Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

越冬キャンプ旅行ータヴィラ一周

2013-12-30 15:39:38 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

スペインからオルニャオへ向かって走ると22km地点でタヴィラの環状線を通る。谷間にかかった高い橋から一瞬に見えるタヴィラは素晴らしい。ある晴天の一日タヴィラの市街地図をもって一周してみようと決心した。キャンプサイトが環状線から100メーター程外側だから、そこを起点に環状線の橋へ向かった。

500メータほど行ったところで、小さな駅を見つけた。ここは無人駅らしく誰もいなかったから、タヴィラ本駅で時間表をもらおう。谷間に架かった橋までまだ1kmほど歩きタヴィラの町外れと高い鉄橋が見渡せる。町の中央を流れる河には3本の自動車道と1本の歩道橋、1本の鉄橋がかかっている。

 

 

 

環状線の橋の脇からタヴィラの町へ下りてゆく曲りくねった道路があり、キャンプサイトからは対岸西側へ着く。鉄橋の下をゆくと対岸に大きなホテルやきれいな家々が見え、この辺りは新市街地であるのがわかる。川渕から緩やかな坂道を登ってゆくと左側は旧市街の教会や城壁などがある。

 

 

 

 

 

その近くに消防署があった。クリスマス前のウイークエンド、ポルトガル人の親子がその消防署へ入っていった。いったい何が有るかと覗いてみたら、消防車一台が入れるスペースにモデル人形や家々、動物などが配置され、キリストが生まれた時代の市民の生活や風俗などを見せてくれた。大変よくできたモデルで、あちこちのモデルが電気仕掛けで動いている。陶芸家のろくろが回っていた。

 

タヴィラ駅で時刻表をもらい、キャンプサイト近くの駅ポルタ・ノヴァ(Porta Nova)の駅からオルニャオへ行ける。

 

街路樹がオレンジの木でまるで傘のようにきれいに手入れされて並んでいた。

 

 

 

 

町の東側の最後の大橋の近くに野菜、や魚市場がありその橋から見るタヴィラの町は明るい太陽の下、純白に輝いている。

 

こうして外側を一周してものんびり歩いて3時間もかからずキャンプサイトへ帰ってこられた。サイトの後ろ側が新市街で新しい住宅街がどんどん広がっている。

 

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越冬キャンプ旅行ータヴィラのショッピング

2013-12-29 12:10:42 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

タヴィラはジラウ河(Rio Gilao)の両側に広がるなだらかな丘陵に広がる町でキャンプサイトは北の丘の上で対岸の丘の上にタヴィラ駅とドイツ系のスーパー、リドルがある。

毎週一回リドルの無漂白パンを買いにここへやってくる。サイトから川に架かる古い橋まで15分、直線道路は車の通れない細道ほどでこぼこの石畳で急坂、ショッピング・トロリーを引っ張ってこの坂道を上るのは大変な労力を要す。橋の周りは公園になってベンチがずらっと並んでいる。

ここからリドルまでまた石畳の坂道を上って15分でスーパーにつく。ある時、亭主が”足が痛いからこのベンチで待っているからショッピングしてこい”とのことで一人で行った。その間亭主は公園のベンチで日向ぼっこ。すると30代の売春婦が横に座っていろいろ話しかけ誘惑したらしい。ワイフがすぐ戻ってくるからとしどろもどろだったという。

 

日中から身を売るほど生活に困っているのかしらと二人で話し合ったものだが、ルーマニアかブルガリア人だったらしい。

それ以来亭主はここで待つのを嫌がる。

 

 

 

 

その対岸の町外れに野菜と魚市場がある。いつも出かけるのが12時近くになってしまうので市場にたどり着いたときはほとんどが閉まりかけていて、ここが大盛況なところを見たことがない。先週行った時もほとんど買い物客はいなくて、柿1㎏が1ユーロの看板を見つけて2㎏を買うことにした。売り場のおばさんが喜んで2つも余分に入れてくれた。

帰ってすぐ1個味見をしたらこれが渋柿!!!やられたァー。仕方がないからへたを抉り取って、そこにアンドラで買ったアルコール96度のウイスキーを塗ってビニール袋に密閉して5日後から甘く食べられるようになった。

 ここの市場はオルニャオと比べると半分くらいの大きさで、魚もスーパーで買ったほうが安い。それにスーパーだときれいにさばいてくれるから手間が省ける。

 

   

キャンプサイトから一番近くに大きなショッピングセンターがある。歩いて10分のこのショッピングモールは地階は全部駐車場になっていて、初めて行ったときどこから入るのかわからなくてマゴマゴしたものだ。2階に大きなコンチネンタル・スーパーマーケットと大小の衣料や電気・通信器具のお店が並んでいる。そして3階の一角はフードコートになっていて、中華やピザ、ケバブ、ポルトガル専門食店、メキシコ料理などいろいろ並んでいてそこで買ったものを真ん中のテーブルで食べることになる。

ここで気に入ったのがスープとサラダ、キーシュの店。スープも5-6種類あるが、お皿に8種類のサラダで一盛り、スープ小皿、飲み物(ビールも含む)で4.5ユーロこれだけでおなか一杯になる。

 

2日に一回は食べていたが今では飽きてきて、ピザにしたり中華にしたり、時々チキンのクリーム煮とご飯、サラダやジャガイモとイカの煮つけなどがスープショップに出ると味見しないではおれない。これらもビール小瓶一本ついて5.5ユーロと申し訳なくなるような値段でありがたい。

 

このショッピングモールの近くに魚専門のレストランがある。いつも前を通ると焼き魚のにおいがおいしそうで、行ってみたいが、魚の骨が苦手な亭主はいつも渋っていた。先週オルニャオのキャンプサイトからダンカン夫妻がサイクリングで会いに来てくれ、4人でこのレストランへ入ってみた。メニューなどなくて、初めにサラダとパン、オリーブの漬物が出て、茹でジャガイモの大皿に大きな塩焼きの魚をどんどん持ってきてくれる。いろいろな種類の魚で、名前も知らない魚もあり3匹づつ食べ、大満足。4人で50ユーロ払った。ビールや果物の大きなかごも入っているから驚くほど安い。

満腹満足してダンカン夫妻は22km離れたオルニャオへ帰っていった。

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越冬キャンプ旅行ータヴィラのキャンプサイト

2013-12-23 10:50:38 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

ただ一週間だけと思って落ち着いたこのサイトにもう一か月近くいる。

このサイトは冬の間だけ一般公開されているが、夏のホリディー期間中はリスボンの警察官の夏季休暇村として使われる。

それで普通のキャンピングブックには載ってなくて、この春買ったオートストップの本に載っていたもの。

  

中に入ってみると非常に大きなキャンプサイトだが、普通のサイトと違って誰でも好きなところに駐車していい。私たちは非常にラッキーで朝から夕まで太陽がさんさんとあたるテラスの上で、すぐ近くにトイレ、シャワーのブロックがあり、その外壁に洗濯場と皿洗い場がある。このブロックは3か所あってここが一番古いせいか、シャワールームの中はまるでモロッコのシャワー室と同じくらい古びている。

英国のテレビ番組を見るためには1.2メータの受信機が要るというので去年オルニャオで買ったが、ここでは木に阻まれず楽々受信できる。この衛星放送もこの冬11月で中止になると言われていたが延期になり来年2月はじめとのニュースが流れた。

もう2年以上も髪を切らなかったから、長くなってお下げにしてショーツなど履いて歩いているから、亭主に”後ろから見るとティーンエイジに見えるでしょ”と聞いたところ”マンガニーズみたい。”  ”なにそれ?”マンガの主人公みたいだからマンガニーズ。” 思わず笑ってしまった。

 

 

来年あたりここも建て直しするのかもしれない。というのはこの2週間私たちのいるテラスの下の緩やかなスロープを突貫工事で新しいキャンパー・キャラバンの停車する平地にしてしまった。まだトラックがバラスを運んでくるのにオランダのキャラバンが場所を陣取ってしまった。そしてみなてんでんばらばら勝手な方向に停車している。

  

このサイトのコーナーにジムの機械が備え付けられているのを見つけて以来、また毎朝の運動を開始した。縄跳びを5-600回とジョギング一周、そして各ジム道具を全部こなして最終は腹筋運動、これが一番つらいがはじめは5回でバテたのに2週間で27回できるようになった。目標は50回、来春4月までにできるかどうか?

 

ヨーロッパの電気事情も今まで10年も渡り歩いていると判ってくるが、北欧ほど電気のボリューム(アンプと呼ばれる)が高く、南欧は非常に低い。イタリア、ギリシャのキャンプサイトでは電気やかんを点けただけで電源が切れてしまうところもある。そんなところは3A(アンプ)で北欧はほとんど10Aから16Aもある。ポルトガルもほとんどのサイトが6A位なのにここだけはなぜか16Aはある。それでキャンパーのガスは一切使わず、電気コンロでクッキング、電気やかんもコンピューターも電気ストーブも全部つけていても問題ない。

 

キャンプサイトの値段だが一日セットで9.9ユーロ一か月以上滞在すると15%引きになる。これでもオルニャオのキャンプサイトより高いけれど、サイトの近くに大きなショッピングセンターがあり、町の中心まで10-15分で歩いてゆける。

 

そんなこんなでオルニャオと比べたらこのサイトのほうが居心地がよくなってしっかり落ち着いてしまった。昨年オルニャオで友達になったサイトの人たちとはメールで連絡しあっている。

上の写真は我がキャンパーの両隣の英国人、ピーターとアイリーンは英国人ながらフランスに住んでいてキャンパーもフランス・ナンバー、女性一人でキャンパーを運転してヨーロッパ中を旅しているのはブロンドヘアーのジュリア、彼女がどうして一人旅なのかまだ聞いていない。

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越冬キャンプ旅行ーポルトガルへ

2013-12-16 13:23:01 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 オルベラからポルトガルへ向かうには必ず通る町がセビリア、ここは10年前このキャンパーで3か月フランス、スペイン、ポルトガルを廻ったときセビリアで2日間観光旅行に行った。キャンプサイトが町の近くになく、町までバスで行った。

キャンパーで旅行しているときには大きな町に入り込んでしまうと駐車が一番の問題になる。大きくて賑やかな町ほど駐車場なども車両制限があって乗用車以外は駐車できないところが多い。

 

せっかくセビリアを通るのだからまたゆっくり観光してみたいとキャンパーが停まれるオートストップが町中にあるかを探したところ、一か所見つけた。これでうまくゆけばセビリアの町中で一泊して町を歩き回れる。

 

 

 

毎日晴天が続いていて、この日も一日中暑いくらいの良い日だった。道路も良く、景色も昨日走り回った畑地と大して違わず、薄墨色のなだらかな丘陵地帯が広がっていて、時々純白の住宅地の塊が見かけられる。

  

カーナビをセットしてセビリアの大通りからやっと見つけたオートストップは車の高さ制限があって入れない。キャンピングブックの間違いかそれとも出版後に駐車場の規制が変わったものか、町の中ではキャンパーは止まれないから、そのまま通り過ぎ目くらめっぽう走ることになった。

 

そのおかげでこのきれいな建物と闘牛場の前を3回も通り過ぎ、すぐにセビリア観光はあきらめ、このままポルトガルへ行こう。ポルトガルの国境まで200kmもない。

 もう何度も見かけた長く連なる電柱の上にアパートのように2,3か所づつかけられたコウノトリの巣や、高い見張り塔のある巨大な刑務所、たわわに実るオレンジ畑などを見乍ら、途中で給油したガレージの広場でゆっくり昼食、ここまでキャンパーはどこにも止まれなかった。

 

昨年まで行っていたポルトガルのオルニャオのサイトへ行く前に、タヴィラのオートキャンプ場を覗いて1週間くらい居てみようと決めた。タヴィラは昨年電車で一日観光に来た町で、この南ポルトガルでは一番きれいな町だと思う。

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越冬キャンプ旅行ーWhite village of Grazalema グラザレマの白い村

2013-12-16 12:37:31 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

 

 

地図で見るとザハラからグラザレマは隣村、湖のすぐ向こうと思われる。午後3時過ぎザハラを出て南へ向かった。湖を迂回して途中の小さな分かれ道にグラザレマまで10kmの標識があった。もうすぐと思って喜んだのもつかの間。一車線の田舎道で対向車が来たらもうどうしようもない。ジグザグの上急斜面を登ったり降りたりで、もう10年以上経つキャンパーは途中で動かなくなるのではと大いに心配した。

 

 

やっと グラザレマの白い村が見えてきたときはほっとしたが、同時にあと1時間ほどで日が暮れる。亭主はこの狭い道を日が暮れて運転するのは嫌だといい、とうとうあきらめて村の見える谷川の反対に停車した。

 

 

夕日が村の後ろからぎらぎら照りつけてまっすぐカメラを向けられない。村は山の陰に入って、あちこちの煙突から暖房か、夕食の支度をしているらしい煙がもうもうと上がっている。

 

 

インフォメーションによればこの村は1977年にユネスコに登録され、野生動物が保護されている自然公園の入り口がこの村にある。

この周囲の山々はハゲタカの生息地で、停車中に3羽のハゲタカが上空高く舞っているのが見えた。

村の入り口までも行けなかったがまたいつかここへ来てみたい。村の中や自然公園を散策してみたいものだ。

ここから数十kmでロンダの町へ行ける。ロンダはスペインでも有名な観光地だが、周辺の村や町にこのような隠れた見どころがあるのはほとんど知られていない。

  

グラザレマの白い村の外観を眺めただけで、引き返した私たちがザハラの湖の端からメインロードでオリベラのキャンプサイトに戻ったときは夕暮れが迫っていた。サイトの若いスペイン人に一日の行程を話したら、驚き喜んでいた。

 

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越冬キャンプ旅行ーZahara de la Sierra(ザハラ)

2013-12-15 11:38:33 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

 

 

 

 ボデガスからザハラへ向かう。オリベラへの分かれ道を横目に見て西へ向かう。途中の小さな谷あいの町 El Gastorまでの景色が素晴らしい。どこもかしこも絵になりそうな風景で写真を撮りまくった。この辺りはたぶん麦畑なのだろうが、取入れが終わった畑は一旦野焼きをした後耕したものらしく、全体に薄墨色のなだらかな畑地が広がっている。

  

El Gastorの町を 見下ろす丘の上から遠くに純白のオリベラがはっきり見える。なんて素晴らしい町だろう!!!

 

El Gastorの町も中に入り込むと道路が狭く対向車が来るとヒヤヒヤする。やっと通り抜けて、ザハラまでの田舎道は遠くに見えてきたムーアの見晴塔とその下に広がる白い町が素晴らしい。この町のふもとには飲料水の為か大きな人工湖が伸びている。

  

町はずれには非常に小さい城塞があり見たところまだ新しい。丘の上からふもとまでのテラス状の土地に作られた町だから、駐車場が心配だったのに、シーズンオフのせいか広い駐車場に一台キャンパーが停まっていただけ。

 

 

駐車場からどこを見ても急坂、道路は小型乗用車一台がやっと通れるほど狭く、庭もない住宅がびっしり肩を並べている。デコボコの石畳の坂道を息を切らして登った最奥は見晴台でその下がホテルになっていた。車が行けるのはここまで、それ以上は細道が山頂のタワーまで続いている。細長い湖の奥まで見渡せ、反対方面にははるかにオルベラの白い町が見える。

 

 

このタワーは1282年にムーアー人によって建てられ、1407年キリスト教徒によってスペイン全土が奪回され以来カソリックが支配することになった。

 

タワーから降りてくるとサンタマリア・デ・ラメザ(Santa Maria de Lameza)教会の屋根がエキゾチックにみえる。

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越冬キャンプ旅行ーSetenil de las Bodegas(ボデガス)

2013-12-13 17:46:22 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

オリベラのキャンプサイトはその名もプエブロ・ブランカ(Pueblo Blanca)白い村という。この辺りの町や村はどこも白い塊。深い山や谷間の村は緑の中の真珠のよう。

  

サイトのインフォメーションでSetenil de las Bodegasが面白い村だと聞いた。ここのキャンプサイトから10km、15分で着くといわれて一日はこの辺りを廻ってみる見ることにした。

 

 

 

ところがスペイン人の片言の英語での情報で右と左を間違えたらしい。左に折れて初めの道路がなかなか見つからない。10分も走ってやっと見つけた山道は30kmも遠回りしてやっとボデガスの村?町に着いた。途中の農地にはアスパラガスの葉が黄葉していた。

 

 

 

サイトの若いスペイン人は”ここは町の通りが狭いからメイン道路を外れないで、車を止めて歩くように”との忠告してくれていたから、町から急な坂道の登りの途中にキャンパーを停めた。道端から見下ろして、なんとエキサイティング!!!

 

 

谷川に沿って並んでいる家々は玄関こそ普通に見えるが、家屋も屋根も岩の中に入っているからない。こんな村があったなんて去年は知らなかった。それで駐車した山の中腹から谷川を見下ろしながら歩いてゆくと谷川の両側がこのような家や店が並んでいるのがわかった。

 

 

  

巨大な岩を堀り車一台が通れるトンネルがある。その中のトンネルの壁もお店になっていて,一軒のカフェーから出てきたおじいさんが中を見なさいとジェスチャーしてくれ、写真を撮った。奥行3メーターくらいのカウンターになったカフェーだった。これより奥が無い様に思えるが、一般住居ではどれほど奥行や部屋があるのか判らない。

  

谷川にかかったただ一つの橋を渡ると対岸がもっとすごい。お店も住宅地も崖の中に入り込んでいてひさしのようになった岩山の下にはレストランやパブのテーブル・イスが並んでいる。おまけにこの日向通りのほうは2階屋になっているらしい。

 

道端の案内板には、ここは石器時代から人々が住み始め、現在に至っているとのこと、谷川の両脇の道路は一方がCalle Cuevas del Sol (日向通り)とCalle Cuevas del Sombra(日蔭通り)と呼ばれる。

このような岩をくりぬいた住居は夏の酷暑も冬の厳寒をも和らげるため、今でも人々が住み着いている。

狭い道路の最終は岩をくりぬいたガレージになっていた。この村はこの谷川の両脇が中心で、新しい村が周囲に広がったものらしい。それにしてもこのような小さな村では観光にもあまり力を入れていないみたい。ただ一軒の土産店の絵葉書はほとんどがここから50km先のロンダのものだった。

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越冬キャンプ旅行ーオルベラ(Olvera)へ

2013-12-12 16:36:32 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

マラガを出発したのは12時過ぎ、オルベラまでの117kmは田舎道だが、スペインの道路はどこもいい。このオルベラへは昨年行って感激した所。特にキャンプサイトは山中の盆地の中に突出した丘の上にあり,4方が素晴らしくよく見える。

 

  

マラガから北上した道はや科の頂上までぽつぽつ白い家があったが、北にゆくと平野を埋めるオリーヴ畑。オルベラもその名の通りオリーヴの木から出た名前。

  

途中で給油の為、アンテクエラ(Antequera)へ立ち寄ったところ、カーナビに町中の一車線の細道へ連れて行かれ、すっかり頭にきた亭主は給油どころかそのままこの町を通り過ぎてしまった。

  

それ以来小さな村をいくつも通り過ぎたが、ディーゼルはどこも高い。結局オルベラの町でスペインでは一番高いディーゼルを給油する羽目になってしまった。

  

昨年この町をしっかり歩き回り山頂の教会とムーアの城塞から沢山写真を撮った。

今回はこのキャンプサイトで一泊してセビリヤへ行くつもりだったが、サイトのレセプションでこの周囲50km以内の観光案内書を見せられ、明日は見て回ることにした。

  

 

この日も昨年と全く同じ、雲一つない青空の山の向うに夕日が沈み、私たちの丘がまだ夜明け前なのにオルベラの町に朝日が当たってオレンジ色に輝いていた。

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越冬キャンプ旅行ーマラガ(Malaga)

2013-12-10 12:43:51 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

 

 

 

アボカド鈴なりのエルピノのキャンプサイトは1泊だけで、翌朝50km先のマラガへ向かった。マラガの環状線は高速道路の出入り口のようになっていて、町の名前だけではどこで降りていいのかわからない。あっという間にマラガを通り過ぎてしまって大慌て、やっと見つけた給油所でマラガへの入り口を聞き、ずいぶん遠回りしてやっと町のメインロードへやってきた。この日は日曜日、道路もあまり車が走っていなくてセンタータウンの表示の通りにスタジアムを通り過ぎて、大通りの道端にキャンパーを停めた。

 

 

 ここから方向を定めて歩き回り、どうしても中心地へ行けない。やっと人に尋ねて反対方向にタウンセンターがあることが判った。この町に対するインフォメーションは何一つ持っていず、歴史も見どころも知らないが、旧市街にゆけば何とかと思ったけど観光案内所も閉まっているし、亭主がトイレに行きたいと言い出した。

 

 

 

 

公衆トイレも判らず、クリスマスデコレーションの華やかな大通りを歩いているうちに、マラガ大聖堂を見つけた。日曜日のミサの真っ最中で聖堂の真ん中は見られないが中廊にあたるところはスピーカーが取り付けられて、お祈りの言葉が聞こえるようになっている。

この日は何か特別なまつりごとでもあるようで、着飾った老若の男性がカラフルな幟を持ってあちこち固まっている。

 このような人たちの群れは大聖堂の周囲にも有って,中の一人のおじいさんにトイレのありかを聞いたところ、この辺りにはないとつれない返事。

 

 

仕方ないからキャンパーをめがけて急いで町を横断、途中で見かけたアラブ系のランタンショップやカラフルなマーケットの建物を写真にとって焦ってキャンパーに戻ってきた。

 

たったの2時間の観光ではマラガを見たとは言えないが、また一回りする気力は失せて其のまま北のオリヴェラのキャンプサイトへ向かった。

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越冬キャンプ旅行ーエル・ピノ キャンプサイト

2013-12-09 18:36:13 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

マザロンのキャンプサイトで2泊した後、マラガ(Malaga)だけはまだ行っていない。マラガの周辺や町の中にキャンプサイトがなく、マラガの東50kmのトロックス(Torrox)のキャンプサイト エル・ピノにカーナビをセットした。

そこまで380km、カーナビは海岸の道路を選ばず、グラナダまでまっすぐ西へ向かう。

  

この道A91は高速道路ではないが上下2車線づつの非常に良い道路で昨年もここを通ってオリベラ(Olivera)へ行った。

道路の両側は休眠中のアーモンドの畑が延々と続く。来年春23月はこの辺り一面ピンクになるのだろう。

  

 

 

濃い緑の葉菜はいったい何を植えているのだろうか遠くからでは判らないが、野菜によって周囲の景色まで変わってしまう。遠近の山々はほとんど岩山で、途中に真っ白の大理石を切り出している採掘場があった。まるでチーズを切るみたいにまっすぐに切れる石は面白い。

 

  

グラナダに近づくにつれて前方に見えてきたのが真っ白に雪をかぶったネバダ山脈でここがスペインでは最南端のスキー場があるという。10年前海岸線からグラナダへ北上したときに通った道を今回は南下する。グラナダは山に囲まれた盆地で冬は非常に寒くなる。

グラナダから南下する時にもすり鉢の底から山へ登ってゆく、まだグラナダが見える丘の頂上にあるキャンプ場とその地域はその名をサスピロ・デ・モーロ(モーロ人の溜息)という。

グラナダを築いたムーア人がキリスト教徒に追われ、この丘でグラナダを忍んで深いため息をついた由来によるもの。

 

懐かしいねーと話しながら通り過ぎた道路わきに自動車の墓地があった。こんなに積み重ねられた多くの車を見たことがない。

  

海岸線は地中海独特の真っ白な町が連なる。これなど海岸のビルは堤防のようだと思った。

  

地中海岸近くになると岡や山の上まで整然と植えられた木が多くなってくる。確かここではカスタードプランツが実るからその木だとばかり思っていたがキャンプサイト・エル・ピノでこれらがアボカドの林だと分かった。

  

キャンプサイトも段々畑のテラス状であちこちにアボカドの木が茂っている。そしてまだグリーンの堅そうなアボカドが鈴なりだった。このアボカドはまだまだ収穫には早いと思っていたのに1週間後そのキャンプサイトにe-mailを送って収穫時期を問い合わせたところ、つい23日前に採り終った。との返事が来た。

木で熟れた果物ほどおいしいものはないが、これがビジネスになるとそうも言っておれないのかもしれない。堅い間に収穫して出荷し、日にちが経ってやっと柔らかく食べごろになるのだろう。でもすごくがっかりしてしまった。

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越冬キャンプ旅行ーボルヌエヴォ(Bolnuevo)

2013-12-08 17:21:37 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

キャンプサイトはマザロン地区のボルヌエヴォ(Bolnuevo)という海岸の小さな町、このあたりのほとんどがホリディ用のアパートかホテルになっていて、旧町内の小さな地域だけが昔から住んでいる一般住居。

 

  

海岸の砂浜に面した広大なキャンプ場は手入れのよく行き届いた花壇と選定された面白い形の木でいっぱい。キャンプ場の地図をもらい、空いている場所に2泊の予約をしたがほとんどの場所は詰まっていて、数えても10か所も開いていない。数百台のキャンパーが行儀よく停車している中で、洗濯場に近い場所に一か所空きを見つけた。

 

 両隣は北欧の夫婦、スペインのこの辺りノルウエーやスエーデンからのキャンパーが多い。

 

 

 

 

  

翌朝長い砂浜から旧町内へ向かって歩いているうちに、広々とした駐車場の向うに素晴らしい自然の彫刻を見つけた。この辺りは砂岩で長年にわたり風雨の作用でこのような面白いオブジェが出来上がった。あと何年かすればこれらも消え失せることだろう。

  

水の穏やかな入り江の向うに激しく舞い上がる砂塵が見える。あれぞまさしく大砂嵐!!!たまたまNHKテレビで大相撲を見たばかり、エジプト人力士の名前がおかしく忘れられなくて、亭主にあれがオオスナアラシと力説してしまった。日本の相撲界にはユーモアのある人がいるんだと一人でおかしがっている。

 

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越冬キャンプ旅行ーマザロン(Mazarron)へ

2013-12-07 15:26:04 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

  

 

 

海岸の美しいクウェラで3日間楽しんだ後また南へ。今度は昨年走り回ったカータージーナ(Cartagena)の南のマザロンの近く。

 ここまでの100kmほどの風景が素晴らしい。草木もほとんど生えていない岩山や岩山のてっぺんにあたりを睥睨する城塞。

 

 

 

 

 

アリカンテの郊外は気候も良いところらしくあらゆる果物畑が広がっている。山頂まで耕やされたテラスに植えられたオレンジの木がきれいな模様を作り、収穫の終わったブドウ畑は色とりどりに紅葉している。

 

道端に古い機関車が飾られ、この地方のシンボルマークらしい。

 

前後にパトロールカーを従えた巨大な円筒を運んでいるトラックは、橋の下を無事に通り抜けられるのだろうか?

 

何キロもヤシの木がまっすぐに並ぶあたりは、高級住宅地を作る予定地みたい。

 

もうカータジーナー近くの景色が一変し、色彩豊かな土の色、何か特別なミネラルでも発掘していそうだ。

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越冬キャンプ旅行ークゥエラ(Cullera)の町

2013-12-06 15:39:47 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

キャンプサイトは海岸線の新市街の山手にありキャンパー停車地もテラス状になっている。

裏の岩山を半周するようにフカー川(Rio Jucar)が流れ、川と岩山の間に旧市街の家々がひしめき合っている。

滞在2日目にキャンプサイトから歩いて旧市街を見物に行った。旧市街まで2-3km、静まり返っているホテル群の道を歩いてゆく。

 

旧市街は碁盤の目のようになっていて、地図が見やすい。大きなスーパーマーケットの中も一応見て回り、新鮮な魚がたくさん並んでいるのを見て、ぜひ買いたいものだと思ったが歩き回るのに魚は持ち歩けない。

スーパーの前にはイスラム系の女性の物乞いがいる。ヨーロッパの町(ロンドンも含む)でこうして物乞いしている女性のほとんどが、ルーマニアのジプシーか旧ユーゴスラヴィアのイスラム系の人たちで、彼らには意地や誇りがないものかしらといつも思う。

またスペインの各地道路わきには売春婦が立っている。ところによっては椅子を持ってきて座っている女性たちが約100メータおきに並んで顧客の停まるのを待っている。

この女性たちも外国を流れ歩く誇りなき人たちに違いない。

  

町のスクエアはヤシの木が高く生えていて、ほとんど赤く見えるデイツが鈴なり。もう実も熟れてきていて、小鳥がつついている。木の下にはたぶんパラキーツ(小型のオオム)につつかれて落ちたデイツがおいしそう。こんな時にはオオムがうらやましい。

 

 

町の狭い道を歩き回り一軒の八百屋さんで柿を買った。2㎏で1.99ユーロ、2㎏で大きなのが6個もあった。ほかの野菜マーケットでは1㎏が1.99ユーロでとっても嬉しい。

 

 

 

   

 

町の中ほどからお城へ登るジグザグ道が始まる、初めは両脇がびっしりくっついた民家で急斜面、中ほどからは町のすべてが見下ろせるほど明るく開け、庭のない小さな白い家屋が重なり合うように連なっているのがよく見える。

 

 

 

 

サンチュアリーノ城(Castillo Santuarino)とその付属の博物館は2時に閉まる。私たちがたどり着いたのが25分前で、ちょうど城から出てきた英国人夫妻がなかなか見どころのあるお城だと教えてくれたが、すぐに閉まった。

 

城の周囲を歩き回ったが高い城壁に囲まれたこの城は内部を垣間見ることさえかなわず、あきらめて自動車道をたどってサイトへ帰ってきた。この自動車道があまりに長くて1時間もかかってしまった。

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越冬キャンプ旅行ークゥエラ(Cullera)

2013-12-05 16:36:01 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

 

 翌日から丸2日間雷を伴った豪雨でバルセローナのあちこちで洪水だろうと思われる。ダンカンからタラゴーナにローマの遺跡があり、訪れるには近くから電車で行けると時間表までもらったから、雨が止むのを待っていたのに3日目の朝も全く同じ。

とうとうたまりかねて南へ移動することにした。

ダンカン夫妻も雨の止むのを待って2日も出発を延ばしたのに毎日雨ではとうんざりし、この朝ペニスコーラのキャンプサイトへ移動するという。

 ポルトガルのオルニャオで再会を約束して彼らは出かけていった。私たちはヴァレンシアの南へ行こうと計画、ヴァレンシアから50km南の海岸線にキャンプサイトを見つけた。

   

出発して100kmほどはまだ厚い雨雲で、時々激しい雨が降ってきたのにヴァレンシアの環状線に入るころからあたりは明るく、遠くにヴァレンシアの町が見える。この辺りから以南には今まで雨が降った形跡は見られない。そしてこの日以降もう2週間以上も晴天が続いている。

道路わきはオレンジ畑や、アーテチョークの畑が続き、英国では見られない田園風景。

 

 

 

昼食のために止まった道路わきの駐車場の近くで今まではじめての素晴らしい植物を見つけた。ヤシ科の1種に違いないが高さも1メーター足らず、真ん中の赤い実とその回りのガクの素晴らしいこと。

 

 

キャンプサイトのある町はクゥエラという名前が崖の上に彫ってあった。同じ崖の上には教会・城塞が見える。

 

 

 

 

 

 

キャンプサイトに落ち着いて近くの海岸線を散歩する。非常にきれいな海岸で周囲の建物はほとんどがホリデー用のホテルやアパートらしい。この海岸には砂浜に犬の入場禁止、毎日夕方1時間は砂浜の清掃が行われるという標識が立っていて、さすが観光で収入を図る国だと感心した。

 

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越冬キャンプ旅行ーカンブリルス

2013-12-03 16:23:28 | キャンピングヨーロッパ 2013-2014

  

朝目が覚めてブラインドを開けて驚いたのなんの。昨夜は寒くて電気ストーヴをつけっぱなしで寝たけど暗い空は星でいっぱいだった。それなのにあたり一面真っ白、明け方にしっかり降ったに違いない。キャンパーの周りは泥濘のようになっているから雪は積もっていない。

  

 

今日はまた西に向かって次のナショナルパークへ行く予定だった。でもキャンパーの前輪があまり良くなくて、雪道で動けなくなっては大変と計画変更することになった。

 

 

中央部スペインには冬の間開いているキャンプサイトが少ない。それに比して海岸線はほとんどが開いていて、どこのキャンプサイトでも数か月滞在する北欧からドイツ、オランダ人がみかけられる。

昨夜泊まったキャンプサイトからまっすぐ南の海岸線はタラゴーナ(Taragona)でその南の町カンブリルス(Cambrils)にキャンプサイトがあるのを見つけそこにカーナビをセットする。

 

キャンプサイトを去って20Kmほど行くともう雪は消え、時々追い越してゆく車の屋根の雪が舞い落ちキャンパーの屋根雪がフロントウインドウに滑り落ちてくる。

これなら西へ行ければよかったのにとぼやいてみたけれど、本当は行かなくて良かったのだ。というのはその翌日からバルセローナを中心に居座っていた低気圧が北スペインからピレニー山脈に多大な雪をもたらしたから。

  

雪の朝は冷たくきりっとした空気がすがすがしい。青空が広がり南へ行けば行くほど暑さを感じキャンパーの窓を開けたり服も半袖になったり100km南でこの違いよう。 

 

山がなくなってくるとあたり一面の農耕地帯、こんなに広々とした土地を持っていながらこの国は経済困難、夏が暑すぎるからに違いない。

 

午後2時ころにはラリョッサ(Lallosa)キャンプサイトへ着いた。さっそくお昼を食べようと準備中にキャンパーの向うを行く人に見覚えがあった。

なんと昨年ポルトガルのオルニャオで隣同士だったダンカン・ロズ夫妻だった。

全くの奇遇に喜び合い、彼らがこのサイトに一週間もいて明日出発することや、10月初めからイギリスを出てドイツ、オーストリア、イタリア、フランスを回ってゆっくりポルトガルへ行くことなどを知った。

カンブリルスは港町で夕方漁船が帰ってくると魚を買えるというから是非行こうと話し合う。

 

  

夕方5時ごろに漁船が戻ってくるのをめがけて海岸のプロムナードを歩く。漁船がカモメに囲まれて港へ向かっている。魚を選り分けて漁業組合に収めている人たちや、まだ帰ったばかり大小の魚が山積みの漁船もある。バケツを持った人やビニール袋を持った人たちは、この土地の人たち。欲しくても勇気も入れ物もないからあきらめ、後からやってきたダンカン夫妻と合流してプロムナードを歩き、ワインレストランで再会を祝った。

 

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