雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

今年のニュースいろいろ 雑感

2018-01-19 05:18:47 | 発想$感想

★今年は一体どんな年になるのだろう?

 年の初めからいろんなニュースがいっぱいである。

 

   

 

仮想通貨 ピットコイン ってどんなものかな? よく解っていないのだが、つい先日その価値は50倍にもなって、買っているだけで億万長者がいっぱい出たというニュースが流れたばかりなのに、一転その価格は『急落』だという。

日本政府はと言うか、麻生さんは、「何でも規制すればいいとは思わない」と、 ピットコインに対して好意的な発言だったのだが、一体何人ぐらいの日本人が、関係しているのだろうか?

 いずれにしても、私には無関係のことのような気がする。

 

 

  

 

 株価は堅調である。 26年ぶりに2万4000円台に回復したと言う。大企業を中心に企業業績はいいようで、今年の春闘は3%の賃上げをなどと言うニュースが流れている。年金生活者に賃上げは関係ないのだが、株価は川重の株をただ何十年もただ持っているだけで株価の変動は一切関係ないのだが、気分的には悪い気はしない。

 今年はまだ上がるのだろうか?

 

 

  

 

  政治の世界は、野党がばらばらになってしまっている。野党がこんなにばらばらになったら、自民党は安定だと思うが、自民党の中も本来はバラバラかも知れぬが、形の上では安定している。アメリカのような二大政党には日本はならないのかな? 一時鳩山さん時代の民主党時代に政権を取ったのだが、社会党や共産党系の左翼と言われる『なんでも先鋭的に反対する意見』の人たちが表に出だすと、大きくは纏まらないのだと思う。アメリカの場合を見ても、野党の意見も『反対』してもそれは常識的で穏健なので、何とかなっているのだろう。

 希望の党や 日本維新の会の思想なら、まだ大きくなる可能性があるのだと思うのだが・・・事実東京都も現在は違うが、一時小池支持が中枢を占めたのも、ごく最近のことなのである。

 

  

 

  平昌五輪は、もう目の前に来ているが、北朝鮮と韓国間で平昌五輪についての対応が話し合われているが、もう一つ何が狙いなのかはよく解らない。ただ確かにかっては同一民族であったことは事実なのである。それが二国に分断されてしまっているのは、一般大衆にとってみれば『不幸な出来事』であることは事実なのである。

 そんな平昌五輪に安倍総理が出席するかどうか?

 慰安婦問題が絡んでややこしくしているのだが、よく解らぬが結局は『出席する』ことになるのではないだろうか?

 

 

  

 

  いろいろあるが、今年の一番の注目問題は、ダントツで『北朝鮮問題』である。

 トランプさんの2年目だが、果たしてどうなるのだろうか?北朝鮮問題は結果的にみると、歴代のアメリカ大統領の『北朝鮮対応姿勢』が甘すぎた結果、こんなことになってしまったのである。

然し、戦争は困るが、北朝鮮がこのままの姿勢でもまた困るのである。

 この1年、戦争なしで、北朝鮮の姿勢が変われば一番いいのだが・・・・・

 

 

★今年になって、大相撲も始まった。 どんな波乱になるのかと思ったら、開幕早々横綱・稀勢の里と白鵬の連敗が目立っていたが、今日白鵬の休場のニュースが流れた。世の中いろんなことが多くて、相撲協会と貴乃花問題がかすんでしまっているが、初場所が終わればまたこの問題も表に出るかも知れない。

 イチローの去就はどうなるのか? なども気になるのだが、結構話題の多い1年になりそうな気配なのである。

 ぜひ『明るいいい1年』になってくれることを祈るばかりである。

 

 

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私の定年後の生活のスタート 66歳

2018-01-18 06:41:28 | 自分史

★勤めを終わってからを『定年後』と言う。

そんな生活ももう20年にもなろうとしているので、今年はそんな私の定年後はどんなことだったのかを『自分史』のカテゴリーで纏めてみようかと思っているのだが、

 今回はどんな状況でそのスタートを切ったのか纏めてみたい。

 

私は1999年5月末を持って、最後の勤めであった北海道川重建機の社長を退任して会社生活を終わった。66歳の年である。

 『北海道川重建機』と言う名前からは川崎重工業の子会社のように思われるかも知れぬが、この会社は川重の資本も入ってはいるが、自前資本の優良会社なのである。

私の営業生活は、東北6県の自前代理店の管理営業に始まって、同じく自前企業の北海道川重建機で終わっているのである。

 世の中の販売網の殆どが大資本の系列子会社になってしまっているのだが、自前資本の代理店と言う企業は独特の存在で、その経営は一種独特で、なかなかオモシロいものである。

 現在は建機事業そのものが川重から日立に移ったので社名も 北海道川崎建機 と変わり、支店数もちょっと減ったようだが、北海道全道をその管轄としているのである。   http://www.hkwj.co.jp/company.php

 

    

      

 

 カワサキでの二輪事業一筋に担当してきたが、この最後の2年間の自前代理店での社長業は、大会社の系列販社とはちょっと違った独特なものがあって、まさにサラリーマンをしていた私としてはサラリーマンを卒業して、この2年間もまた『定年後の生活』のようなところもあったのである。

所謂、出資者・株主の発言力も強かったし、その取締役会などは独特の雰囲気だった。

二輪から建機と言う商品に変わったしその営業などのやり方も、二輪とは全く異なるものだったので、私は担当した2年間は、今更商品や営業知識を覚えてみても仕方がないので、一切そのような分野には目を向けずに、その経営のトータル・システムなどを従来の方式からは全く異なった新しいものに創り上げることだけに専念したのである。

運転手をつけましょうか」と言う申し出を断って、『4輪駆動のクラウン』で当時は15箇所もあった支店営業所を自分で運転して訪ねることなどばかりやってたので、お蔭様で北海道は殆ど隅々まで走ったことがあるのである。 若い頃4年間東北の雪道も経験しているのだが、タイヤもよくなったし、『4輪駆動のクラウン』は冬の雪道のドライブも快適だったのである。

 特に、従業員の方たちが、メーカーの社員とは全く異なる独特の個性の方が殆どで、それは最初の営業経験であった東北代理店の従業員とよく似たところがあって、私自身はどちらかと言うとそんな方たちとの方が、元来『トーンが合う』のである。

そんな、最後のお勤めも終わって、定年後の生活が始まって20年になろうとしているのだが、その間出会った方たちとの間でまた新しい繋がりが出来ているのだが、そんな方たちもみんな『サラリーマンの優等生』ではない方の方が圧倒的に多いのである。

いまはFacebook などで新しいトモダチも増えているのだが、その殆どの方が大小は兎も角『オーナー的』な方たちばかりなのである。そういう意味では、私のサラリーマン生活は、全くサラリーマンらしくなかったし、元々『サラリーマンの優等生』になる素質は有していないのだと思っている。

 

★それは兎も角、私の定年後のスタートは、札幌から大阪までの家内と二人の2日間の汽車の旅から始まった。

 札幌駅で川重建機のホントに沢山の方たちに見送って頂いたのである。駅や空港でこんな見送りをして頂いたのは、最初の営業だった仙台から帰る時の仙台駅と、この札幌のお見送りだけで、こんなに大勢の方のお見送りを受けたのは札幌が初めてだったのである。

6月からは2年振りに三木に戻ってきたのだが、これから2年間は北海道川重建機から顧問料も頂いていたし、その前年私は突如『クモ膜下出血』で札幌の中村記念病院と言う脳外科専門の大きな病院に約1ヶ月入院したのだが、その事後処置の定期検査などあって、この2年程は何ヶ月毎に札幌に行くことが多かったし、その都度北海道川重建機の方たちにお世話になっていたのである。

そういう意味でこの年1999年の後半の半年は何となくまだ『会社生活が続いている』ような状況で、私の『定年後の生活』は2000年度からスタートしたと言った方がいいのだろう。

 

★私は既に今年で85年も生きていることになるのだが、その人生は『幸運に恵まれて』いまがある。

 そういう意味で、自分では『非常に運がいい』と思っている。

 この川重建機の勤めもひょんなことで、こうなったのである。建機など全く関係はなかったのだが、大学の野球部の後輩が建機事業を担当することになり、そのトップを当時は川重副社長になっておられた髙橋鐵郎さんの管轄で、この会社の社長を川重建機の方から川重に依頼があったようなのだが、その時髙橋鐵郎さんから突然の指名が私にあったのである。 

前述したように自前のムツカシイ会社だったから、私のようなのが向いていたのだと思うし、それなりに川重にも北海川重建機にとっても上手くマネージ出来た2年間で、上への報告など全く皆無で、最後の勤めがこんなにオモシロかったのもまさに幸運だったと思っている。

 前述した『クモ膜下出血』での入院も幸運の最たるもので、或ることがあって、札幌の警察本署で『怒りまくっていたら』アタマに血が登って警察署で突然倒れてしまったのである。警察だったからすぐ救急車が来て、普通ではなかなか入れない中村記念病院と言う脳外科の専門病院に15分後には運び込まれたのである。

 非常に難しいところが切れていて、手術をしてもいいのだが、失敗する可能性も高いので何もせずにそのまま回復を待ったのである。後で主治医の先生に聞いたら、『普通の病院なら必ず手術しただろう。手術をしないのは治療をしないことにもなりかねない』のでそんな判断はムツカシイそうである。この病院には30人近くの専門医がおられるので『手術をしない』と言うのは会議で検討して決めたと仰るのである。

そんなことで私はこの病院に1ヶ月ほど寝ていただけで、何もせずに元に戻っているのである。

それとこのような脳の病気は早く入院することがMUSTだそうである。田中角栄さんも小渕さんも、長嶋さんも入院するまでに時間が掛り過ぎているのである。

その点私は『倒れて15分後には病院』に、それもちょっと他では例のないような中村記念病院と言う脳外科専門病院に入院できたのである。

 

        

  

この建物の全てが脳外科だけの専門病院なのである。

この病院の集中治療室で10日間、最上階の個室で20日間 寝ていただけなのである。

これは幸運であったと言っていい

その運は、その後も続いているし、今年も間違いなく『いい運が巡ってくる』と信じているのである。

 

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阪神・淡路大震災から23年

2018-01-17 11:55:37 | 発想$感想

阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、淡路島北部沖の明石海峡を震源として7.3の兵庫県南部地震が発生した。近畿圏の広域が大きな被害を受け、特に神戸市市街地の被害は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。犠牲者は6435名に達し、東日本大震災に次ぐ被害規模であり、戦後に発生した自然災害では、犠牲者の数で伊勢湾台風の5,098人を上回り、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった

 と記録されている。

 

  

 

 当時は私も未だ現役だった。

 その日のこと、当時のことも鮮明に覚えていると思っているのだが、ホントに当時どのような感想を持っていたのか、日記を調べてみた。

 

  

 

6時少し前、大地震。約1分ほど家が倒れるのか、これはすごい、本当にこれは地震なのか。地震とは別の何か別のものではないかと短い時間のうちに思った。大変なものだった。会社に出たが事務所は散乱、部品庫は被害特になし、新車倉庫で600台が転倒。ショールームは2,3階のガラスが割れる。電気が通じてTVを見てから、この地震のすごさが解った。神戸・西宮あたりはすさまじい。門野君宅は二つとも潰れたという。典子はそこに手伝いに行って連絡はあったが、今はどうしているのか。火災は神戸市内で続いている。』 

 と書いている。

 

 この短い文章に結構その時の想いが正確に記録できている。

少々、その日のことを解説すると、

 ● 正直、これは「地震ではない」爆発か何かが近くで起こったのではないかと思ったりした。普通に経験している地震の揺れとは違う全く別次元のものだったのである。

 ● 停電はしたが、家は大丈夫だったし、神戸の状況など全く解らないので、そのあといつものように『犬の散歩』もして出社した。

 ● 停電で信号はついていなかったが、道は大丈夫で明石の玉津事務所に出社した。何人かの人も出社していた。

 ● 明石の川重の工場にも行ってみたが、こちらは殆ど出社していない。ショールームの状況などチェックしたが大した被害はない。

 ● 9時過ぎ電話が通じたので、高橋本部長宅に現状報告したら『お前いまどこにいるのか?』『会社です』『ひどいことになってるぞ』と仰るのである。高橋さん宅は芦屋の高台だから、阪神間の被害の様子がお解りの様なのである。それでもそれがどの程度のものかはよく解らなかった。

 ● 10時頃だったか電気が通じて、阪神間の様子がテレビに映って、この地震のすさまじさに、びっくりして、これはどうにもならないと帰宅したのである。

 ●娘婿の実家は神戸の新開地だったので、店も家も潰れたとの連絡だけは入ったのである。

 

周囲の状況が解っていないと、その時把握しているレベルの情報による判断での行動になるということがよく解った。

 神戸の状況が全く解らない状況では、地震の揺れが収まると、いつもの通りの行動に戻ってしまうのである。

 犬の散歩もしたし、出社するのは当然で、その時点での最大の関心事は、電気が止まってしまっているので『熱帯魚の水槽の温度

が低くなること』が心配で家内に温度を見て湯を足して欲しいと頼んで出かけたのである。

会社に出てきた連中もみんな同じ状況で、その時の一番の被害は倒れた600台の新車の処置だったのである。

高橋さんに電話で聞いた時も、こんなにひどいとは思わなかったのだが、10時過ぎにテレビを見て『ぶったまげてしまって』これは会社にいても仕方がないと、みんな帰宅させたのである。

 

★会社の生産は21日から再開されたが、この地震で二輪事業はある意味『恩恵を受けた』のである。

国内はもとより世界中から『生産がムツカシイだろうから』と受注が殺到して、国内でもバックオーダーが何ヶ月も続いたのである。

人間は、夫々周囲の状況をみて、或はその状況を推測していろんな判断をし、行動するものだということはよく解った。

そんな思い出を持っている『阪神・淡路大震災』である。

もう、アレから23年の月日が流れたのである。

 

 

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朝日新聞は??・・・百田尚樹さんは??

2018-01-17 05:53:33 | 私の生き方、考え方&意見

産経新聞にこんな記事が載っていた。

      http://www.sankei.com/politics/news/180116/plt1801160015-n1.html

 

 

   

 

  作家の百田尚樹さんがツイッターでこんな発言をしたらしい。

  『・・・・朝日新聞は日本の敵だが、そんな売国新聞を支えている朝日の読者も日本の敵。』

 とツイートして12000を超えるいいねと6000に近いリツイートとがあったようだ。

 

 

    

 

 

 私は、朝日新聞の読者だが、朝日新聞の政治的な姿勢については同調はしていないし、むしろ反対の立場である。

  ただ、世の中には、政治的な信条だけでなくいろんな意見が存在することもまた事実なのである。

 日本国民すべてが百田さんのような『激しい意見』になってしまうと、それこそ戦時中の日本のようになってしまうから、『朝日が日本の敵』かどうかは別にして、朝日の意見に同調する人もまたいるはずで、それを『日本の敵』と決めてけてしまうのはどうかな?と思ったりする。

 

 

 

   

 

 

朝日新聞広報も、そのツイッターでこのように応酬している。

 それについて、産経の記事にはこのように書かれている。 

 

『百田さんは16日、「朝日新聞の広報さん」と呼びかけた上で「私はたしかに朝日新聞と読者を敵視したようなツイートをしましたが、差別的な発言はしていません。なんでもかんでも、すぐに『差別だ!』と、がなりたてるのはやめませんか。精神が弱者ビジネス丸出しですよ」と投稿した。ネット上では百田さんに対し、賛否両論のコメントが殺到した。』

 

 

 

差別的な発言』とは??  百田さんの発言は、『朝日の読者は日本の敵』とまで言い切っているのだから、これは明確に『差別している』のではないかと思う。

 朝日も『私たちはこれからも建設的で多様な言論を尊重し、読者と共につくる新聞を目指します。』と言っているが少なくとも、安倍政権に対しては、『建設的で多様な言論を尊重している』とはとても思えない『偏重な独断先行の意見』であることは間違いないのである。朝日新聞にお勤めの方がすべて『朝日新聞に書かれているような思想の人ばっかり』であるとすれば、『それは異様な集団』だと思うのである。

そういう意味で『朝日新聞は??・・・』といつも思っているのだが、『でも百田さんも別の意味で朝日新聞のような人だな』と思ったりしているのが、正直な気持ちである。

正田さんがどのように仰ろうとも、私は『朝日以外の新聞に切り替えたりはしないだろう朝日をとっているのも子供の頃からの『家の習慣』だからそれが続いているのである。

戦前の朝日新聞はダントツの超一流の新聞』だったが、『所謂・軍国主義の守護神みたいな新聞』だったように思っているのである。

変われば変わる』ものである。

 

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春ももう近い?

2018-01-16 16:46:53 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★今年ももう半月が過ぎた。

 北国の雪のニュースが大変である。

 

    

 

  雪国で暮らしたこともあるのだが、風情もあるが、やはり雪は大変である。

 雪のない地域に住んで、この時期、春を待ついろんな楽しみもある。

 寒い日は続くが、季節は確実に春に向かって進んでいる。

 

  

 

  一番最初に花を見せる ボケの蕾は既に膨らんでいる。

 

 

   

 

  木に春と書いて 椿  一番春らしい花である。

 

 

   

 

   苗から育てて、今年は3年目を迎える 葡萄 今年こそこの蕾から 葡萄の房を見たいものである。

 

 

   

 

   

 

   そしてこちらは、毎年冬の今頃が、一番期待が膨らむ 薔薇たちは、今年も確りと芽をつけている。

 

 

    

 

 

  これはちょっと早すぎる。

 

  もうすでに、小さな葉を見せているが、これは2月には剪定で切り落としてしまうことになるのだろう。

 

  人間も不思議なものである。今日は昼からちょっと気温が上がったら、庭に出てこんな写真を撮ろうという気になった。

  暖かさは続くようだが、明日は春を呼ぶ雨だとか。

  雨が降り出すと春も近い。

   その頃には85歳になっている。  84歳もあと1ヶ月と少しで終わる。

  例年、いつも今頃は『もうひと月で、何歳だな』と同じことを思うようになってもう10年にもなる。

  そんな季節である。

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孫・古谷仁の大仕事 ripple room  その6

2018-01-16 06:26:46 | 発想$感想

★『90人のストリートダンサーのLIFE。彼らの表現の源流「生き様」に迫る本を作る!

 と言う 孫・古谷仁のプロジェクト のクラウド・ファンデイングもあと10日を切ったが、目標の75万円に対して50万円を超えたから何とか目途は立ったのではなかろうか?

 

          

 

 

そのサイトの『活動報告』に書かれている 古谷仁の言葉をそのままご紹介してみよう。

 

team ripple 代表の古谷 仁です。

クラウドファンディングも終盤となりました。
皆様のご協力で、60%を超えました。ありがとうございます!

今後も、皆様の愛を糧に、全力奮闘させていただきます。
支援、拡散など、どうぞ、よろしくお願いいたします!

 

さて、本日は、本に使わせていただく写真についてのご紹介です。
写真は、僕たちがインタビューにて撮影したものや93人のダンサーの皆さんがご持参しているものに加えて、ストリートダンスの現場では有名な HAMA SHOW さんにもご協力をいただきます。HAMA SHOWさんは、JUSTE DEBOUTやWDC、SUMMER DANCE FOREVE(JAPAN)、DANCE DELIGHTなど、ストリートダンスの大きな大会で撮影経験が豊富な写真家です。

 

以前から私はHAMA SHOWさんの存在は知っておりまして、ある私の知っているダンサーにつないでもらったのがキッカケです。直接お話をさせてらい、私なりの想いを伝えると、即答でYES!と言っていただきました。想いをしっかり伝えた上でのこの返答は、たいへん嬉しかったです。今までにHAMA SHOWさんのレンズに入り込んだ掲載ダンサー93人の一部の人たちのページに、写真は使われる予定です。お楽しみに!

HAMA SHOWさんの写真は、人間の肌感やシワ、また表現の奥行きや揺れなどが滲み出る素敵な写真が多い。"HAMA SHOW.COM"と検索すると、彼の生き様が現出する写真たちが見られると思います。そんな彼の写真を少々、ご紹介させていただきます。(HAMA SHOW.COMより引用)

 

team rippleの全ての活動が、なにかと、応援をしていただき成立しているものです。それは、具体的な支援だけではなく、声援や応答にしばしば発生する「元気玉」も含まれます。HAMA SHOWさんからのYES!は、僕たちteam rippleがやっている活動を全肯定してくれるパワーを持っており、さらに前進しなければならない、と思えた瞬間を創出してくれました。

僕たちteam rippleは、まだまだ小さなベンチャー企業よりも小さい団体です。けれども、それでも、「強い思いのあるもの」ゆえに、このような「元気玉」に出会いつつ、さらに前に進むことができています。

成果が見えにくい0から1の創出。
難しいことは多いですが、このような応援を裏切らぬよう、team全員再び旗をあげて、頑張ってまいります。

 team ripple 
古谷 仁

 

 

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京都女子駅伝 兵庫14年振り優勝

2018-01-15 17:01:04 | 発想$感想

★第36回全国都道府県対抗女子駅伝は兵庫が2時間15分28秒で、2連覇した2004年以来14年ぶり4度目の優勝を果たした。

 日本独特の駅伝は、箱根駅伝などが有名だが、2日間に渡っての長丁場は、素人が観るには長すぎる。その点この京都の駅伝はマラソンと同じ距離を中学生・高校生・大学生・社会人と繋いで、観ているには結構面白い。

兵庫県はかっての飾磨工業や西脇工業などが強かったし、最近では須磨学園なども出てきて、駅伝は強かったのだが最近は優勝から見放されていた。

 今日のレースは、5区で2位に浮上し、6区で西脇工高の後藤が先頭に追いつくと、7区で須磨学園高の樽本知夏が区間賞の走りで長崎をかわして首位に立ち、8区の石松愛朱加(浜の宮中)も区間1位となるなど、リードを広げて逃げ切ったのである。

 しり上がりに好調で、社会人の走った最終区は1分以上のリードがあったので安心して観ていることができた。

 ニュースではこのように伝えている。 

 

     

 

チームで徹底した「笑顔のたすきつなぎ」が実現した。新春の都大路で14年ぶり4度目の優勝を飾った兵庫。中学、高校生が大きく貢献し、榎本監督は「本当に長かった…。兵庫の駅伝王国復活につながってくれれば」と万感の思いで3度、宙を舞った。

 ほぼ、狙い通りのレース展開だった。上位集団に食いつきつつ、勝負は後半-。榎本監督は「6区でトップに立てば勝てる」と読んでいた。その6区で西脇工高の後藤が先頭に追いつくと、7区の須磨学園高、樽本に8区の浜の宮中、石松の計3人が区間賞。満面の笑みでアンカー福田まで渡った。』

 

   

 

  内側が優勝し兵庫、ちょうどトラック1周分のリードで、2位争いは長崎・京都が最後まで競り合った接戦だった。

 

    

 

  最後は京都が微差で長崎を振り切った。

   兵庫優勝で、久しぶりに気分が良かった。

  

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 現在の『保守』と『革新』は・・・・

2018-01-15 06:53:11 | 発想$感想

新聞は「現実」を見据えよ 若者は「見限っている」 元日・朝日の社説は意味不明  という 

 ジャーナリスト・門田隆将の産経のこの記事には共感を覚えたのでその概要を紹介してみる。

 

   

 

 

ジャーナリズムがフェイクニュースと印象操作に明け暮れた1年が終わり、新たな年が始まったことで、私はこれまでにも増して元日の社説に注目した。

さまざまな場で私は、現在が「左右対立の時代」ではなく、「観念論と現実論」との闘いの時代と評してきた。左と右、リベラルと保守-いまだにそんな古い価値基準にとらわれている人が多いことに、違和感を覚える。昨夏、読売がこの点について興味深い記事を掲載した。・・・・・・若者が、リベラルとは「自民党や日本維新の会」であり、保守とは「公明党や共産党」であるという認識を持っていることをリポートしたのだ。

安倍政権がアベノミクスや“地球儀を俯瞰する外交”を展開し、日本維新の会が大阪都構想に挑戦するなど変革を目指しているのに対して、旧来の体質のままの公明党や共産党が「保守勢力である」という斬新な考えを持つ若者たちについて初めて言及したのだ。・・・・・

2カ月後の総選挙では、この分析を裏づける結果が出た。各種世論調査で、29歳以下の若者の半分近くが「比例投票先」として自民党に投票していたことが明らかになったのだ。全世代の中で若年層が安倍政権の支持基盤になっていることが浮き彫りになった。だが、現実を分析できない新聞は、これを「若者の保守化」と論じた。

観念論の代表は朝日である。元日の社説で朝日は、〈来たるべき民主主義 より長い時間軸の政治を〉と題して、安倍政権は迷走しており〈与えられた豊富な時間を大切に使い、政策を着実に積み上げてきただろうか〉と非難を展開した。だが、その根拠は〈国政選挙を実に頻繁に行ったことにある〉という珍妙なものだった。・・・・・・・就職や結婚、家族の構築…といった将来の人生のために最も「現実」を見据えている若者と、主義主張にこだわるだけの新聞との乖離は、広がるばかりだ。新聞が、自分たちの方が時代遅れであることに気づいても、もはや手遅れだろう。なぜなら若者は新聞を信用していないし、とっくに「見限っている」からだ。

 

★ ホントにそう思う。 

 老人の部類に入る私でも、昨年の選挙では『比例投票先』には『日本維新』に1票を投じたのである。

 常に『反対ばかり』と旧来の主張を守っている政党こそ『保守』なのだと思う。

 何となく私が『安倍政権を支持している』のは言われてみると、従来の『自民党』とはちょっと違う革新性を持っているからだと思う。私は、支持する政党は特にない無党派層だが、強いて言うなら『日本維新の会』である。

 間違いなく『安倍政権は保守ではない』従来の『自民党』とはちょっと違うから支持しているのである。どんどん時代は変わるし、若い人たちの生き方は変わってきたなと実感している。

 

★特に今年は、年明けから20歳代の孫たちと過ごしてみて、彼らが感じていることは、

 ● 就職できるのに就職しない

 ● 卒業できるの1年休学して卒業しない

 ● 不安定でどうなるかも解らない アメリカの「プロサッカー選手を目指す

想っていることは、間違いなく『従来の常識』からは『逸脱している』のだが、そんな感覚が『革新で』従来の常識が『保守』なのだろうが、どちらが『まとも』なのかは、よく解らない。

敢えて言えば『どちらがまともだとは断言できない』そんな時代に入ってきたのだと思う。

 

いま世界は、従来の常識からは『一歩先を行っている』そんな気がしてならない。

いい悪いは別にして、

●『北朝鮮の核の理屈』も、

●『アメリカのトランプ大統領の政治』も、

●『それを100%支持するという安倍さん』も、

●『大谷翔平の二刀流』も、これらは全て、従来の常識からいうと『おかしい』のである。

 

それを『おかしい・おかしい』とばかり評論する従来の『評論家諸氏』は、リベラルではなくて保守なのだと思う。

 今年は85歳になるのだが、気持ちの上でも、体力的にも『革新派』に入っていたいなと、背伸びして思っている私なのである。

 

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小さなことを大きくする

2018-01-14 07:19:00 | 私の生き方、考え方&意見

★世の中には、『大きくなることの「キッカケ」がいっぱい落ちている

それを見逃してしまう人が殆どだが、私はそんな『大きくなるかも知れない「キッカケ」を見逃さない』ことについては結構自信がある。

今年も、そんな『キッカケ』が新春早々舞い込んできたのである。

確か家に直接『電話があった』のだと思うが、最初のアプローチは1月2日ではなかったかと思う。

それ以来のやり取りが10回にもなっているので、最初のスタートのことが解らなくなるほど頻繁にやり取りが続いているのである。

  

  

それは Life Cycles と言う『二輪雑誌でカワサキの特集を組むので、1月中に私に取材に応じて欲しい』と言うことだった。

単に『Yes,No』で応じたら、私一人の普通の取材になってしまうのだが、そのコンセプトをちょっと伺ったら、『80年代のカワサキのマーケッテングや販売面、レサーレプリカでないカワサキ独自の車種についての発想など』と仰るのである。

 私一人でも受け止められるかも知れぬが、これは私の弱い面マシンや技術面での助っ人がいるほうが、間違いなくオモシロくなると思ったので、とっさに『登山道夫』さんがアタマに浮かんだのである。

それで、取材を受ける場所は登山さんのGood Times Plaza で、二人で対応するとお答えし、いろいろやり取りしていると、先方も乗ってきて、『いろんなことも聞きたいので2日間でもいいか』と仰るのである。

 

コレで、この取材は完全に『こちらペースの独自のもの』になってきたなと思っているのである。

普通一般の『1問1答の記事』の場合、どんな記事にするかと言うコンセプトは先方で事前にお持ちなので、『こちらが言いたいこと』は記事にならないことが殆どなのである。取材とは大体そんなもので記者さんが書きたいことだけが記事になるのは紙面の関係もあって仕方がないのである。

先方から『2日間の取材になってもよろしいか?』とお聞きになった時点で、『私たちが記事にしたいこと』もいつかどこかで『記事になる可能性』が出てきたのである。

 

★そんな事態になったので、昨日は登山さんのところに、この取材の打ち合わせに行ったのだが、帰ってすぐFacebook にこのようにアップしておいたのである。

 

 

    

    これはその時の動画なのである。

      http://www.nicovideo.jp/watch/sm32578014

 

 

細かいことは一切抜きで大まかな雑談だけしたのだが、たまたまそこに、かってカワサキの単車部門に籍を置かれた『MIKIさん』がいたのである。 

 防衛大学を出て自衛隊におられて、そのままおれば自衛隊のエライサンが保証されてる身だったのに、バイクが好きで、『たまたまカワサキの二輪部門の求人広告を見て』とカワサキに入られて技術部門に10年程在籍されたという『全くの二輪マニア』で、変わっていると言わざるを得ないのだが、旧い資料もいっぱい持っておられて、当時川重の二輪部門の従業員にのみ配布されていた MIND と言う冊子も初号からすべて持っておられたりするのである。

 

   

 

 その中の第3号には、私の現役時代のインタビュウー記事もあって、これなどは取材の記者さんが欲しがるであろう写真や、現役当時の想いがそこに述べられているのである。

 

    

 

 ★今週の Life Cycles のカワサキ特集の取材には、MIKIさんも同席して欲しいと頼んだら、最初はその日は出社なので2日目だけならということだったのだが、多分第1日も同席されることになるだろう。

 兎に角先方が、乗り気で『2日間の取材』にして欲しいと仰るので『それに応えた』だけなのだが、どのように動けば『小さなことを大きく出来るか』と言う手順は、何となく私の身に付いてしまっているのである。

 物事はこちらから『お願いしたら』結果はあまりいい方向にはならないものである。何事も先方からの頼みを『いいですよ』と受けるほうがスムースなのである。

この Life Cyclesという雑誌 が新車とは全く関係がなくて、メーカーの広告など一切入っていないので、『結構自由にモノが言える』と思ったのも私が本気になった理由の一つだし、今年は登山さんが事務局長を務めるNPO The Good Times は、鈴鹿の8時間耐久レースのイベントなどで、鈴鹿サーキットとも協働もあるし雑誌の記者さんと懇意になることは、いろんな意味でいいことだと思っているのである。

 

   

 

今回取材に来られる記者さんとは『カワサキZの源流と軌跡』の西明石であった会合の席で、私も登山さんもお会いしたそんなご縁のようである。

 登山さんが主宰されている KAWASAKI Z1 FAN CLUB と Life Cycles と繋がることも将来いろんなことが期待されるし、何よりもこの取材の場である 世界から二輪の有名人が訪れている Good Times Plaza を記者さんがご自身の眼でご覧になりそこにあるものをご覧になれば、なかなか普通では見られない『高質なカワサキの歴史』みたいなものを感じられるに違いないのである。

 

    

 

新年早々『取材を受けて頂けますか?』という小さなキッカケから、何となく『オモシロくなりそうな雰囲気』になって来るるような予感を感じているのだが、

 果たしてどんな結果になっていくのだろうか?

 

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二輪業界紙誌 雑感

2018-01-13 06:32:54 | カワサキワールド

★長く二輪関係業界にいて、マーケッテング広報関係は専門で担当したこともあるので、バイク雑誌の関係者などとはいろいろとお付き合いもあったし、今でもいろんな方と繋がっているのである。

カワサキが最初に二輪事業をスタートさせた1970年代は、川崎航空機の人たちは全く二輪事業の経験もなかったし、ましてや広報関係の業界紙誌とのお付き合いなど全く初めてで、どのように対応すべきかなども解らず大変だったのである。

 当時は業界紙が二輪車新聞ほかあと1社、雑誌は『オートバイ誌』と『モーターサイクリスト誌』のこれも二つだけだったのだが、紙の方は取材対応なので、上司のエライさんの対応で、雑誌関係は広告と取材記事特にマシンの『ロードインプレッション』は私が担当していたのである。

たった二誌だけだったが、当時の ロードインプレッションのライダーはオートバイ誌が横内一馬さん、サイクリストは大久保力さんという超大物だったので、その対応もなかなか大変だったのだが、私はこのお二人ともホントに親しくお付き合いさせて頂いたのである。

 そんな懐かしいお二人と同時にお会いできたのが、いまから6年前2012年7月2日に東京で開催された『酒井文人とクラブマンレースを語る会』で、かっての創成期のレース界を支えた超有名人たちに交じって、カワサキからは私と平井稔男さん、それに山本隆くんの3人にお呼びが掛かったのである。この会の実質的な幹事をされた雑誌記者さんからのお招きだったのである。

 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/588c6a3e17bc16ce4225aa86a744e90e

 

  

 

 こんな日本の創世記のレース界を支えた超有名人たちが集まったのである。

 当時のモトクロスの頂点に立っていたライダー久保和夫さんとも何十年振りかの再会だったし、旧いライダーたちとも旧交を温めることが出来たのである。

 

     

 

 この会合には、当時新しくNPO The Good Times のメンバーに加わった松島裕さんもご一緒して、いろんな人たちにご紹介し、繋がりが出来て『二輪文化を伝える会』の今があるとも言えるのである。

   http://2rin-tsutaeru.net/

 

★このような業界のメンバーたちとの『繋がり』がかってはメーカーを超えてあったのだが、昨今はどうもメーカー間を超えた二輪業界としての繋がりは少なくなったという感がする。

 

なぜこんなことを突然思い出したのかと言うと、今年に入って或る雑誌社から『カワサキの特集』をするのでインタビューしたい と言う申し出があったのである。

その雑誌名は Life Cycle  私としては初めて聞く名前なのだが、主として新車ではなく旧型車を中心に扱っているという。

 そういうことで、特に1980年代のカワサキのことについて聞きたいと言われるのである。

 

      

 

 こんな雑誌が送られてきて、中を見ると確かに旧型車の人気車ばかりが扱われていて、新車の記事は一切ないのである。

どれくらいの人気度なのか? と調べてみたら、数ある二輪雑誌の中で、Amazon の売り上げ6位に入っていて、

欲しいモノランキング』ではトップにいて、結構な人気なのである。

 

   

 

 昨今の二輪業界は、年齢層が上がったこともあり、新車だけではなくて、むしろかっての人気車種が注目されているのである。

二輪ユーザーもマニアの方が多く一人で何台も持っている人も珍しくはない。そんな業界の流れの中で、メーカーも新車ばかりに関心を示さずにむしろ旧型車を含めた『二輪業界全体のパイ』を大きくするような活動を目指したら、ホントの意味での『二輪業界の活性化』に繋がり、自然に新車の販売も伸びるのだと思うのだが、どうも単純に新車の販売の伸長のみに走っているような気がしてならないのである。

 

そんなこともあって今回のインタビューは、カワサキのZ1や旧い車にかけては非常に詳しい三木の登山道夫さん経営の Good Times Plaza で、登山さんにも同席して貰ってのものにしたいと思っているのである。

私自身は二輪業界の動きや当時のカワサキのコンセプトやマーケッテング分野については自信があるのだが、当時のマシンそのものについては、登山さんの援けがどうしても必要なのである。

 

  

 

 インタビュ―に来られる記者さんは、私は忘れてしまっているのだが、私も登山さんも面識があると仰るのである。

非常に熱心で、今回の特集だけでなく『カワサキのこと』をいろいろ聞きたいので、ひょっとしたら『2日間になるかも知れない』などと言って来られているのである。

 私自身としても、今年は登山さんと一緒に『8時間耐久レースの支援』も鈴鹿サーキットから要請頂いているし、そんな話も交えて『二輪業界の異種・異質・異地域』のいろんな人たちを繋いだ『二輪業界活性化』のお手伝いが出来ればいいなと思っているのである。

 そういう意味でも、二輪専門紙の方たちと繋がっていくことは大いにプラスなので、今月中旬に予定されている、このインタビューには、私の方からもいろんな意味で大いに期待しているのである。

 

そんなことで少しじっくり対応したかったので、孫たちがアメリカに戻った来週に予定したのである。

このブログをアップしておけば間違いなく登山さんに繋がるので、そんな予備知識の上で『登山さんとの事前打ち合わせ』をしようと思っているのである。

 

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若い孫たちとの1ヶ月

2018-01-12 12:25:48 | 発想$感想

12月20日に、アメリカから孫・門野真也がやってきた。

 今日1月12日夕方6時の便で関西国際空港からアメリカに戻っていくのだが、約1ヶ月近く三木の我が家にいたことになる。

  すぐ近くのバス停から、三宮行きのバスに乗って帰っていった。

 

 

 

 

 

 

孫と言ってももう20歳の成人だから、小学校時代のただ単に遊んでいたらいいのではなくて、『若い世代と一緒に暮らした』と言う感覚なのである。

 さらに今年は、

 ●12月30日から1月4日までは、孫の長男 門野力也がやってきたし、

 ●1月2日から1月5日までは、息子の方の孫・古谷仁 が滞在したし、

 ●1月5日からは、アメリカのBerkeleyのサッカー部のチームメートのサム君が今日まで滞在していたのである。

 

  滞在した記念に、それぞれサインをしてもらった。

 

  

 

 一番右が『古谷仁』 真ん中の上が『門野真也』 その下#30 とあるのが『サム君』 一番左が『門野力也』である。

 門野力也を除いては、ダンスやサッカーやってて、実際にサインをすることもあるので、結構手慣れたものである。

 

 

   

 こちらはちゃんと My name is ・・・・ と書いてもらった。

 こちらはどうも『幼い文字』なのは、やはりパソコン世代なのだろう。

 古谷仁が24歳、門野力也が23歳、門野真也Sam Junqua が20歳である。

 

 

★約1ヶ月、こんな人たちと生活を共にして、自分で言うのもおかしいが、『結構トモダチづきあいい』が出来たことは自慢である。

朝早くの公園のトレーニングも行ったし、フットサルやサッカーゲームにも付き合った。真也とはジムのトレーニングも一緒に行った。

それをブログにも Facebook にもアップしたので、三木あたりでは読まれた方も多かったのだろう。

 真也とサム君が朝走っていて『おはようございます』と挨拶したら、『もしかして真也くんとサム君ですか?』と女性の方に言われたとか、緑が丘なのだが、どなただったのだろう? 昨日は午後二人で買い物に行ってたら、ジムの係の方に声を掛けられたそうである。

 アメリカでは朝の散歩などでは、見知らぬ人にも『Good Morning』と声を掛けるのが一般的である。そんなことで真也は日本でも出会った人には、みんな挨拶をするのだが、戻ってくるのは『半数ぐらい』と言っていた。

 

★この4人と2018年の新春のスタートを一緒に過ごしたのだが、今年はこの4人にとっても、転換期となる大きな期待の持てる1年になるはずなのである。

 

● 古谷仁  24歳

 この2018年の12月末には、どんなことになっているのだろうか?

 昨年夏からスタートしている本の出版はこの3月には大体の目途が立つはずである。

 その本の出版の成果がどんな形で現れるのか? 一緒に組んでいるチームの人たちは、今後どのように動くのだろうか? 

結構な組織のようで、古谷仁自らがこんな風に書いている。

 ripple roomの制作は6月からスタートしました。1月で制作を始めてから7ヶ月が経ったことになります。

組織を主体的に動かしていくのは、全て大学生です。インタビューはメインのスタッフ以外にも協力をして頂き、計10人で手分けして行いました。実際のインタビューから原稿作成までの制作過程も自分たちで思考し、手がけております。原稿の作成フローにはプロのライターからアドバイスを頂く機会も設けており、現在も上質なインタビュー記事を目指してブラッシュアップに奮闘しております。

組織は、出版編集室・セールス&マーケティング室の大きく2つに分かれております。上述した仕事内容の運営と管理は出版編集室が担当しております。その他にも出版編集室は、・目次やページの配列といった、全体のレイアウト・ブックのサイズ、紙質、ページ数等に、こだわりを持って思考を重ねております。ミーティングで様々な雑誌を参考にして見比べながら、ripple roomの魅力を120%伝えることができるレイアウトを導き出しました。

 一方で、セールス&マーケティング室はripple roomを世の中に広めていくことが主な活動となっております。Instagram・Twitter・FacebookといったSNSの管理やフライヤーの制作といった広報活動がメインとなっております。

 組織のメンバー全員がこのような活動をしていくことが初めてです。インタビューを引き受けてくださったダンサーの方々やアドバイザーの方々、たくさんの人たちからの協力と応援を私たちの原動力に変えて、気概を持ち、日々試行錯誤を繰り返しながら前進しております。

 

ひょっとしたらこの12月末には、もっと確りとしたグループになっているかも知れないのである。

いずれにしても、この1年は目指す方向が見えてくるのではなかろうか?

 

 ● 門野力也 23歳

 何か理数には、めちゃめちゃ強くて、コンピューターやネットの世界のことは飛びぬけて優秀で、私がパソコンでちょっと高度なことができるのは、みんな力也が『云った通りのこと』をその通りに『繰り返して』いるからである。

 大学でも先生の助手役みたいなこともやっているようだが、昨年の夏突如『やりたいことがあるので1年休学したい』と言い出したのである。『やりたいこと』とは既に社団法人も創っての活動のようだが、『従来の先生が教科書で教え込む教育』は将来はコンピューターやロボットでもできる。『そんな従来の教育とは違った新しいタイプの教育』についての研究のようである。

つい先日の講習会でスピーカーを務めた時の演題は、

Active Learning とProject Based Learningとコミュニティデザイン』と言う専門的なものだが、大好評だったと言うのである。

 ただ性格は結構私に似たところもあって、自分のやりたいこと以外には『全然興味を示さない』ようなところもある。

 

 

 授業料以外の生活費は全て自分で稼いでいて結構忙しく、この新春も4日の午後から塾の先生のアルバイトの初日だと朝早く戻っていったのである。10月からは復学して来春は卒業・就職するのだろうが、年内にはその進路は決まっている筈である。

 

● 門野真也 & Sam Junqur  20歳

 この二人は、Berkeley のサッカー部のチームメイトだが、Samくんはお母さんが日本人の日系フランス人なので、今回はお母さんと日本に来ていたのだが、彼だけが残って三木にやってきたのである。

  

 

 三木に来たその夜に、フットサルの試合に出たりした。

 果たしてどれくらい日本語ができるのか? アメリカでも会ったことはあるのだが、その時は『よろしくお願いします』ぐらいの一言だけだったのだが、会ってみると日常会話は大丈夫である。

 今度、Berkeley 大学の日本語の学科の上級を真也と一緒に受けるのだとかで、いま文字など猛学習中である。

 

 Berkeley 大学の日本語科講座の受講試験みたいのがあるのだが、その水準は結構高いのでびっくりした。真也も同じくその学科を受講するのだが、こちらは大学の単位を取るための方策みたいなものである。ちなみに先生は日本人の女性の先生である。

二人とも、今年の秋からは4回生で、多分12月には卒業するようだが、卒業後はサッカーのプロの選手を目指すのだという。Berkeleyの4回生は6人ほどいるのだが、そのうち4人がプロ希望だという。

ちなみにポジションは真也が、フォワードかミドル。 Samくんはバックである。

 『ホントにプロなどなれるのか?』などと思っていたが、そんな夢が実現するかどうかの1年になりそうである。

 

● 門野哲也  17歳

 もう一人、まだ高校2年生の孫・門野哲也がアメリカにいるのだが、彼もサッカーをしていてポジションはキーパーである。

 Strikers FC  という名門チームでプレイしていて、大学入学は来年の9月なのだが、すでにいまもアメリカの幾つかの大学から話があるようだが、ひょっとしたら年末には大学の推薦が決まっているかも知れないのである。

  

  力也や、真也と違って背だけは飛びぬけて高くて、おばあちゃんと並ぶとこんな感じなのである。

 ひょっとすると、今年の夏は三木に遊びにやってくるかも知れない。

 今回は、真也が哲也のお土産と言って、昨日も菓子など大量に買い込んでいた。

 

★ 兎に角、こんな若い人たちと一緒に過ごした約1ヶ月も今日で終わる。 いい1ヶ月だった。

 また、老夫婦二人の静かな生活が始まる。

 この秋に、またアメリカで、Sam くんに会えたらいいなと思う。今度は日本語で思い切り喋ることができるだろう。

 今年1年、我々にとってはどんな年になるのだろうか?

 

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原発ゼロ・自然エネルギー基本法案

2018-01-12 05:52:28 | 発想$感想

 ★小泉元総理などが推進する『原発ゼロ・自然エネルギー基本法案原自蓮』がその骨子を発表した。

 

    

 

 法案の「基本方針」には、運転中の原発を直ちに停止し停止中の原発は今後一切稼働させないと明記。今後は太陽光や風力などの自然エネルギーに全面転換し、2030年までに全電力の50%以上、50年までに100%を目標に掲げると言う。

非常に特徴的なのは法案に纏めて、今後、各政党に法案への賛同を促し、22日に召集予定の通常国会への提出を目指すということで、同様の法案提出を目指す立憲民主党の幹部らと意見交換して連携を確認し、今後、希望の党など野党各党との意見交換も予定するという。

原発問題』が今後の自民党総裁選や国政選挙での原発政策の争点化に上がるようなことになると、これは大きな争点になる。

これまで主要政党は、「2030年代に原発稼働ゼロ」、「原発に依存しない社会・原発ゼロを目指す」などとしてきたが、いずれも即時ゼロではなかった。一方の安倍自民党は「重要なベースロード電源との位置づけのもとに活用」と、脱原発とは異なる公約を掲げている。

 

★ 安倍政権が『原発ゼロに』踏み切れない理由は、いろいろとあるのだろうが、『原発問題』に関してはあの福島原発の被害状況がアタマにあるので、普通に考えたら『原発即時ゼロ』が一般大衆受けすると思うし、あの東日本の事故からドイツは『原発ゼロ』に舵を切ったので、日本もその方向を取れば良かったのだろうが、電力会社などその他いろいろの『日本特有の利権組織や団体』があって問題をムツカシクしているのだと思う。

 そのあたりのことが、表立って議論されていないのだが、今回通常国会で議論されるとなると、これは森友問題などとは比較にならない重要課題で、国民の関心も大きいだろうから、注目に値する大きな課題である。

是非、『原発ゼロ』の方向に舵を切って欲しいと、個人的にはそう思っている。

国会で議論されたら、『なぜそれがムツカシイのか』ということも、解ればいいなと思っているのである。

 

 

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孫・古谷仁の大仕事 ripple room  その5

2018-01-11 07:31:18 | 発想$感想

★今回は本人が直接語った弁をご紹介することにする。

 

   

 

今、本を作っています!ご支援・ご協お願い致します!

 2018年、今年もよろしくお願いいたします!古谷 仁、24歳最後の勝負事です!

 2017年6月から、全力をかけまして、Team rippleという団体を作り、アーティストの「生き様」をテーマにしたアートブック【 ripple room 】を制作しています。vol.1・2の対象はは、約90人のストリートダンサー(old school編・hiphop&house編)です!この90人は、世界大会優勝、日本代表から地域のダンスシーンを代表するダンサーまで、一線で活躍するストリートダンサーをとりあげています。

...

 北は北海道、南は沖縄まで、およそ90人のストリートダンサーにアポをとり、直接インタビューをしに回ってきました。個のライフスタイルを追いながら、技術にとどまらない人間表現の「源流」を探りたい。
 彼ら彼女らの素顔に触れ、映像だけでは理解することのできない表現の濃度に触れることによって、ストリートダンスの新たな価値観を発見できるようなデザインを目指しています。そして、生命ありきな人間表現を見直し、生き抜く人間を再評価していくきっかけになればいいなと思っています!

 これは、戦いです。WEBというリスクの薄い媒体ではなく、本というアナログの勝負です。

 お金が足りません。現在、以下のURLから、一口¥3,000からのご支援を承っております。制作費に加え、デザイン費、交通費など膨大です。その支援をしていただくと、本を郵送させていただくシステムになっております

 ストリートダンスにご関心のある方、アートや表現にご関心のある方、そして「感動」を生み出すアーティスト、涙してしまう・鳥肌がたってしまう「作品」を生み出す表現にご関心のある方は、ぜひ中をのぞいて見ていただきたく思います。

すでにご支援いただいている方々、ありがとうございます。頑張ります。
どうか、よろしくおねがいいたします。
今後もよろしくお願いいたします!!!!

team ripple代表
古谷 仁

-----------------------
<ご支援・ご購入はこちらから>
https://camp-fire.jp/projects/view/37072
クラウドファンディング CAMPFIRE
-----------------------

 <協賛・協力いただいおります先(大感謝)>
Hama Show
Asuka Eo
一般社団法人ダンス教育振興連盟jdac
Dews
DanceFact
TRAILS

もっと見る
 
 
     
 
 
★若い頃は少々無鉄砲でがむしゃらの方がいい。そのうちに時間がまともに戻してくれる。
 大学を折角卒業したのに、就職もできないわけではないのに、『何をダンスの本など・・・』と思うのが普通だが、昔と違って今の世の中、いろんな生き方が出来るようで『いいな』と思っている。
 
これは、戦いです。WEBというリスクの薄い媒体ではなく、本というアナログの勝負です。などと背伸びしていってるところがいい。
 
果たして軍資金は集まるのか?
集まらなかった時、どのように対応するのか?
 
1月中にその結果は出るので、非常に興味のあるところなのである。
その時どう動く』 人生は、その時々の『対応力が全て』と言ってもいい。
頑張って欲しいと思っている。
 
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日ハム・清宮幸太郎

2018-01-10 06:28:15 | 発想$感想

★日ハム・清宮幸太郎が実現し、愈々動き出した。

マスコミは一斉にそのあとを追っかけている。

 

    

 

 

プロの世界に期待されて入ってくる『大物選手・大物バッターたち

 ピッチャ―に比べてバッターはホームランの数だとか距離、その速さなど、素人にはその大物ぶりが解りやすい

長嶋茂雄・王貞治 あたりがそのスタートだと思うが、その後も 清原和彦・松井秀樹・大谷翔平など期待された新人がプロ野球に入ってきたが、そんなトップ新人たちはみんな期待通りの活躍をしたし1年目からその片鱗を見せたのである。

将来スターになる選手は、何か人と違うものを持っている

そんな先輩たちに比べても、清宮幸太郎は遜色ない実績と素質と運を持っていると思う。

 大谷翔平を育てた名将栗山英樹監督のいる日ハムに入団できたのも清宮の持っている強い運のようなものを感じる。

 

     

 

 日ハムで、どんなポジションでスタートするのだろうか?

 1塁には中田翔がいるのだが、 名将栗山英樹監督は、どんな使い方、育て方をするんだろうか?

 これから開幕まで、清宮幸太郎に目が離せない。

 

 

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アメリカからのお客さん

2018-01-09 05:36:37 | 発想$感想

★ 今我が家には、アメリカからのお客さんが二人来ていて、12日まで滞在中である。

 孫・門野真也はアメリカカリフォルニアの Berkeley大学のサッカー部にいて今3回生なのだが、今年の9月から始まるシーズンには最上級生として臨むことになっている。

 

    

 

  今シーズンの練習は1月20日ごろからスタートするようだが、その前の冬休み中に日本に遊びに来ているのである。

  これはまだ2回生の頃の写真だが、孫・門野真也はNO.3 いま日本に一緒に遊びに来ているサム君は、NO.30である。

 このチームはなかなか国際的で、アメリカ人のほかに日本人・メキシコ人・フランス人・インド人・ドイツ人などがいる。このころまでは孫とハイスクール時代から同じチームにいたクリンスマンくん(元アメリカ代表監督クリンスマンの息子さん)NO.24もいたのだが、すでに大学を中退していまは、ドイツのプロチームに入団している。

 

 ★そんな孫・真也もサム君も、今年ちょうど20歳で、日本にいたら成人式に出席する年ごろなのだが、アメリカは確か18歳で成人だし、日本のような成人式はないのだが、見ていると既に成人になっている感じで、日本にいたころの小学生時代から比べると、当たり前の話だが見事に成長しているのである。

日本にいる間の生活態度なども毎朝6時半から1時間ほどトレーニングは欠かさないし、時間をコントロールできている。今回の日本への渡航費などもすべて自分で都合したようだし、アメリカの大学のサッカーチームはまだ学生なのだが、チーム監督と交渉して年間の補助金額が決まり、その額の中から大学の授業料も生活費も賄っている、すでにプロのような境遇なのである。

今年度の年間補助金額はまだ決まってはいないようだが、シーズン初めにまずその契約交渉から幕が開くのだとか。今シーズンは間違いなくチームの主力選手が約束されているので、その金額のアップを交渉するのだと言っている。

二人とも英語のほかに日本語・スペイン語・フランス語など3か国語が喋れるし、サム君の日本語は我が家での会話には全く問題のないレベルなのだが、いま、日本の文字を勉強中だがこれにはだいぶ苦労しているようである。

 真也が日本語の先生で、サム君がフランス語の先生役である。サム君のお父さんはフランス人で、お母さんが日本人の日系フランス人である。小さい頃は、大阪にいてお父さんはパナソニックにいたらしい。今はアメリカのシリコンバレーにお住まいなのである。

 

 これは1月5日、サム君が三木にやってきたその日の夜に、米田和彦くんに誘われて、フットサルの試合に出た後の記念撮影である。

 試合後なので、アタマから湯気が出ている。

 

     

 

  昨日は三木防災公園で、こんな仲間たちとミニ・サッカーで遊んでいた。

             http://www.nicovideo.jp/watch/sm32555128

  

 

 最近の若い人たちは昔と違って、動きが積極的である真也の前にいるのは、日本にいたころの同級生『しゅんちゃん』だが彼も昨年アメリカに渡りミネソタの田舎で何ヶ月かの生活を経験し、そのあと真也とBerkeley や Irvine で一緒に行動した仲良しなのである。

 

 今日はそのしゅんちゃんと3人で京都に遊びに行っている。

 生憎の雨だが、どんな京都巡りだったのだろう?

   Facebook のメッセージでこんな写真を送ってきた。

 

   

 

  3人で、伏見稲荷に行ってきたらしい。

 

   

 

 

    

 

    サム君、よかったと言っていた。

 

★ この年末年始は、ずっと若い孫たちと一緒で、気分も大いに若返ったのだが、もう日本滞在も残りわずかになった。

 気持ちがいいくらいよく食うのだが、あと『焼き肉と回転すし』の予定が残っている。 

 一緒に付き合っていたら、お蔭で私の体重も1キロほど増えてしまった。

 でも、今年は年明けから、新しいスタイルでの生活が始まった。

 ぜひ、秋には今年もアメリカで二人のサッカーなど見たいと思っているのだが、そうなることを祈っている年明けなのである。

 

 

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