Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

渡り鳥の旅 キャンプサイトの日々

2013-02-27 22:17:13 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013




先週は平均すると曇りとにわか雨の日が多かった。最後の極め付きが金曜日の夜でポルトガルの3回の冬で初めて雷にあった。それも夜中の2時頃、激しいにわか雨に大粒のあられが混じってキャンパーの屋根にバンバン落ちてくる。とってもうるさくて眠られるものじゃない。
10分もしないうちに稲光と同時に轟音が響き思わずとび上がった。キャンパーがぶるぶる震えるほどの音だった。キャンパーの真横のウオータータワーの避雷針に落ちたに違いない。
翌朝は青空だったが近所の人達が会うたびにどんなに怖かったかの話でもちきり。

 

一番近いトイレ・シャワーブロックの女性用入り口にツバメが巣を作った。ツバメを見かけるようになったのは1月中ごろからでプールの側で毎朝縄跳びをしていると、ツバメが何羽もプールの水面すれすれに飛ぶ。良く見ていると高速で飛ぶ間に嘴を水に付けて水を飲んでいるらしい。
先週トイレに掃除に来る人がツバメの巣を取り除いてしまった。確かにあちこち糞が落ちて汚いし気持ちが悪い。無くなった巣の後にも毎夜ツバメの夫婦が戻ってきて、夜を過ごす。この写真を撮るのにフラシュを付けたせいで驚いたツバメはトイレの天井をとびまわり、なかなか落着かなかった。
翌夕ただ一羽のツバメがぽつんと停まっていて、連れはどうしたものだろう?他に恋人を見つけたのかしらなどと心配していた。亭主に言ったらお前がフラシュを付けたから怖がって帰ってこないのだと怒っている。
夜中に最後のトイレに行く時もただ一羽のツバメが哀れでならない。ごめんね。しょんぼり・・・。

今夕また2羽が仲良く向かい合って停まっているのを見つけて安心した。




2月25日は満月だった。毎夕空が晴れ渡り夕日が西空を染める頃、東の地平線から巨大な月が上がってきて毎夜満月になるまで写真を撮っていた。夜中、天中にあるときは素晴らしく明るく辺りが見渡せる。
またこの2週間ほど毎夜近くでふくろうが鳴き交わす。一度だけ夜中の12時頃大きな白っぽい鳥が2羽松林の中を飛んでいったのを亭主が目撃した。人の話に拠ればここポルトガルのふくろうは世界で一番大きな種類だと言う。





今まで5組の夫婦が居た私たちのブロックも2週間前に3組が帰国したりスペインへ行ったりで、残ったミッシェル夫妻がもっと日当りの良いところに引越し私たちだけになってしまった。そこへ英国ヨークシャーから小さなキャンパーでやってきたキャロルとロジャー夫婦、歩行困難で車イスで移動するロジャーのためキャロルはキャンパーの運転から家事全部をこなし、キャンパーの中に車椅子から小型洗濯機まで積んでいる。ミシンまで持ってきていて昨日作ったカーテンだなどと見せてくれた。
ロジャーは真っ白のもじゃもじゃのひげが顔半分を覆っていて、おまけにほとんどいつもチロルハットをかぶっているから、顔立ちが覚えられない。キャロルは初め見たとき相当のおばあさんに見えたが近くで話して見ると私と同じくらいの年らしい。とにかく陽気でタフな女性だ。
ヨークシャーの農家の主婦で日本人と話すのは私が初めてだと言っている。ブロンテ姉妹の住んでいたハワースを訪れる日本人団体は嫌と言うほど見ているけど・・・だって。

 

 

野の花もバミューダー・バタカップは盛りを過ぎ、この紫色の花や黄色や白のマーガレットのような花が道端を染める。ミモザも日々につぼみが開き道端の大木が金色に染まりつつある。
毎夕、夕日に染まった白鷺の写真を撮ろうと狙っていたがやっと一枚うまく撮れた。本当はもっと真っ赤に見えるのだけど・・・。まっ いいか。

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渡り鳥の旅 ポルトガルの昨今

2013-02-17 18:34:30 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013

新年のポルトガル英字新聞に拠れば、今年はポルトガルの祭日を4日も減らすという。
それほどこの国の経済は悪化しているらしい。また国民の4分の1が海外に職を求めて移住したという。ポルトガル語が通じる国といえばブラジルが一番で其の他はヨーロッパの北部へ移住しているとのことだ。

英国からの定年退職者による海外移住の一番はマルタ島でここは英語が通じるから。第二がポルトガルで英字新聞に拠れば海外定住の決めては日光照射量、気温、降雨量、家屋の値段、車の燃料費、殺人などの犯罪率、医療設備とその費用、生活費などの総合で、住居の値段はフランスの3分の1だとのこと。
またポルトガルはヨーロッパ3番目に大きな英国コミュニティがあるそうで、だからこの一週間に一度の無料の英字新聞が発行されている。

そのほかに10位まで数え上げられるのが、スペイン、バーベドス、USA、オーストラリア、タイ、ジャマイカ、モロッコ、ギリシャが占める。


 


 


 


昨年1月に今まで無料だったIP1(ポルトガル西海岸からスペイン国境までの高速道路)が有料になったため、海岸と平行に走る県道125が一日3000台の車の量が増えているという。そして道路の保守工事に必要な予算も切り詰められているためか、道路の破損が大きく,昨年11月にポルトガル入国した際、あまりにひどい道路状態に驚いたものだ。

それでも電車やバスなどの公共料金は英国とは比べ物にならないくらい安い。電車のほうがずっと安くたとえばオルニャオからファーロ(Faro)までの片道料金は1.4ユーロ、ファーロ市内バスは一律1.9ユーロで電車と比べ物にならない。
先日のタヴィラ(Tavira)までの電車料金も片道2.3ユーロだったのにその3分の一にもならない距離のフゼタ(Fuzeta)までのバス料金が2.2ユーロだった。


 

食料特にこの地で取れる野菜と、豚肉、魚、そしてオレンジは感激するほど安く、毎週土曜日のマーケットの日が待ち遠しい。魚市場は新鮮な魚があふれていていつも買いすぎる。
先週土曜日の魚市場で大きな縞ダイ(パジャマ・フィシュ)が1kg1ユーロだった。もちろん刺身にして一人楽しんだ。
カレイが1kg4ユーロだったから1kg買って、生干しカレイにした。これが嬉しくてたまらない。

  

昨年2月はポルトガルでも深刻な水不足だったとのニュースだが確かに昨年2月から3月まで私たちが居る間雨が降らなかった。それと比べると今年は天気が悪く2週間晴天が続いたがこの二日間お湿り程度の雨が降って気温が下がる。
昨年今頃は満開だったミモザがやっと咲き始めた。3月に入るとあたり一面黄金色に染められるだろう。色とりどりの野の花が一面に咲き始めた。ポルトガルのルピナス(登り藤)は北欧のそれと比べると背も低く細い。まるで北欧人と南欧人の背丈の違いみたい。

毎夕5時過ぎから日暮れの7時頃まで、白鷺が列を作ってねぐらへ帰ってゆく。夕日の赤が反射して赤く染まって飛んでゆく。この写真を撮るのに2時間もプールサイドでカメラを構えて粘った。飛んでるものも明かりが乏しいと写真写りが難しいのがよく判った。




アイルランド人のピーターからのメールで彼らの友達ドイツ人夫妻が小型キャンパーでこのオルニャオのサイトへ来ているという。キャビンに住むドイツ人、ウオルフギャングとブリジッドの二人に確認して、皆お互いに知り合いだということが判った。
ドイツ人の旦那が 狭い世界だねぇ。といったのが妙に心に残っている。

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渡り鳥の旅 お別れパーティ

2013-02-15 12:27:01 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013




2月10日日曜日にダンカン夫妻がスペインへ旅だった。
その一週間前のウイークエンドに彼らはリスボンへコンサート目的の2泊3日の電車の旅をして、120ccのお酒とジャスミンティーをお土産に買ってきてくれた。


 


8日金曜日にダンカン夫妻のみならず、ディヴ夫妻、ヤン夫妻の合同お別れパーティーの招待を受け、私も何か持ってゆこうと水曜日に魚市場で鯖を3匹買って3枚におろし塩漬け1夜、翌日は2杯酢でしめてしめ鯖を作り、バットに並べてその上から寿司ご飯を載せて押し寿司にした。鯖の嫌いな人のためにとスモークサーモンも押し寿司にして提供したから皆からとっても喜ばれた。


 


ダンカンがリスボンで買ってきたキーボードに、ベルギー人のミッシェルがコンピュータに接続して、カラオケ音楽や、ダンス音楽を流し、歌えや踊れの大騒ぎ。
ポルトガル・ウオータードックのアーカスも自分は人間と思っているから一緒になって楽しんでいる。


 

今までの5組の夫婦ばかりでなく周囲に住む英国人夫婦が5組にオランダ人ヤンの友達が数組やってきて盛大なパーティになった。まだ日の高い午後4時からディヴ夫妻のキャラバンの周囲で始まったパーティは、日暮れとともに急に寒さが厳しくなり、キャラバンに付随したテントの中に持ち越された。


 

スコットランド人のダンカンは酔って来ると、お国自慢が飛び出し腰にはコートを巻きつけてキルトとし、折りたたみのイスを肩にのせてバッグパイプの代わりとして行進する。満場大喝采で大笑いをした。

9時過ぎには私も亭主もすっかり酔っ払ってしまい早々に退場、やれやれこれでパーティーはもう無いだろう。

日曜日朝にダンカン夫妻はスペインへ行き、3月に英国へ帰国すると言う。月曜日はディヴ夫妻が早朝にフランスへと旅立った。彼らはフランスのブリタニーにもキャラバンを置いてあり、4月までそこで暮らしイギリスへは季節のよい時期だけ2-3ヶ月住むという。

水曜日朝ヤン夫妻がポルトガル西海岸で友達と合流して3月末オランダへ帰ってゆく。

また今年10月ごろに再会を約束して皆去っていった。残ったのはミッシェル夫妻と私たちだけ。なんだか寂しくなったけど、また新しい出会いがある。今のところは彼らの去った跡地に誰も落着かないけれど、どんな人達がやってくるだろうかと楽しみでもある。

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渡り鳥の旅 タヴィラ訪問(Tavira)

2013-02-11 23:39:42 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013

タヴィラはスペインからオルニャオのキャンプサイトへ向かう途中、ギラウ河の深い谷間にかかる橋を渡るが、その時眼下に広がる白い家屋の密集した町がそれで、先日ダンカン夫妻と話していたとき、タヴィラはこのアルガーヴ地方で一番きれいな町だと聞いた。

 

魔法瓶に入れた熱いコーヒーをリュックに2時間に1本の電車で出かけた。ポルトガルのコーヒーは小さなおままごとのようなカップに入った飛び上がるほど苦いものでミルクコーヒーをたしなむ私たちにはとても飲めるものじゃない。
タヴィラの駅に降り立った瞬間に一番目に付くのがこの純白のアイリスで、駅構内の小さな庭に咲き誇っている。イギリスでアイリスが咲くのも5-6月でポルトガルがどんなにか暖かいのがよく判る。

 

駅から4方に分かれた道路の標識を見て、町の中心地へ歩いてゆく。道路は下り坂が延びていて石畳の車道と狭い歩道がどこにもごみ一つ落ちていない。落書き一つ無く半壊した家屋などもあるのに汚れが無く清潔な町だった。
ギラウ河のほとりが広場になっていて観光案内所があり、広場の周囲のレストランでは休憩している観光客が余りに多いのに驚いた。


 

ギラウ河には見えるだけでも6つの橋が架かっている。左写真の一番遠くに見えるのが県道N125の橋でこの橋は一体何回往復したものだろうか。その手前が鉄橋でポルトガル、スペインの国境までつらなっている。
この町の一番の観光売り物といえば4番目にかかるローマ橋でさすが石造りのどっしりしたもの。この町はローマ時代からアフリカへの港町として栄えた歴史ある町だそうだ。

 

観光案内所の後ろから高台に上る狭い階段を登ると先ず目に付くのがセント・メアリー教会で、案内書に寄ればこの地にはムーア人によるモスクが建っていた。キリスト教との戦いに敗れた回教徒がアフリカに逃れた後、17世紀に建立されたものという。
城砦はムーア人の残したもので内部は花の咲く木が多い庭園になっている。

 


 


城砦の上から見渡すタヴィラの町は只素晴らしいの一言に尽きる。町のあちこちに書かれたサインはポルトガル語で清潔な町とのことで、本当にこれくらいオルニャオも落書きとごみや犬の糞が無ければいいのにとうらやましくなった。


 

右上はローマ橋から下流を見たもので、この日4つの歩ける橋を全部渡って町中を歩き回った。

 


昔の中央市場はレストランとお土産店に変わり、市場(Marcado)は町外れに移っている。ここタヴィラの町も海岸線はすべて塩田になっている。


 

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渡り鳥の旅 フゼタ散策

2013-02-11 16:45:13 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013

フゼタはオルニャオからスペイン方面に向かった隣町で、昨年までは歩いて往復したものだけれど、年とともに往復はつらいから片道バスでと話が決まり、晴天のこの日二人で出かけた。バス停で待つこと35分、フゼタの町へ入る県道のバス停までは15分ほどで着いた。
このバス停からフゼタ駅のある町の中心までは2-3kmほど、田舎道を歩く。牛馬の牧場では野の花が咲き乱れ、道端の草さえ春の光にきらめいている。

 

田舎の豪邸は塀に囲まれ必ず番犬が2-3頭、私たちが通り過ぎるまでほえまくっている。この地方独特の煙突が面白い。


 


町に入ると新しいテラスド・ハウス(西洋長屋)が青空の下真っ白に輝く。何時見てもこのあたりは素晴らしい。道端には野生のけしの花が風に揺れる。英国やヨーロッパ北部でけしの花が咲き出すのは5月か6月で、ヨーロッパでは気温差があまりに大きい。


 


ため息が出るほど立派な豪邸もあれば町外れにはジプシーの住む小屋も有るのがポルトガルの現状、町の市場にはイチゴが出回っているがここで初めて温室育てでないイチゴが実っているのを見かけた。


 


 

フゼタ駅はちいさな一車線の駅で、ウイークデイでも一時間に一本通るくらい。この火曜日の日中、人通りも無く静かな町の中心地だ。駅近くの住宅の庭にはびわの青い実がびっしりついている。その隣はレモンがたわわに実っている。
庭も無い一階建ての官製住宅は屋根が庭であり洗濯物が翻っている。夏の暑さを和らげるために、このあたりの住宅は窓が小さい。





 


フゼタの町外れから海岸よりの湿地帯はあさりが採れるが潮の満ち干が激しい。6kmほど塩田脇の道は海水が引き入れられて今は農閑期、見えるのは海鳥やフラミンゴなど。


 


どこもかしこも野の花やアーモンドの花盛り、このガーベラのような花はキャンプサイトの黄色の花と同種だけれど赤の色が素晴らしい。


 


キャンプサイトへ戻ってみるとブロックの同じ並びにこの派手派手なキャンパーが停車していた。スイスのキャンパーで何と8人のヒッピーらしい若者や子供が住んでいる。オランダ人のヘリーンが聞いたところでは、彼らはインドまでこのキャンパーで回ってきたらしい。それにしても生活費やガソリン代などどうしているのだろうかと思ってしまう。

風あたりの少ない日向では、いつものオランダ人たちが集っておしゃべり、ワイン片手に楽しんでいる。陽気な人種だ。

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