チャリングクロス通りのイルミネーション。
コベントガーデンのイルミネーション。
まずは11月にオファーが来たスカララジオのクリスマス番組録音。
昨年も同じ時期オファーが来て、ロンドンの繁華街オックスフォード・ストリートのすぐ近く、パラディアム劇場へ行った。このスカララジオというのはクラッシクとポップの中間あたり、クラッシクミュージックの普通聞いたことのある部分を主にロンドン・フィルのオーケストラの演奏、それにオペラ歌手かミュージカル歌手などが歌うもの。
今回は司会にアルヒー・ボウが出て彼も2曲歌った。この人は昔オペラ歌手としてデビューして,以前メリーウィドーで出ていたのを見たことがあるが、世界的なオペラ歌手にはなれなかったらしく、ミュージカル的な歌手に転向して、時々テレビにも出ている。
そしてこの日のハイライトはラッセル・ワトソンで彼は10代の頃からパブやクラブでオペラのアーリアなど歌って有名になった人で、過去2度の脳腫瘍の手術後も英國やアメリカの一般庶民に人気がある。一度も音楽学校へ出ていなくてこれだけオペラのアリアが歌えるのはやっぱり才能があったというべきなのだろう。
コベントガーデンのクリスマスツリー
その翌日夜、オペラハウスでバレーのオファーがあって飛びついた。本当はオペラだと思って夜出かけたのだが、ダンテ・プロジェクトと言う聞いたことのない題名。モダンバレーに音楽もモダンな創作バレー、おまけにメガネを忘れて行って、散々。
主人公ダンテが平野亮一さんという今ロイヤルバレーでは一番のプリンシパル。相手役ヴィジルにトーマス・モックという人。何しろメガネがないと真っすぐ見える舞台で、色々な人が飛んだり跳ねたりしているがはっきり見えない。おまけにストーリーも勉強していかなかったから、諦めて1幕目で帰ってきた。
2週間後、今度はかの有名な劇場街ドゥルリーレーンでマイケル・ボールのトークショウがオファーされた。
この人1980年代まだ若くでハンサムな頃、ヨーロビジョン・ソング・コンテストで2位になったそう。今ではミュージカルで活躍していてテレビでは見ることがない。でも一度見た若い頃の歌いっぷりが素敵だから、行ってみた。
彼のファンと言う中高年の女性ばっかり詰めかけていて、1幕目本当におしゃべりだけ。司会の女性が彼女のアイパッドに送ってきたあらゆる質問を彼に聞く。それに対して彼が返答する男性的なこの人、返事の度に グワハハハ と笑う。私は歌を聞きに来たので1幕目は居眠りし、2幕目も最後に2曲歌ってくれて終わった。本当にがっかりしたこの夜だった。
そして昨日の土曜日、昔からのマレーシアの友達が電話してきて、この夜無料のチケットが手に入ったから、ロンドンへショウを見に行こうという。
待ち合わせた場所が、レスタースクエアの地下鉄前。ものすごい人の群れが前後左右で行きかっていた。メインロードを通るバスやタクシーや車は行き交う人々を避けるため警笛があたり一面こだまする。約束の時間から10分ほどして、携帯にメールが入り、人込みをかき分けてレスタースクエアのレゴショップの前まで来たが、どこへ行くかわからなくここでしばらく待ってやっと友達に会えた。
此のショウは中華街のカジノの地下にあって、着飾った男女が高い(市価のの2倍はする)飲み物をのんでいる。
ドタ靴にフリースで行った私全く場所から浮いていた。
客席を廻っておしゃべりするピクシー(いたずら妖精)に頼んで一緒に写真を、というのは8歳の孫ジュードはもうサンタや魔法使いなどは信じないが、なぜかピクシーだけはいると信じているらしい。
此のショウ、初めはみな歌って踊っているがだんだん服を脱いでティバックのパンツ一枚になって踊って回る。こんなショウ初めて見たので、気味悪くそれよりこんな風にしかお金を稼げない人たちが哀れに思えてきて、9時過ぎ二人で帰ってきた。
昨年娘からプレゼントされたアップルウオッチが2度も警告してきた。あまりの騒音で、此の環境に長時間いると耳が悪くなるという。
地下から1階へ上がってみるとあたり一面人々はカジノで楽しんでいる。初めてのこんな場所、写真だけ写して早々に帰ってきた。
そして日曜日の夕方、また友達のお誘いでロンドンのキャバレーへ行ってきた。
ここは舞台を客席が取り囲んでいて、エンターティンメントプロのようにあか抜けていた。
髪の束に鎖をつけて全身が下がり演技をする女性。
天井から下がったはしごで演技をする人、キャバレーでのアクロバット。
180センチ以上ある巨大な女性?男性?で歌もうまいし全体の司会も兼ねていた。
天井から下がったフラフープのような輪で演技をする女性。
ほかに4人組の女性が歌ったり、男性がストリップをしたり、観客が結構楽しんでいた。
10時近くお開きになり、寒風の中を駅へ向かう途中、見つけたお店の前の白熊の親子が心和ませてくれた。