ノッティング・ヒルと言えばヒュー・グラントとジュリア・ロバート主演の有名なラヴ・コメディの英国映画がありますなー。そうその地で毎年8月最終日曜日と翌月曜日(祭日)に開かれるのがヨーロッパ最大のストリート・カーニバル。調べてみれば1965年から毎年開かれているそうな。戦後英国殖民地だった西インド諸島の各国からの移民がロンドン各地に落ち着いて、カーニバルが開催されるようになったが、当時は人種差別が激しくしばしば暴動が発生したと言う。このカーニバルでも殺人あり,傷害など毎年のこと、昔から警察と黒人の若者たちの間でゴタゴタが多かった。
昨日の日曜日には3人がナイフで刺されたとのニュース、朝からの良い天気に浮かれてトラブルなどものともせず、電車でロンドンブリッジへ行き地下鉄を乗り継いでノッティング・ヒルへ。地下鉄が超満員で一台目は乗れず、3分後にやっと詰め込まれた。毎年100万人の人出だというがあの地下鉄を見たらそれもうなづける。
行く先々に警察の警備が多くて安心して人ごみに行けるがこれが夜になると相当危険になるらしい。
華やかな色とりどりの衣装に身を包んだ西インド諸島や、アフリカ系の男女と強烈なビートの音楽で観客もステップを踏んでいる。
大きなオープントラック上にスティール・バンドのグループが乗り軽快なリズムが流れてゆく。
通りの個人の庭で出店を開いているお兄さんのとってもいい笑顔、木の上まで登って行列を見ている人達。
リオのカーニバルは世界でも一番有名だし、行ったことは無いけれどここよりももっと華やかなのだろう。でもみんな一年間も計画して衣装つくりに励んだことだろうから、なかなか見ごたえがあった。
街角でジャマイカのチキンジャーキーを焼いているところがあった。強烈な匂いとそれ以上にモウモウとした煙で目が痛くなる。あれじゃチキンが焼ける前に真っ黒に焦げてしまうなーと要らぬ心配までしてあげた。
2時間ほどで人ごみに耐えられなくなり2階建てバスに乗ってピカデリーサーカスへ向かう。2階の窓から見下ろすオックスフォード・ストリートは何とあらゆる人種が渦巻いているのだろう。どこのストリートもすごい人出だった。オリンピックの間中商店街はがら空きだったと言うが、オリンピックが終わってパラリンピックが始まる前の中休み、みんな陽気に浮かれて出かける気になったのか。
リージェントストリートの万国旗はオリンピックのお祝いに飾られてあるからきっとパラリンピックが終わるまでそのままだろう。ちょうどここでカメラのバッテリーが切れてしまった。
オリンピックの開催とほぼ同じ頃、英国の郵便局では金メダルを取った選手には翌日彼らの記念切手を発売するとのニュースが報道された。開会式が終わって数日英国勢は銀と銅のメダルは一つづつ取れたが金メダルが取れない。その頃日本ではすでに金メダル2個取っていたし、あの憎っくき北鮮ですら金メダル2個取っていて ’うーんチームGBはどうなったことか、だらしない。などと思っていた。
8月1日に待望の金メダル2個、英国が沸き立ったのは当然のことだった。午前中女性ペアのボートレースでHelen GloverとHeather Stanning の若い女性がらくらく他を引き離して金メダルに輝いた。テレビの前で亭主と大声援を送った後は目頭が熱くなった。それからはテレビに釘付け、この日午後にはサイクリング・ロードレースでBradley Wigginsが金メダル。このブラドリー・ウイギンと言う人はこの夏のトアー・デ・フランスで優勝した人だったから彼のメダル受賞は予想されていたものの、一日に2個の金メダルにオリンピック開催国としては沸き立ったのも無理からぬことだった。
本当に切手が発行されるのだろうかと疑い半分で翌日ローカルの郵便局へ行ってみたが中央郵便局でしかと買えないといわれた。
8月2日はリー・ヴァリーで行われた男性2人乗りカヌーのスロラームで優勝。室内自転車競技でも男性3人組のスプリントで優勝し、今まで名前も知らなかった射撃でもPeter Wilsonと言う若い男性が金メダルをもらって、一躍英国はゴールド・ラッシュと騒がれるようになった。
8月3日も女子ダブルス・スカルでKatherine Grainger と Anna Watkinsが金メダル、カソリーン・グレンジャーは過去3回のオリンピック出場で今回がはじめての金メダルとあって大喜びしていた。英国の室内自転車競技は4年前の北京オリンピックでもメダルをたくさん貰っていたから驚くに当たらす、この日もVictoria Pendletonの女子競輪で優勝。この競輪と言う競技は日本からの競輪をルールもそのままやっているらしく英語でもKeirinと書かれてあり発音できないアナウンサーはキーリンという。
室内自転車競技にはいろいろな種目があってこの日も男性チーム・パースーツで3人の若い英国人が勝った。
8月4日土曜日の朝電車でチャリング・クロスの駅近くの中央郵便局へ行って切手の有無を聞いた。昨日までの8枚が全部あって一枚3ポンド60ペンス、もうあまり金メダルも取れないだろうからと全部買うことにした。
なのにこの土曜日はなんと言うこと、金メダルが6個も取れてしまった。もう買うのは辞めにしよう、財政がもたないよーもうメダルは要らないよーなんて勝手なことを言ってた私。
またぞろたくさんの金メダルの切手の中でヨットの写真はないし、ハイドパークで行われた男子トライアスロンでは24歳の兄アリスター・ブラウンリーが金メダル22歳の弟のジョニー・ブラウンリーが銅メダルを取った。全くタフな兄弟だ。
グリニッチで行われた競馬にも金メダル2個貰っているからせめて切手も1セットは欲しい。このスマートな制服だけでも記念にしておきたいと8月8日郵便局へ出かけた。この日は何と長い行列を作って30分も待ってやっと欲しい切手を手に入れた。
今日16日とうとうこれが最後と3枚の切手を手に入れた。5000メーターと1万メーターで金を貰ったモー・ファラーと女子陸上5種目で優勝したジェシカ・エニスで特にモー・ファラーはレースのゴール寸前まで手に汗を握り声をからしての大声援。テレビ局の中で解説する人達が大狂乱だった。
英国歴史上初の29個の金メダルでは切手全部を買えば104ポンド40ペンス。全部そろえるつもりはないし、保存するよりもこれから記念切手を貼って大いに手紙を書き送ろうと思っている。
いよいよオリンピックも最後の一日になった。先週の日曜日と違って今日は晴天、気温も上がって25度以上になった。友達数人と待ち合わせてセント・ポール近くの道端へ集まった。たまたま今回は神戸出身の山本亮さんを応援する神戸の人達が大きなのぼりを広げて場所取りをしていた。
私たちも日の丸を掲げてジョインし一緒に応援することにした。この辺りは女子マラソンの時も日本人が結集していたがこの日も周囲一面日の丸が見られた。日章旗はシンプルながら非常に目立つ旗でテレビの中でもいち早く目につく。
この神戸からの山本さん応援団の中に6歳の男の子が居て、日本舞踏を習っていると言う。そしてマラソンが始まる一時間も前この日本男児が道路の真ん中で日本舞踏を披露してくれ、観客全員のやんやの喝采を浴びた。通りかかったお巡りさんも大喜び、一緒に写真を写してご機嫌な様子。
私たちの応援していた地点はランナーが往復通る場所で、マラソン開始後20分に右側から先頭グループ、追いかける二団グループそしてもう遅れをとってばらばら走ってくるランナーたちで暫らくすると左からカメラマンを満載した先導車に続きアフリカ勢の多い先頭集団、二団目に日本人の入った追いかけグループが走ってゆく。
総勢105人のランナーが出場したが、途中で棄権した人達が20人。一番最後のランナーなど途中で歩いていたが観客からの盛大な歓声にゴール近くでは走って金メダルのユガンダ人とは一時間近く遅れてゴールイン。
40番目にゴールインした山本亮さんはゴールインと同時に後ろを向き観客かバッキンガム宮殿に向かってお辞儀をした。なんて素敵な日本人ランナーだろうと感激した。
最後のランナーが通り過ぎた後、沿道全域を埋め尽くしていた観客がいっせいに帰りだした。セントポール寺院脇から見えるミレニアムブリッジは大群衆で橋が落ちなければ良いがと心配になるほどだった。
セントポール寺院脇ではペルーの応援団が巨大な国旗を広げて楽器を鳴らしパーティを始めた。セントポール寺院も今日は入場無料だった。
オペラハウスではオリンピックの歴史やメダル展を開いていて今日が最終日。応援した後の興奮冷めやらず、オペラハウスで1時間以上も長い行列に耐えてオリンピアの写真や模型、近代オリンピックのメダルの変遷など見て来たが、今年のロンドンオリンピックメダルの異様な大きさには文句を言いたい。一人でたくさんのメダルを取ったマイケル・フェルプなど重くて全部は下げられないだろう。
ウオータールー橋の近くストランドに位置するサマーセットハウスは18世紀後半サマーセット公爵の宮殿として建築された。この宮殿はエリザベス1世も滞在したことがあり後世には官公庁として利用された非常に立派な宮殿である。
ここの一角に次回オリンピック開催地のブラジルが2016年リオ・オリンピック展示会を開催している。地階の展示場にはブラジルの美術、芸術品や民芸品などが展示され、壁一面に張られたあらゆる新聞が2016年リオ・デ・ジャネイロのオリンピック開催決定の喜びを表していた。
2016年リオのオリンピックロゴは上の写真にあるようなシンプルかつ芸術的な色彩と形で表されている。またヨーロッパとは異なる作品群は興味をそそる。日用品など同系の品物を並べて芸術作品に仕上げているのはそのアイディアに感心した。下の写真は金属のメジャーテープを並べて壁や床の芸術作品にしたもの。
北グリニッチのミレニアム・ドームではその巨大なアリーナでオリンピックの体操競技が行われた。内部はアリーナのほかにもレストランや多数のお店があるが警戒厳重で身体検査や持ち物検査が厳しい。このドームの円形の屋根の上を歩くイベントが行われていて物好きな老若男女が挑戦していた。
このドームの近く今年対岸へのケーブルカーが完成し素晴らしい景色で評判は上々。乗ってみようと近くまで行ったけれどあまりに長い行列に驚きドームの川渕を一周してグリニッチへ向かった。オリンピックが終わって静かになった頃、ケーブルカーに乗ってみよう。
グリニッチの川渕ではやや小型の帆船が2艘、観光客を乗せてテームス河を上下していた。この帆船は満帆のときが素晴らしい。
グリニッチのオリンピック競技場では近代5種目の乗馬が行われる。午後遅くから競技が始まるから観覧席はがら空きの様子。巨大スクリーンの設置されたロンドン大学側はたくさんの人でごった返していた。
オリンピックも後数日で閉会式、9日木曜日は朝から晴天で素晴らしいロンドンの夏、ハイドパークへ女子10km水泳を見に行こうと決めた。
決心したのが遅かったから、ハイドパークコーナーへ着いたのは1時過ぎだった。とにかく何処もたくさんの人出でハイドパークコーナーの交差点などもすごい人の群れ。サーペンタインの池(湖?)など何重もの人垣でほとんど見えない。この池は今までどう見ても泳げるほどきれいだとは思えなかったが、先日の男女のトライアスロンに次ぎこの日の10kmレースなど、この池が会場だからきれいにしたのだそうな。
水泳の応援など岸の観衆がどれほど怒鳴ったところで聞こえるわけは無いと思う。おまけに皆よく似た水泳帽をかぶっているから、岸からでは見分けがつかない。見えるのは水しぶきと上がったり下がったりする選手たちの手だけだった。池の端の折り返し点に移動して後ろの塀に登ってやっと水面が見渡せた。
カメラや選手へ飲み物を渡す補助のボートなどが伴走しているほかはあまり面白くない見るものがない。
巨大スクリーンが有るはずと、二人で歩いているお巡りさんに聞いたが、暑い中彼らは防弾チョッキに機関銃を持って警備についている。これだけ警戒十分でもいったん事が起こればこんな人ごみの中では発砲できないだろう。
巨大スクリーンのコーナーは警戒厳重で手荷物を全部調べ、飲み物、食べ物は全部禁止。持って行ったサンドイッチを取り上げられそうになったから、いったん外の芝生でピクニック、そして中に入ったときは水泳競技は終わっていて、メダル授与式が始まった。
この会場には巨大スクリーンが4箇所にあり、一つのスクリーンではデンマーク王女の馬術競技をやっていた。音楽に合わせて馬が踊るようにスキップしたり横に歩いたりと馬にどうやってトレーニングするのだろうと不思議で仕方がない。馬術は今回イギリス勢が2つの金メダルをとっていて、あれぞ金持ちの道楽に過ぎないと思ったけれど、それにしても素晴らしい馬の毛並みやかっこいい乗馬姿には惚れ惚れする。
10km水泳の勝者はハンガリー人の若い女性で、海のないハンガリーでは内陸のバラトン湖でトレーニングするのかしらと思ったりした。別のスクリーンでは日本とクロエシアの女子タイクオンドーを見せていた。会場が広くてたくさんの人たちがそれぞれに楽しんでいるが、十分余裕のある広場だった。
英国国旗は赤、青、白の三色を上手に組み合わさったもので、国旗大好きの国民性、どんなときでも国旗が揚がる。この会場でも国旗を着ている人やこのように素敵なデザインでのドレスの女の子たちなどいろいろな人達を見かけた。
パーク内を巡回している馬上警官は観光客の格好の写真モデルで、あちこちで話し込んでいる警察官を見かけた。それでわたしもバッキンガム宮殿近くのThe Mallの警備に当たっている若い兵士たちと一緒に写真を撮らせてもらった。通行人が次から次と写真を頼んでいたから彼らの写真が世界中に広がるに違いない。
バッキンガム宮殿前の長い直線道路The Mallは、今度の日曜日に男子マラソンが開かれるため閉鎖になっていて、オリンピックとユニオンジャックの旗が延々と続いていた。宮殿前のセント・ジェームスパークはいつも賑わっているが、オリンピック中はピンクと紫色のユニフォームのボランティアがいたるところで人々の案内をしている。5万人のボランティアだと思ったが今日のテレビでは7万人だと言うから頼もしい。
私は1990、1991年の2回にわたってロンドンマラソンに出場した。当時ロンドンブリッジ北岸に勤めていたオフィスがあり,早朝7時から8時半まで出勤前にテームス河畔でトレーニングするのが日課だった。
その頃のテームス南岸には現在のようなミレニアム・ブリッジやシェークスピアのグローヴ・シアターもミレニアム・ウイールも無かった。
1990年代は2000年祭に向け南岸の近代化に急激な進歩を遂げた。南岸の川渕はランチタイムのジョガーとホームレスのダンボールボックスが見えるばかりで、観光客など目に付かなかった。
まずはセント・ポール寺院の真向かいにあった巨大なBankside Power Station(発電所)は1981年に閉鎖された後黒々と沈黙を守っていたが、2000年にテート・モダーンとして生まれ変わった。同時にこのテートモダーンとセント・ポールを直線で結ぶミレニアムブリッジが造られた。
このミレニアムブリッジはキャノンストリート駅とブラックフライヤー駅との真ん中にあり両方の駅ともプラットフォームがテームス河上に突き出ている。ブラックフライヤー駅の向こうのビルに下げられた英国王室の巨大な写真は今年のエリザベス女王の戴冠60周年記念祭に挙げられたもので女王様の若かりし頃、子供たちもまだ一人も結婚・離婚していなかった一番幸せな時期だっただろう。
南岸には今年のオリンピックマスコットがあちこちに設置されていて通り過ぎる観光客が一緒に記念写真など撮っている。このマスコットが一つ一つ違うことなどこの南岸を歩くまで知らなかった。テームス河の北岸はエンバンクメントと呼ばれるが、この川岸には巨大な船(たぶん老巧化したもの)が並んでいて、バーやレストランになっている。
南岸から見るセントポール寺院は素晴らしい。第二次世界大戦時、当時の首相チャーチルがドイツからの空爆に対し、セントポールだけは絶対焼くな、死守せよ とのことで周囲が全焼した中でセントポールだけが無事だった。
サウスバンク(南岸)と呼ばれる辺りはナショナルシアターやフェスティバルホールなど1950年代に建築され、ロンドンの演劇、音楽、映画などを一般市民に安く提供している。ヘイズ・ギャラリーの外に立っているカラフルな人工の木、色とりどりのビニールテープを巻いてあった。
オリンピックの祭展の一環として造られたらしい世界地図は、ものすごい量に上るレゴで出来ていてまだ完成できていなかった。ウオータールー橋からチャリングクロスへの間に建つおとぎの宮殿のような建物はバッキンガム宮殿よりも宮殿らしいが、これが一体どこの何なのか誰も知らない。
ロンドンアイまたはミレニアムウイールと呼ばれる直径120メータの観覧車は1999年の完成、今では英国一の観光アトラクションになっていてこの日も3重の行列が出来ていた。世界で一番有名なゴシック建築と言えば英国国会議事堂。今までビックベンと呼ばれた時計台は今年からエリザベスタワーと呼ばれることになった。
オリンピックが始まる数日前、グリニッチの川渕に10数隻の帆船が集まるとの情報を得て出かけた。我が家からグリニッチまでは電車で20分ほどしかかからない。この日は珍しく晴天で久しぶりのカティーサークが公開されていた。この帆船は19世紀セイロンからのお茶を運送するのに大活躍したもので老巧化した1954年ドライドックとしてグリニッチの広場の中心に鎮座されていた。それが2007年夜間の火事で大損壊したのを大金かけて修復し今年4月から再公開したもの。
ロンドンの観光名所のひとつとしてこのグリニッチもずいぶん開発されきれいになった。白亜の巨大な建築群は17-18世紀は海軍病院として建築されたが、1873年から1998年まで海軍士官学校として使用された。それ以降はロンドン大学の一部として使われ、またペインテッド・ホールとチャペルは一般公開されている。
これらの建築群はユネスコ世界遺産に登録されている。上の写真のペインテッド・ホールは19世紀には貧しい人々に食料を与えたところだとのこと。こんな立派なホールで与えられた食事はどんなものだったのだろうか。
この建築群とメイン道路を挟んだ柵の向こう側にも白亜の対の素晴らしい建物があるがここはグリニッチ海洋博物館になっている。
今回のオリンピックではこの博物館の広大な庭で馬術競技が行われる。オリンピック競技場を警備するのは英国陸軍だがここの会場を警備するのは英国海軍で、海兵隊員がマーケットやパブや、博物館入り口などあちこちで見かけられた。
上の写真の階段はオリンピック会場へ行くために新設されたもので後2日でオリンピックが始まるのでまだ完成していなかった。
私たちだけでなく川渕に陣取ったたくさんの人々が待てど暮らせど姿を見せぬ十数隻の帆船は、テームス河下流のミレニアムドーム(O2)の近くで干潮のため動けなくなっているとのことで、あきらめて帰ってきた。
英国ユーモアのたっぷり入ったオリンピック開会式は笑いと驚きと感動に満ちていた。改めて英国の底力を見た思いがする。これも5万人のボランティアを総動員してのこと。ストをすると脅迫する国民ばかりで無いとホッと安心もした。
開会とほとんど同じ頃からまた天気が崩れ、毎日激しいにわか雨がやってくる。気温は20度も上がらず、毎夕輝く夕日に明るい月夜で明日こそはと願っていても必ず驟雨がやってくる。
日曜日のオリンピック女子マラソンはロンドン市中を3周するとあって、日の丸を持って出かけた。朝から素晴らしく良い天気で、今日こそ暑くなると思い薄着で傘だけは忘れずに出かけた。ロンドン市の金融街のキャノンストリート駅に9時半に着き、友達と待ち合わせのセントポール寺院から一つ下の通りまで歩くともうあちこちに応援団のグループが固まっている。
日本の銀行前では600人の日本人が集まるとは聞いていたけど、もうこの時間にと驚いた。レースが始まるのは11時だから皆早くからがんばっているんだ。
予定の場所へついてみると、何と日本人の応援団で埋まっていた。彼らは木崎良子さんを応援するのに大阪からやってきたグループで”日本” "木崎” のシュプレヒコール。テレビカメラが廻りNHKが取材に来ていた。わたしたちのグループも便乗して日の丸を揚げ声をからしての声援練習。道路の向こう側の英国人たちも負けずに ”ティームGB" と声を上げる。全く楽しいひと時だった。
11時のマラソン開始ごろにはビル街の上空一面に雨雲が広がり雨がポツポツ降り出した。そして11時20分先頭集団が来る頃には土砂降りの雨でカメラも出せない。道路は川のように雨水が流れている。走者もこの雨ではつらかっただろうし足元も危なかっただろう。
先導車には鈴なりのカメラマンが乗って先頭集団をテレビカメラで撮っている。最終の走者が通り過ぎてゆくまで通りは大声援、こんなに騒いだことも久しぶりだった。
30分くらいすると先頭集団が反対車線をエンバンクメントへ向かってゆく。そしてまた20分後に走者が私たちの前を通り過ぎて・・・・これが3回も行ったり来たり。
雨は小降りになると思うとまた激しくなったりで、本当についてない日だった。最終ランナーが通り過ぎた1時半頃に私たちも解散し早く帰ってDVDに収録したマラソンを見ようと楽しみに帰ったのに、BBCの放送が途中で切り替わって写ってなくてがっかり。
亭主に拠れば英国国旗の次に多かったのが日章旗だったと言う。