Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ロンドンの日本祭り

2018-09-30 22:35:05 | ロンドン周辺

 

今日9月30日は10周年記念の日本祭りが開かれた。ロンドンのトラファルガー広場は満杯の人々。

朝は素晴らしい晴天だったのにお昼ごろから曇ってきて今にも雨の降りそうな午後だった。

 

 

 

ナショナルギャラリーの前に平行に並べられたテントは、JALやANAなど飛行機会社や旅行会社で日本勧誘の雑誌やチラシなどを手渡し、片隅は剣道、柔道、空手などを見せている。このマーシャルアートの場所はあつい人垣で、何が行われているのか見るのも不可。

 

 

最近の漫画熱で大きなアートウォールは落書きでしっかり埋まっている。

 

 

 

 

広場はナショナルギャラリーより一段低い大きな広場で左右に噴水のある中央に大きな舞台が作られている。この広場の周りをぐるっと囲んで屋台の食べ物屋と陶器の店や、お土産店などが並んでいる。

 

 

もう12時近く神輿を担いだ一団が現れた。日本の神輿はもっと厳かな雰囲気を持っているが、ここのは何となく嘘くさい。この国は多神教じゃないから、みこしを御神体などと思って担いでいる人もいないだろうから仕方がないか。

 

大勢の人々の中でひときわ目に付いたのがこの素晴らしい着物を着た黒人女性。普通の日本人には着られそうもない高価そうな着物を着こなしている。

 

上の二人は日本人なら絶対に着ないようなお土産店で売っているような金ぴか着物。毎年日本祭りへ行って、着物姿の外人を見ていると足元は着物に運動靴なんて当たり前、この上の女性はブーツを履いている。日本人女性も着物につっかけなんている人もいて、ここではどんなことでも受け入れられる。

 

舞台では伊賀,甲賀の忍者がパフォーマンスをやっていて大好評。

 

巷ではコスプレの若者たちがこれ見よがしにお互い写真を撮りあったり、抱き合ったり。変な世の中になったものだ。

 

 

 

1時から阿波踊りと期待していたのに、NHKのラジオ体操が始まった。ラジオ体操第一では数分で終わってしまい、そのあと〇,✖の日本に関するクイズゲームがあった。

娘夫婦と孫は長い行列の末に買ったお弁当を食べた後、すっかり退屈してしまい、阿波踊りを見る前に帰ってしまった。

 

 

午後2時に始まった阿波踊りは、本場徳島からの盆オドラーを招いて舞台上で実演。

数分後には広場に大きな輪ができて、軽快な三味線の音で皆浮き立ち踊りまくった。私も隣に座ったスペイン人の女性とおしゃべりしだして、一緒に踊ろうと輪に入り踊りまくった。これが目的でやってきたから20分もしないうちに終わってがっかり。

でもこの阿波踊りは皆自由でどんな格好で踊っても不思議じゃないから、参加者がどんどん増え、こんなに多くの人たちが踊っているのを見たことがない。

 

 

 

広場は人々でごった返している。

 

 

阿波踊りの後は沖縄の三味線と太鼓や踊りで、阿波踊りの興奮が冷めてしまい、途中で日本の中古本屋へ欲しい本を買いに行った。

 

 

ソーフォーの中華街を通っていくとここもお祭りでもあるのかこの派手なデコレーション。

日本祭りに負けないほどの人出だ。

本屋にはほしい本は見つからず、あの有名な井上靖の名前さえ見つからなかった。

 

帰りにまたトラファルガー広場を通ると、”通りゃんせ” の歌声と花魁の道行きが行われていて、またしばらく見ていた。

 

 

 

 

続いて行われた着物ショウが素晴らしい。金襴の帯のジャケットを着こんだり、黒の留めそでの着物をドレスにしたり、着物自身も過去の着物では見たことのない絵柄で、モデルが皆外人?(私の方がこの国では外人なのだけど)面白い試みだった。

このイヴェントを計画、実施したロンドンの皆さんよくやった。素晴らしかった。また来年も期待している。

 

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サファリパーク

2018-09-24 10:01:52 | 日記

あと2週間足らずで、私たちはポルトガルへ行く。その間孫の面倒も成長ぶりも見られないので、娘がサファリパークへ行く計画を立てた。

ケントの奥でカンタベリーから近いところにそこはあった。キャンプ熱に燃えている娘はその近くの田舎の農家のキャンプサイトに一泊予約し、私たちはキャンパーで出かけた。

金曜日の朝に準備してお昼12時前にはキャンプ場に着いた。私たちが先に出発したのに、テントと寝具を積んで後から出た娘の方がもう着いていた。

 

キャンプ場から車で20分ほど、今まで名前も知らなかったサファリパークへ着いた。

 

広大な山の斜面に虎やライオン、オオカミの檻があり、広い野原には比較的おとなしい動物が放し飼いになっている。山の斜面を登ったり下りたりしての見物は上のトラック?バス?だったが、道が悪くあまりがたがた走るので、写真を撮るのが大変だった。

 

 

 

立派な角を持った牝雄のサイは放し飼い。中国人に角をとって行かれないようセキュリティを厳重にしているだろうね。

 

12頭の子供達と日向ぼっこをしているお母さん、(名前がわからない)

 

 

山の急斜面を上っていくと遠くにドーバー海峡が見えてくる。

 

キリンの親子は小屋に入っていたが、ここには10数頭のキリンがいるそうな。

 

実際あちこちの藪でたくさんのキリンを見かけた。今はまだ温かくてキリンも自由に歩き回っているが,厳寒の冬に多くのキリンを収容するのは大変だろうな。

 

 

このようなアフリカ産の動物たちは越冬が一番問題になるだろうに、この寒い英国の冬をどうやって生きていくのだろう。

 

上の野生の猫はあたりの景色と同化して動かないと分からない。説明書ではアジア系の猫らしい。

 

たった4頭だけのミアキャッツ、壁にもたれて日向ぼっこをしている姿がかわいい。

トラクターバスを降りて、道は緩い上りになる。ここにはジェラシックパークがあり、どうせ数頭の模型がと思って行ったら、ある事あること。

 

 

 

 

 

 

巨大な恐竜から小さな変わったのまで一体何頭あったのか判らない。それにしても古代にこれほど恐竜が生きて地球を歩き回っていたなんて。

 

ここにあるのはすべて実物大だから、高い木の上に頭が見えてびっくりした。

 

大きな恐竜は動かなくても怖いのか3歳の孫は急いで通り過ぎるが、この恐竜の頭だけは大喜び。

 

 

 

 

 

ジェラシックパークの後には大きな猿の小屋があり、あらゆる種類の猿がいた。どれも網で囲われた広大な遊び場を作ってあり、ここの猿たち、食料の心配もせずにラッキーかも。

でもこの上の猿あまり幸せそうな顔をしていない。

 

 

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ラストナイト・プロムス

2018-09-09 21:49:01 | ロンドン周辺

 

昨日9月8日の夜で今年のプロムスは終わってしまった。

これからは長い冬が待って居る。プロムスというのはロンドンのアルバート・ホールで行われるクラッシックミュージックの祭典でもう100年以上にわたって続いている。

最近はクラッシックミュージックだけでなく、アフリカの音楽や、ブロードウェーのミュージカル・ハンガリーのジプシーミュージックなど, 次々と手を変え品を変えで楽しませてくれる。このプロムスは英国の夏の音楽祭で毎年7月から9月はじめまでの8週間にわたり毎日演奏され、世界中の音楽家はこのプロムスで一躍有名になったりする。そしてBBCでは1週間に1-3回くらいはテレビやラジオで公開している。

このラストナイトというように、その年の最後のプロムスでは、アルバートホールだけでなく、その向かいのハイドパークの中の野外音楽堂とウエールズ、スコットランド、北アイルランドでも野外音楽祭が行われ、テレビ中継も連結して夏の終焉を感じさせてくれる。

夏の終焉と言っても英国では8月半ばから夜間は寒くなり、昨日の夜など雨が降らなくても寒さが身にしみるようになった。だから地方やハイドパークの野外音楽祭に出席する人たちは全くの冬装束で自国の国旗を持って行って大いに気勢を上げている。

 

 

 

アルバートホールでこのラストナイトを楽しめるのは8週間のうちに何度も通った人たちだそうで、当日だけ行ってみるにはチケットが手に入らないといわれる。

ハイドパークで寒さに震えながらというほどの勇気も熱意もない私は、一度も行ったことがなく、毎年テレビで見て録画して日本へ送っている。

ここに載せている写真はテレビの画面をカメラで写したものでこれって違法だろうか?

 

 

アルバートホールの演奏団の真ん前は立ち席で、旗を持った人たちがびっしり立って数時間も楽しんでいる。大変な体力忍耐力を強いられる。

 

 

毎年の立ち席で英国国旗やウエールズの国旗が振られる中に、必ず日の丸もいくつか見えて熱心な日本人がいるのだなーと思っているが、今年は日の丸は1度だけ見えた。

 

 

そしてとくに多かったのがEU の旗でブルーの地に金色の星が円を描いているもの、それに星がぐるっと一回りしたブルーのベレー帽をがぶっている人たちが多かった。EU 離脱に抗議する人たちに違いない。

 

 

このラストナイトプロムスには休憩をはさんでの第1部は完全なクラッシックミュージックでこの日もカナダ人のオペラ歌手、バリトンのジェラルド・フィンレイが出て歌っていたが、第2部になるとまるでお祭り騒ぎ。

 

威風堂々になると国旗が高く上がり大合唱になるから、カナダ人のジェラルド君も英国国旗にカナダの国旗も見せて歌っていた。

 

恒例のジョルーサレムに続き国歌を歌って、最後はホタルノヒカリで終わる。

ホタルノヒカリはスコットランドのロバート・バーンズの作曲したもので、もちろん本物の蛍など英国では見たくても見られない。明治時代に日本政府が西洋音楽普及のために取り入れたもので、オリジナルはオールドラングザインという。英国では年末,年の変わり目に皆で手を取り合って歌われる。

会場皆が腕を組み一丸となって大合唱して今年も終わった。

最後に国旗を振り国歌を歌い、会場だけでなく連結した地方の野外音楽堂でも何万人、何十万人の人たちが歌っている。いつもこれを見て羨ましく思う。日本人が国旗を振り誇りを持って国歌を歌えば右翼と思われるのだろう。ただ単純に自国の国旗を誇りに思い、誇りを込めて国歌を歌いたいものだ。ここ英国に住んで46年、また生まれ変わってたとしても日本人でありたい、そして住むなら英国で生活したい。

 

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最近の私の作品

2018-09-09 17:21:17 | 独り言

今年の春に裏庭にきれいに咲いたケシもたくさんの種になって終わってしまった。

種を多くの友達が欲しがりあちこちに分け与えたが、10月にポルトガルへの出発前にはまた蒔いていかねばならぬ。

ケシの種はしっかりした茎の上に丸いサヤができその中に灰色の種がぎっしり詰まっている。種を取った後のサヤを乾燥させたもので、何か作れないかと考えていた。

色とりどりのアクリルペイントをぬって乾燥させるとかわいい花になる。たくさん作って飾っていたら、隣の女の子2人が遊びに来てその花をもって遊びたがり、全部上げてしまった。

 

 

それで考えたのがそれぞれのサヤに肌色のアクリルペイントを塗り女性の顔を書いて並べたもの。皆が楽譜を持っているように小さな紙を手前に貼った。

今春従姉が活躍している飯能の合唱団のDVDを送ってくれ、大変感激したのでタイトルも飯能合唱団。孫に触られないよう手の届かないところに飾ってある。

 

今春ロンドンに住む日本人の友達からもう着ないという着物2枚と帯をもらった。

この地に住んでいると着物を着る機会がほとんどなく、若い時に造った着物はどうしても着られない。おまけに娘は手足も英国人並みに大きくなってなおさら着れない。

きれいな帯を柄のところだけ2枚に切ってベッドの後ろの壁飾りにした。亭主は全然興味を示さずただ2枚の布が下がっているだけという。

昨年友達からもらった浴衣の生地があまり派手で使えず置いてあったのを思い出しこれらを真ん中に下げてやっと満足した。

 

 

帯の残り生地で作ったバックは一体何に使ったものかと思案していたら、今まで私の作ったものに一切興味のなかった娘が、学校の教材を入れて持っていくのに欲しいという。

 

 

上2枚のジャケットは裏無しだから、型紙起こしから完成まで一日で出来た。赤い方は一重の着物をもらったのをほどいてあったので、これも裏無しで一日で完成した作品。

日本でではこんな赤い服は年寄りには着られないのだろうか?

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