★昨日、Facebook に仙台の牛タン定食の話が出ていて、
太平洋戦争後、仙台にもGHQが進駐した。その際、大量に牛肉を消費する駐留米軍が残したタンとテールを有効に活用するために、1948年(昭和23年)、仙台の焼き鳥店「太助」初代店主・佐野啓四郎が、牛タン焼きの専門店を開業したことが 「仙台牛タン」 の始まりである。佐野はタンシチューから着想して、タンを薄い切り身にして塩焼きするという調理法を考案した(米軍の残り物説について仙台牛たん振興会は全面否定しているが、佐野はむしろ公式見解として認めており、自信のある元祖とイメージダウンを嫌う新規参入業者との間で見解の相違が生じている)。
佐野の牛タン焼きの発明から長らくは、牛タン料理はそれほど市民に人気があるわけではなかった。もともとが外食から生まれた料理であり、家庭で食べられることは殆どない。むしろ珍味の扱いで、一部の愛好者や酔客が「締め」に食べる程度だった。・・・・・
仙台牛タン焼きは、旅行の一般化によって観光客たちの食べるところとなり、また、外食の一般化によって仙台市民も食べるところとなったが、最大の転機は、1991年に始まった牛肉輸入自由化である。以前は老舗業者くらいしか無かったが、牛肉輸入自由化に伴い安価に材料が入手できるようになり、これ以後新規参入した業者が増えた。
ところで、誕生の経緯からも、庶民の味として安価に供するためにも、仙台牛タン焼きは、脂肪の付き具合いが良い米国産でなくてはならないという考え方がある。実際、材料の牛タンは、その殆どが輸入品である。しかし、農畜産物・水産物の地元での生産と消費を目指している宮城県で、輸入物の牛タンを名物と称するには疑問の声もある。そういう指摘もあってか、地元の高級和牛牛肉である仙台牛を使った牛タン焼きの店も出てきた。一方、頑なに伝統を守ってアメリカ産牛肉を使っている店の中には、「仙台名物」 という代わりに、料理法および食べ方が仙台での発祥なのだとして「仙台発祥」と表現している店もある。
しかし、牛タンの原料供給の9割を米国からの輸入に頼っていたため、2004年、大手牛丼チェーンと同様、アメリカ産牛肉輸入停止の影響を大いに受けてしまった。アメリカ産に替えてオーストラリア産牛肉にシフトする店もあるが、頑なにアメリカ産に拘った店は、在庫不足に陥って、牛タン料理の提供を取り止めている店舗が生じている。中には支店を撤退させたり、廃業した業者もある。
★ この一連の記述はなかなかオモシロい。
これを読んで仙台に『牛タン』が名物になった経緯がよく解った。
仙台の『牛タン』については、ずっと不思議に思っていたのだが、改めて調べてみようとも思わなかった。
多分、一般の方も、ずっと昔からの仙台の名物だと思っておられるだろうと思う。
それがアメリカがいろんな意味で関わっているのがオモシロイ。
そんな時代になったのだが、スタートの昭和23年から20年後の昭和43年には『仙台の牛タン』など一般には無かった同然の状態だった。
最大の転機が1991年と言うから平成に入ってからである。スタート以来43年後のことなのである。
★★English Version です。
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