★世の中に ○○周年 というのはよくある。
昨年秋、カワサキZ1の発売40周年で、アメリカでその記念パ―ティーがあって出席したのだが、
よく考えてみると今年は、40周年が引き継がれていて、1973年にあった出来事は、全て40周年になるのである。
そういう意味ではZ1が世界での販売が発表されたのが1972年だったのだが、それは日本の明石工場を出荷されたということで、実際に市場に販売されたのは、1973年のことだから、今年が実質40周年とも言えるのである。
さらに言えば、国内市場向けに開発、販売されたZ2は間違いなく1年遅れで1973年の春のことだから、国内は今年が『Z2 発売40周年』なのである。
そんなこともあって、昨年秋、設立したKAWASAKI Z1 FAN CLUB は来る7月7日に、グリーンピア三木を舞台に
KAWASAKI THE LEGENDS & FUTURE と銘打って、Z 40周年の記念イベントを開催しようと企画しているのである。
このようなステッカーと、
このような缶バッチを準備して、カワサキの『真打ち』たちや、熱烈なカワサキのユーザ―たちを集めてのイベント開催を企画している。
★今朝、こんなブログを見つけた。
カワサキのKXが40周年のようである。
そしてこんなステッカーも創られている。
さらには、こんなブログも見つけたのである。
そしてそこにはこんな記述もあった。
1972年、(昭和47年)は私は大阪の所長をしていた。
山本隆くんが引退した年は従野孝司君と二人だったのだ。
従野孝司君は片山義美さんの弟さんで、私が片山さんのお母さんに頼まれて、中学卒業と同時にカワサキの製造部のラインに1年間入ると言う条件で引き受けたのである。多分1966年のことだと思う。そして67年からモトクロス職場に異動して、ノ―ビスのモトクロスからレースの世界に入って行ったのだと思う。
67年からは、私も仙台の営業部門に異動になったので、東北のモトクロスなどには従野孝司君はノ―ビスで、セニアの連中と一緒に来てくれていたのを覚えている。
そしてその中にこんな記述がある。
この時期のことはなかなかややこしいが、
●この時代特にモトクロスは、MCFAJが主力であった。クラブチーム主体で各メーカーが実質的に資金を出したり、ライダーとの契約を結んでいたのが、城北ライダース(S)やスポーツライダース(Y)で、カワサキの場合はカワサキコンバットと神戸木の実クラブの選手の内、契約を結んでいた人たちはファクトリーライダーだったのだと思う。
●青野ケ原はMFJ主催であったから、クラブチームは必要なかったのである。
●青野ヶ原のレースがあって後、カワサキが契約したライダー第1号は歳森康師のはずである。同時に厚木にカワサキコンバットが生まれ、三橋実、と契約したのが1963年のことである。
●そして翌年春 相馬ヶ原のMFJ 第1回全日本モトクロスには、カワサキチームとして出場しているので、ファクトリーチームが生まれたのは、この時点だと言っていい。歳森、三橋のほかに、山本隆、梅津次郎、岡部能夫、加藤清丸などが出場した。チームマネージャーは川合寿一、技術部からは井手、水町さん、製造部は松尾勇さん以下のメカニックが参加したはずである。運営資金は私の管轄下ではあったが、レースには直接関係はしていなかった。
●この直ぐ後、朝霧のMCFAJ の全日本モトクロスのオープン部門で山本隆が優勝を飾ったし、秋の伊豆丸の山では4種目中3種目に優勝した。この時点ではチームにヘリコプターも帯同させたりした大がかりなもので、間違いなくファクトリー体制であった。私自身がレースを初めて見たのが、朝霧である。当時カワサキの現場監督はレースに関しては三橋実だったが、ヤマハなども野口種晴さんが仕切っていたと思う。
●この時代技術部の担当は、エンジン。 マシンに創り上げるのは『レース職場』で製造部の担当。レース運営資金は広告宣伝費からと言うことでライダー契約も含め
カワ販がチーム全体の管理責任者と言う3者の協力体制で成り立っていた。これが前述の1972年まで10年間続いたことになる。
そういう意味で、カワサキのファクトリー体制は、
1964年春のMFJ 相馬ヶ原第1回モトクロスからだと言っていい。
★従って、カワサキのファクトリーレース50周年は来年だし、青野ケ原をスタートとするなら今年が50周年である。
昨日は国内の販社KMJのOB会慶睦会に出席したのだが、この会の20周年だと言っていたし、
メイハツから数えると創立60周年になると言うのである。
今年は国内Z2販売40周年だし、カワサキ特約店制度も40周年になるのである。
個人的なことで言えば、単車部門に異動して単車事業に携わって、昨年が50周年であった。
そういう意味では、今年からいろんなことがみんな『50周年』になるのである。
でも、50周年というのは、その当時、それを経験した人たちが主役になるのはなかなかムツカシイ。
40周年がやっとのような気がする。
カワサキの単車事業を引っ張ったアメリカKMCは今が45周年のはずである。この50周年となるとあと5年、その主役であった浜脇洋二さんや田崎雅元さんも80代に突入なのである。
100周年などは、諦めて後輩たちが先輩を忍んでやるものなのだが、
現実には40周年ぐらいが何とかなる、一番いい時期ではなかろうかと思っている。
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