雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

人の繋がりとご縁の不思議さ

2020-07-03 06:05:32 | 発想$感想

★ 人は生きてるといろんな方と出会いがあるのだが、
 こんな複雑な繋がりもあるから不思議なのである。


 つい1週間ほど前に『ノーリツの社長交代』があったという
 こんなニュースが流れたのだが、


 
 
 

 娘婿のTad Kadono(門野匡秀)はノーリツにいて
 今回社長になられる 腹巻さんの下にいたとかで、
 Facebookにこんな記事をアップしていた。

 前職 ノーリツ時代にお世話になって先輩が、ノーリツの社長になられるとのこと。
何もわかっていない入社2年目で、給湯器の商品企画担当させていただき、そのときの商品開発リーダーが腹巻さんでした。仕事、遊びともによくできる方で、何よりこんな若造で、何もわかっていない私にも同じ目線で、話していただけたことがうれしく思い、一生懸命仕事させていただいたことを思いまします。その10年後、経営企画室でも同じグループで、新規事業開発のリーダーで私がその下でお世話になりました。
5時までも、5時以降も楽しくお仕事させていただきました。
 腹巻さん、がんばってください!


 私自身も『ノーリツ』とは、結構身近なところがあって、
 今回の新社長の『腹巻さん』とは全く何もないのだが、
 前社長の国井さんは未だ面識はないのだが、
 三木商工会議所会頭の稲田三郎さんと同じ小野出身で、
 稲田さんの子供の頃からの『トモダチ』で、今でも親交がおありのようで、
 いつか機会があれば『ご一緒に』などと言って頂いていたりしたので、
 ひょっとしたら国井さんの耳には入っているかも知れないのである。


   

 稲田三郎さんとも三木に来てからの繋がりだが、
 私の80歳の誕生日には『80本の薔薇の花束』を頂いたりしたのである。


   
      
 私の生涯で花束など頂いた記憶はないのだが、
 この80歳の誕生日には
 マウンテンライダーㇲの50周年記念パーテイーの日だったので、
 小嶋松久さんからも花束を頂いたりしたのである。
 

         



★私の現役時代の直接の上司だった髙橋鐵郎さんとは、
現役時代の半分ほどご一緒に仕事をさせて頂いたのだが、
髙橋さんは海軍兵学校のご出身で、終戦時は学生だったそんな年代なのである。

その同期の方などとはホントに特別な間柄で、
呼び合う名前は海兵時代のままの『苗字』だけの呼び捨てなのである。
そんな仲間のお一人に『ノーリツの創始者・太田敏郎』さんがおられて、

   
     




高橋さんからいつも聞かされていたのである。

太田武郎さんは敏郎さんの弟さんで、
私の大学時代の野球部の2年先輩で、
ノーリツの副社長をされていたというそんな不思議な関係なのだが、

これは大学の野球部OB会のゴルフで、右が太田さんである。
私がシャッターを切った。


     



娘の結婚相手の門野匡秀くんがまたノーリツなのである。

そんなことで、特に太田武郎さんとはしょっちゅうゴルフでご一緒したので、
その度に『門野くん、元気にしていますか?』と声を掛けて下さったのである。


彼は最初は東京勤務だったが、工場にに異動してからは
技術屋なのに労働組合の委員長などになったりして、
カワサキの明石工場と同じ地域だったので、
川重の労働組合の井上さんなどには、可愛がって貰っていたようで、
井上さんから私は『門野はいい奴だ』と何度も聞かされていたのである。
確かに、門野匡秀くんは『いい奴だ』という評が一番当たっているかも知れない。


★2004年頃、ノーリツは企業のアメリカ進出を決めるのだが、
2005年1月門野匡秀は突如アメリカの新会社への出向を命じられ、
新会社の社長と共にアメリカ異動となり、娘たち家族も7月には、アメリカIrvine の住人となるのである。

どこもそうだが、一番最初は最優遇で、
社宅も社長宅のすぐ横の立派な家だったようだし、
年に2回日本への帰省も家族もみんなビジネスクラスだったのである。
そんないい待遇の何年間だったのだが、
サラリーマンの出向は、いつかは帰国が待っている。

2012年だと思うが門野にも帰国指示があったのだが、
アメリカ残留』を決めてノーリツ退職に至ったのである。
その理由はそんなに詳しくはないが、単に『アメリカがいい』と思ったのだろう。

生活は大丈夫か?とみんな心配はしたのだが、
娘は私に似て『ネアカ』で、『何とかなる』と思ったのだろうし、
Tad Kadono も大変だったとは思うが、
それから8年確かに大変だった時代も乗り越えて、
長男は日本で就職し、次男はアメリカのサッカー・プロになり、
末弟はいま大学生だが、同じくサッカープロを目指している。

結果的には『いい判断』だったのだと思う。


   もうアメリカ生活も15年を過ぎた。
 幼稚園前だった末弟がもう大学生である。

 そんなアメリカ生活の中で、いろんな方たちとの出会いもあったし、
 家内は10回も行ってるし、私も4回訪ねて、Irvine はほんとに詳しくなった。

 Facebook でも何人かの方とトモダチで繋がっている。
 これからもまた新しく繋がる方が出てくるかも知れない。
 『世界は狭くなった』そんなご縁を大事にしながら、今後も生きたいものである。


 

  









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7月1日 今年の後半が始まった

2020-07-02 05:59:22 | 発想$感想

★『7月1日 今年の後半が始まった』 と題したが、
 先週の日曜日に、突然8度近くの高熱が出て『コロナか?』と心配になり,
 病院に行ったりしたのだが、特に問題はないという診断だった。
 28、29、30日と3日間の半分は寝てたが、不思議なほど体力は落ちるものである。

 昨夕『家の秤』だが、基礎代謝は減少、体脂肪率は上がって、
 いつもは72歳前後と出る『年齢』が80歳と出て、びっくりしてしまったのである。
 やはり、動かないと高齢者の体力は急激に弱ることがよく解った。

 そういう意味では、7月1日は『今年の後半の運動を再開』したのである。
 3日間休んでいたら、やはり体は重くて、
 いつも1時間はやるスロージョッギングを30分ほどにしてきりあげたのである。

 ずっと続いていた『アクテイブタイム』は見事に3日間0だったのだが、
 後半の初日は39分からのスタートなのである。

    午後も草抜きなどの『庭仕事』を2時間ほどやったら、
 正直なもので、夕方秤に乗ったら、『年齢75歳』まで回復したのである。


★4日ぶりの三木総合防災公園だが、
 花が多いこの公園も7月は緑が目立つようになる。
 これも花と言えば花なのだろうが、なかなか綺麗である。

  


 手入れの行き届いた芝生が、こんなに綺麗になった。




 結構大きい木が目立つ、こんな緑の中での運動は気持ちがいい。





 お蔭様で、体調回復の再スタートが、7月1日に切れたのである。

 いよいよ夏の始まりである。
 暑さには慣れてきたようにも思うが。猛暑の季節を迎える。
 今回の発熱を機会に、今後も健康や体調には留意して過ごしていきたい。



★ 今回『コロナウイルスの日本での対応』がどんなものなのかよく解かった。
 あれだけ『検査『とかはいろいろやりたがる病院だが、
 抗体検査、PCR検査、抗原検査などは8度の熱ぐらいではやらないようである。
 
 たまたま午後のアメリカの娘一家がこの度引っ越しをしたとかで電話があった。
 アメリカも日本以上にコロナは大変なはずだが、
 何事も自己責任が徹底しているし、個人の意見が強い国で、
 大統領も個人的にはマスクをしていない。
    ただ検査は無料でやってくれるようで、
 末弟も合宿が始まれば毎週検査するとか言っていた。

 
娘婿がFacebook にこのように書いている。
 
明日から真也が、2週間後から哲也がチームトレーニングが始まります。
どんな練習スタイルになるのかわかりませんが、3か月間続いた個人練習も、とりあえずこの週末が最後。親も必死で練習手伝いました😅
兄弟でポジション重なららず、他の選手と比べると、効率よく練習できたと思います。哲也は先輩から「シュート練習したいから、できるだけ早くサンディエゴに帰ってきてくれ!」ラブコールされているようです😄

   


 次男は昨日チーム全員が『コロナ検査』をしたとかか言っていた。

       


★いま娘家族が住んでいるIrvine
 アメリで一番治安のいいと言われている市で、
 原野の上に『Irvine』という開発会社が開拓して、
 『Irvine市』になったという全く計画的に創られた街で、
 道路の横は緑か家で、道路に面した店が一軒もないという珍しいまちである。
 銀行もガソリンスタンドもいろんな商店も、すべては一画に集約されて、 
 それが大小いろいろ点々とセットされているのである。

 コロナ問題でも、所謂『蜜』になるようなところが皆無な街と言ってもいい。
 そういう意味では、ロスなどと比べると『安全だ』と言えるのだろう。


★ 私は現役時代からご縁があって、
 1983年当時すぐ北のSant ana にカワサキの現地販社KMCはあったのだが、
 事業が拡大して4か所の事務所に分散していたのを一か所にしようと、
 Irvineを探したら、Sant ana の事務所を売れば広大な土地が買えたのである。

 ちょうど405と5号線が繋がって5号線となった一番南端だったが、
 それは広大な土地だったのである。



 

 
 
 そこに日本の建築会社が約20億円でそれこそビックリするような
 立派な社屋を建てたのである。

 なぜそんなに詳しいのかというと、ちょうどその頃事業部企画室長で、
 当時のKMC社長の田崎さんとはコンビですべての計画を進めていたし、
 日本側の川重本社との折衝は私が担当していたのである。
 土地はあまりにも広すぎたので、半分はどこかに売却したりしたのである。

 KMCが大赤字で単車事業再建最中の立案であったことが特筆される。
 当時の監査役からは『大赤字会社が新社屋か』と反対意見ではあったが、
 当時はKMCの経営に関与していた本社財務の賛成も得て実現したのである。
 
 この新社屋建設で4か所の事務所が一体化し効率も上がったし、
 何よりも経営再建に向けての士気の向上が大きかったと思う。


★そんな町『Irvineに娘一家はいま住んでいるのだが、
   あのエンゼルスの大谷翔平もこのIrvineに住んでいるようだ。
 静かで本来は砂漠の原野なのに緑いっぱいの街なのである。
 コロナとも無縁であって欲しい。
 
 


 


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千両・万両 今年は実が付きそうである

2020-07-01 06:11:52 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★小さな庭だが千両と万両が結構沢山植わっている。

 冬に赤と黄色の実をいっぱいつけるのは楽しみである。
 千両は株分けで万両は勝手に実が落ちて増えていった。







 ところが昨年の冬はどちらも一切実つけなかったのである。
 確りとは覚えていないが昨年の春に花が咲かなかったのではないか?
 と思ったりしている。


 そんなこともあって、
 今年は花が咲くかなと気をつけていたのだが、今こんな状態だから、
 大丈夫なように思う。


  






  間違いなく、いっぱい花を咲かせている。


  『千両・万両花が咲かない』と検索したらこんなことが載っていた。



  

 雨が多いとダメだとある。
 今年の梅雨はちょうど花時と重なって今日も雨である。

 大丈夫かなと思って、写真など撮ってきた。
 冬に赤と黄いろい実をいっぱい付けるように期待である。

 1月2日の父の命日の墓参りには、普通の花は買わずに
 いっぱいに実った庭の千両・万両を持っていくのだが、
 来年はどうなるだろう?

 こんな心配をしたのは、初めてのことのように思う。


 

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