久しぶりにTVニュースで、発言字幕入りで顔を見たと思ったら、怒ってましたなあ、小泉純一郎さん。
彼にしてみれば“郵政民営分社化”は政界入り浅い頃からの“初恋の相手”で、一か八かの解散総選挙で見事民心我にありと鼻高々の退陣「後は頼むよ」だったのに、その後を受けた連中が腰が落ち着かないことおびただしく、せっかく自分の代で獲得してやった衆議院圧倒的多数を全然政策実践の味方にできず、次から次へと顔が替わる上に、「本当は民営分社化、しないほうがよかったんじゃね?」みたいなことを、言われるに事欠いて現職の自党総理総裁たる麻生太郎さんに言われたら、自分の政治人生全否定されたような気にもなるでしょう。
ただ小泉くんの場合、怒ってもあの様な、のっぺ……りではなくてその、フラットで低血圧そうな、ガッツが表出しにくいお顔立ちをされているので、彼の当該発言後に料亭会談から出てきて「小泉さんの発言どんなもんでしょ?」「麻生さんじゃ選挙戦えない、とも取れるけど?」みたいな質問された森喜朗さんのほうが怒り方がわかりやすかったですね。「聞いてない!」「退け!」「うるさい!」ってほとんど逮捕直前の汚職か脱税の容疑者みたい。
やっぱり“怒りパフォ”が似合う人と似合わない人がいるものですね。森さんの恰幅のいい、壁的な体型とか、バカそ………うというのでは、まったくなくて、その、何だ、ホラ、隙ありありツッコみカモンな佇まいから、月河としてはガイアーク総裏大臣ヨゴシマクリタイン様を思い出さずにいられませんでした。
しかしまぁ、いまとなっては短い全盛期だったシマクリ様、1月最終週からのラスト3話では「正義カイサン!」「必殺、定額給付弾!」「強行採決!」「汚しマニフェスト!」と、観てるこっちが「20年前のDAIGOくん、45年前の安倍晋三さんみたいな境遇の、小さなお友達が見てたら心痛むかも…」と心配になる永田町ネタ満載で攻めてました。
特撮の場合、撮影から完パケまで時間がかかるので、たぶん実際の脚本脱稿とアフレコ終了は昨年暮れ押し詰まるずっと前に終了していたと思われ、スタッフ内では「コレ、放送される頃には雲散霧消してるか、少なくとも意味するイメージが変わってるのでは」と危惧する向きもあったのではないかと思うのですが、最終的に「いいや、“GO ON”だし行っちゃえ、出しちゃえ」ってんでオンエアしたら、意外やリアル世界ではカイサンも定額給付も“まっさら”のまんまだった、という大爆笑、大苦笑。
昨年秋の段階では、麻生さんが総理になれば多少バラマキに戻るかもしれないけど、とりあえず一時的にでも景気が上向いて、国民がそれぞれに恩典を実感したところで間髪を入れず解散総選挙すれば自民党大負けしないだろうという読みが大方にあったわけですが、手を打つ前にアメリカ発の大不況に呑み込まれてしまい、いまとなっては麻生さんを選出したことが果たして良かったのかどうか、誰もしかと返答できませんね。
解散総選挙したところで、いまや“選挙で選ばれる政治家、選ばれたい政治家候補者”と、“選ぶ選挙民”とは利害が一致しなくなっているから、選挙の結果が民意を必ずしも反映しない。
かつて、日本が敗戦直後の低い出発点から高度急カーブ右肩上がり経済成長を謳歌していた頃は、政治家&政治家予備軍と選挙民の利害は蜜月のように一致していた。地元に駅や高速道路や大工場を誘致してくれ、業界に恩典ある政策を打ち出してくれる代議士のおかげで、地元は人口が増え税収が増え、企業は好況に潤い給料ボーナスも上がり、「ウチの先生が大臣になった」「次は総理だ」とそれぞれの支持母体である選挙区や職域団体皆が万歳三唱した、幸せな時代も確実にあった。
しかしいまは、政治家が既得権を守ろうとすれば国民に痛みを強いるし、国民がいくらかでもラクになろうとすれば政治家たちに痛んで(定数削減、歳費カット)泣いてもらわなければいけない。“治める者も治められる者たちも皆でいまより幸せになる”ことは不可能な時代になったのです。
“自分以外の大勢をいまより少し不幸でなくするために、自分が進んで幸せを投げ出すことをよしとする”人こそが政治家になってくれなければならないのですが、そんな人は絶対に立候補しません。しないほうが自分の人生にとっても、愛する家族にとっても得策だもの。
“政治”と“国民”は、すでに利害が対立する。“国民ひとりひとりの平等な清き一票で成る民主主義”は制度疲労をきたし有名無実状態に陥ってしまったのです。
こんな根本的危機が見えている中で、郵政民営化見直す見直さない、定額給付金議決通す通さないでいまだ足踏み、なんらの前進も提示できないでいる政界は、少なくともガイアーク以下であることは間違いないでしょう。
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