昨日の記事に若干の補足を加えると、鳩山総理が野党時代に「議員秘書の金銭処理不始末は議員の責任、議員職辞すべし」という意味のことを言ったのに、自分の秘書が起訴されるとなると「知らなかったことで、私腹を肥やすためじゃないから」と辞職を否定したのは手前勝手だ、(当節流行りの)ブレだ、怪しからんみたいな話になっていますが、これに関しては鳩山さんを責めるにはあたらないと思いますね。
だって、野党ならどうとも言えるもの。実際、政権交代だ交代だ、政権寄越せと大騒ぎして、めでたく政権政党になって、しかも総理になって、目の前に予算だ税調だ控えてるときに「秘書が金銭処理しくじりました辞めます」じゃ、そのほうがよほど無責任この上ない。同じバッジつけた国会議員でも、ヒラと大臣、野党と政権与党とでは、見えている風景が、同じ山の頂上から、南を見てるのと北を見てるのぐらい違うと思うのです。
たとえば壁に穴があって、そこから一本の綱がぶら下がっている。握って同じ方向に、同じ力で引っ張ったとしても、野党議員が引っ張ったのと政権政党の大臣が引っ張ったのでは、鳴る音が違う。野党なら鈴が鳴る程度でしょうが、政権政党なら銃砲隊の一斉砲射ぐらい轟く。
鳩山さんは、今般の件について本当に自分があずかり知らず自ら咎めるところが皆無の自信があるなら、野党時代の発言を逆手に取られる言われはありません。気にしないでしっかり、いま目の前の総理の仕事に専念すべし。マスコミがどう言おうが書こうが、見る国民はちゃんと見ています。辞めるならいつでもできる(“潮時”ってのはある)けど、優先してやってもらわなければならないことが山とあるのですから。
さて、この週末にクリス…じゃなくてクライマックスを迎えた『Xmasの奇蹟』、サウンドトラックCDの買い時かなと思いCD店に寄って見たところ、未入荷。先月18日リリースですから、売り切れたかな。
旧盤売場のほうに足を向けると、邦画サウンドトラックの棚で同じコーニッシュさんの『花衣夢衣』のサントラを見つけました。昨年4~6月のドラマ放送時は、ドラマそのものがいまいち、いま二、いま三ぐらいの出来だったこともあって、音楽も「和風喫茶のBGMみたい」と思えてしまい、購入までする気にはなれなかったのですが、先般、各曲45秒ずつ試聴できるサイトにアクセスしてみたら、ドラマのいまいちさの記憶が遠のいているせいか、結構、惹きつけられたんですよ。旧盤ながらジャケも綺麗だったので即決。
昼帯ドラマ向きの、心地よい重さと、手ごろな湿気の含み方がコーニッシュさんの魅力だと思い、←←←左柱のオールタイムベストにも『愛の迷宮』を載せているのですが、『花衣~』に関しては、ちょっと薄かったかなというのが一聴した感想。より正確に言えば、薄いと言うより、“譲った”と言うのが近いか。
何を、何に譲ったかというと、持ち前の“湿り気”のスペースを空けて、“和”を容れた。
ですから、アイリッシュかスコティッシュか、エミリ・ブロンテ『嵐が丘』の世界をも思い出させる『愛の迷宮』に比べると、あっさり風味かもしれません。この作品は和楽器ユニットRin`とのダブルクレジットになっていることもあり、コーニッシュさん、“和”の音色を前に出すことを優先して、若干個性のツノをおさめた。
和風喫茶のBGMみたいに聞こえたのは、劇中のことさらな切なさ・悲傷さ強調な使われ方のせいだけだったようで、シュールレアリズム絵画を想起させるタイトル『燃える麒麟』『これはリンゴではない』『晩鐘に基づく、屈辱のコンポジション』などは昼帯劇伴の域を超えた底力を感じる佳曲です。
昼帯の音楽から贔屓になった岩本正樹さん、寺嶋民哉さん、岩代太郎さんらと一線を画するコーニッシュさんの曲の魅力は、“苦さを怖れない”ところだと思う。昼帯というととにかくドロドロ、ジェットコースターの世界ですから、劇伴の役割としてはどうしても甘美さや、センチメンタル、スムージーな“耳触感”のよさが重視されがちです。コーニッシュさんは結構、トゲトゲを秘めていて、辛口なんですよね。これがいい。
しかも、『愛の迷宮』以来毎作思うのですが、いつも、ぎちぎちに作っていない。空気感がある。風通しがいい。だからいろんなものを容れ、また送り出し、再び容れ…と、出し入れが自在。『愛讐のロメラ』では、スパニッシュな情熱、イベリア半島的土俗感を出し入れしました。
現行放送中、来週前半に結末を控えている『Xmasの奇蹟』も、ピアニストとピアノのお話だからそれなりに…と思いきや、ピアノピアノしてない曲もかなり劇中流れました。この寛容さこそコーニッシュさんの真骨頂。財政上の問題で購入は放送終了後になりそうですけど、マストですな。
もう一度出ないかな、定額給付金。……政権交代したんだった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます