Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

2004年11月6日 Sevilla  その2

2009-07-31 20:54:33 | キャンパー旅行記 2004

観光バスは有名建築物のあたりで乗り降り自由、きれいな建物があると降りてあたりを見て歩き、写真を写しとこの土曜日は夕方遅くまでバスで巡り歩いた。

 

 


日曜日の朝10時にバスはキャンプサイトからセビリアの町へ、そして帰りはセビリア発6時半しかない。セビリアに着くとすぐ一番有名な大聖堂へ行ったがこの日は中でミサをしていて観光客は入場できず、観光バスの2日券も朝10時までという。まったく詐欺じゃないか。
日曜日は美術館も2時で閉まり散々だったが2箇所素晴らしいところへ行けた。

 

 

 

 

アルカサールと呼ばれるセビリヤ王宮の素晴らしさはどうだ。9世紀に建てられたこの宮殿と庭園は現在に至るまで王侯貴族の好みによって改装、最新化が図られ、この世に極楽があるなら(なくなった母はこの世にこそ地獄も極楽もありあの世にはないと信じていた。)これこそと思わせた。アルハンブラ宮殿は廃墟の雰囲気が漂っているが、ここは今現在も命に満ち溢れているような雰囲気がある。

もうひとつはスペイン広場で1929年の博覧会にスペイン広場、アメリカ広場という大掛りな建築複合体を設計建築したもんだという。現在ではここセビリアの顔になっている。

宮殿とスペイン広場の写真は次の章にお見せしたい。

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スコットランドの旅 (2) Isle of Skye-The Storr

2009-07-31 01:24:05 | スコットランドの旅

スカイブリッジを通り過ぎて初めに着いたBroadfordの町は大きなスーパーマーケットとガソリンスタンド・観光案内所が有ります。道路は静かな入り江に沿って無料の駐車場が完備しているので、大きなキャンパーでも停めやすく、観光案内所でスカイ島の地図をもらいキャンプサイトのある場所にしるしをつけてもらいました。全部で8箇所のサイトがあります。
ここから海辺沿いの道を北上すると初めに目に付くのが写真1の禿山です。岩と砂利から成るこの山は遠くから見ると雪山かと思わせる均整の取れた山でなんとなく小型富士山の趣があります。

この山裾をぐるっとまわってたどり着いたのはPortree の町、ここはこの地域最大の町らしくスーパーマーケットや病院、観光案内所もあり突き出た岬は入り江になってきれいな家が並んでいます。(写真2,3)
この町から真っ直ぐ北上しますと道路も極端に細くなり、一車線に対向車待機場が100メータごとに造られています。
Portereeを過ぎると見えてきたのが遠い山の中腹に突っ立っている細長い岩(写真4,5)で今走っている海岸線での一番の観光地、Old Man of Storr (ストアーのおじいさん・私の拙訳)です。この山の麓の道端に案内版があり登山口が見えます。頑張れば1時間で往復できるかもしれないと思い私一人カメラだけ持って出かけました。

初めは針葉樹林の険しい道を登り、途中で樹林が途切れると、なだらかな草地の平原からそそり立つ岩山が現れました。あちこち登山客がうごめいています。私のほうはポールが待っているからとあっせって、景色を堪能しながらゆっくりのぼっているわけには行かなくて、岩の懸かりには砂利が流れ落ちているような急勾配を四つんばいで登ったのです。たどり着いたところはあの細長い岩の根元で,そこに休んでいた若い女性と写真の撮り合いをしました。この高台から見る景色は本当に絶景、天気も良いため海の向うのスコットランドの本土が青くかすんでいます(写真6,7)
岩の根元の裏からざらざら流れ落ちる砂利を斜めに横切ってジグザグにやっと急勾配を降りてきてみると、登山禁止の立て札が立っていました。全く知らなかったこととは言え、だれにも見咎められないで往復できてほっとしました。下山は駆け足で、たくさんの人たちを追い抜いて、ちょうど一時間で帰ってきました。

Staffin のキャンプサイトはストアーから10マイルくらい、途中に一箇所観光サインを見つけ駐車してみました。アイスランドなら目にも留まらないささやかな滝が海に落ちています(写真10)でも海の美しさは又格別でした。











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イギリスの旅(1) Woolsthorpe Manor と Belton House

2009-07-30 19:53:58 | 英国内旅行

昨年の6月から7月にはスコットランドからアイスランド、フェロー諸島を旅していましたが、今年は6月18日やっと出発することが出来ました。

ロンドンの東側から高速道路M11で北上しケンブリッジの町を迂回、その日の昼ごろにはピーターバラー(Peterborough)の北グリーサム(Greetham)のキャンプサイトに着きました。そこから10マイル先にナショナル・トラストが管理運営しているウールスソープ・マーナーがあります。

この家はアイザック・ニュートンの生家であり17世紀の豪農のお屋敷です。
ニュートンといえば日本人で知らない人はいないほど、地球の引力を発見した科学者と知られていますが、英国民の中で果たして何10パーセントの人が知っていることか?彼がりんごの木の下に座っていて落ちてきたりんごで引力発見とのエピソード、ちょっと眉唾物ですが本当に何にでも興味を持つ頭の良い子だったようです。

1642年のクリスマスにこの家の跡取りむすことして生まれた彼は、未熟児で決して助からないと一族からあきらめられていたそうですが、84歳まで生きサーの称号をもらっています。17世紀の医学で未熟児が助かったのもひとえに彼の実家が豊かだったからでしょう。
でもうちの亭主ポールも今から78年前に1Kg くらいの未熟児でした。助かるとは思えなくてお葬式の準備をしていたとのこと、その頃の英国の医療は世界の最先端を行っていたのですね。お母さんはインキュベータに入っているポールに消毒ガウンを着て授乳に行っていたそうです・・・・と此れは余談でした。

ニュートンは体が弱くて農業にはむかなくて、彼の叔父さんが学校教育を勧めたことから、成長してケンブリッジ大学で学び世界的な数学者、科学者になったものです。
写真1は実家で中は写真禁のため一回り見てきましたが、石つくりの質実剛健な後何百年も持ちそうな2階建ての屋敷です。屋敷の周りは昔の納屋や家畜小屋だったのでしょうが、今ではニュートンが発明、発見した数々の科学の実験室になっています。

さて翌朝キャンプサイトを出て1時間もしないでたどり着いたのが写真3のベルトンハウスです。
この立派なお屋敷は17世紀の建築物で、ロンドンで成功を収め大金持ちになった法律家がこの土地を買い取り、このマンションを築いたものです。
BBCのテレビドラマのジェーン・エアーや高慢と偏見などはこの屋敷で撮影されたものだそうです。現在7代目のエドワード・ブロウンロウが1984年にナショナルトラストに寄付したものですが、このマンションの一角にはまだ彼の居室が残っているとのことです。

屋内見学は12時半からと2時間も待てなくて、素晴らしい庭や温室(写真6)を歩き回り、地下のメイドやバトラーのような使用人の部屋、や屋敷の台所などだけ見てきました。次に機会があれば是非屋内見物したいものだと思います。







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2004年11月6日 Sevilla  その3

2009-07-30 06:50:59 | キャンパー旅行記 2004

今日はアルカサール(セビリヤ王宮)の写真を送ります。
この宮殿を模して数世紀後に作られたのがアルハンブラの宮殿だそう。
それにしてはこの宮殿のほうが色彩豊かな上庭園も開放的で、生き生きしている様に思えるのはたぶんたくさんの色タイルのせいかもしれない。色タイルは後に送ります。庭の鮮やかな花は南国の今まで見たことのない花で、11月でもこのあたりが暖かいことを証明している。またやしの木がいたるところに生え、南国情緒豊か、ここがスペインであることを忘れそうになる。

 

 

 

 

 

 

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スコットランドの旅 (3) Isle of Skye-Staffin

2009-07-30 06:33:26 | スコットランドの旅

午後の早い時間にスタッフィンのキャンプサイトに着いた私たちは、昼食後散歩に出かけました。この日は日曜日で、キャンプサイトのオフィスには誰も居ずスタッフィンの小さな村でも人影もありません。村にはいろいろ宗派の違う教会が4軒もあり、教会以外に楽しみが無いんじゃないかと話ながら静かな村を通り過ぎました。
このような小さな村でも歩道つきの通りが村を抜け、何処の家も白壁の立派なもので豊かな暮らしをおもわせます。途中に港のサインを見つけて海の方へ折れました。道端の草むらには色とりどりの野の花が咲き乱れ、放牧の牛は牧場の横を流れる小川を横切ろうと浅瀬を探してうろうろしています。羊は丘も道端でも一面に散らばって草を食むのに余念がありません。
遠くまで晴れ渡ったこの日はスカイ島では珍しいくらいだとか、紫外線が強いので皮膚がんに気をつけなければいけないそうです。

港は一本の堤防がくの字に10メーターくらい延びたひなびたもので、その近くから丘に伸びた細道を見つけ近道できるかもしれないと、ゆっくり登ってみたのです。(写真7)
丘の上は広々とした草原で、幾筋にも伸びた細道を歩いて、キャンプサイトにたどり着きました。多分3マイルぐらいは歩いたと思います。
キャンパーの窓に夕日がさして落日は11時、日が落ちても長い間夜空が明るんでいました。









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2004年11月6日 Sevilla  その4

2009-07-29 07:55:49 | キャンパー旅行記 2004

スペイン広場は直径170メーターの半円形で、憩いのための広場として考案されたもの。今ではここセビリアの貌である。建物を縁取る水路にはベネチア風の橋がかかり、華やかな欄干は陶器で作られている。
カーブをなした建物の基部にはタイルのベンチが並び、スペイン各県にちなむエピソードがタイルに描かれている。この広場は1929年のイベロアメリカ博覧会の中心になったところである。ここに見られる華麗な色彩は西洋文化特に英国にはに見られないものであり、イスラムの文化の影響が多大に伺われる。

 

 

 

 

 

 

 

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イギリスの旅 (2) Castle Howard

2009-07-29 01:11:20 | 英国内旅行

旅の4日目に訪れたところはヨーク市から約10マイル北東のハワード城です。
このハワード城は過去300年間伯爵の居城として栄え、敷地を増やしてきましたが、1940年火事で城の中心部ドームが焼け落ち貴重な芸術品を多数失ってしまいました。
戦争から戻ってきた先伯爵ジョージ・ハワードが過去の栄光を取り戻すべく努力を重ね、城内と庭を一般公開して城の再建を図っています。

したがってこの城はナショナル・トラストではありませんが、現在の城主サイモン・ハワードとその家族があらゆるメディアを通して宣伝しています。テレビでもドラマの背景に使われたり、再建模様をドキュメンタリーにしているので、是非行って見なくちゃと訪れました。



門から何キロも車で走ってたどり着いた駐車場は週末でも有ったためか、たくさんの車で埋まっていました。入場料一人10ポンドづつを払い雨の中を城までの長い道を歩きました。お城までおもちゃのように箱を連結した電車が往復しているのですが間に合わなかったのです。

城内は写真可ですから豪華な家具や芸術品などをカメラとビデオで取り捲りました。各部屋に大変物慣れた案内人がいて、ビデオでとっている間中説明の声を録音させてもらいました。



焼けたドームは修復されてきれいになっていましたが、所々にまだ焼け跡が残っている部屋がありました。もちろん何百もある部屋の一部しか公開していないでしょうから、どれだけ修復されたのかはわかりません。
各部屋のあちこちに現城主の家族の写真が飾ってあり、裏庭で雨の晴れ間にクリケットをしていた家族連れが彼らに相違ないとポールが言っていました。なんともオープンな家族でしょうか。

裏庭のアトラス(ギリシャ神話のなかで地球を背負って立っている神)の噴水がこのお城のシンボルです。

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イギリスの旅(3) Scarborough と Durham

2009-07-28 01:54:10 | 英国内旅行

映画”卒業”で歌われている素敵な曲”スカーボローフェアー” その名前に惹かれてやってきたのがハワード城からさらに北東海岸線のスカーボロー(Scarborough)。ここは映画とは全く関係の無い町ですが、ホリデータウンらしく何処も人がいっぱい。この町は国道から直接町の中心地駐車場に入った一帯は高台にあり、古い大きなホテル(写真3)がどっしりと構え観光バスがやってきて客を降ろしていました。海岸線(写真1,2)にも大きな道路と繁華街が連なり、遠浅の海に港の堤防が長く伸びています。遠くの丘の上には古城が見えます。
日曜日の朝で観光案内所も開いていないため、この町の見所など何も知らずに1時間町をぶらつきそのままダーラムを目指しました。

この日は時々雨雲の間から日がさすような薄ら寒い一日でしたが、濃い緑の牧草地帯や黄色のペンキをぶちまけたような菜の花畑の道中に時々真っ赤なケシ畑。途中でキャンパーを停めて貰って、500メーターも走り戻って写したのが写真4です。菜の花はマスタードをとったり菜種油をとったりと重要産物ですが、ケシの花は何のために植えられているのか?どなたか知っている方がいらっしゃたら連絡ください。

ダーラムのキャンプ場は高速道路のすぐ近くにあり、街まで3マイル、翌日、近くの住宅地で見つけたバスで町の中心地へ出かけました。ロンドンで60歳以上はフリーダムパスというバス、電車の無料チケットがありますが、このチケットがここでも有効でこのチケットを利用して一日乗りまわっていました。
ダーラムは小さな丘の上が旧市街で周囲を河が流れ町の中心地は巨大なダーラム大教会です。
教会内部は写真禁のため残念お見せできないのですが、英国の各地に散在する大教会と大して違いはありません。只この教会に2000年を記念してモダーンなステンドグラスが一箇所あり、それがとってもきれいで古い教会を明るくしています。

この教会の一番高い塔は有料ですが、何百段もの廻り階段で屋根にたどり着けます。ポールは初めから登るのを拒否したので私一人でチケットを購入しました。チケット売り場のおばさんが”荷物をあずかりましょうか”というので ”いやハズバンドがいるから持ってもらう”と言うとおばさん済ました顔で ”ウン ハズバンドはそのためにあるんだから”と即答しました。

この階段のつらかったこと、荷物を置いてきて正解でした。カメラだけもって、もう永久に階段が続くのじゃないかと思ったころにやっと汗だくでたどり着きました。ここからはダーラムの四方が見渡せ苦労した甲斐あり(写真5,6,7)四方をとりまくって降りるほうは駆け足で目がまわりそうになりました。大教会のすぐ近くのダーラム城(写真8,9)は大学として使われており学生があちこち青春を謳歌していました。







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スコットランドの旅 (4) Isla of Skye-Uig

2009-07-27 18:13:02 | スコットランドの旅

朝10時過ぎにスタッフィンのキャンプ場を出て、Quiraingの岬を廻って今夜の予定はウィグ(Uig )です。この岬は人口が少なく道路も一車線、行きかう車もほとんどなく、途中でキャンパー2台とすれ違い、手を振ったくらいです。
道を横切る羊の群れは写真1で見るように親子連れ、子羊を連れている母親の毛は刈られていません。ここスカイ島で毛をきれいに刈り取られた羊は雄だけのようです。
途中草葺屋根の小屋が5軒ほど並んでいて立ち寄ってみました。この島の生活を展示する博物館でした。でも今ではスカイ島も離れ小島ではなく生活水準も何処にもひけをとらないくらいです。写真を写しただけで、次の村をめざしました。

ウィグはここの岬で一番大きな町(写真5,6,7)で長い堤防の突き出た港があり、ここから毎日この島の西北に位置するルイス島へのカーフェリーが出ています。数軒のお土産店とパブ、そして設備の整ったキャンプ場があります。
12時前にはキャンプ場に落ち着いたので、数日溜まった洗濯物を洗濯機に入れました。この日も暑い日で夕方までにすっかり乾いてほっとしました。この日は10台に満たないキャンパーが停泊しましたが、昨夜はオランダの団体キャンパーでごった返していたそうです。

午後お土産店を覗き波止場の突堤へ行ってみました。
カーフェリーが入るくらいですから港の水深は深く、澄んだ水ながら水底は見えません。二人でぶらぶら歩き回っていると何か大きな動物が水底から上がってきます。ひょっこり顔を出したのが写真8、9、10 のグレイシール(あざらし)です。
このあたりに生息して人馴れしているらしく、話しかけるとこちらの方を見たり、きょろきょろあたりを見回したり、恐れているようには見えません。
アザラシは3-4分潜ると呼吸をしに水面に現れます。立ち泳ぎしながらおしゃべりでもしたそうな雰囲気。4回も堤防の周辺を潜って行き必ず目に付くところへ顔を出します。愛嬌のあるアザラシで、私は近くに来た観光客に声をかけ、数人で大喜びで見ていました。









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2004年11月6日 Sevilla  その5 

2009-07-27 07:28:29 | キャンパー旅行記 2004

これらのタイルはほとんどがアルカサールのイスラムのもので、色彩や幾何学的な模様などアラブの典型的なものである。これらのタイルは床や壁の腰に用いられ、天井は木工細工による幾何学模様である。私は以前からこのイスラムの幾何学模様やタイルに使われている強力な色彩に非常に興味があり、写真のコレクションをしている。

 

 

 

 

 

 

  

 

11月でもまだ暑いセビリアのキャンプサイトでは日中蝉がやかましく鳴いていた。夜になると周囲の草むらから高い虫の声がする。英国人には虫の音というのはどの音も風情のあるようには聞こえないらしい。
”この蝉は一晩中なくのかね?”と亭主。”蝉は夜鳴かないよ。これは蝉じゃなくてコオロギか何かだと思う”と言ったら、虫は全部蝉と呼ぶのかと思ったそうな。

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イギリスの旅 (3の2)Darham Cathedral

2009-07-27 02:12:52 | 英国内旅行

今日の写真はダラム大教会のステンドグラスです。写真禁なので絵葉書を買って来ました。
昨日はスキャンがうまく行かなくてあきらめていたのですが、今日お送りできますので、是非見ていただきたい。

写真1が2000年を記念して造られたダラム在住の芸術家Joseph Nuttgensと言う人の作品です。ダラム周辺の産業、文化を表しています。跡1000年も経てばこれらも古い芸術作品として見られるのでしょうね。

写真2は1984年にダラムのスーパーマーケットの職員が寄付したという”Daily Bread"というステンドグラスです。Mark Angus という人の作品で最後の晩餐を表しているそうで、テーブルに置かれているパンと周りにキリストと12人の使徒が座っているところ・・・・だと説明を聞かなければ判らないのですが、とにかく素晴らしい色彩です。

このような古い由緒ある建物に新しいものを取り入れるその勇気に感激しています。窓にあった古いステンドグラスを取り外すのに抵抗が無いということは考えられませんから。

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2004年11月9日 Fuzeta Campsite

2009-07-26 21:48:49 | キャンパー旅行記 2004

さてこのFuzeta のキャンプサイトについて話してみたい。
ここの小さなサイトは英国人の定年退職者が多くいて、長いのは3年半もここに住み着いているという。彼らは大きなキャンパーやキャラバンにその横を付随のテントで居住面積を倍にして、テント内はリビングルームやサンルームにしている。そして周囲を花や木を植えて庭にしているので、まったく普通の家と変わらない。だから何年住んでいても不自由しないのだ。おまけに滞在が長ければ長いほどキャンプ料金は安くなる。又公共税金などは払わないし、ユーロ圏のおかげで医療費はただと笑いが止まらない。


  

このサイトに来てのんびり一週間近く楽しんでいたが、ここを去る2日前に下の写真の長さ10メーターくらいの豪華キャンパーが到着した。スコットランドからやってきた20代後半から30代前半の黒人男性と白人女性の組み合わせだった。キャンパーの中は4ベッドルームがあり車の後ろにミニカーを積んだガレージがついていた。
この若さで来年の春までここに滞在して、ミニカーであちこちを走り回るという。亭主に彼らは宝くじに当たったか、それともドラッグディーラーだろうかと話し合った。後にも先にもこんなに若くて長期にわたって豪華な旅のできるカップルに会ったことは無い。

 


私たちのキャンパーの隣にはこれまた何年も住み着いているオランダ人の40代の男女がいて、彼らのキャラバンの回りは大小のつぼがひしめいている。オランダ人はほとんどの人が何ヶ国語でも話せるのでこの男性との会話には全然困らなかった。この人はポルトガルやスペインのオリーヴ育成の農家から古いオリーヴを入れる壷を買い集め、一年に二回ほどオランダの骨董店へ売りに行くのだという。
このようにオイルと埃で汚れた壷だが、きれいに洗って汚れを落とすと、オランダでは売れないのだそうな。
彼の一番の自慢は泳いでいて海底で見つけた壷で(写真最下位)貝や藤壺のくっついたものでこれは自分の宝物売れないと言っていた。


 

 

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2004年11月9日 Portugal

2009-07-26 20:53:32 | キャンパー旅行記 2004




セビリヤを去ってポルトガルへ向かい、途中で一泊して翌日国境を越えた。国境から40Km の海辺の小さな町 Da Fuzeta のキャンプサイトにたどり着いた。キャンプサイトはいっぱいでこの日、このサイトを去ったキャンパーと入れ違いでやっと駐車場を確保することができた。ここ南海岸は気候温暖で日中はTシャツ一枚でも暑いくらい。しかしいったん日がかげると急激に空気が冷たくなる。
キャンプサイトのすぐ横に大きな河が流れていてすぐ広い河口になって海に流れ込んでいる。この河口はこの町の港で朝夕小型漁船が出入りしていた。

 


河の向こうは平坦なデルタ地帯で、塩田が広がり所々に荒塩の山が積み上げられている。冬の間は塩田は放置されていて、あちこちフラミンゴの群れやコウノトリの夫婦がえさを探しまわっていた。フラミンゴは頭を水面につけたままでも私たちがそーと近寄っていくのが判るらしい。同じ距離を保ったまま後ろへ下がってゆく。海岸に積み上げられているたくさんの壷は蛸壺で、地中海沿岸では昔から蛸やイカを食べている。英国人が蛸やイカを食べるようになったのはここ2-30年以内のことだ。外国へ若い頃から出ていた亭主は、イカも蛸も喜んで食べる。


 

 


河口の港の近くには毎日早朝から魚・野菜の市が立って新鮮な食料がとっても安く手に入る。小さな町を散歩してみるとほとんどがまっ白の壁に玄関の色タイルが素晴らしい。町には鉄道が通っているが観光客が集まるほどの見ものは無い。


 


整然と並んだ真っ白の墓は家族代々の墓地であろう。この様な墓地はカソリックの国に多く見られるようだ。スペインやポルトガルでもオレンジやオリーヴの畑が多く、なぜかこの国のオリーヴの収穫は家庭的な気がする。


 

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スコットランドの旅 (5) Isle of Skye -Nrist Point

2009-07-26 04:39:11 | スコットランドの旅

ダンベーガンDunvegan のキャンプサイトに今夜の予約を入れてすぐ、この小さな町から真西に行ったニースト・ポイントの灯台を見に行こうとメイン道路を折れると、車一台がやっと通れる道(写真1)に入りました。相当の距離を走りましたが対向車はほとんどなくて、羊や牛の放牧された草原と切り立った崖や時々現れる小さな村など、まるで昨年行ったフェロー諸島にとっても良く似ています。

岬の突端の駐車場には、観光客を待つ小型バスや20台近くの乗用車が停まっていました。灯台を見るには急斜面の崖に長く延びた階段を降ります。帰りがたいへん、帰りの途にある観光団体はヒーヒー言いながらすれ違います。
灯台の近くの海岸にたくさんのケルンがありこの土地の平らな石ならこそこうして高く積み上げられるのでしょう。ここのほとんど四角い岩の海岸は北アイルランドのジャイアンツ・コースウエーには及びもつきませんが、それなりに見事です。

灯台の横に突き出ているラッパはフォッグ・ホーン(霧笛)と呼ばれるもので、霧の深い日には此れが鳴り渡るのです。この灯台からキャンプサイトに帰る途中、小さな村の公民館でバザーを開いているとの看板を見て立ち寄りました。手編みのクッションや、子供服、パッチワークのベッドカバーなどこの地域の主婦の手造りですが、中の一人の夫人が白とグレーの毛糸を売っていました。長くて厳しい冬の間、自分の家で取れた羊の毛で手よりの毛糸を作るのだそうです。グレーの毛糸を100グラム7ポンドで買いました。羊はスエーデンのゴットランドシープだそうです。このようなひなびた毛糸を見たらもっといろいろ欲しくなり、キャンプサイトを通り過ぎて14マイル戻ったところに在るという、毛糸のお店へ行って見ました。
その田舎の毛糸やさんは自家製のスピニング(毛糸の撚り)はしませんが,出来上がりの白い毛糸を各地から買いこんで、その店の奥で草木染をしています。いろいろ見せてもらい買わずには帰れなくなって、青、緑、紫の毛糸を買いました。まだ何を作ろうとは計画せず買い集めているだけですが見ているだけでも嬉しくなります。

キャンプサイトで一泊した翌日もうスカイ島もほとんど走り回り、スカイブリッジのちかくで南に突き出た岬にあるアーマデール城を最後にスカイ島を去ることにしました。城は19世紀半ば火事で焼け落ち内部が完全に崩れて、壁だけが残っており室内は雑草が生い茂っています。よく手入れされた庭と広大な敷地を持つこの城はクラン・ドナルド・ランド・トラストによって管理されています。スカイ島にはナショナルトラストはありません。城の前庭ではアーチェリーの試合が行われていました。









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イギリスの旅 (4) Banburgh と Holy Island

2009-07-26 02:23:01 | 英国内旅行

ダーラムを出発した日からお天気に恵まれて毎日暑い日が続きました。ニューカースルのバイパスを通ってニューサンバランド州をめざします。
途中の海岸線にナショナルトラストの古城のサインを見つけて行ったのが写真1のダンスタンバーグ城、此れだけ崩れてしまえばお金を取って見せるわけにも行かないわけで拝観料は只、ナショナルトラストはこのあたりの海岸線も整備して人々が訪れやすいように管理しているのです。
海岸の岩が持ち上がってまるでアイスランドの火山地帯を思わせました。太古にはこのあたり一帯が火の海だったのでしょう。

青空の海岸線を北上、素晴らしいバンバラー城(写真3,4,5)が見えてきました。バンバラーは昔、ノーサンバランド州の首都だったと看板がありました。キャンプ場に落ち着いてから、歩いて30分のバンバラー城の見物にと出かけましたが、城の見物は4時が最終で間に合いませんでした。外見が素晴らしいので雄大な城を眺めるだけでも結構楽しめます。写真4の黄色の花は菊科の花でフィールド一面が金色に波うっています。

翌日バンバラーの入り江の向かいにあるホーリーアイランドを訪れました。ここは満潮時には完全な島になりますが干潮時は橋ひとつで車で往復できます(写真6)。この島の只ひとつの小高い岩の上にあるお城リンデスファーンはナショナルトラストに属し、訪問者が後を絶ちません。
1570年に建てられたこの城はこの地域を守る砦として作られたものですが、近代になって多数の金持ちの手を経て、ホリデーホームに改装され、1944年ナショナルトラストに寄付されたのです。ベッドルームが3室、音楽室もある堅牢な建物ですが、冬はどんなに寒いだろうかと思わせる古くて陰気な雰囲気です。

写真9は近くにあるリンデスファーン小修道院の跡地です。687年この地に埋葬されたのが聖キャサバード(写真10)で後に遺体はダーラム大聖堂に移されました。ダーラム大聖堂は聖キャサバードを奉って建造されたものです。このリンデスファーンから入り江を挟んで遠くに見えるのがバンバラー城です。(写真11)









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