温泉から帰った翌日月曜日にもう待って居れなくて、その週の金曜日のフェリーを予約してしまった。次週になるとクリスマス、フェリーのチケットもやたらと高くなる。この金曜日でも一番安い2月から4月間の2倍はする。
早速ポルトガルで必要な物を買いに出かけた。一番大事な食料品は朝食用のポリッジ(オートミールともよぶ)このポリッジ、ドイツから北欧にかけては一般にどこでも売っていて安いが暑い地中海沿岸では食べないらしくギリシャやイタリア南部では見かけない。ポルトガルのドイツ系スーパーでは売っているがイギリスよりもずいぶん高い。
ということで、昨年は5ヶ月半の旅17kgも持っていったが、今年は遅く出発するから14kgで十分。
それに英国のソーセージ、ヨーロッパのソーセージは硬くて塩分が多いため亭主は英国製を喜ぶ。イギリスの食事はまずいとよく言われるが、中華や和食のように全てに味付け(塩分)が入ってないため慣れないとまずいのだろう。でも塩気のない野菜や肉類の上にかけるのがグレービーと呼ばれるソースで、このグレービーは英国でないと売っていない。それから英国の家庭用ティーバッグ、ヨーロッパなどリプトンの小さなカップサイズがあるが英国の家庭用は味も濃いし一バッグでカップ2杯は出る。
我がキャンパーの中で一番立派なのが冷凍冷蔵庫で家庭用サイズの大きなもの。我が家の冷凍庫で溜まっていた食料を隙間なく詰めとうとう余った冷凍果物や魚などお隣に食べていただくことにした。
今年は本来ならば春から夏にヨーロッパの何処かへ出かけていたものなのに、もう10年も乗っていたキャンパーの故障が相次ぎ、7月末にやっと手元に戻ってきた。8月の学校の休みの間は何処も値段が高いからわざわざ出かけることはない。それに英国の夏は過ごし良く楽しみも多いから、外国へ出かけるのは秋から冬が一番良い。
金曜日の朝は6時半に我が家を出発して一路ドーバーへ向かった。小雨模様で夜明けまでまだまだ真っ暗、8時ごろフェリーポートについた。7時45分のフェリーが遅れていて、10時半にやっと出発した。私達が予約したフェリーは9時45分発だからずいぶん遅れていたものだ。
フランスのカレーの港まで1時間半、フランスと英国間の時差1時間のため午後1時着。
早速カレーのスーパーでディーゼルを満タンにして南下する。最近原油の値段が下がっているため、ディーゼルもずいぶん安くなり、1リットルで90ペンスをきった。
もう何度も通ったアビヴィル(Abbeville)への道、カメラを向ける気にもならないが、一箇所だけしまった!!!と思ったのが砂糖工場。道端の広大な工場のあちこちから白い湯気か煙が立ち上っていて、ヤードに山と積まれた砂糖大根には何時も驚く。あの白い煙も甘いかもしれないと思った。
カレーから100km南のアベヴィルで一泊し翌日はトアー(Tours)までの長い道、3年前途中のルーアンで雨のためにトンネルが通行止めになり、行き先がわからなくなって1時間もぐるぐる走り回って又トンネルへの道に辿り着いた時の亭主の怒り様。カーナビが通行止めや一方通行などを認知しないからで、いつまでも同じ方向へ仕向けてしまう。
亭主の頭脳メモリーパッドにはあれ以来ルーアンは魔の地。今回は快調に通り過ぎて、ただ一枚だけ素敵な建物の写真を撮った。
この夜はトアーのロワール川のほとりのキャンプサイトで一泊、この2日間英国のテレビが見られて、今年最後のお気に入り番組を見ることができた。
それにフリーのWifiが有って英国の友達にメールを送ることができた。この2日間小雨降リ曇り空の天気だったが3日目から晴れた来た。
ロワール川沿いのお城を撮して南フランスのアルビ(Albi)を目指して走った。カーナビではアルビまで507km,坐骨神経痛がまだ完全に治っていない亭主には長距離運転は無理と判断し、昨年行ったロカモドアー周辺のキャンプサイトを探す。
このミドピラニー地方は夏にはキャンプサイトがゴマンとあるのに冬はほとんど開いていない。やっと見つけたのがソウセラック(Souscerac)のタウンホールの前にトイレとただの電気設備があるキャンピングプラッツ。
狭い田舎道を走っている間に前方に素晴らしいお城が見えてきた。この辺り中世の城下町で行く先々にお城がみえる。
途中の小さな町では日曜日の午後、骨董市が開かれていた。20分だけ停車して見に行ったけれど、何が良いのか解らない。どれもガラクタに見えてしまう。
一車線の田舎道をどんどん登ってやっと辿り着いたソウセラックのキャンピングプラッツは私達だけ、大きな広場の片隅に停車して、無料の電気を引いて一晩過ごした。総じてフランスの田舎町ではほとんど人通りがなく、この町も3人を見かけただけだった。広場のクリスマスデコレーションが寂しげに一晩中またたいていた。