Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

再びポルトガルへープソルからマタロ(Mataro)まで

2018-01-31 22:39:38 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

 

プソルの安いキャンプサイトで翌日泊まるキャンプサイトを探して2時間近く話し合った。結局以前にも行ったバルセローナから50Km 北の海岸線にあるマタロへ行くことにした。そこまで400Km。スペインの道路は良いからとたかをくくっていた。

 

 

このあたりから山が迫ってきていて、遠くの崖の上に砦のようなものが見える。

 

 

 

このあたりではまたオレンジ畑やオリーヴ畑がほとんどを占めている。

 

2車線の道路際にフレンチラヴェンダーが満開で、目を奪われた。今年はポルトガルでもこんなにたくさん花が咲いていなかった。

 

 

通りの向こうは小さな空港で入り口の飾りがなんだかとっても変!!!

出発はじめはとっても良い道路だったのに、2車線の県道と高速道路が平行に走っているころになると巨大なトラックが数珠つなぎでのろのろ走っていて追い越せない。

 

 

 

 

 

道路わきは剪定されたブドウ畑、この辺りはスパニッシュワインの産地らしい。

あちこちで道路工事、いらいらしながら長い車の行列にうんざり。亭主はもう2度とこの道は通りたくないと宣言し、そのくせ数年すればすぐ忘れてしまう。

 

 

 

狭いごみごみした通りは至る所で信号待ち。

 

 

目の前を走っている車の宣伝が面白い。この宣伝はDIYのものだが、手八丁口八丁、の日本語がそのまま絵になったようで、どこでも考えることは同じだなーと思わずパチリ。

バルセローナの環状線を北に向かってゆくが車の量が多く、出口入り口があちこちにあって、もしカーナビがなかったらどうなっていただろうとぞっとする。とにかく400㎞の距離を7時間くらいかかってへとへとになってキャンプサイトへ着いた。

マタロのキャンプサイトは設備がよく、シャワーが素晴らしい。直径20センチほどのシャワーヘッドから滝のようにお湯が出て、タヴィラのキャンプサイトがいかにお粗末か思い知らされた。

それにしても今日の行程のひどかったこと、亭主は座るなり眠ってしまった。

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再びポルトガルへーツレブ(Trebes)フランス

2018-01-30 16:50:38 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

夕べ遅くから夜中に強風と豪雨だったのに、朝は一応雨がやんであたりは暗い。

 

朝から強風、今にも雨が降りそうな天気だった。今日はフランスのカルカッソンヌを目指し距離は275KM。

 

 

地中海もコスタ・ドラダ(黄金海岸)を北上する。この辺りはバルセロナを首都とするカタロニア地方で、スペイン語さえも違う。道路標識などスペイン語とカタロニア語で書かれている。国旗さえも違う。

上のホテルはカタロニアホテルという。このところスペインから独立したがっているカタロニアの地方政府は独立運動の首謀者がベルギーに亡命し、今春ドイツで捕まって監獄に入っている。

このような政治犯は時期が来ればヒーローともなるからどちらが悪いかは時のみが知る。

 

雪を抱いたピレニー山脈が前方に見える。天気が悪いと雪山さえあまりきれいに見えない。

 

 

上手に簡略化された女性像。とっても面白い。

2年前にこのスペイン・フランス間の国境近くを通り、周りの木々が黒焦げになっていた。今も木の幹は黒いまま葉が茂り下草がブルームかゴースの花で満開だった。

 

 

ここはまだスペイン側の国境の町、道路も幅広くいつでも駐車可能。

 

それがフランス側へ入ると巨大な観光バスがズラーっと停まっていて、買い物客がひしめいている。あのおばさん、あんなにトイレットペーパーを買い込んで、どうするのだろう?

 

 

 

狭い道路の両側は駐車している車でいっぱい、そして対向車も駐車場を探してノロノロ運転。

この猥雑な街を通り過ぎてほっとした。

 

目の前を走るドイツナンバーの川崎チーム、後ろから見ると集塵車のように頑丈だが追い越してみるとただ一人で運転しているキャンパーだった。

 

 

ツレブのキャンプサイトには1時に着いたが、レセプションが開くのは2時。それでもサイトの中に入れたからキャンパーを停車し、電気をつないで昼食にした。

2時にレセプションが開いて英語の離せないフランス人女性が一人。明日カルカッソンヌの観光に行きたい、バス停や時間を聞くと明日日曜はバスがないという。ショック、がっかり。

仕方ないからキャンパーで行くことに決め、洗濯機で今までの衣類の洗濯。風が強いから太陽が出なくても早く乾いた。

 

 

町を散策に行くと運河はボートでいっぱい。強風の中ローカルのフランス人たちはペタングなるフランスのボールゲームを楽しんでいた。

 

わき道の玄関壁飾り。よく見ればおまるじゃないか? 本当にここは田舎だなーと感心していた。

 

人口もほとんどないようなこの片田舎でも巨大な教会が建っている。ドアが閉まっていたから中には入れなかった。

翌日キャンプサイトを出て町を一回りする道路わきのスーパーで二人とも同時に気づいたこと。

ちょうど1週間前IS のテロリストがカルカッソンヌで2人を撃ち殺し、車で逃げてスーパーに立て籠って、買い物客を人質にしたニュースがあった。それがこの町このスーパーだったのだ。

ローカルの警察官が買い物客の身代わりになってテロリストに撃ち殺された。こんな平和な田舎町での痛ましい事件だった。

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再びポルトガルへーカルカッソンヌ(Carcassonne)フランス

2018-01-29 23:12:13 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

ツレブのキャンプサイトからカルカッソンヌまで7Km、朝から雨がひどくカーナヴィで調べておいたキャンパーやバス用の駐車場を目指す。駐車場に入るのにチケットをどこで引き出すのかわからず、ヘルプのボタンを押したらフランス人の男性が 僕は英語が話せない。と完全な英語で答えた。 チケットを取るのも英語で話してくれて、うまく取れたから、私も最後にメルシーとお礼を言った。

 

 

駐車場から傘をさして城門まで500メーターくらいを歩く。巨大な13世紀の城門にただただ感激。

カルカッソンヌの歴史は古く紀元前1000年にさかのぼるという。ローマ人もこの地に基地を築き、4世紀には城砦を築いた。その後長期にわたりサラセンと呼ばれるアラブの部族(のちにはモスリム)に支配され13世紀クルセーダー(クリスチャン)の活躍でフランス王に返還された。その後の宗教戦争やフランス王とヘンリー4世の勢力争いでこの町は戦禍に見舞われ、19世紀に修復、改築されたものだという。

1997年ユネスコ世界遺産に指定されている。

 

 

 

長く伸びる外壁を見ながら巨大な城門を通るともっと高い内壁が現れる。内壁の内側はシティと呼ばれる一般家屋やお土産店、ホテルなどとコムタル城、そして11世紀から14世紀に建てられた聖ナザレ大聖堂などがある。

私の後ろが12世紀に造られたコムタル城。雨が激しく、周囲の景色をビデオで写したら聞こえるのは傘に当たる雨音ばかりだった。

 

 

聖ナザレ大聖堂のステンドグラスとピエタ像。大聖堂には雨宿りのため長く居たが雨は止まなかった。

 

 

雨風が激しく内壁を歩き回るうちに、亭主は寒さにたまりかねてキャンパーに戻って温かいコートを着て来ると言い、仕方がないからいったんキャンパーに帰った。温かいコートに身を包んで、また城門へ帰って行った。

早朝に行ったお城は9時から開くと言っていたので、2度目に行ったときは10時ごろ、高い入場料を払って城内を歩き回った。

 

 

石造りのお城でも城内は木材が多く使われている。

 

高い城壁から見下ろすとカルカッソンヌの東側の城下町が見渡せる。

 

城内を一回りしたが至る所で傘をさして歩かなければならない銃壁など、雨風がひどくて、大変だった。右側に見えるのが中国人団体で、彼らが入場する前に一回りできてラッキーと思った。

 

 

 

 

19世紀に改築されているため保存状態が良い城内だった。

オード川(L'Aude)を挟んで西側にひときわ高く見える聖ヴィンセント教会は14-15世紀に建立されたもの。雨にかすんでいる。

 

 

駐車場料金も15分単位で料金が上がるため2時間でキャンパーに帰りすぐ駐車場を後にする。途中の道端でお湯を沸かしコーヒーを飲みながら、このあたりの高台からお城の全容が見えるのではと登ったところ、雨にかすんだ広大なお城が見えた。

望遠で撮っているのでなおさらかすんでいる。

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再びポルトガルへーコルド・サー・シエル(Cordes sur Ciel)

2018-01-28 16:01:19 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

 

カルカッソンヌを出た後今夜のキャンプサイトを決めるにあたって以前行ったアルビ(Albi)の北25kmにあるコルドへ行きたかった。亭主はこう天気が悪いのではと渋りコルドと正反対の方向にあるキャンプサイトで一泊した後コルドへ向かおうという。

それでアルビから北東20数キロの田舎のキャンプサイトを目指して走る。雨は上がって青空が見えるようになり、田舎の牧場や麦畑など緑が目が覚めるほど美しい。

せっかく行ったキャンプサイトはまだ閉まっていて来週から開くのだそう。さて困ってしまってどこへ行こうとキャンパーストップの本を見たら、私が行きたかったコルドに電気もあるキャンパーストップがあるのを見つけた。

 

町のふもとのキャンパーストップにはフランスのキャンパーが数台停まって電気をつなぐために6ユーロ機械に入れると小さなディスクが出てくる。ところが電気の4つのコンセントのうち隣のフランス人キャンパーの電気だけがつながっていて、せっかく入れたディスクに反応はなかった。

近くのフランス人2人が電源機械をいじり回したがつながらない。とうとう諦めて今夜は電気なしで過ごすことに決めた。そのころから雨がふりだし、まだ4時、夕暮れには3時間近くあるから町へ行こうというのに、亭主は雨の中を坂道を上るには嫌だと拒否。

私一人傘をさし、カメラをもって出かけることにした。これが全く正解。

 

 

この13世紀の町コルドは海抜159メーターから320メーターの細長い丘の上に造られた城砦の町で、数年前アルビを目指して走っているときに、突然雲の間から教会の尖塔と町の一部が現れびっくりしたことがあった。当時歴史も知らず、町の名前もうろ覚えだったが、地図にマークしてもう一度行こうと心に誓った街だった。

 

 

ふもとから急な坂道を上りスクエアーに出ると道路は3方に分かれる。右側の道路は車が走れる幅はあるが町のふもとをぐるっと回って上方へ行かない。左も車が走れる距離が数10メータで途切れてしまったと思っていた。

真ん中の狭い道にはお土産店が並び日曜日の雨の降る夕方、まだお店が開いていた。

 

 

観光客が数組雨の中を歩いている。この町は坂道ばかりで頂上以外は激しいところでは45度近くの急斜面、文句の多い亭主が来なくてどんなに良かったことか。

 

  

花を植えてある面白い石の鉢、なんかストーリーのありそうな模様が気になる。

 

 

この急斜面の石段もしっかり上って後ろを見てひぇーという感じ。雨はだんだん激しくなった。

 

狭い門を通り、

 

こんな車が駐車しているところを見ると、石段のほかに道路があるらしい。

 

石畳の急斜面。

 

岩の上に建てられたアパートメント、For Sale (売り家)の看板が出ていたからアパートだと判ったけれど、あの窓から見るあたりの景色はどんなだろうと想像してみる。嵐の夜などどんなに怖いだろう。でも雲の上に突き出ているから雷など心配ないか?

 

 

 

眼下の景色もよく見えて、これが晴天ならどんなに素晴らしいだろう。あちこち白い山桜の花が満開。

 

 

雨に濡れている石畳。

 

 

ほとんど頂上のマーケットスクエアー、ここだけが平らだった。

 

2階、3階の窓が教会のようだけれど,地階はお土産店やギャラリーだった。

 

この頂上の見晴らし台から、キャンパープラッツがよく見えた。一番手前が我がキャンパー、見比べてみても本当に小さいキャンパーだと思う。

 

石造りの家屋に急斜面の石畳、当地に住むフランス人には一人も出会わなかった。

 

 

マーケットスクエアーから帰路につく。どこも絵になりそうな風景。

 

 

キャンパープラッツとは反対側の風景、こうしてみるとこの町がどんなに小さくて狭い丘の上に造られているかが良く分かる。

 

人口1000人足らずのこの古い町で、人々はどんな生計を立てて暮らしているのだろうか?とっても興味深い。

 

 

時計台の時計は5時半過ぎ、サン・ミッシェル教会までは行かなかったけれど、ほとんど見て回った感じ。絵葉書が欲しかったが財布を持っていかなかった。

次はインターネットから切り抜いた写真。これぞ絵葉書。

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再びポルトガルへーシュノンソー城(Chateau de Chenonceau)

2018-01-27 22:13:09 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

キャンプサイトからアンボワーズ城まで17Km、そしてシュノンソー城まで25kmという。まず初めにシュノンソー城を見てアンボワーズ城へ行き、同じキャンプサイトへ帰ってくる計画を立てた。

 

雨の激しいこの朝、無料の駐車場からただ一つ空いていたチケット売り場で長い間待たされ、やっと入城。この高い並木の奥に白いお城が見える。

 

右わきの建築物はオランジェリーと呼ばれる高級レストランとトイレだった。以前はオレンジやレモンの木を冬季保存しておくための建築物だった。前の並木の形が面白い。

 

このお城の正面は歓声を上げるほどでもない。シュノンソー城は16世紀にフランス王の居城として建設され、歴代の住人・王の愛人や、貴婦人たちにより改築され、17世紀以降は王族の居城としての役割ははたしていないがフランス革命にも生き残った。

 

 

玄関から入って近くの礼拝堂、ステンドグラスがとってもきれい。

 

礼拝堂の片隅に掛かっている青いヴェールの聖母は17世紀に描かれたもの。

 

 

ギャラリー(回廊)は1576年シエール川にかかる橋の上に幅6メータ、全長60メーターの舞踏会場として建設された。18の窓がある。

 

 

まるで15、16世紀に戻ったように錯覚させる、対岸の旅人。ロバに荷物を載せて雨の中を歩いている。彼はカメラを出して、このギャラリーを写していた。

 

 

地階はいく部屋にも分かれた台所。昔はこの台所に船着き場があり食料が運び込まれていたという。

 

 

フランソワ1世のサロンにかかる3美神はルイ15世が相次いで寵愛した3姉妹がモデルだそう。この時代のモラルの低下がうかがわれそう。

 

 

18世紀の知識人を代表するデュパン婦人はこの城で知識人のサロンを催し,フランス革命時にその機知によりシュノンソー城を守った。

 

 

豪華な室内装飾、特にどの部屋も天井が見事。

 

過去の幾多の画家によって描かれたこの城の絵の一つ。

 

ギャラリーの窓から見えるシェール川、水はギャラリーの下を流れている。

 

 

 

各部屋や廊下の壁を埋め尽くすタペストリーは、幾多の人々の人生を費やしたものだろうか?すべてが芸術性の高い作品なのにどれもが床1メーターから2メーターのところに水跡がある。水に浸かったのだろうか?もったいないと思ってみていたが、もしかして観光客に触らせないために貼ってあるビニールで湿気のはけ口が無くてこのような水跡になったのではないかと思う。

 

写真より素敵な壁の絵。

 

 

19世紀のディアーヌの庭園

 

  

 

雨のため迷路や、庭園を歩き回ることはできなかったが、城内よりも庭園から見るお城の全景がこの城を有名にしたのが良く分かった。

 

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再びポルトガルへートゥール(Tours)

2018-01-27 16:15:17 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

今日はコルドのキャンピングプラッツから一気に500㎞ロワール川沿岸の宮殿を目指す。

まずはトゥールとアンボワーズ(Amboise)の中間のキャンプサイトを目標に。

 

 

コルドから主幹線道路のカオール(Cahors)までの田舎道100㎞に2時間かかった。前を行くキャンパー1台とトラック1台の後ろを走って、いらいら。でも彼らは道路規則を守ってスピード制限通りに走っているから文句は言えない。

 天気もあまり芳しくなく、一日中太陽が出なかった。地平線のあたりが明るくなって希望が湧いてくると、いつの間にか雨が降っていた。

 

 

 

 

カオールの町を通り抜け、いくつもラウンドアバウトを回った後やっと無料の高速道路に乗った。

 
 
 
 
高速道路は制限速度130㎞まで、これは普通自家用車の制限時速、大型キャンパーは100kmとのことだが我が亭主、高速に入るとどうしても120㎞くらいでかっ飛ばす。
 
道端のカラフルな牛、本物がいっぱいいるのにどうしたことか。
 
 
 
こんなにきれいに咲いている桜の花。やっぱりピンクの花は見栄えがするが、道端でこんなピンクの花は珍しい。
 
 
 
これはブラックソーンと言う小花が満開で、フランスやイギリスの藪がほとんどこの花で覆われる。
 
 
 
こんな具合に咲き誇る。
 
 
 
ほとんどのフランス、イギリスの桜は白が占める。山桜の1種らしい。
 
 
トゥールに100km手前からアンボワーズへ向かう田舎道、新芽の街路樹がとってもきれい。
 
コーヒーブレークや昼食休憩も入れて今日は7時間も走った亭主。高速道路が良かったから全然疲れていないと元気いっぱいの86歳。
 
この夜一泊したのはアンボワーズ宮殿に12㎞手前のロワール河畔のキャンプサイト。フリーのインターネットがあったから、帰国のフェリーの予約を入れた。
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再びポルトガルへーアンボワーズ王城 (Chateau Royal Amboise)

2018-01-25 16:40:44 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

シュノンソー城からアンボワーズ王城まで20km、シュノンソー城の駐車場で昼食を作って食べ、腹ごしらえをしてアンボワーズへ向かった。昨年アンボワーズへ来たときはちょうどイースターだったこともあり、ものすごい人出と車で、駐車場が見つからず、結局二つの橋を通り越して対岸の道路わきからお城の写真を撮っただけだった。

この日は通りも静かで車の渋滞もなく、道端にキャンパーを駐車して、お城へ向かった。

 

通りから見上げるこの城は見ごたえのある素晴らしい景観を持つ。

 

 

まず入城して初めに行きつくのがサン・テュベール礼拝堂。

 

 

小さくて誰もいないこの礼拝堂、カラフルなステンドグラスをよく見れば、敵を殺しているナイトや、十字軍の騎士などが描かれている。

後から読んだこのお城の説明書では、ここにレオナルド・ダ・ヴィンチの墓があるとか、全然気づかずに写真だけ写して出た。

 

 

激しい雨の中、急いでお城の中へ逃げ込む。

 

 

15-16世紀にかけてフランス王がこの城に住み、ルネッサンス時期にはイタリアやオランダからの文化の流入や王国の様々な出来事の舞台となった。

 

  

 

城内に入ってすぐ英語でのガイドが英国人団体を連れて、説明しているのに紛れ込んで、いろいろな説明を聞いた。たとえ王族といえどもこの時代の幼児の生存率は低く、一人の王妃は年子で10人も生み、成長したのは2人だけという。

この城は王子や王女の誕生、洗礼、結婚のみならず陰謀や平和勅令、政治の中心地でもあった。

 

 

 

ルイ11世の息子シャルル8世はこの地で生まれ、王位についてからは自分の生まれ故郷のアンボワーズへ帰って執政した。

 

 

 

 

ロワール川とアマス川が合流するこの地点は戦略的に有利であった。

 

 

この城の庭園がことのほか素晴らしい。

 

 

まるで十和田湖のまりものような植木はきれいに剪定されていて、このような形になっている。

 

立ち木もすべてが丸く、これがフランス庭園なのか?こんな大きな木を計ったように丸く切るのはどうするのだろう。

 

 

 

 

 

 騎兵の塔と呼ばれる階段から塔の傾斜をぐるっと回って降りると出口になる。この塔の壁の両側には面白いガーゴイルのような顔が並んでいて写真を撮りながら降りてきた。

 

 

 

 午後4時ころ、雨も上がり青空が少しづつ見えてきた。昨夜のキャンプサイトで一泊するよりもう一日観光しているだけの余裕があるからブロワ城へ行くことにした。

上の写真のお城はブロワへ行く途中のロワール川ぶちの高台に見られたもので多分Chateau de Chaumont-sur-loire(読み方がわからない。)だと思う。

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再びポルトガルへーセント・ニコラス教会・ブロワ

2018-01-23 20:20:44 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

ブロワから7KM離れたロワール川の南岸にあったキャンプサイトは、川の堆積地に造られたもので、洪水になれば一番最初に流されてしまいそう。最近は雨が多いが、水位は低くまだ心配ない。

夜11時に電気が切られてしまい、いつも12時過ぎに寝る私たちはこの夜に限り早く就寝を余儀なくされた。

翌朝早めにブロワの町の対岸にある無料の駐車場にキャンパーを停めた。ここはキャンプサイトのオーナーが教えてくれたもので、キャンパーを町中へ停めるのは難しい。

 

 

 

対岸はブロワ城やセントニコラス教会の2つの尖塔や旧市街地の巨大な建物が見渡せる。こうしてみる限りではこの町が一番きれいだと思った。多分雨が止んだことも関係しているかもしれない。

 

 

川渕から橋を渡っていく間もたくさんの渡り鳥の群れが東から西に向けて飛んでいく。これがものすごくうるさい鳴き声で、ずーっと鳴きながら飛んでいるのかと気になる。エネルギーのむだじゃないかい?

 

 

ひときわ大きいのがブロワ城。

 

 

まずは橋の上から見える2つの尖塔へ向かう。

 

  

 

セント・ニコラス教会は早朝ほとんど人気もなく、朝日が天井近くの窓から差し込み、多分鳩よけの網に朝日が差し込んで変わった天井模様を作り出している。

 

  

 

教会入り口付近のステンドグラスはこのようなモダンな模様で宗教的なところがなく、最近作られたものかと思う。

 

  

 

奥に入っていくと突然パイプオルガンが鳴り出し、宗教画をモダンに変えたステンドグラスを写しながら音楽に聞きほれていた。

私たちだけのための素晴らしいコンサート、奥のオルガンの前に男性が一人、オルガンを奏でていた。パイプオルガンは教会のために造られたものと思われる。静かな宗教音楽だった。

 

 

 

こんなステンドグラスの絵にもいろいろな物語があるのだろう。

 

 

 

  

 

  

 

 

きれいな色彩とモダンなステンドグラスは、ロワール川近辺の教会やシャトーの中の教会には見られなかったもので、今日の記事はステンドグラスの絵ばっかり。ブロワではここが一番印象に残っている。

 

 

 

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再びポルトガルへーブロア王城( Blois)

2018-01-21 12:36:42 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

ブロワ王城は10世紀から17世紀にかけてフランス最大のゴチック様式、フランボイアン様式、ルネッサンス様式、クラッシック様式と異なる時代に異なる様式の建築物が作られ、20世紀にこれらの建築物が修復された。

 

 

玄関入り口の王家の装飾。

 

 

 

正面入り口からと奥の建物から正面を撮ったもの、四角の中庭に面し4つの異なる建築物が共存している。

 

 

フランソワ1世時に造られた、この回り階段がひときわ目に付く。

 

 

 

フランソワ1世の王家の紋章はこのサラマンダー(イモリ)で至る所に見られる。

 

 

この回り階段を上って2階3階が当時の王の居室や寝室。

 

 

 

この3身分ホールは王城の正面建築の一角で1214年チボー6世によって建設された。このホールはブロワ伯が裁判を行う間として使用された。

 

フランソワ1世の肖像画、彼は騎馬と狩猟を好んだ。彼は狩猟のためにシャンボール城も建設し、完成前に亡くなった。

 

 

 

3階の寝室の装飾は絢爛豪華、床も天井もあらゆる模様と金が使われている。特に素晴らしいのが各部屋で異なる壁紙で、これらは多分絹織物だっただろう。

 

 

 

前日行ったシェノンソー城や、アンボワーズ城より調度品、装飾品などは豪華で数も多く、至る所に展示されている。

 

 

王妃の居室と国王の居室

 

 

歴代の王と王妃の肖像画、このブロワ城は1200年代に生きたルイ9世に始まり、1600年代までの400年間に23人の王族貴族が贅沢三昧の生活を送った。

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再びポルトガルへー帰国の途

2018-01-20 19:25:00 | 再びポルトガルへ2017-2018

 

 

 

 

ブロア王城を出たのは午後1時過ぎ、キャンパーを停めてある川渕の駐車場の周りには、大きなバスが停まっていて、小学生らしい子供たちが、あちこちのベンチやテーブルでお昼を食べている。

私たちもサンドイッチを作って昼食。

 

 

キャンパーの反対側にはバンが停まって、スープとバゲットを配っている。ポールにも上げると言われて慌てて断った。これはどうもホームレスの人たちに対する慈善事業ではないかと思う。それにしては食べている人たちが皆あまり汚れた格好をしていない。

 

 

昼食を終えて、これからルーアンの南のキャンプ場へ向かう。このブロワの町から227km。

橋を渡るとキャンパーは右に折れるが、この町のメインストリートがこんなに急斜面だった。

 

 

菜の花畑が明るく輝いている道を走っていると途中で渋滞にあった。こんな片田舎の道で一体何が起こったのだろうか?交通事故かな?とイライラしていたら・・・・・

 

 

私たちの行く道路を横切って自転車レース。皆サーっと通り過ぎてサポーターの車の列が行ってしまった。その間5分ほど。

 

フランスにも風車があるのだ。

 

 

今夜のキャンプサイトをカーナヴィでセットしたら、道のないところで左に曲がれとの指示、とうとうわからなくなり停車したところで、若いフランス人のおまわりさんに道を尋ねる。3人もいたお巡りさんが誰もほとんど英語ができず、皆で四苦八苦。とうとう一人が彼の携帯で地図を出して説明してくれた。

この場所で何があったか知らないが、たくさんポリスカーが停まっていた。そしてこの真上に素晴らしい古城。名前も知らない場所だった。

 

 

このキャンプサイトはほとんどの人たちがキャラバンやキャンパーを永久駐車して、各自が自分の敷地を持っている。それで開いている敷地は極端に少なく、夏になれば満員だろうと思われる。この夜は数台のキャンパーが停まった。

 

 

翌朝早くにカレーのキャンプ場を目指し、途中でカレーのスーパーマーケットに変更したら、スーパーの方がキャンプサイトより30KMも先にあり、ディーゼルを満タンにしショッピングしてまた30KMも戻ることになった。

次にはこんな無駄はしないでおこう。やっとカーナヴィをうまく使いこなせるようになってきたから。

カレーのキャンプサイトの朝は霧雨が降っていて、まだ夜明け前小鳥の合唱がすざまじい。朝9時50分のフェリーでドーバーへ向かう。時差1時間でドーバー着が10時20分、なんだか得したような気になる。無事我が家についたのは12時ピッタリ。

6ヶ月も我が家を離れていたのに、朝目覚めてみると、この6ヶ月が一夜の夢みたいに思える。

 

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