★ このブログに 『武雄市&樋渡啓祐氏』 というカテゴリーをつくって、100回近く樋渡さんのことをアップしている。http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/c/6d60e1c9aa560ca8bb15f44ecf23b229
私が見つけた樋渡啓祐さんは、未だ 高槻市の市長公室長 で、 高槻市の『こちら部長室』などで、見つけていたのである。
それからもう、10年に近くなっているのだが、その後、いろんなご縁があって、 ネット上でもいろいろあったし、現実に三木でも、神戸でもお会いしたりもしているのだが、今回は、佐賀知事選 に出馬されるようである。
この9年間に、間違いなく全国区の有名人におなりなのだが、
『高槻市の市長公室長時代の樋渡啓祐さん』に目をつけて、オッかけたりしたのは、ひょっとしたら私が初めてだったかも知れないと、内心私の自慢なのである。
これが、樋渡さんの 高槻市役所時代の『こちら部長室』 のブログ第1号である。
★私がブログを始めて何か月後に、何となく樋渡啓祐さんのことを書いたら、ご本人の樋渡さんから直接コメントが来てビックリした。
当時は、コメントのことももよく解らなくて、頂いたコメントに返事もせずに終わってしまっているのである。
これが、その時書いたブログである。 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/002a15cd168e8c5a70d100748b8b27ff
市長公室長樋渡啓祐氏のこと
樋渡啓祐氏。面識もないし、勿論話もしたこともなく、私とは直接は何の関係もない。
総務省から出向して、高槻市長公室長を平成15年4月より17年12月まで2年半ほど務められ、また総務省に戻られた。
1969年佐賀県生まれだから、まだ40才前の若さである。
高槻市のホームページ「こちら部長室」で62回に及ぶ、彼のコメントを読んだだけである。
その意見や仕事の進め方にこれほど共感を覚えたのは、先日ご紹介をした小野田滋郎さん以来といってもいい。
樋渡さんの「こちら部長室」の第1回は「全国一のホームページを目指して」で始まり第62回「さよなら部長室」で終わっている。
高槻市は今年のホームページコンクールで、見事全国一になり目標を達成している。
62回のコメントはそれぞれ面白いのだが、次の二つをご紹介したい。
第55回BLOG,BLOG,BLOG
「この4月まで、この言葉を知りませんでした。」・・・
「メールさえ打てれば、そんなに知識がなくても、HPが簡単に作れる。情報発信が容易である。同時にトラックバックなどで情報の入手も容易になる。」
更に続けて、「アメリカではブログの誕生により、ホワイトハウスの会見にブログの記者の出入りが認められたり、わが国でもこの動きは加速すると思います。」
ご自分でも、ブログに挑戦され、高槻市のホームページにブログの採用を起案されている。
そして、「高槻市が全国に先駆けてブログ化に挑戦し、その成果がでることを楽しみにしたい。」
私は、・・・・「カン」だけで、これはイケルと思ったので、自分でも試してみることにした。・・・・・間違いなく時代の流れだと思うのである。・・・・・
第36回 求む 奇人、変人
・・・・・世の中の人の教育は、まともなことが多すぎて、面白い人、本当に仕事ができる人を殺してしまっていると思っている。
自分自身がどちらかといえば、奇人、変人に近い人たちに親しみが持てたし、事実そんな仲間も多いので、樋渡さんのような総務省のエリートがこのようなコメントを書いてくれたのは、「わが意を得た」と思ったのである。・・・・・・・
高槻市に「着任して1年経って思うのは、潜在的な奇人、変人の人たちが「普通、一般化」していないか、もっと奇人、変人をそのまま伸ばす方向を採るべき」といっておられます。まったく同感です。・・・・・・
これは何も高槻市に限らない。一般の民間企業でも油断をすると、直ぐこの風潮は体質となる。
全ての組織体にとって、「求む、奇人、変人」は通用すると思う。・・・・・
感謝 (樋渡啓祐)
★今回は佐賀県知事に立候補である。
佐賀県が武雄のようにオモシロイ県に様変わりするのだろうか?
上記の中で、特に『求む奇人変人』がいい。
カワサキの単車事業の創成期の人たちは、まさに『奇人変人の集まり』だったと言っていい。
そんな『奇人変人の集まり』になったのは、上の人達が単車事業に対しての経験が全くなかったので、下の人たちが自分の思う通りに動けた結果なのだと思う。
別に 奇人変人の素質がある人ばかりだったのではなくて、樋渡さんの仰るように 『潜在的な奇人、変人の人たちが「普通、一般化」』 しなかっただけなのである。
佐賀県も多分オモシロくなるだろう。
樋渡啓祐さんが上に来たら,奇人変人たちが、生き返るようなそんな気がする。
でも、選挙大丈夫なのだろうな。
私も、挙げていただいた二つの記事は今でもお気に入りですし、今では市長という立場から、同僚職員に同じことを伝達しています。
そのためには自分自身が書いた記事そのものでなければならず、自戒しながら頑張っております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。