昨年の東日本大震災のあと、
なかなか現地に行くことができなかったのですが
昨日、息子夫婦と孫を連れ行ってきました。
陸前高田は子供が小さい時に、
私が一人でも連れていける海水浴場だったので
とても思いで深いところでした。
テレビでは見てはいたのですが、
どこか認めたくない気持ちもあり
日常の忙しさに紛れて、現実を見ようととしていなかったのです。
我が家から海へ出る道は、とても立派につくられ
道路は広く
見違えるようになってはいたのですが
いよいよ陸前高田の町に近づくにつれ
えっ、なんか違う・・・・
うそ・・・・・
ホントに何にも無くなっている・・・
転々と建っている高い建物は、窓ガラスが全部壊れていたり
こんな高さまで津波が来たら
ここにいた人たちは、一体どこに逃げたんだろうって・・・
車を停めて、気持ちが高ぶり、
涙を止めることはできませんでした。
それでも、プレハブでいろいろ営業を始めていて
スーパーだったり、雑貨屋さんだったり
お昼をどこかで食べようと、探しながら
海沿いの道路は、ややもすると海より低く感じ
土嚢は2段くらい重なっていましたが
それも道路の一部分でしかなく
今後、台風などで高波などあったら
この道路は冠水して通れなくなるんだろうなーって思いながら
1件のラーメン屋さんに入って
お昼を食べ、帰りに、頑張ってくださいと声をかけようかとも思ったのですが
十分頑張っている人たちに、改めて頑張ってでもないよなーって
だから、「ご馳走様でした」とだけ声をかけ
心の中で頑張ってくださいと思いながら、お店を後にしました。
私たち以外にも、多くの方が、車やバイクを止め
陸前高田の現状を写真に撮っていました。
ガレキの山はそのままで、ガレキの上に草が生えていました。
これでは、いつになったら、街の姿になるんだろうって
この片付かないガレキを毎日見ながら、
この町の方たちは「負けない」って心で強く思いながら暮らしているのだろうか・・・
いろんなことを思いめぐらしながら、帰宅の途につきました。
今度は、また、別の復興を頑張っている街を
次々と、この目に焼き付けて行かなくてはいけないなーっと思いました。
今の私には、こんなことしかできないんだなって・・・
なかなか現地に行くことができなかったのですが
昨日、息子夫婦と孫を連れ行ってきました。
陸前高田は子供が小さい時に、
私が一人でも連れていける海水浴場だったので
とても思いで深いところでした。
テレビでは見てはいたのですが、
どこか認めたくない気持ちもあり
日常の忙しさに紛れて、現実を見ようととしていなかったのです。
我が家から海へ出る道は、とても立派につくられ
道路は広く
見違えるようになってはいたのですが
いよいよ陸前高田の町に近づくにつれ
えっ、なんか違う・・・・
うそ・・・・・
ホントに何にも無くなっている・・・
転々と建っている高い建物は、窓ガラスが全部壊れていたり
こんな高さまで津波が来たら
ここにいた人たちは、一体どこに逃げたんだろうって・・・
車を停めて、気持ちが高ぶり、
涙を止めることはできませんでした。
それでも、プレハブでいろいろ営業を始めていて
スーパーだったり、雑貨屋さんだったり
お昼をどこかで食べようと、探しながら
海沿いの道路は、ややもすると海より低く感じ
土嚢は2段くらい重なっていましたが
それも道路の一部分でしかなく
今後、台風などで高波などあったら
この道路は冠水して通れなくなるんだろうなーって思いながら
1件のラーメン屋さんに入って
お昼を食べ、帰りに、頑張ってくださいと声をかけようかとも思ったのですが
十分頑張っている人たちに、改めて頑張ってでもないよなーって
だから、「ご馳走様でした」とだけ声をかけ
心の中で頑張ってくださいと思いながら、お店を後にしました。
私たち以外にも、多くの方が、車やバイクを止め
陸前高田の現状を写真に撮っていました。
ガレキの山はそのままで、ガレキの上に草が生えていました。
これでは、いつになったら、街の姿になるんだろうって
この片付かないガレキを毎日見ながら、
この町の方たちは「負けない」って心で強く思いながら暮らしているのだろうか・・・
いろんなことを思いめぐらしながら、帰宅の途につきました。
今度は、また、別の復興を頑張っている街を
次々と、この目に焼き付けて行かなくてはいけないなーっと思いました。
今の私には、こんなことしかできないんだなって・・・
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