いまさらですが菅内閣の仕分け大臣…ではなくて行政刷新担当大臣の蓮舫さん。民主党女性パワーの一方のハタガシラとして、母親目線・消費者目線を兼ねそなえた、TV・マスコミ向き才色兼備&能弁のやり手さんとして依然期待は高いのだろうと思うのですが、おなじみの仕分け作業風景も、2日めぐらいになるとドッと、カスカスのお疲れヴォイスになってしまう点が、政治家としてどうなんだろう?といつも思うのです。
水着キャンギャル出身のグラビア上がりとは言え、一応報道スタジオキャスターまがいの、ベシャリがメインの仕事もされていた人とは、ちょっと信じられない疲れの表れ方です。
政治家は叩いても死なないどころか、絞めても撃っても毒盛っても死なない頑健さでナンボ、健康不安説が流布したら政治生命は事実上終了という、“止まったら死ぬ”世界ですが、死ぬほどではないと誰もがわかってくれる程度の、ちょっとした疲れ、働き過ぎ、“いまカラダさすがにしんどいです”のサインが、顔つき目つき、体型よりも、真っ先に声質のクオリティダウンという形で表れるタイプの人は、基本的に政治家に向かないと思う。
昨日(7月1日)だったか今日だったか、朝9:00台のNHK『あさイチ』後の参院選各党政見放送で、たちあがれ日本の与謝野馨さんと平沼赳夫さんがしゃべっていて、一方が民主党政権の公約違反や外交内政無能ぶりを指摘し一方が「その通り」「そうです」「やりましょうハイ」とか合いの手入れてるんだけど、お二方とも病み上がり(上がってなかったりして)ということを割り引いても、漫画ならネームがぜんぶ点線になってる級のひどさでした。
しかも直後に応援団長と称して石原慎太郎さんも出てきて、こちらも年々歳々、加齢が精神の青さ(アタマでっかちとも空気読めなさとも言う)と声音とのギャップという形で露呈して来ている人なので、TV音声をラジオで聴いている月河としては朝からもんのすごく“日本終わってる感”にひたされました。
身体の膂力、健康さを外に向かって表現するツールとして、“声のクォリティ”は一般的に考えられているよりずっと重要だと思うのです。別にプロのアナウンサーやナレーターや声優さんみたいな、ツヤツヤローローとした美声である必要はない。張り、というかチカラです。ハラにチカラがちゃんと込められている感じ。
『笑点』で司会の桂歌丸師匠が、おもに六代目三遊亭円楽師匠から「死にかけ」「もう死んでる」ネタにされていますが、痩せこけて禿げててスジっぽい体型で、数々の病歴・手術歴もカムアウトしている歌丸さんも、声だけはまだパリパリしてる(最近めっきり噛むけど)からネタとして通用するのであって、あれで声がシオシオにしおれていたら、もう誰もネタにできないはずです。
記憶にある最古の例なので引き合いに出させてもらって申し訳ないのですが、田中角栄さんは政治家として伸び盛りでフレッシュな頃から声はしゃがれ気味な人で、今太閤として期待されて総理総裁にのぼり詰め、ロッキード疑惑で一転、一敗地にまみれてイメージ最悪に退陣する間を通じて、しゃがれ気味のまま声の張りやハラヂカラが衰える気配はなかった。晩期に、いま思えば脳梗塞の予兆的な顔面神経のどったらだったのか、顔の下半分が90°ぐらいねじれてしまったのが唯一の退潮の表れでした。つまり、“顔がねじれるまで疲弊しきっても、声は持ちこたえた”わけで、これぞ政治家、政治家になるべく生まれついた人のありようだと思うのです。
まぁ、民主主義の国、民主主義の世の中。“政治家になるしかない”人以外、普通の、サラリーマンでも作家でもタレントでもスポーツ選手ででもいくらでも生きていける人が、あえて政治家になって政治を動かして行く可能性を封じてはいけない、自由意志による参入を止めてはいけないとは思いますが、毎度毎度「きっついなぁ」と思う声を聞かなきゃならないってのも、ちょっとね。
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