★ 昭和31年(1957)1月19日(土曜日)に神戸商大硬式野球部主催のダンスパーティーを開催した。
主催者は野球部だが、その起案を含めすべてその中心は私自身であった。
大学の3・4回生ではキャプテンを務め、卒業を1年延ばして監督を引き受けるなど野球に入れ込んでいたのはいいのだが、
運動具店などへの借金が15万円ほどになっていたのである。
大学出の初任給が1万円の時代だから、今の時代のカネに直すと200~300万円ぐらいのカネだから相当な借金だったのである。
当時の野球部の風習では、借金はそのまま次の世代が引き継いでいくことにはなっていたのだが、
ちょっと額も膨らんだので、この借金を何とかするために開催したダンスパーティーなのである。
当時は学生主催のダンスパーティーは数多く開催されてはいたが、
その規模は大体200人前後のものだった。
そんな規模では野球部の借金の返済などには役に立たないし、
パーティーは手段でその目的は「借金返済」なのだから、
私の起案はその10倍、2000人を集めるという大規模なものだったのである。
それが実現できるように選んだ会場は、
新装なったばかりの神戸国際会館の5階の大ホーを借り切って、
兎に角、部員全員で2000枚を売り切るという構想で行ったものである。
★ いまから70年近くも前の話だが、現存する神戸国際会館が新装開場したばかりで、
その会場での実施が人気を集めて超満員になったので、
当日券は途中で販売を中止するという大成功のダンスパーテイーで、
まさに満員御礼だったのである。
私自身は会社に入社してからもいろんなイベントは手掛けたのだが、
この国際会館での2000人を集めたダンスパーティーが、
人生で初めてのイベントだったが、私の最大のイベントだったかも知れない。
★ 当時の日記を読み返していたら、1月にこのパーテーをやっていて
懐かしい入場券やその収支報告などが挟まれていた。
入場券のデザインもデザイナーに頼んだので、結構カッコよく出来ている。
その裏面である。
後援をしてくれたのは借金をしていた運動具店である。
その収支が出てきた。
収入が20万円、支出が10万円だから、10万円の収益である。
これは「目指した額」だから大成功だったと言える。
収入の殆どはパーティー券の収入だが、
支出の最大は税金32,700円で、会場費が27,200円なのである
ちゃんと税金も払っての事業だったのである。
そして、これが支払い先なのだが、
運動具店のほかにもいろいろと借金をしてたようである。
このダンスパーティのお陰で気分よく卒業することが出来た。
それにしても、部員一同よく頑張ったものである。
★ ホントに超満員で、当日売りを途中で中止したりしたので、
当時三宮にあったダンスホール新世紀に流れて、
新世紀も満員になったそうで、何故そんなことになったのか不思議に思ったそうである。
このダンスパーティーの成功は、
何と言っても開催場所を開場したばかりの神戸国際会館の大ホールにしたことが人気を呼んだようである。
当初はあの大ホールが埋まるかなと思ったりもしたのである。
一口に2000人と言うが、それはホントに大人数だったのである。
当日の大盛況で神戸国際会館の方たちもビックリされたようである。
私の青春のいい想い出なのである。