい、湿度が低いから木陰は気持ちがいい。

今日月曜日、いつもならジムで汗を流している所、今日は15-20km歩いてみようと覚悟して、リュックに水のボトルだけ入れて出発。

歩いていてもきれいな花には心惹かれて立ち止まって鑑賞し写真を撮って眺めているから、今日歩いた3時間半のうち30分は花の鑑賞とショッピングに費やした。

30年前に住んでいた近くを歩いて、こんな素敵な家があった、とか初めて知った。

公園の中のゴミ箱が溢れていた。昨日の日曜日この公園で大勢がパーティでもやったらしい。でもいつものようにそこら中に捨てていないだけでも良かった。

1973年から1981年まで住んでいた通り、40-50年経ってもほとんど変わっていない。

グリニッチとニュークロスの間のデフトフォード(Deptford)の街いつ見ても下町でごみごみしている。この街は人種の坩堝のようで、上のようなお店が営業している。1970年代、ベトナム戦争の難民を受け入れたのもこの街で一時期、ベトナム人が集団でショッピングにきていた。 

そんな下町の真ん中に立派な大教会セント・ポール・デフトフォードは、宗教界では有名らしく、1970年代プリンセス・マーガレットがこの教会を訪れ、小さかった娘と見に行ったことがあった。小さな女の子のプリンセスのイメージは、可愛い女の子できれいなドレスを着て・・・大人の中年のプリンセスをひと目見て、一遍に興味をなくして帰ろーとぐずったことが忘れられない。

グリニッチは観光客の街。パブも花の飾りが素晴らしい。カティサークも火災のあと完全に修復して、中を見ることができる。

 

 

昔の海軍の士官学校のあった所、私が英国に来た72年にはまだかっこいい若い士官学校の生徒達が真っ白の上下でさっそうと歩いていた。

 

ロンドンへ来たことのある方なら一度は見たいと思われる、グリニッチ天文台。いつも人であふれている。

今日は外気31度にも上がり本当に木陰に入るとホッとする。グリニッチの緩やかな丘を登ったところに小さな植物園らしい花畑。そしてこの公園を出たところが

広大なブラックヒース。ここは1346年から1353年、ロンドンでブラック・デス(黒死病)と呼ばれたペストでなくなった数百万人の人々がうめられているため、一切の建築物を建てることが出来ない。

ここからなだらかな丘を降りていったところがル‐シャムのマーケットのある所。

我が家から15kmで3時間半かかったが、良いブーツにあたって足は痛くならずに済んだ。これで毎日20数キロを歩く自信がついた。

 

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モダンアートとロンドン望遠

2024-02-11 20:18:18 | 独り言

1月に友達と落合いテートモダーンへ行ったとき、無料の説明(フリートーク)に参加した。私はあまりこのモダンアートというのが苦手で、だからこのトークでの絵の説明には全然感激もしなければ画家の名前を知ろうともしなかった。それでこの漫画のような巨大な絵を写真に写してきたが、画家の名前も知らない。でも絵をひとつづつ見ると現代の悲劇があらゆるところにある。

これはまさしく漫画、この巨大な漫画のどこが美術館に展示されるのか私にはわからない。ただこの絵の背景に当たるグレイが近寄ってみると細かな点点から成っている。友達によれば、モダンアートはそれを初めて描いた人が好いのだそうな。判らん。

これは判る、こんなにも古くからの大小のトランジスターラジオを積み上げてタワーにした・・・こんなことを考える人がやっぱり芸術家なのだろう。

20世紀初めのロシア女流画家の作品という。

 

此のテートモダーンのターバインホールの後ろに2016年に完成したスイッチハウスのビューイングフロアーからロンドンブリッジ方面をみたもの。後ろの高い三角形のビルがロンドンで一番高い337メータ―のシャード、起重機の後ろに集まっているビル群はドックランド。

2000年以降急激に建てられた高層建築物はシティの周辺。

セントポール寺院の横からテームズ川にかけられたミレニアムブリッジは2000年開通と同時に橋の横揺れがひどく一日で閉鎖して再開したのは2001年。設計ミスだったらしい。それ以来ワブリーブリッジとあだ名で呼ばれている。

 

上はブラックフライアーの鉄道ブリッジで

中は長いプラットフォームになっている。

プラットフォームの窓から見たシティとドックランド、遠くにタワーブリッジが見えますか?

 

 

 

 

 

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大英博物館ーミャンマー展

2023-12-09 20:09:52 | 独り言

2週間ほど前、友達に誘われて大英博物館で特別展のBurma to Myanmar(ビルマからミャンマーへ)展へ行ってきた。

今までの特別展の中ではこじんまりとした展示会で1時間半ほどで見終わった。

1907年当時は英国の植民地であったこの国で英国統治者の総督あての手紙がこの巨大な貝に書かれている。民衆の総意で、清水、交通機関の改良、バイリンガルの学校設立、病院 などの要請がかかれてある。

19世紀半ば中国人によって掘り出され、作られた大きなジェイドの容器。

インド、タイ、中国に囲まれたこの国は紀元700年から1100年にかけインドから伝わった仏教が広まった。

貝殻で作られた仏典、これが文字であるとは思えない。素晴らしい芸術作品見たい。

ビルマ王室で使われた壁掛けで、オリジナルはインドのストーリー(ラマヤマ)が東南アジアに伝わり、それを演じたタイの舞踏団を刺繍した華麗な壁掛け。インドネシアの影絵を思わせる。

鰐の楽器はミャンマーの南部に住むモン民族が隣接するタイ文化の影響を受け作られた弦楽器。

19世紀末、ブリティシュ、シャン民族、中国人により作られたシャン地図。当時ミャンマーはシャン民族、ナムマオ(ビルマ)民族、ナムカム、セラン,モングマオなどの民族が住んでいた。

織物は当時シャン民族の主産業で縦じまの織物は北部タイ、南西中国、ラオスなど一般的に作られた。

 

カッチン族のバッグで主に1800年末、英国―インドの軍隊にカッチン族軍人募集に使用された。

シルバー、ビーズ、ポンポン、リボンなどで飾られたバッグで実用向きではない。

英国とミャンマーは19世紀3回にわたり戦争をし(The Anglo-Burmese Wars)200点ものを戦利品として英国海軍が奪った。その中の一つがこの大きな仏像、大きな手が異様に思える。

この展示会では最高の出来栄えと思える象牙の椅子。ミャンマーの最後の王Thibou(1878-85)の椅子。

 

 

1830年―1900年の手工芸品(テキスタイル)は自然染色と草の実で装飾されている。

此の写真でははっきりと見えないが The Japanese Government とプリントしてあるお札は1942年から1945年日本軍がこの国を占領しこのようなお札を発行、経済を牛耳っていた。

 

 

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乱読

2023-08-28 20:45:24 | 独り言

ちょうど1週間前の月曜日、ヨガから帰ってきてすぐブランチを食べて、12時の電車でロンドンブリッジへ、15分で着いた。

そこから地下鉄ジュブリーラインに乗り換えて20分、セント・ジョン・ウッド(ST John Wood)の駅に着いた。

ここには大きな図書館に日本語の本がたくさんあるという。

今まで一度もこんな図書館があると聞いたこともなかった。それで日本語の本に飢えていた私、昨年冬には日本語の翻訳本4冊をインターネットで買い、それを金沢の兄嫁のお家へ送ってもらった。

 

これらの本はスエーデンのミステリーでインターネットで直接英国へ送ってもらうと送料が本自体の何倍かになる。兄嫁にお願いして船便で送ってもらいクリスマスの時期1週間で読み終わった。

一回読むとこれらの本はほとんど忘れる頃まで見たくないものだ。

此のフォックス(The Fox)は日本語の本ではないが、昔からとっても好きな作家フレドリック・フォーサイスの本で、2018年出版という。

2019年8月のポールの誕生日に、パトリックの友達が誕生祝にプレゼントしてくれたもの。結局ポールは目も通さないうちに亡くなり、活字に飢えていた私がちょっと見た時からのめりこんだ。最近こんなに面白い本はないと思った。

引きこもりの18歳のコンピューターお宅が世界中の政府の機密コンピューターに入っているのを知った英国MI5   が彼を使って画策するストーリー。英国読者をいい気分にさせるような本だった。最後は北朝鮮のコンピューターにまで潜り込むのだから。

 

セント・ジョンズ・ウッド・ライブラリーは地下鉄駅から1ブロック行った繁華街の真ん中に位置するまるでそこらの古本屋という感じ。地下への階段を降りたすぐ真向かいに日本語の本がズラーと並んでいて、これらの本全部読みたいと思った。

ここにあるのは日本人の派遣社員が帰国時に置いて行った本が主らしいが、古本もずいぶんたくさん並んでいた。

図書館を運営していたのが2人のインド人のおじさんで、たぶん日本人のアシスタントがいなくなって本の整理ができないのだろう。私が持って行った日本語の本は全部外の本棚において売るのだそうな。

この日は10冊借りた。上の5冊はこの1週間で読み終わった。どれも面白かったが、乃南アサさんの本はあまりに日本的、社会の底辺をうごめく人々や、不平不満の家庭の主婦のストーリーなどで嫌になり、最後のアルジャーノンに花束をが一番面白く考えさせられた。

上の5冊はこれから2週間で読もう。返本は3週間だそうだがインターネットで7回まで延期することができるという。とにかくこれで当分本に飢えることもなく、毎日充実した日を過ごせそう。当分毎日の新聞を読む時間が無くなった。

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ロイヤル・エアーフォース・ミュージアム(RAF Museum)

2023-07-31 20:07:16 | 独り言

孫ジュードの学校は私立なので、公立の学校より2週間も早く夏休みがはじまり、公立の学校で働く娘は最初の2週間を私にあづけてくれた。

それでかねてより行きたいと思っていた、RAF博物館、ここはロンドンの北にあり、国鉄、地下鉄、バスを乗り継いで1時間半近くかかる。

この日は前日雨ふりで水たまりができていたが、一応太陽も出て寒くはなかった。(7月中の英国の天気は雨の日が半分以上、気温は25℃以下、朝夕は15℃から20℃)

この博物館には食堂もあるが、一応飲み物とサンドイッチなども持って出かけた。以前ポールが元気な時2度ほど行って、飛行機大好きのポールは一日中ここで楽しんだものだ。

この博物館はロンドン郊外、広大な土地に巨大な建物5ー6が建ち並んでいて、入場無料。入ると施設の管理永続のため寄付を5ポンド頼まれる。(最近のロンドン博物館ではどこも5ポンドの寄付を募っている。)

本物のレスキューヘリコプター、最初の建物の中にはRAF のトラックや、コンピューターがズラーと並んでいて、コンピューターにはたくさんの人だかり。

ジュードもコンピューターを触りたかっただろうが、いつまで待っても順番が来ないからあきらめて次の建物へ。

巨大な飛行機が所狭しと並んでいて、上から釣り下がっていたり、入って一目見るなりわーと叫んで大喜び。😃😁😄

 

小さい子供からの目線ではこれらの飛行機やヘリコプターはいったいどんな風に映るのだろうか、一時もじっと見ることなく次々と走り回っていた。

戦時中の有名なパイロットの実物大の像。

やっぱりジュードでは興味の対象が違う様子。

屋外の子供たちの遊び場、ジュードはここで一番時間を費やしてすべての模型の飛行機や建物の上に登って遊んでいた。

もう一棟の第一次世界大戦時のプロペラ機がたくさん展示されているところで、ガラスケースに飾られた、ハンドガンやピストルに異常に興味を示し、この日の博物館で一番興味があったのが、本物のガンを見られたことだそう・・・・・本当にがっかりした。😣😥

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過去のキャンプ旅行のブログを編集して、出発から帰国まで見やすいようにしています。

今回は キャンプ旅行2011-2012 (フランス、アンドラ、スペイン、ポルトガル)

画面の左側のカテゴリーの中から選んでクリックしてください。

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グラストンベリー・ミュージック・フェスティバル と 西洋菩提樹

2023-06-24 23:49:13 | 独り言

グラストンベリー・ミュージック・フェスティバルがひらかれている。

英国サマーセット州の農場で、1970年農場経営のマイケルイーヴィスが始めたもので、当時の参加者1500人、入場料が1ポンドだった。

昨年6月2年間のコービットの閉鎖から初めての参加者210,000人入場料280ポンドだったそうだ。

今年6月21-25日の入場料335ポンドプラス予約金5ポンド。毎日BBC で宣伝しまくっている。

私は今までこのポップミュージックには興味もなくて一度もこのブログにも書いていない。

ところが今年このフェスティバルを書こうと思ったのは・・・・・・・

娘婿のパトリックの親友に英国航空のパイロットO 君がいる。彼は毎年このフェスティバルにチャリティワーカーとして行っている。今年4月頃から我が家の前庭に鎮座しているキャンパーを何度か治しに来た。

さすがパイロットともなればメカに強く、3年間一度も動かなかった車をエンジンがかかるまでに治し、あとは専門のメカニックが来て一日中手入れしていたが、5月パトリックは車検に持って行って完全に治った。

それでかのO君は今年のフェスティバルではこのキャンパーに寝泊まりして、会場整理やアドミンの仕事をするそう。テントは暑くて眠れないので我がキャンパーは彼にとっては一番の楽しみ。ここでのチャリティは OXFAM, GreenPeace, Waterade の3つにしぼられていて、彼の報酬は直接Oxfam へ送られるそうだ。

新聞でも毎日このフェスティバルのことが載っていて、若い新婚のドクター2人がここでWaterade のチャリティーのためにトイレ掃除をするのだと。

先週金曜日、ロスアンジェルスからヒースローに着いてすぐ、我が家まで自家用車で来たO君はキャンパー内のオリエンテーション後大喜びで運転して自宅へかえっていった。 

翌日キャンパーは快調だったとメールが来た。

明日までの5日間雨が降らないよう神様、雷様、お願い。30万人もの若者たちは此の農場でテントを張って毎日の音楽祭に臨む。何年か前のニュースでは泥にまみれた若者たちが映っていた。

 

先週日本の誰かのブログで菩提樹に花が咲いたとの記事があった。その花がこちらではよく似た花を見ることがあって、調べてみたら英国の街路樹にあるライムの木だった。それでライムを日本語で見ると西洋菩提樹と出た。リンデンバルムはドイツ語なのです。

今が真っ盛りの菩提樹の花、木の下へ行くと甘い香りがする。

昨年駅へ行く途中のフラットの道端できれいな葵の花が咲いていた。この花上2枚のうち下の銭葵より花は大きく色も鮮やかだが、タチアオイより花も小さく木も1メーターにならない。今年も種をしっかりとって来年はもっとたくさん植えてみよう。

昔から持っているサボテンに花が咲きだした。上の黄色の花は三日ほど持つが、ピンクのは朝開いて夕方にはしぼんでしまい、がっかり。

もう30年ほど前、お隣の奥さんからもらった種で増えたニゲラ、英語では霞の中の悪魔 その名の通り増えて増えてどんなに抜いてもあちこちに生えて花が咲いている。初めは一重の花だったのにいつの間にか八重の花弁もある。

 

 

 

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カバナスの教会ー赤い花

2023-05-01 02:03:01 | 独り言

ポルトガルの3日目、この日も真っ青な空、暑い日だった。

タヴィラでは毎月第3土曜日に広場で青空市が開かれる。友達のTさんとカバナスからタヴィラまで歩いて行った。このマーケットではあらゆる生活用品や衣服、食品、植木、ポルトガルの土産品、鳥やウサギまで売っている。

私は大きなオレンジ5kgを5ユーロで買って、リュックに背負い、二人で昼食に安いトスターダ(ハムとチーズのサンドをトーストしたもの)を公園で食べて電車で帰ってきた。

前の日に魚市場で買ったカツオ1匹をこの夕食に食べて、シャワーに入ってもうすることがない。

夜9時あたりは暗くなっていたが、夕日が沈んでも27,8度はあった。あまりの暑さに二人で散歩に出かけた。

キャンプサイトから一番近いこの教会は、過去数年一度も開いていたことがない。

この土曜日の夜初めて開いていたので、中を覗いてみた。すると合唱団が歌っているではないか。教会の入り口でほんのちょっと覗いたところ、後ろからスマートな服を着たおじさんに背中を押されて、中に押し込まれた。私たちお金もカメラも持っていなくて、入ってもお金も払えない。

このおじさんはそこに座りなさいと手招きし、私たち黙って最後列のベンチに座って聞いていた。

初めのコーラスグループは中高年の女性が多く、20人以上いたと思う、男性は数人、ポルトガル語の歌で聞いたこともない曲ばかりだった。

第2のグループは少人数で男性がおおく、ハーモニーがすばらしかった。 このグループはユニークでプログラムを見ると、黒人霊歌や、中世の歌、アフリカのズルの歌まで歌っていた。

そして第3のグループは指揮者が前でエレクトーンを弾いている。彼らが歌った2曲目、あれ!これは日本の曲みたい? と二人で話し、プログラムを見たら、akai hana とローマ字で書いてあり、cancao Tradicional Japonesa (伝統的な日本のうた)と書いてあった。後ろに立っていたあのおじさん(彼は第2のコーラスグループで歌っていたからスマートな合唱団の制服を着ていた)が ほら日本の歌だよとささやいた。

こんなポルトガルの片田舎で日本の歌を日本語で歌っているーーどんなに驚き感激したか!!!

あと数曲歌い終わったとき、私はあのおじさんに 赤い花・アンコール と頼んだ。

彼は主催者に頼みに行き、司会の女性が長々とポルトガル語であいさつしていたら、皆が私たちのほうを振り向いた。それで日本人がいると話していたのが分かった。

私たちの近くに若い女性がスマホで合唱団の写真を撮っていたので、その写真をイーメールで送ってほしいとメールアドレスを交換した。

そして合唱団が私のリクエストに応えてもう一度 赤い花 摘んで、あの人にあげよ と日本語で歌ってくれた。涙が出そうなほどうれしかった。

終わったらもう11時。合唱団の人たちにお礼を言おうと立っていくと、彼女たちもリクエストされて嬉しかったらしく、私を取り囲んで写真を撮ろうという。

シャワーを出て化粧もしてなくて、とっても写真に写されるほどの顔でもないと早々に断って帰ってきた。この夜は二人とも興奮して遅くまでおしゃべりしていた。

3日後、イーメールを交換したあの若い女性Brunaから写真2枚とヴィデオが送られてきた。この中の2枚は彼女の写真で、ヴィデオだけがどうしてもこのブログに載せられない。彼らが日本語で歌っているのを聞いてほしかったのに残念。

 

 

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Thank you と Please

2023-04-01 18:20:52 | 独り言

英国では子供が小さいころから、Thank you (ありがとう)とPlease (どうぞとかお願いの意味)という言葉を厳しくしつけられる。

私がここ英国へ来た51年前(1972年)に落ち着いたポールの家で、初めに教え込まれたのがこの2つの言葉だった。たとえばお茶はいかが?と言われたら Yes Please だし要らなければ No Thank you という具合。だからポールも死が迫ってきた1週間くらい前まで、体をふいたりお水や食べ物を上げたるすると必ず Thank you の言葉が返ってきた。

その2つの言葉のエピソードが忘れられない。

ショッピングカートを引っ張ってマーケットへ買い出しに行く途中、若い男性が歩道の端に座り込んで車の修理をしていた。この歩道は幅1メーターくらいで狭く彼の後ろをサーと通り過ぎたとたんに Thank you will be nice. (ありがとうの一言がいいのに)と言われてしまった。思わず Thank you  と言って歩いたが、どうして歩道でお礼を言わなきゃならないのだ?と思った。彼は自分の道路だと思ったものか?それ以来この歩道を通るたびに、その男性の言葉を思い出す。

ルーシャムの青空マーケットは多国籍人種のるつぼのような所で、売っている品物も西インド諸島のタロイモや、イタリアからのキーウイ、トルコからのシシトウ、スペインのトマト、南米からのパイナップルなどが安く売られている。

私はなるべくビニール袋を使わないよう、昔から手作りの買い物袋をたくさん持って行って、必ずこの袋に入れて頂戴と布袋を出して入れてもらう。たいていの年取った女性の売り子はそれだけで Thank youと言ってくれるが、この日果物を買って この袋に入れて と言ったところ Please !! と言われてしまった。確かに Please put it in this bag なんだけど、忘れてしまうんですよ。生意気に若い娘からPlease を言えと強制され、ムカッときたがそれなら相手も Thank you くらいは言えよ。

孫のジュードはもうすぐ8歳になる小学校3年生、時々親の都合で、迎えに行くのが無理でそのたびに必ずお呼びがかかってくる。こちらでは11歳になるまで子供は一人で通学させない。特にジュードは家から離れた私立の学校だからバスか電車と徒歩で迎えに行くしかない。普段は彼の両親が自家用車で送り迎え、こんな規則だから朝夕の学校の送り迎えに車が大混雑している。

先日も迎えに行ったら、学校の玄関から私を見つけて走ってきて、抱きついて、Thank you Nana, Come to pick me up. なんて行儀のよい男の子に育ったことかと嬉しくなった。

 

 

 

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ロンドンも春です。

2023-03-22 00:45:29 | 独り言

我が家の周りの街路樹にはいろいろな桜の種類があって、今まさに早咲きの桜が咲きだした。

 

 

 

 

 

 

そしてなんと過去20年ほど確実に増え続けているグリーンのインコ、英国の寒い冬もいとわず冬眠する様子もなくうるさく甲高い声で鳴き叫ぶ。

 

このインコが桜の花を食べるのか、蜜を吸うのか、昨日は3羽も来て花をちぎっていた。

まだ咲き始め花弁が落ちるはずがないのにこのありさま。憎らしいけどきれいなインコ。

おとめ椿はこんなにかわいいけれど、花が古くなっても首からポロリと落ちることなく木にしがみついたまま茶色になって花後は醜い。しかしこの巨大な椿は一斉に咲きそろいいまだ乙女の花を謳歌している。

隣のこぶしの花が満開。30年前ここに引っ越してきたとき、此の木は植えたばかりの若木だった。毎年確実に花をつけてきているが今年ほど満開になったことがない。今どきはあちこちの前庭に巨大な紫モクレンが満開だけれど、こぶしはモクレンほどの大木にはならないようだ。

 

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ロンドンの1月

2023-01-24 07:09:11 | 独り言

昨年暮れから新聞やネットフリックスで騒がれている英王室の次男坊ハリー王子(日本ではヘンリー王子と呼ぶか?)

1月6日のロシア正教のクリスマスにプーチンが戦争一時停止をオーダーした。その時たまたまフランスの英語ニュースをみていて、急いで英国のBBC ニュースの切り替えたところ、なんと。

BBC のトップニュースはハリーの本が英国より早くスペインで出版された。これを見てBBC に文句を言おうかと思ったほど腹が立った。たとえ王室であろうとも家族間の不和を世間に公表することはない。あの二人お金のためには家族を売ったといわれても仕方がない。プーチンのニュースはあとからちらっと出ただけ。

3日後の月曜日に英国で発売されたハリーの本は、新聞とテレビで大騒ぎしてまるでタダで宣伝してあげたみたい。ハリー!!Book is going (急げ!本がなくなるぞ)

数日でこの騒ぎは平静にもどり、テレビも新聞も誰もハリーのことなど話さなくなった。感心したのは英王室が一切のコメントを拒否したらしい。

いつも読んでいる無料の新聞の投書欄では、1か月もすればあの本はパウンドショップ(日本では100円ショップ)に売りに出ているよ。

次に気になるのが9月にやっと辞めてくれたボリス・ジョンソンも回顧録を出版するそうな。一体だれが読むのかと思うが、歴代の首相はみな回顧録を出しているらしい。

昨年暮れから頻発しているストライキもますますエスカレートして2月1日には、電車、救急車、学校の教師、ナースなど公共の重要な仕事に就く人たちがストに入るそうな。一体この国はどうなるのだろう?

1月10日から我が家の屋根の取り付けるはずのソーラーパネルもパネルだけは運んできたが、屋根へ上がるまでの足場組がなくて2月1日までできないという。もう何度延期されているか、本当にいらいらする。2月1日だって確実ではないだろうともうやけくそ。これが英国業者の現実。

1週間前まで雨が多かったのに、また急激に寒くなり、毎日晴天霜が降りてあたりは真っ白、我が家のセントラルヒーティングはメインテナンスがされていないせいか、ついても温度が15度以上に上がらず、このところ2回もついたりつかなかったり、それで室内温度も10度しか上がらない。やっぱり専門のエンジニアに見てもらわないといけないだろう。

新年からあまり楽しいこともないが、近くで教えているヨガのクラスへ行きだした。今日で3回目、関節も筋肉もこわばっているからどうとも言えないが、先生はあと20年もすればこんなポーズができるよ。となぐさめ?てくれる。

 

 

最近の日本の人たちのブログには,ろうばいの写真が多い。それで昨年初めて発見した近くの公園のろうばいを見に行ってきた。3-5分咲きだけれど近寄るといい香りがする。明日遊びに来る日本人の友達にも見せてあげなくっちゃ。

 

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クリスマスまでの12月

2022-12-24 21:38:31 | 独り言

クリスマスが各家庭で準備され始めるのは11月初旬からで、クリスマスカードが送られる。我が家の隣人は奥さんがもう10年ほど前に癌で亡くなったが、早々に家族の名前と亡くなった奥さんの名前も載せたカードを送ってくる。

最近はクリスマスカードも便利なE-Card と言うのがあって郵送しなくても素敵な動画が送られてくるようになった。

このクリスマスまじかの一番忙しい時期に郵便局がストをするというので、あと1週間でクリスマスというときには絶対間に合わない。それでE-Mailでメッセージを送るようになった。

以前に作っておいたひざ掛けだけれど、またほどいてまわりを編み足し、クリスマスに間に合った。

 

 

模様にクリスマスの季節感が出ている。友達がビジネスにしたらと言ってくれるが、一枚完成するのに一年近くもかかるから、やっておれない。趣味だからできるものだ。

今年孫は7歳半、 もうクリスマスも現実味を帯びてサンタクロースなど信じないと思ったら大間違い。

学校ではクリスマスの学芸会はエルフによる歌とストーリー。このエルフなるもの、クリスマスの日まで各家庭でいろいろ遊んだり悪さをするという。

娘宅のエルフはシマーと呼ぶ。毎朝シマーが何をして遊んでいるかと、孫は目覚めると同時に階下へ直行。

 

ぬいぐるみを従えたシマーはシュートレインで遊んでいた。オー、シマー!!!と驚く孫。

 

トイレットペーパーのロールでできたロケットで飛んでいるシマー。

 

クリスマスツリーで器械体操をするシマー、落ちたら大変とクッションを並べている優しい孫。

ある時 お母さんはよく考えるね。と言ったら違うよシマーが考えてやるんだと言われ、まだ信じているのだと感心した。

娘は毎晩のことでこのようなアイディアはインターネットで見つけられるのだそうな。こうして小さい子供たちはクリスマスの日まで指折り数えて楽しみながらその日を迎える。クリスマスは子供のためにあるらしい。

ところで10月に日本のアマゾンからオーダーしたスエーデンのスリラー本5冊が昨日届いた。まるでこのクリスマスに合わせたみたいでとっても嬉しい。当分テレビでつまらない映画を見るよりも、一日中本が読めそう。

 

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ストライキ

2022-12-16 07:08:59 | 独り言

最近ストライキが相次いでいる。

このところ毎週国鉄電車のストで、今週は月火,金土と4日も。又来週も1月になってからもと言っている。

そして今日は全国の病院で働くナースのストライキ、今までにない盛大なストで歴史に残るといわれているが・・・・19パーセントの賃上げ要求に対し国はそんな金はないと言っている。

おまけにクリスマス前の一番忙しい時期、郵便局がストをする。

クリスマスのプレゼントやクリスマスカードの遅配などいったいどうなることやら。

私は10月に日本のアマゾンで5冊の本を買い、船便で送ってもらっている。大体3か月で着くはずだったけれど、いつつくことか分からない。

コロナで過去2年間ロックダウンで通勤客は激減していた。国鉄電車の損失も大きかった。

病院はコロナで亡くなった人たち、特にナースやドクターも多かった。ナースやドクターは此の2年間身を粉にして働き、2020年には毎週金曜日に感謝の拍手をと首相官邸から国中の通りで夕方6時には拍手で感謝の念を表した。でも実際の給料はほとんど上がっていないそうだ。

だから今日だけでなくまた要求が通るまで何度もストにはいるらしい。

今日は娘の誕生日だった。1973年12月炭鉱夫のストに同調した電気会社のストで、丸1か月ほども電気がつかなかった。病院へだけは送電されていたが、お店も街灯も各家庭へも電気はなくて、午後3時過ぎると真っ暗になるお店では小さなランプをつけたり、家庭ではろうそくだった。

もちろん電気ストーブなど使えないし、当時はセントラルヒーティングも余りなかった。娘は12月15日生まれ、25日クリスマスの日に退院してきた。当時は親子10日の入院が普通だったが、そのころの日本では1か月も入院していた。

今思い出してもこの寒い12月をどうやって暖房していたものか思いだせない。若さは寒さも気にならなかったのだろう。

1973年3月に親の大反対を押して結婚した私たち、ハネムーンベィビーの娘はポールにとっては宝物であり、私たちが入院していた間中、日中はエンジニアー会社で働き、夜はミニキャブドライバーのアルバイトをしていた。そして毎晩電気のない真っ暗で寒い家へ帰ってきていた。

こうして毎日ストライキのニュースを聞くとあの頃のことが思い出されて、早く解決してほしいと心から思う。

 

 

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寒波襲来

2022-12-12 20:52:08 | 独り言

先週娘宅へ歩いていくとまだ3時過ぎ、通りの向こうに大きな夕日が沈むところだった。

クリスマスが終わると日照時間が長くなってくるから、クリスマスに興味のない私でも、早くクリスマスの訪れを待っている。

その翌日いつも行くルーシャムのマーケットへ行ったら様子が激変していた。

広い歩道の真ん中でこんな風に水が吹き上がっている。大きな水道管が壊れたのだろうが、早く水を止めればいいのにと写真を撮ったりビデオを撮ったりしていても誰もいなかった。この夏は水不足といわれて久しいが、公共施設が老巧化してあちこちで問題続出。昨年末から今年正月中、私の周囲ではガス管に水が入って、1週間もガスがつけられなくて大変だった。それも水道管の老巧化によるものらしい。そして今まさにまた同じようにガス管に水が、暖房できないと隣人が騒いでいる。

ガス会社が数日前からきて道路を掘りまくっている。

先週火曜日夜、ブロムリーショッピングセンターで風呂敷のデモンストレーションで好評を博しこの夜のパーティでもう一度と頼まれて行ってきた。

この夜はチャリティーのボランティアだけのパーティで飲み物食べ物は各自の持ち寄り、来ている人たちも人種が入り混じっていて、いろいろ珍しい食べ物を味わった。

風呂敷も大きなものを運ぶための包み方などが、メインだが何より縦結びと横結びの違いや仕方の分からない人たちが多くて、皆熱心に習っていた。

 

我が家から駅まで行くメインロードには住宅がなくいつも道路わきに大型ごみが捨てられている。そして一晩のうちにこんなにたくさんの古タイヤを捨てて行った悪人がいる。道路わきの使われていない運動場の金網塀の中だから、カウンシルの掃除人も知らんぷり。これがきっかけでどんなにまたごみを捨てに来る人が増えるかわからない。本当に嘆かわしい、これが現在の英国。

 

金曜日、マレーシアとシンガポールの友達4人でロンドンの中華街でお昼をご一緒した。コロナ以来集まれるのも今回が初めて、彼女たちは中華は何が良いか知っているから全部お任せ、とってもおいしかった。そしてお昼のレストランの込んでいたこと。ほとんどが中国系のお客で、ヨーロッパ人は見かけなかった。

 

12月8日初霜が降りた。前後の庭は霜で白くなり。バケツの中の水が完全に凍ってしまった。我が家はリビング、ダイニング、キッチンがオープンなのでセントラルヒーティングをつけていても、室内温度が13-14℃以上に上がらない。今まで元気だったアジサイの葉もポルトガルキャベツの葉もしおれている。今まで咲いていたベゴニアは一晩で枯れてしまった。

 

 

日曜日の夜、近くのセントポール教会でクリスマスのキャロルコンサートがあった。

指揮者は10数年前に定年退職したスコットランドの校長先生で、コーラスの指揮をし、パイプオルガンを弾く。奥さんは元音楽教師、二人いる息子たちも楽団で活躍しそれぞれ結婚相手もバイオリニストやチェロ奏者という音楽家一家。

孫の12歳の男の子がトロンボーンで演奏し伴奏は彼のお母さんがピアノを弾いた。

7時から始まったコンサートは20分の休憩にお茶とケーキが出て、知らない人ともおしゃべりし9時半近くに終わりになった。

7時に来たときは霜が降りていたが、9時半あたりは粉雪が舞っていた。

 

霜が降りて寒い間は1日中暗く、日中でも電気をつけないと本は読めなかったが、雪明り、夜でも庭は明るく、ホタルノヒカリ窓の雪、蛍の光で本は読めるか知らないけれど、今朝の雪明りでは十分読書ができそうだった。

 

 

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英国この頃

2022-12-03 06:27:09 | 独り言

つい先週半ば、水道局から今までのホースでの庭の水やりや洗車禁止が解除された。何しろこの11月中の雨の日の多かったこと。というより青空の見える日が少なかったこと。それでも例年よりも暖冬だと思う。

例年ならば10月過ぎれば、霜が降りたり雪もちらほら降ったりで冬を実感できるが、いまだ鉢植えのベゴニアやサルビアの花が咲いている。

 

数軒隣の庭に植えられている高さ1メーターほどの八つ手に花が咲いている。こんなに近寄って写真を写したのは初めて、よく見るととっても可愛い花だ。

 

今年は何の手入れもせず、耕すこともしなかった裏庭の小さな野菜畑に、勝手に落ちた種からからし菜が芽をだした。これからのグリーンの野菜不足の時期にからし菜の漬物はとってもありがたい。

写真下の大きな葉はポルトガルのキャベツでこれはもう4-5年前に種から植えたもの。大きな葉を切取り、真ん中の芯を取って細かく刻み油でいためてのち醤油とみりん、砂糖で味付けて煮込むと高菜煮になる。日本人の友達が食事に来るときはこれがいつも喜ばれる。

このキャベツの葉をとってきて洗っていたら、こんなに小さなかたつむりとナメクジの赤ちゃんが這い出してきた。小さいものはかわいいけれど、大きなナメクジは気色悪い。仕方ないけど熱湯をかけて殺してしまった。

最近マーケットに柿が出回るようになった。この柿 5個で1ポンド(160円ほど)。英国では柿は実らないからマーケットにでてくるのはスペイン産かトルコ産。運送費も入ってこの値段だったら安いだろうと思う。

この頃の乳産品の値上がりが激しい。それにスーパーの棚から卵が消えて、あったとしても10パック足らず、見つけたら値段も見ずに買ってしまう。これは此の秋からの鳥インフルエンザで、フリーレンジの鳥が絶滅に近いそうな。このクリスマスには七面鳥が品薄とか報道されている。

この帽子、なんというなまえで唖然とした。英国人にはやくざはかっこいい人たちに見えるのか? きっとこれもテレビや映画の影響だろうとおもわれる。わけもわからない漢字のTシャツを着ていた娘の友達が、いったいなんて書いてあるのと聞いた。 寿司 と答えたら愕然としていた。

数年前ブーツセールで見かけた女性の上腕に悪魔という刺青がしてあり、思わず声をかけた。その女性は面白い形の漢字だと思い、刺青師に意味を聞いたところ、母親だと嘘を言われたという。一生消えない恐ろしい字。

 

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最後が良ければすべて良し

2022-11-14 03:14:00 | 独り言

11月14日から我が家の屋根に取り付けるはずのソーラーパネル。その前にもう2年もほおっておいた雨どいの破れを何とかしなければならぬ。

この地域のコミュニティで仕事をしてくれている人に朝、昼、晩と数日連絡したが、つながらずメッセージも残した。とうとう諦めて、10月末の木曜日に、いろいろな仕事を斡旋してくれるインターネットの会社に、雨どいの掃除と修理のメールを送った。

初めに500ポンドと書いたら誰からも申し込みなく、次に1000ポンドと書いたら、3人の人から電話やメールが来て、家の写真を送ってもらわないと、見積もりできないといわれ、翌朝3人に写真送付。

2人から新しく雨どいを取り替えないといけないからその費用が1600ポンドと1400ポンドの見積もりが来た。娘は明日まで待つようにと電話で提案してきた。

そこへ今から30分後に直接見積もりに行くからと電話が入り、まだ30歳の若い男とアシスタントの2人の男性がやってきた。雨どいの水が滴る3か所にこれなら800ポンド、それに屋根と雨どいの間に腐っている木を更新するに200ポンドという。

先の2人の見積もりより安いうえ、今すぐ仕事を始めるというから、OKしてしまった。( このおかげで、友達も兄嫁も娘も非難ごうごう)

まず最初に現金300ポンドをくれという。それで材料を買ってきてすぐ仕事を始めるというから現金を渡し、1時間後に仕事を始めた3人は屋根の腐っている木を取り除き,薄いカーボードみたいな板を張り付けて黒いペンキを塗り、水の滴る壊れた雨どいを金属のブラケットで支えておわり。

残りの700ポンドは銀行送信してくれと、彼の口座にお金が入るまで粘っていた。ところがその夜激しい雨で、雨どいを直してもゴミが全然取り除かれてないから雨水がトイからあふれ出て、まるで滝のようにフレンチウインドウに流れ落ちる。

その日から3日毎日数回電話して、掃除に来いというと後から行くとか午後に電話するとかいうがそのあとは電話を切って音沙汰なし。

こうしている間にソーラパネルの取り付けは1月10日になりましたという連絡が入りがっくり。

このフランシスという男に騙されたと怒り心頭で彼の会社に電話しても留守電e-mailを送ってもなしのつぶて、とうとうロンドンの各区にある市民相談所に連絡してみたらとの友達の提案で電話するも、相手は私の英語が分からない、私も彼女の言ってる言葉が分からない。

数日後に娘が電話してくれてやっと話が通じた。メールの例文を送るからとそれに元づいてフランシスにe-mailを送った。2週間以内に返事をしないときは法律に訴えるというもの、最初の1週間では音沙汰なく、2週目の月曜日、Trading Standard オフィサーという人からメールが入り、私が外国人であるということが分かっているから電話ではなく文章で書き送ってくれという。

すぐに私は日本人の78歳の未亡人でといきさつを書いて送ったらまた返事が来て、あなたはこんな業者の犠牲者だから、区が信頼する業者に連絡するようにとのこと。 またすぐメールが来て、フランシスに電話していきさつを話し彼が土曜日に来ると言っている。さすがオフィシャルの人では違うと感心した。

これらのメールが来たのが月曜日、以前インターネットで取り寄せていた日本のDVDのテルマエ・ロマエを友達2人と一緒に見ようと火曜日に予定していた。

彼女たちがやってきてお昼を一緒に食べ、午後から3人で映画鑑賞、途中から一人がのどがおかしいと言い出し、終わってすぐコロナの検査をしたら陽性反応が出た。

二人ともマスクしてあわてて帰ったが、私たち濃厚接触者、木曜日に友達からオペラハウスのオファーが舞い込み土曜日の夜だという。感染していたら行けないし、お金を無駄にするかもしれないがとうとう買ってしまった。

すると金曜日からもう一人の友達が発病。明日の朝私も発病かもしれぬとドキドキ、フランシスも来るかどうかはわからない。

土曜日の朝、コロナの検査も陰性で安心、おまけにフランシスは自分でできないと専門のおじいさん(私より若い)とアシスタントを送ってきた。そのおじいさんが3時間、フランシスが張り付けた仕事を全部はがしてしっかりした板を打ち付け、雨どいに積もり積もっていたごみを全部取ってくれた。

おじいさんにはこの仕事の料金はフランシスからもらうようにと話して、同意してもらい、もう安心。

この夜久々のロンドン、チャリングクロスロードはクリスマスの飾りつけで、たくさんの人出、この電飾も11時には消すという。

マイフェアーレディで有名なコベントガーデンもたくさんの人が楽しんでいる。

オペラハウスの前の広場もいろいろなストールやお店が出て賑わってる。

土曜日の夜8時から始まるオペラは ラ・ボエーム もう何度見たかわからないほど見て音楽もよく知っていたが、この日出たメインの歌手が私の一番好きなホアン・ディエゴ・フロレッズだった。

オペラハウスは満員御礼、 ホアン・ディエゴはいつ聞いても素晴らしい声。今日は久々の素晴らしい土曜日だった。

 

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