火葬と葬儀に参列してきました。
火葬の時は息子も一緒に行ってくれて、待っている間も、最後のお別れも体が震えて立っているのがやっとの思いでした。
自分が仲良くしていた人が、棺桶の中にいる
笑った顔が写真になっている
顔を見ていると嬉しくて、ホッとするのに、その彼女と、もう話ができないと思うと「なんで、どうして、早すぎるよ」って、頭の中をグルグル言葉が駆け巡る
ご主人や、息子さんや、年老いた実のお母さんのことよりも、自分の気持ちだけでいっぱいいっぱいで、
いつも言うようなご愁傷さまですなんて、他人事みたいな気持ちになんてなれなかった
それでも、火葬の後の骨を拾うなんて場には私はいていけないんだろうなと、世間一般では、ごくごく身近な人だけだって言われると
私は身近と思っても、親戚の人からすると私はだれってことになるから、息子と一緒に帰ってきました
そして、翌日は一人で葬儀に参列
火葬の時もまるで同窓会状態で同級生がいっぱいいたようですが、葬儀も同様、同級生が受け付けから、司会からすべて手伝っていました
もちろん、同級生夫婦だったから、お祭りでも、しっかり夫婦で参加して存在感はある二人だったから当然といえば当然
でも、始まるまでの会話は、自分たちの近況を伝えあったり、時には笑っているみたいな明るい声で話をしたり
私は座ったその時から、悲しくて悲しくて、思い出しては泣き、たくさんの人が来てくれているよと、心の中で会話していました
でも、それも葬儀が始まると、住職のお経の声が小さいな、とか、御詠歌がメインなのか、えっお坊さんが3人いるのとか
しまいには、弔辞って、涙を誘うもので、私は頼まれなかったけど、本当は言いたいくらいも思い出たくさんあったのにって思っていたから
ものすごく気になっていたのに、幼馴染の人から始まり、同級生が二人だったかな、とにかく声がちいさくて、何を言ってるのか、ほとんど聞き取れず
マイク調節してあげればよかった野にとか、まったく違うことが気になってしまって、涙どころではなくなっていました
それでも、最後のご主人の喪主あいさつで、ご家族がどんなふうに彼女を見守ってきたのかが少しわかったような気がして、もしかしたら、急死もずっと覚悟していたのかなって
そんな気持ちを抱えながら、この闘病生活を支えてきたんだなって思ったら、やっぱり、これからは自由にお酒も飲めるし、運動もできるし体も楽になるから
天国に行って、好きなように過ごしてねっておもえたけど、それでもやっぱり、この世でまだまだ話がしたかったなって
帰りに、ご家族が並んで、あいさつに出ていたところに、私がその前を通り過ぎるとき、ご主人に会釈したら、手を出してきて、握手をして少しびっくりしました
でも、少し、特別な友達だって思っていてくれたんだと思ったら、少し気持ちが楽になり、娘が葬儀に参列できなかったから、来た時にお墓参りに行きますからって声をかけ
泣きじゃくりながら、お寺をあとにしました
もう少し、時間が欲しいかも・・・普通の生活に戻るにはね