Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

雨上がりの今朝

2019-06-25 19:02:36 | 日記19

昨夜12時近くの天気予報ではロンドン周辺が豪雨になるとの予報だった。それで夜中裏庭の雨水をためてあるバットはほぼ満杯になっているが、いろいろな容器を動員してバットの水を移し、少しでも多くの水を貯めておこうと思った。

 

 

今朝起きてみたら雨はやんでいたが昨夜は激しい降りだったことがわかる。

 

 

この白いレース編みのようなアジサイが倒れていた。

 

 

ここ数日で咲き始めたばかりのアジサイは我が庭に11株もある。この白いアジサイは数年前に買ったものが地面に直接植えてあるため毎年どんどん大きくなっていく。

 

 

鉢植えの西洋アジサイ、まだ咲きかけであまり色づいていない。

 

この赤いアジサイは2年前に買い込んだもの、つぼみの時は目も覚めるほど真っ赤な花でとっても気に入っている。

 

同じ年かわいい花に惚れて買い込んだもの。色の濃い花は葉も濃いグリーンか赤みがかったグリーン

 

数年前どこかから切って挿し木にしたもので鉢いっぱいに大きくなっているがくあじさい。

 

 

このがくあじさいも、もう10年も前友達とカーブーツセールへ行った時に見初めた花で、薄いピンクの可憐な花が咲いている。

 

 

もう20年近く梨の木の下で見捨てられたように咲く白いがくあじさい。普通アジサイの花びらは4枚か5枚だと思うがこの花は3枚だけ。手入れも水もやらないから大きくならずさりとて死に絶えないから、まるで江戸時代の貧農みたい、死なさず生かさずが当時の政治信念だった。

 

 

 

昔からタチアオイが好きで、この家に引っ越した27年前にも前庭に白と黄色のタチアオイがいっぱい咲いていた。2年前友達の農場の色とりどりの花の種をもらって蒔いた。昨年春には小さな芽が出ていたから、黄色と白のタチアオイを根こそぎとって植え替えてみた。

いったいどんな色が咲くかと楽しみにしていたら赤ばかり!!!何となくピンクや黄色、白が懐かしい。

 

 

この黄色も素敵だなー。タチアオは多年草で何年でも咲く。

 

 黒のけしの花。

昨年インターネットで買った種はほとんどが芽が出なかったから、4月1日に大きな鉢に白半分、黒半分の種を蒔いた。昨日まで白の花が咲くと思っていたけしが今朝開いた。

何となく不気味な色、花びらもギザギザでどうも期待していたほどではない。これからまだ咲くだろうから後に期待したい。

 

 

この百合の仲間の花は3年前から鉢植え冬は温室で栽培し、毎年春にしっかりと芽を出す。

特に手入れもしないけれど、少しづつ株が大きくなり今年は花がいくつ着くだろうかと楽しみにしている。

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大輪けしと孔雀サボテン。

2019-06-21 12:34:28 | 日記19

 

前後の庭で華やかに咲いた色とりどりのけしの花ももう終わり近くになった。

ただ一本遅くに伸びてきたけしにはつぼみが全部で15もついた。それが2個のつぼみを除いて一時に開花し楽しませてくれる。

 

 

 

大きな鉢植えの孔雀サボテンは毎年あでやかな花を咲かせてくれるが、こんなにたくさんのつぼみがついたのは初めて。数えてみたら19もついていた。

その名の通りクジャクのようにあでやかな花。

 

 

ただ残念なことに花は2かばかりでしぼんでしまう。ただたくさんのつぼみが次から次と咲いてくれるからしばらく楽しめる。

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ルーシャムのストリート・マーケット

2019-06-13 13:53:18 | 日記19

スーパーマーケットで買う野菜は、ほとんどビニール袋や一個づつビニールに覆われたものが多い。昨今のプラスチック、ビニール廃止運動のせいもあって、私は1週間に一度はストリートマーケットへ買い出しに行く。

マーケットでは薄いビニール袋に入れてくれるが、私は手製の布袋を4枚くらい持っていくからビニールはいらないといつも断っている。

ルーシャムマーケットはもちろんスーパーマーケットより安いが、ただ問題は一山1ポンドのものがほとんどで、独り身の人にはおおすぎる。

 

 

 

二日前に行ったマーケットで珍しいものを見つけた。ピンクの白菜なんてあまり知ってる人や食べたことのある人なんていないのじゃないか?

この白菜裏側は白で内側が紫がかったピンク、ビニール袋に入っていて2袋で1ポンド。

初めて見たときは驚いたけれど、珍し物好きのこの私、さっそく買ってみた。

葉を一枚ずつはがして裏表を洗い、細かく千切りにしてレモン1個絞って砂糖小さじ1杯オリーヴオイル適当に入れてミックスして食事の突合せにした。亭主は喜んでしっかりお替りして食べている。容器の下に溜まったレモン、オリーヴ汁はピンク色になっていた。

 

ルーシャムのマーケットでは時々見たことのないような野菜や果物が、とっても安く売りに出される。数年前エリンギが大きな箱詰めで、ひと箱2ポンドで売りに出された。この時には友達にもと一体何箱買ったか覚えていない。それ以来このマーケットでは一度も見かけない。

このピンクの白菜、珍しいから娘にも買ってと、今日また出かけたがもうどこにも売っていなかった。

 

 

それでも今年の初物、大きな柿が5個で1ポンド。甘くておいしいが一体どこの国から送られてきたものか?

 

新鮮なコスレタスが4個で50ペンス。一体どうしたらこんなに安くなるの?畑で苦労して作るのがばかみたい。

 

 

大きなレモンが6個で1ポンドだった。

こんな安い野菜や果物を買っていると、ポルトガルのスーパーやマーケットで買う野菜果物がなんて高いのだろうと感じてしまう。それでも日本より安いかもしれないのに。

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我が家のけしの花

2019-06-07 01:33:49 | 日記19

 6月に入って温かい日もあり、昨年10月初めにまいて出かけたケシの苗が大きくなり花が咲きだした。

昨年は自家製たい肥を土に混ぜ込んで野菜畑の周囲に蒔いたのと、前庭の一角今までけしが咲いたことのない花畑にたい肥をしっかり入れたところが、ものすごい勢いで伸びて一番高いので190センチくらいになった。

 

 

 

毎年一重のけしは花が終わり次第種ができる前に切ってしまうので、収穫する種はダブルの花のに決めている。それでも一重の花は強くて初めに咲き出すのは一重の色とりどりの花なのだ。

 昨年友達からもらった赤の八重の花、これも背丈が150センチくらいになっている。

 何となく紫がかった花は特別変異。毎年変わった色や花が現れる。

 

 

 

 ほとんど白に近いピンクの八重は、苗が巨大すぎて倒れてしまい、つっかえ棒に寄りかかって生きながらえている。それでもたくさんのつぼみから花が次から次と咲いている。

 踊り子と呼びたくなるようなこのポピー。

 毎朝バンブルビー(クマン蜂)がたくさん飛び回りいろいろな花に花粉を撒いていくから翌年の花がどんな色やタイプになるかわからない。

 一重の花は終わるとすぐに種ができる前に切り取る。それでもほとんどがこんな風に一重の花だ。

 

 一本の茎から見事に咲き出した八重の花。

 

 

 

 

 赤の八重は今年が初めて、それもこの花は直径20センチほどの丸い球のようになって咲いた。

 

 

ケシの花は長持ちしない。2-3日で花びらが散ってしまうが、次から次と咲くから、毎朝まずは一番に花を愛で、写真を撮り、昼も夕方も時間のある時に眺めている。

昨年白の種を分けてもらい、黒の花の種はインターネットで買って植えたが、芽が出てこなかったので4月1日にまた蒔いた。これが今20センチくらいに成長しているのでそのうちに咲くかもしれない。こうして長い期間楽しめるだろう。

 

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娘とのキャンプ旅行―バトル(Battle)

2019-06-06 16:11:54 | 日記19

木曜日の午後から土曜日まで娘が孫とキャンプに行くという。それで私たちにも一緒にと誘われて、私たちはキャンパーで先に行き、娘はキャンパーの横に テントを張ることに計画。

キャンプサイトはバトルから南に10マイルの地点、元百姓の農場がキャンプ地に変わり、学校の休暇週の為家族連れのテント組が多かった。

 

 バトルは1066年フランスのウイリアム王(Duke of Normandy)率いる軍隊とアングロサクソン王ハロルド・ゴッドウインソン率いる英国軍が戦闘した場所で、アングロサクソン王は戦死、ノルマンの英国侵略が成功した場所として有名な歴史のある所。

バトルは戦闘という意味で全くその名の通りの古戦場だった。

 一見お城だと思ったこの建物は、もう崩壊した大聖堂への正面玄関として建てられたもので、中には入り口とお土産店、2階から屋上までは博物館になっている。

バトルはイングリッシュ・ヘリティジ財団の所有で、イギリスの歴史的建造物や、古代史跡などを保存するための組織で政府の助成を受けている。

 

 正面玄関右横の素晴らしい建築物。観光客用のレストランらしい。

 正面玄関を入って真っ直ぐ目に付くのは、バトル・アビィスクール。ここは私立の学校らしい。

 

 この建物はアビィスクールの後ろに当たり、芝生を挟んで

 

 

 崩壊したバトルアビィがある。

 

 この広い建物は多くの修道士が壁に沿って寝ていた場所と言われている。

 

 

 

 上3枚の写真はアビィの地下に当たる。

 まだ崩れていないアビィの後ろ壁。このアビィは戦闘で勝利したフランス王ウイリアムが戦死したハロルド王を弔うために建てたものと言われている。

 

 この塀から左手のなだらかな坂になっている牧場が古戦場だった。

 至る所に説明案内所があった。

 

 フィールドの坂道を行くとあちこちに木彫りの兵士像。4歳の孫が戯れている。

 

 

 草原のあちこちにある兵士像をたどっていくと古戦場を一周してアビィへ戻ってくる。

歴史に興味のある人には面白いけれど、私や孫には大して面白いところではなかった。

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ケントの NHS 事情

2019-06-06 14:16:37 | 日記19

ヒーヴァ―城で孫と楽しい時を過ごしている午後3時過ぎ、娘の携帯電話に亭主から連絡が入った。

なんでもついさっき4回も頭が爆発するような気分に襲われ5秒ほど失神状態になったという。手に持っていたコーヒー茶碗を落としたのも気づかなかったという。

娘は驚いて救急車を呼ぼうかと聞いたら、いつもは嫌だという亭主が素直に呼んでくれと言った。

すぐ救急車を頼んだら、呼吸をしている状態だったら2時間以内に行きます。との返事。

私も娘も驚いて、娘は隣の奥さんと友達で電話番号を知っているし、私は近所の親しい老夫婦に一斉に電話した。それで隣のおじさんと近所の老夫婦が驚いて駆けつけてきた時と同じく救急車もついたという。

救急隊員が心電図をとったり血圧を測っている時にまた変な発作が起こったので、彼らは病院へ連れていくことにした。隣のおじさんが救急車の後ろからついていくとの連絡が入ったその時は、私たちはヒーヴァ―城から家に向かっている途中だったがすぐ進行方向を病院へ向けた。

1時間後私たちの方が先に病院へ着いたので、隣のおじさんに連絡して帰ってもらい、救急車の着くのを待った。救急車は一般救急待合室とは入り口が違う。

着いた亭主は頭痛もなく手足にしびれもなく、脳出血や脳軟化症の症状もなかったので、娘夫婦には帰ってもらい、私が病院の待合室で付き添った。

日曜日の遅い午後、救急病院の待合室は何十人もの患者や付き添いでごった返している。まるでポルトガルのファーロ救急待合室と変わらない有様。亭主はナースの問診で時に急を要することはないと診断され、一般待合室で待たされた。待って居た夜9時までの間にあのへんなアタックが10回ほどあったという。でもこれらは初めの時よりもずっと軽く、意識もしっかりしていた。

あの時には死んでしまうと思って非常に怖かったと言った。

やっと9時過ぎ医師と面談、頭のスキャンをして結果を専門医に診てもらうまで待てと言われ、11時10分前に医者は、別に異常は見られないが念のため今夜は病院で泊まりなさい。

それで私は11時のバスで3回乗り換えて帰宅した。

翌朝行って見れば、亭主は明け方4時まで待合室で待たされ、それ以降はストレッチャーで横になって2時間ほど眠ったという。これじゃ健康な人まで病気になりそう。

その日は午後3時ころまでストレッチャーで診察待ち。お部屋が空いたからと4人部屋へ連れていかれ、夕方5時過ぎ脊髄穿刺をするという。脳の中に出血が見られるかを調べるためだ。

この病院は巨大な医学病院であり、インターンの若い医師を養成している。この脊髄穿刺にも若い小さな中国人か韓国人の女性インターンが来てベットに横になった亭主の腰をつつきまくった。穿刺針2回も変えた挙句失敗した、4時間真っ直ぐ寝ていたらまたするからと引き上げていった。

私はそのすぐ後に帰宅、明日は面会時間2時からと言われた。

その夜9時手術室で、亭主は座ったまま脊髄穿刺、同じインターンだったが一度で入って、患者もインターンも大喜びしたという。

亭主は前日ほとんど眠っていないからその夜はよく眠ったという。

丸一日医者の来るのを待って夕方6時もう帰るからと言ったら はいどうぞ。どうしてもっと早く言ってくれないんだとぶつぶつ言いながら帰宅した。それ以来亭主は一切発作が起こっていない。

あの発作がいったい何だったのか判らない。おまけに病院で受けた検査の結果も連絡してこないから3度も電話しても判らずじまい。これが3日間お世話になったNHSの現状。

それでも亭主はNHSのお陰だと感謝している。すべての医療が全く無料で、国民全員がたとえどんなに待ってでも医療をうけられるすごい制度だと。

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5月の庭の花

2019-06-06 11:04:12 | 日記19

 

4月から咲き始めたカリフォルニアンポピーは種もしっかりできてきているが、花数は衰えず相変わらず毎日新しい花が咲いてくる。

 

2年前にナショナルトラストの庭で買ったこのアイリス、今年は花の茎が4本に増えて楽しませてくれた。

 

ウツギの一種だろうか。もう20年ほど前、テームズ川の源流を見に行った時、パブの裏庭でキャンプして、そこで咲いていたこの花。新芽を一本切って水にさし、根が出たところで鉢植えにして、とうとうこんなに大きくなってしまった。

 

ボタンは早々に散ってしまい、5本あるシャクヤクがやっと咲きだした。英国ではシャクヤクはいずれの庭でも見られるが、ボタンはあまり見かけない。シャクヤクはピオニーと言う。ボタンはウッドピオニーと呼ぶ。

ポルトガルで3-4月に咲くシスタスの花、我が家のはピンクでポルトガルの野生種は白のみ。

イタリアのカプリ島では山の斜面がピンクと白のシスタスで覆われていた。

 

数年前に植えた大花のクレマティス2種、サクランボの木の下でひっそりと咲いている。

 

今年の春ポルトガルで採ってきた肉厚のプランツ、挿し木にしてしっかり根付き、花まで咲いた。

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日曜日のヒーヴァ―城

2019-06-06 10:47:55 | 日記19

毎年半年も自宅にいないから、孫から忘れられるのを心配して、5月の日曜日 娘夫婦との4人でヒーヴァ―城へ行った。このお城はヘンリー8世の2番目の奥さん、アンボリン(Anne Boleyn)の生まれた城で750年の歴史を持つ。

今までにも何回か来たことがあり、私は庭だけのチケット(13ポンド45ペンス)を買って入場。亭主はキャンパーの整備に懸命で来なかった。

 

 

 

 

きれいに手入れされた庭は久しぶりの晴天に木も花も輝いている。黄色のボタンも今が盛りだった。

 

 きれいに刈られた芝生の庭はイングリッシュ・ガーデン

 

 色とりどりのつつじが満開で、花見のピクニックをしている家族連れや、若者たち。

 

 堀に囲まれたお城の正面は小さいが奥行きがあり、

 後ろに長く建てられた木造建築で生活していたのだろうか。

 石造りの建物、特にお城は各部屋も大きくて、暖炉に火を入れても冬は寒かっただろう。

 

 アンボリンに扮した女性がお城の入り口、つり橋のところで観光客を待って居る。

 

 

 

 庭のあちこちの生け垣は動物の形に整えられ、道行く人たちを楽しませてくれる。

 小さなリンゴの木が手をつないだように整備され、花盛りの下で日向ぼっこのアヒルたち。

 

 

孫の目的はこの建物、中は迷路や滑り台、あらゆる冒険ができるようになっていて、元気な子供たちが走り回り大騒ぎ。

 私では通れない網目のトンネル。

水の迷路では上手に歩き回らないと、急に面前で水が吹き上がり濡れるから、あちこちできゃぁきゃぁ騒いでいた。

 

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ヴィクトリア&アルバート博物館のディォール展

2019-06-05 21:18:23 | 日記19

毎日気ぜわしい思いで生活していると、5月中一度もブログを更新していなかったことに、気づいた。時間のある限りまとめて写真日記を書こうと思う。

5月10日、友達の紹介でヴィクトリア&アルバート博物館へクリスチャンディオール展を見に行った。たくさんの人で入場までにあちこちで列を作って待たされ、入っても人込みをぬってやっと写真を撮った。

 

もう相当の歳のクリスチャンの写真と若い時の写真もあったが、ここではこれが一番いい。

 

 

入ってすぐの素敵なデザイン高級服に見とれ、

 

 

英国女王の妹君マーガレット王女の写真に見とれてしまった。エリザベス女王も若い時はとってもきれいだと思ったけれど妹君は素晴らしい美人。

 

 

 

 

 

 

過去のディオールデザインの服がずらっと並びどれを見ても素晴らしくてここに掲載するのに削るのに苦労した。

 

 

 

上のドレスも近寄ってみれば、小さな鳥の羽を染めて花模様に縫い付けてあった。こんな細かい芸術作品のようなドレスがあちこちで見られた。

 

 

 

 

 

ディオールも年代とともに若手のデザイナーを雇って次から次、毎年ファッションショーを開いていた。

作品の後ろにデザイナーの写真が大きく貼ってあり、名前や経歴もしっかり展示されているけれど、誰の作品が一番いいかなんて考えている暇もない。

 

 

このドレスはまるでマイフェアーレディの映画に出てきたよう。

どれもこれも8頭身のやせ身でないとみられない。私たち庶民には手も足も出ない。

 

 

現代に近づくとこんな変わったドレスも現れてくる。

 

 

 

 

 

 

照明がブルーの大広間に飾られたパーティドレス。手が込んでいて、おまけにこんな高級ドレス、ため息も出ない。

 

 

 

 

 

 

 

最後の一室では何となくアラブやアフリカを意識したドレスのデザインが見られた。

途中の一室には下から3-4階吹き抜けの棚に紙で作ったドレスが何十も飾られたあった。

出口前、大きなテレビでファッションショウの様子を見せてくれ、素敵なモデルが素晴らしいドレスで歩いてくるところなどサービス満点な展覧会だった。

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