今日 Japan Foundation主催の日本映画を英国人に紹介するためのズームで、日本の若手映画監督外山文治氏のトークと質問があった。
彼の作った 燦燦(さんさん)と言う映画のホンのさわりの部分で、高齢者たちが楽しく踊っているシーンがあった。高齢者の婚活だという。
これを見ていたらEさんのことを思い出した。
1981年私たちが買った家のお隣にはEさんとBさん夫婦が住んでいた。Eさんはこの年長年勤めたカウンセルの仕事から退職し、ゆうゆう自適の生活。彼らには一人息子がいるが、息子は鉱石学を大学で学び、南アフリカで仕事に就いた。当地で結婚して孫も2人いるが、遠く離れてはそんなに頻繁に会えない。
当時はスカイプやコンピューターなどもなく国際電話は高かった。
Eさんは多趣味で昔から息子とボートを作ったり、置時計や柱時計などを手作りしたりしていた。そして彼の一番の楽しみガーデニング。庭はそれほど大きくはなかったけれど、大小の花鉢で足の踏み場もないほどだった。
そして多分退職前から奥さんのBさんと二人でグリニッチのダンスホールへ通っていた。彼が80歳になる前に私たちは引っ越しして今現在の家に居たため、彼の80歳の誕生パーティには出席できなかったが、Bさんと二人で踊っている大きな写真を送ってくれた。スマートでとっても素敵なカップル。80歳と思えないほど若々しいカップルだった。
それから数年後、私たちが旅行から帰ってきて彼の家に電話すると孫が返事して、E さんはいないという。そして数日前のローカル紙を見てほしいと言った。
BさんはEさんより2歳年下、80歳ころから老人性痴呆になりEさんが一人で彼女の面倒を見ていたそうだ。ところが彼女はしばしば激しい腹痛を訴え、そのたびに救急車で病院へ運ばれていた。この夜も病院で調べても何もわからず、救急病室で眠っているBさんをビニール袋をかぶせて殺してしまった・・・・。昔から二人一緒に死のうと話していたからとEさんは言ったそうな。 EさんはBさんが亡くなったのを見届けてすぐそのビニール袋をもって自宅に帰り、親しい友達に死の予告をして、ビニール袋をかぶった。
友達が警察にすぐ連絡して、駆け付けた警官により死を免れたEさんは、その夜警察の留置所に送り込まれた。その留置所にはドラッグとアルコール中毒の黒人ばかりがたくさん入っていて、あんなに怖かったことはないと話してくれた。
一応殺人事件だから英国第一のオールドベイリー(最高裁判所)で裁判があった。私たち夫婦も1回だけオールドベイリーへ裁判を見に行った。
裁判所もEさんが86歳にもなって奥さんを殺しても世間には凶悪犯人ではないから入牢するわけにいかず、このベッケンナムにある巨大な精神病院へ入れることにした。
その間南アフリカから息子夫婦や孫も訪れ、Eさんの家を片付けて売ることにした。息子さんは何度も南アフリカを往復していた。
私達の家から車で20分くらいの精神病院へは何度もお見舞いに行った。別に彼が狂っているわけでもないが、自殺の懸念があるからと言う理由だった。
Eさんは3-4年の看護生活から自由になり、病院でも自由はないが楽しそうだった。一年を精神病院で過ごして退院し、有料の老人ホームのような施設で生活するようになった。息子夫婦は南アフリカへきて一緒に生活をと頼んだけれど、彼は2か月くらい息子の家族と過ごしてみたけれど、やっぱり英国がいいと帰ってきた。
この有料の老人ホームは、全く自由で、毎週Eさんは以前行っていたダンスホールへ通うことになった。どこの国でも女性のほうが長生きする。Eさんの行っているダンスホールも昔から知っている友達が多くそれも彼よりも若い女性が多い。91歳まで毎週ダンスに通い、男性が少ないから彼は壁の花になるチャンスがなかったそうな。彼より若い女性と言ってもほどんどが80台。
91歳の彼は一人でショッピングに行って、町のカフェーで昼食を食べるのが楽しみだと言っていた。ある日街中の有名な衣料店でショッピングしている途中に心臓まひで倒れ亡くなった。
なんとドラマチックな人生だっただろう。幸せな人生だっただろうか?