ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

2023年夏休み(3

2023-08-29 | 名所
つづき



リゾートぽい所を探す

水族願の白いテントとヤシの木がいい

水上バスの待合所がいい感じだった





日影でオーシャンビュー

人がいないのでプライベートビーチ状態

最高

あとは妄想でリゾートを楽しむ







他にもいろいろいい場所はある

建物は有名建築家がデザインしたものが多々ある


そろそろ帰国

その前に、公園限定のアイスを食す






サイクリングロードに出ると「虹」が出ていた

晴れているのに

半分だから2時半か






進むにつれて左半分が見えてきた

こんなことってある?

向こう側は雨なのかな







帰りは追い風

2倍くらい違う

山だと下り坂みたいなイメージ







妙見島の辺りから入る堅川の水門が撤去され埋め立てられていた

ブラタモリで初めて知った、銚子と江戸を結ぶ水路

途中で水上エレベーターもある川が歴史に幕を閉じた感じ






最後にあのハート形の木はどうなったのか?

まだありました

逆光で撮りずらいけどビフォーアフター

煙突がすっかりなくなりました

裏から見るとそうでもないけど

こっちから見ると❤




無事に帰国

約70K、ペットボトル4本

トイレに一度も行かなかないですむ

以上、2023年夏休みでした
















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25周年記念にうまいもんを

2023-08-01 | 名所


おかげさまで25年を迎えることができました(7.31)

感謝

記念に高級料理を体験してきました

題して『食のエンターテインメント』

人生2度目の経験


とある松戸の

京料理を軸にした創作系のお店

一皿づつ出てくるスタイルです




内暖簾をくぐり

カウンターへ



『瓜とズッキーニのカニあんかけ』





肝心の一皿目(一枚目)を撮るのを忘れる

(ニシンとナスのなんとか
 鰊と茄子は秋の出会いもん)



緊張気味だったのか無心経に食べてしまった


最初と〆は大事なのに



ズッキーニはもはや和食でも普通に使われる食材とのこと

本物のカニは本物

TVなんかではカニカマと区別できない人がいるが

日本のカニカマ加工技術はあなどれないとのこと






参ノ皿


『サクラマスの低温調理』



黒酢とモロヘイヤソース

緑と赤のコンストラスト

濃い緑の色合いはモロヘイヤならではのこと



低温調理法は最近聞いたトレンドな調理法

焼・蒸・炒・揚・茹・煮・和以外の技法

生とも焼きとも違うような新感覚

初体験







肆ノ皿


『カニ』


カニのジュレ?


食べ方が分からず訊くと

『しゃぶる』とのこと

甲羅の隙間から旨味エキスが出てくる

もちろん甲羅は食べれません





伍ノ皿


『鯛と貝と本わさび』



わさびはちょうど県民ショーでもやっていたネタ

伊豆と富士山が二大産地

それをサメの肌でおろす

静岡県民が言うには辛みの中に絶妙な味わいがあるという


貝の名前は忘れたけどかなりレアな品




そもそも魚も貝も元の形を実はよく知らないでいる

鮨を食べる時は身しか出てこないので本体を知らないまま

貝殻と一緒に出てくる意味がやっと分かった

「こういう形をしているんだ」という感心が大切









『土瓶蒸し』とすだち




漫画で見たやつ初体験

土瓶蒸しといったら『松茸と鱧』が定番とのこと
(出合いもの)

漫画ではこの組み合わせを超えるモノは無いと言っていたが

みごとに他の白身魚で成立

守破離


まずは出汁の味を楽しむ

そこから松茸と白身と銀杏を楽しむ

すだちの柑橘系で味変


秋の走り♪


海の幸と山の幸のコラボレーション!












漆ノ皿


『鯛の兜焼き』




魚の頭の料理を見るたびに思い出すのが子供の頃

ブリの頭しか入っていない鍋がショックだった

魚の身じゃなく頭の方を食べるなんて、なんてうちはビンボーなんだと思った

眼玉まで入ってグロテックス、骨は邪魔だしありえなかった思い出がある


大人になって分かるのが魚でしょうか


頭はどこまで食べていいのかが分からなかった

この後、残った骨に出汁をかけて飲むのであった

骨からまた出汁がとれるなんて

新しい発見、体験









捌ノ皿


『そうめん』



トマトとオクラのすりつぶしかけ



自分でもネギを細かく切ったことがあるので大変さが分かる

コツを聞いたら切れる包丁と細いネギとのこと

当たり前だけど、いつも苦労して切っていたのはこれより太いから切りずらかった

そもそも薬味に使っていたのが万王ネギや小葱で種類が違ってたのかも



編集していて気が付いたのが

器の色と形の組み合わせ

和食は洋食に比べ地味といわれるけどそんなことはない

白い皿よりも食材が引き立っていると思う

料理と器を楽しめるのが日本料理のいいところ


和食は世界遺産です







玖ノ皿


『キスとアワビの天ぷら』




キスの上に乗っているのはカラスミ

カラスミの塩っけと白身のたんぱくのハーモニー


さっきの松茸の写真は撮れなかったけど

手前のアワビと同じくらい肉厚でした

アワビも松茸も薄っぺらいのしか食べたことがないのでゴージャス気分

こういう所でしか体験できないかも








拾ノ皿


『ハタの煮つけ』




これも漫画で知っていた九州の『クエ』

『アラ』とも呼ばれ勘違いされやすい魚

ハタハタなんかとも間違えやすい名前だけど高級魚


白いご飯が欲しくなる~~

ちゃんと白米をいただきました


うちの母親はこの煮汁をご飯にかけて食べるのが好きです

白いご飯に関しては人それぞれ論がありまが

食べ物で誰かを思い出すのも食ならではなのかもですね


(この日は店主の父親の11回忌でありこの煮魚が大好物だったとのこと)









食後のデザート



『マンゴーと桃のスウィーツ』



果物×果物

桃をすりつぶすなんて


まさに常識とは思考停止であり、発想とは既存の素材と素材の化合物

やりすぎ都市伝説でのアップルマンゴーのエピソードを思い出す
「僕のビジネスのルーツはアップルマンゴーなんですよ!北国のりんごと南国のマンゴーという対極にあるものをかけ合わせて、新しい物を作るこれがビジネスだよ!」
これに感銘を受けたのがSジョブスでのちにIPadを作ったとのこと


凄かった、これぞ創作系の真骨頂




なんだかんだ二時間くらい

コンサートや映画を鑑賞し終わったかのような時間を過ごした

カウンターでの食事はLIVEでの超特等席

仕入れから仕込み調理配膳まで店主が一人で仕事し接客までしてくれる

これぞ食のエンターテインメント!


ごちそうさまでした♪








ちょうど店を出た時には雨が止む

さっきまでいた松戸方面だけは晴れているが東京方面には稲光が見えた

天にも祝福された気分

なんかついていたな~と思うだけでもいい25周年記念日でした



次の30周年目指してGO!































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南極観測船「宗谷」へ

2023-05-20 | 名所



映画「南極物語」に感化され、お台場にある「宗谷」を見学しました

映画はなんとなく知っている程度だったのだが

改めて観るとほんと凄い

日本で初めて南極大陸に挑むのも偉業なんだけど

南極で犬のロケもほんと大変だと思った

1958年(昭和32)の実話を25年後の1985年(昭和58)に映画化

昭和30年代のテクノロジーで極寒の地へ行くのは北海道に行くのと全然違う

その10年後に人類は宇宙に出て月に降りるんだけど

そのくらいの偉業に思える






元々は南極観測用に造られたものではなく

戦前に造られ戦時中は特務艦として活躍し

戦後は外地の引き揚げ組を乗せて任務を終える

その後大改造が行われ南極観測船となる経緯


船内へ



士官の食堂

食堂は2か所あり調理室は別にある

乗組員は100人以上いるので

作る方も大変だったと思われる




当時の水と食料はちゃんと計算されて持って行ったもよう

戦時中は現地調達と無理難題がしいられた

飲み水は南極の氷も溶かして利用された

日本の名水は赤道を越えても腐らないといわれるほど定評があったらしい




当時の防寒服

防水機能とか保温機能はどんなレベルだったのか?

濡れたり汗をかくと大変な事に





部屋は個室と2段ベットが主

海賊のように大部屋でハンモックでは寝ていなかった

缶ピースのたばこは映画でも使用





観測隊員の食堂室

このころにはすでに冷蔵庫があったのか?

テレビ・冷蔵庫・クーラーの三種の神器が普及したのが30年代後半



下にエンジンルームがありエンジンの説明がある



8気筒のディーゼルエンジン(新潟のメーカー)

これが南極の氷を裂いて進むパワーの源

補給はどうしていたのだろうか?

説明を見逃した




食料の倉庫も大事

糧食小出庫と冷凍小出庫がある

130人分の命の源

オーストラリアかニュージーランドで補給できたらいいけど

戦後10年だとまだ日本の評判はよくないはず

ほんと、どうしていたのだろう??





調理室

ずいぶん薄着なような

芸人の小堺さんのお父さんも乗ったことがあるようです




日本から南極へ船で行くには

寒さ対策だけでなく暑さ対策も必要

なぜならば赤道も越えないとならないからだ

南極と赤道の温度差はいかに





そして忘れてはならないのは「タロとジロ」

2匹しかいないのではなく生き残ったのがこの2匹

10匹以上はいたんだけど南極において引き上げたのでした

この話がまた泣ける





通路はこんな感じでそんなに狭くはない

もちろん、トイレもお風呂場も完備

無いモノはなんだろう?





医務室もちゃんとある

医師免許を持った人も乗組員

マルチナ才能が求められる




通信室もある

情報は大事

インターネットやGPSは軍事技術からの払い下げ

まだこの時代はないけど

通信伝達はいつの時代も欠かせないものだ

(東京タワーの完成は翌年の昭和33年)





犬はいるのに猫は?

ちゃんといました、三毛猫のタケシ

あ、こたつは見かけませんでした

各部屋に暖房器具は見かけなかった




スクリューの展示はデッキに

飛行機はプロペラだけど2つあった方が安定感はあるかも

二つあれば一つ壊れてもなんとかなるのかな


2つあった方が曲がる進路変更が容易になる





船長室

個室だけどそんなに特別ではないようだけど

操舵室に近い場所にある





操舵室

飛行機で言うコクピットであり電車の運転席な場所

船の花形はここ




いろいろとメーターだらけ

風とか速度を表示

当たり前だけどアナログ、デジタルはまだない

面舵とか取舵などは日本語表記

取り舵の取は「酉」で西の方向の左の方角をさす

海洋民族ならではの日本の表現





海図室

現代だとナビケーション

なんと「神棚」もある

宗谷神社といい強運の船として崇められている

戦時中も沈まないで生き延びたからかなりの運を持っている




ここ

高い位置で操縦するんだけど船長が操縦するわけではない

船長は命令をするポジション

他の乗り物とは違う




甲板はヘリコプターが停まれるようになっている

ヘリとか戦車があれば犬ソリは使わないで良かったと思うけど

バンエイ馬をなぜ使わなかったのか?

犬だったからこそ南極で生き延びれたのかな




タイタニック号じゃないけど予備の船も完備

万が一のために備えは必要

大量の人とモノを運ぶのは船が一番なのかも

氷の海に落ちたら一発で体温が奪われ泳いでいられない




以上

見落としはあると思うが

宗谷でした

















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神仏習合名残ポタリング

2023-04-22 | 名所
日本の神社仏閣の歴史

神仏習合の時代が長かったんだけど

神道と仏教が一緒なのを否定

でも奈良平安鎌倉室町江戸時代には存在していた事実

今回はその名残探索


といっても今回は偶然に巡り会っただけ

なんとなく引っかかる神社仏閣に寄ってみたらそういうことだったのだ







①流山市西深井にある『浄観寺(じょうかんじ)』

真言宗豊山派。新龍山

江戸時代初期創建

本尊は薬師瑠璃光如来






同じ敷地内に神社らしきものが

水桶には『卍』のマーク

鈴が鰐口になっている

ご本尊が不明で他にも祠がある

そもそもお寺と神社の見極めは難しい

建物のスタイルより何を祭っているのかが大事

鳥居はない


本来の神道は自然崇拝が基本

先祖崇拝の流れで人を祭るようになったとか

そこに仏教が混ざっていく

ロックンロール







②流山市平方の香取神社(経津主命)

創建は不明だが明治維新前にはあった

2の鳥居まである村社格





拝殿がお寺のスタイルなのが珍しい

元々はお寺だったのか?

神紋の三つ巴も少し特殊




社殿のリフォームの記念碑があるのだがよく分からない

なんでお寺っぽいスタイルにしたのか?


平方には『福性寺』という真言宗豊山派の寺院がある

ところがもう一つ同名の『福性寺』が存在するも

情報がない

この辺一帯が寺の領土だったのか?

それともグーグルマップの誤植か?







③江戸川区一之江の第六天宮

入口の表札には妙覚寺の名前がる

別当院

妙覚寺は、弘安7年(1284)等覚院日全上人が開山





境内には鳥居があるも狛犬は見当たらない

第六天とは第六天魔王

仏教系なので廃仏毀釈されていることが多い





神紋は九曜紋

九曜紋といったら平家の千葉一族に多く見られる

妙覚寺は日蓮宗でやはり千葉一族

妙見菩薩を信仰し旧江戸川の妙見島も関係があるとのこと

妙見神社なども同じく仏教色が強いので替えられた神社は多い


お宮の名が残っているのは珍しい









④同じく江戸川区二之江の『妙勝寺』

徳治2年(1307)に開山

起源によれば妙見社を祭ったのが始まり

平家の末柄が建てたとされる

水神宮と妙見社があったが習合色は見られない寺

隣に二之江神社がある





妙勝寺にあった八幡神社とここにあった香取神社とを合祀し

⑤二之江神社と改名


神様と神様を合わせるのは合祀で、仏様と神様を合わせるのを習合という

明治時代に神仏分離し現代にいたる


この周辺は妙の付く寺が意外に多い

妙見信仰と関連がありそう














⑥流山市三輪野山の茂呂神社

江戸時代の地図には『三輪大明神』と表記されている

古くは神宮寺もありは、坂道に『神宮寺坂』とグーグルマップに載っている

平安時代の延喜式神名帳の載っているから習合していなかったと思いきや

たしかにあるはずの狛犬が見当たらない

拝殿は寺みたいでもある





気になるのは屋根の千木と鰹木

基本的には『外削ぎは祭神が男神であり、内削ぎは祭神が女神になっている』とされ

出雲系の大国主は男性で、伊勢系の天照大神は女性

本殿が神明造りになっている


鰹木の本数は『奇数は男神、偶数は女神』とされ

7本なので男性

・・・例外もあるらしいのだが例外の方が特異性が高そう





まとめ

①は同じ敷地内で神社と寺を分離

⓶は神社に寺の名残

➂は寺に神社の名残

⓸は寺から神社を分離

⑤は隣の敷地に分離された神社

⑥は神社から寺を分離


明治維新後に神仏分離で廃寺になったのが多いときく

神社も多いので合祀したり

廃仏毀釈で神社だけを残し改名して今に至っている


神社とお寺は昔から変わらずあるから尊いと思っていたけど

実はいろいろと時代背景に反映されていたのだ

神社やお寺に感じていた不自然さの正体

自然崇拝⇒仏教伝来⇒神仏習合⇒神仏分離⇒国家神道⇒宗教の自由

日本は一神教ではなく『八百万の神』という感覚は昔も今も変わってないような気がする

それを無宗教というのは違うと思う



今回は流山市と江戸川区の2か所を周ったのだが

江戸川サイクリングロードを葛西臨海公園へ向かったのだが

風が強く途中から街中を走る途中に見つけました


流山は清水公園へ行った帰りに街中を走り見つけたのでした

『見つけたと』いう表現は、同じ神社仏閣でもなんか違う感覚

『ここはなんかありそう』という珍しいものを発見するのが楽しい

この違和感に気づく勘覚が好きです


では















































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富士塚登山(松戸市編)

2023-03-15 | 名所
今回は松戸市内にある富士塚を3つ登ります

基本的に富士塚は『浅間神社(せんげん』にあるのですが

低い所も入れるといろんな神社にもあります




まずは

小山にある『浅間神社』へ

旧松戸街道と国道6号のクロスした場所に鎮座してます





標高20m

山の定義は難しいようですが

江戸川で削られた台地に形成された山

その影響か弁財天もあります


そして神紋が『左一つ巴』

白旗神社を合祀したからかは謎

(巴御前と関係があるのか??)




森の中を登る階段は天然記念物クラス(極相林)がひしめく

神秘感が増します

ちゃんと合目も記されています




途中に『猿』の石造があるが、申といったら山王(日枝神社)

お稲荷さんといったら『狐』が定番

ここは山の神を祭る系





山頂に到着

2匹とも子を抱える狛犬がお出迎え

『木花咲弥姫命』と『源義家』を祭るも組み合わせが気になる

木花咲弥姫命は『かぐや姫』のモデルとも言われる





『剣が峰』は本物の富士山にもある一番高い山

富士山とは複数の山の総称を呼ぶ

脇の祠に浅間神社の神紋が見られる

白旗神社の神紋が見つけられず

松戸市内で笹竜胆の家紋を見かけることは無いのは何でだろう?

家康と同じく武士の棟梁を祭るのはご法度なのか?

廃仏棄釈の影響はいかに












竹ヶ花へ


『雷電神社(らいでん)』

旧水戸街道ぞいに参道が北西から入ります

丘のような山のような古墳のような地形です




手水舎の龍が個性的

神紋は三つ巴

雷様といったら三つ巴の太鼓なイメージ






階段を上がります

五合目辺りに石造が並ぶ

稲荷は読めるが他は読めない






山頂に到着

標高16mくらい

それなりに広いスペースになっている

参拝し横の塚へ

今回は富士塚が主





浅間神社です

脇にも祠があるが読めず

何故か傾いている


噴火石が富士ぽくもありここだけ盛った感じもある

でもこの山全体が富士塚と認識されている

地図には認識されていないのはなんでだろう






山頂は平らになっていて見晴らしもいいが住宅街

下山ルートが山道そのもそ

雨の日は危険





途中に石造があり大天狗、小天狗など書かれている

『御嶽石尊大権現』は富士塚にそこそこ祭られているが

本来は大山阿夫利神社にあるらしい

大山祇神は父なのでややこしい

5合目に当たるこの辺が小天狗か

(神仏分離したので神仏習合の時代と混乱)




隣に公園があり出ると作があり竹が植わっていた

これが名の由来、竹が花?

『はまのこどもの遊び場』という『はま』の意味も気になる




竹ヶ花湧水公園は隣だけど

ここにも池らしきものがある

弁天様かと思ったら弘法大師様が祭られていた

廃止されて寺があったのかな?





根本へ


金山神社

JRと新京成線に挟まれた三角地帯

参道が歩道橋なのは珍しい




妙見社があるが元々あったのか?移転してきたかは謎

妙見の傍に千葉氏あり

この辺一帯が『根本城』だったといわれるが

鉄道と宅地造成で面影が消えつつある


『清水』とある、こっちが今回のメイン

『冨士溝』という山岳信仰の一つ

富士山に登った人たちが記念に石造を作る風習がある

このツアーガイドをする人を『御師』とよぶ






5合目に『金山神社本殿』

単純に金が埋蔵されているんじゃないかと思うけど

『金山大権現(金山比古命)』は鉱山や鍛冶の神とされる


弘法大師、水戸黄門や松平定信の伝承がある

彫刻もしっかりされているので『かくれざとう』の伝説も信憑性を増す

その場所がどこだったのか?が今一番気になる問題





竜ではなく獅子?

黄金の獅子のイメージか

小金や金町がるとなると金の根元はここか


山頂へ


見晴らしのいい場所

標高19m弱

富士山の方角はマンションでカット




富士嶽浅間大神

記念碑がたくさんあり富士山愛がたまらない

下山は裏のルート





小御嶽大神

小天狗みたいなものなのか?


そして三峯神社・・・なぜ

山つながりだけど

祠らしい洞窟はみつからず・・


(三峯神社には『盗賊除け』のご利益あり)







こんな感じにちゃんと5合目とかの印はある

表は階段道だけどうらは土道で8の字のような

一筆書きで周れるのかな






山頂は浅間神社なのだが下の鳥居は金山神社と表記

合祀していないのか?そもそも別別なのか?

こうやってみると富士塚があるとは誰も思わない

山岳信仰は修験道要素が強いので奨励されていないのかも



ここは『かくれざとう』の伝説の地

この山のどこかに隠れて一本の木から薬師如来像を3つ彫ったとのこと

それが地名の由来になる根本・中根・浦部の寺に奉納されている


富士塚は江戸時代に流行った新興宗教

その前は城だったとすると隠れ座頭の穴はすでに消滅しているかも

池田弁天が水源地で

武器の製造地はこの金山なのか?

鍛冶山の地名は岩瀬に2つあるが特定できず


ここを中心に西に金町、北に小金と、東に鎌ケ谷と金の付く地名があるのは偶然ではないような



おまけだけど



隣の『岩山稲荷神社』

名前はお稲荷さんだが溶岩が積まれている

富士塚ぽい







伏見稲荷も山にあるから問題はないけど

何かしらの意味はあるように思える









































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馬橋三ヶ月城考察

2023-01-03 | 名所
通説では、馬橋城(小金城)は三中のところか

三ヶ月の三日月神社の北側の台地と言われる

三中の南竜房の地名の周りには城之腰や城之越という地名が残る

しかし三ヶ月の方には城らしき地名は作台や上ノ台といった感じ







唯一の手がかりは三日月神社にある石碑の文献

【1198年に千葉頼胤が三ヶ月台にお城を築かれた鬼門にこの神社を祭ったとされる】

千葉氏といったら妙見神社なんだけど、神紋も違う




今は高台に鎮座する感じだが昔は神社の高さの台地だったとのこと

昭和の区画整理で台地は削られ新しい道ができる

この状態で昔を想像するのは難しい




北向いのマンションの方が島谷台といい

お城の推定場所となっている

鬼門といったら北東が一般的なのだが??






純粋に神社の南西の位置は線路の方になってしまう

JRの地下通路のあたりより南

西の平地に館を構えるものか?

三ケ月台は高台のことだけど

三ヶ月は今の西馬橋1丁目までの範囲なので間違いないけど

腑に落ちない





白くなっているのが整地された場所

6号線に向け上り坂に



昔の名残を見つけるのは難しい

神社の位置は変わっていないはずだけど情報が乏しい

スーパーマーケットの辺りが作台で三ヶ月台の小字名が残る場所

遺跡が出ていないのが怪しく思う






ところ変わって『蘇羽鷹神社』

この神社の名も特殊で側高神社と同じとされ

香取神宮第一の摂社といい歴史はかなり古い系

蘇羽鷹神社は『光明寺』の別当寺ともいわれ萬満寺系ではない


ここに千葉頼胤の居館が二ツ木台にあったと記される

蘇羽鷹神社は萬満寺の鬼門に位置する

おそらくだけど三ケ月台と二ツ木台は同じ高台エリアを指すのだと思う

今も三ヶ月と二ツ木の境界線はややこしい

(余談だかフタツギとミツキがややこしくてミコゼに訛ったのかも)






そして萬満寺

【1256年に小金城主の千葉頼胤が大日寺を建てたのが始まりとされる】

1198年と1256年とでは58年の差がある

三日月神社の方が古い

すると蘇羽鷹神社はその後か同じくらいに建てたこととなる


この千葉頼胤は、鎌倉時代中期の武将。鎌倉幕府御家人。千葉氏の第8代当主。とあり

1239年~1275年まで生存(三日月神社と年代が合わない)

鎌倉中期は執権北条の時代

1274年と1281年に元寇があり九州に遠征

佐賀県の小城市に三日月町の地名があり肥前千葉城も今に残る

その本城の北に妙見社(遺跡)があるので間違いない


熊本にも千葉城があり千葉氏の勢力は広がったが

身内同士の内紛があり千葉氏は滅んでいったらしい

代わって原氏、高城氏が住み着く





松戸の小金城(大谷口城)といったら高城氏が有名で千葉氏の一族ともされる

戦国時代に佐賀の千葉城の出身で松戸の栗ヶ沢に移転してくる

その頃には馬橋城はなくなっている

松戸市周辺は戦国時代のこの大谷口城の出城が多く残る


天守閣のあるお城は信長の時代からとされる

それまでの城というのは館とか砦のようなもの

鎌倉初期はお寺のような造りが主流


鎌倉城があったのかというと無くて

鎌倉の街が山に囲まれていて町自体がお城のような役割

京都の町も山に囲まれているので中国のような城壁はないのが日本流

山城スタイルは戦国時代から主流になる


三中の所も山とは言わないが高台に囲まれ前に川がある地形

プラタモリで見た足利本家の地形と似ている

鎌倉よりも鎌倉時代のものが残っているのが足利というけど

松戸には平安・鎌倉時代の情報が乏しく

博物館は室町時代から登場する

縄文・古墳時代の情報は多いが奈良時代からは空白に近い





三ヶ月は地元では『城山(ジョウヤマ)』と言い伝えられる高台

高台に人が住み着くには『水』が必要

王子神社に『当時は水の乏しい砂丘で諏訪神社を誘致した』と記されている

島谷とか入谷津などの地名があると当時は入江みたいな地形だったのかも

川の近くに館をかまえたとなると水運の利権をおさえていたのかもしれない

となると、鬼門に三日月神社という信憑性が怪しい

大日寺(太陽)、三日月神社(月)、蘇羽鷹神社が星ならば

神紋の三光紋(月星)となるのだが

妙見神社は中根にあり直線で並んでしまう・・・

実は北斗七星の配置が鬼門除けとするのかも?


南から

明治神社・妙見神社・萬満寺・三日月神社・蘇羽鷹神社・光明寺・福昌寺

明治神社は昔は妙見社で福昌寺は広徳寺の末寺

赤城神社が幸谷城の説もあり福昌寺系なら配置的なら赤城神社

三中からは西に結界を張ったように見える


調査はづづく



















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旧水戸街道考察(馬橋編)

2022-12-30 | 名所
旧水戸街道が萬満寺の前で右折するのなんでだろう?

千住宿から松戸宿までほぼ坂道のない平坦道も

この馬橋から坂を上りまた下り再び上って

小金宿に行くルートになったのだろうか?



左折して今の新松戸の方から坂一つ上れば行けるのに

あえて難所の道を選んだのか?

下総台地の入口はこの萬満寺前からはじまる








万満寺門前町はほぼ南北を結ぶ直線

浅草寺の雷門前も旧水戸街道で右折するのと似ている

浅草寺と同じ役割が万満寺にあったのだと思える


右折すると


バス停のところに『厳島弁財天』がある

小字名『弁天』という地名が残るほどの神社だけど

池もなくなり小さくなってしまった


ここから坂を上っていく


江戸見坂と言われるが、江戸はかなり左の方

最近だとスカイツリーの方角が江戸城

富士山の方が見えたのではないかと思われる

(坂の上から萬満寺方面、11.9m).






八ヶ崎の交差点に『水戸街道』の道標がある

ここで印西に行く道と水戸に行く道に分かれる

壱里塚もあり『蘇羽鷹神社』までは国道6号と同じ道





二ツ木の交差点辺りが坂の頂点(標高24m)

昔は三ヶ月もここと同じくらいの丘だったようで

土地開拓で坂道にしたもよう




蘇羽鷹神社前で国道6号と分れる

ここから下り坂

この蘇羽鷹神社を通る意味はあるのだろうか?

神社のところは縄文遺跡でかなり古くからある




2つめの道路標識

ここで八ヶ崎・三ヶ月・二ツ木の台地が終わる

わざわざこの高台を上ったのが今回の謎

ここから下りまた小金の坂を上がる




直線ではなく少しカーブして下る

国道6の方は人工だけど、この道は自然にできたものなのか?







ここが坂の一番下、ここから再び上り坂になる

スリバチの底はだいたい水路がある

ここまでなら平坦道で来れるルートがある




この道が古道

国道で遮断されて通れなくなった道

萬満寺を左から三ヶ月の丘を迂回するルートは存在していた


なのに、一山超えるようなルートにしたのだろうが?

なるべく楽で安全なルートの方がいいと思うのだが




ま、平面の地図だと右から行っても左から行っても

距離的には大差はないように見えるけど

高低差からいったらなるべく坂は上りたくない

下るのも大変




萬満寺の裏は城山とよばれる高台になっていた

60年代に宅地開拓で山が削られた

そこに千葉頼胤の館があったとされるが遺跡はなかったらしい

(元祖小金城はここだったともいわれる)

萬満寺(大日寺)、蘇羽鷹神社、三日月神社は鎌倉時代創建


旧水戸海道は鎌倉街道の下ノ道だともいわれる



萬満寺の横にある王子神社に当時の馬橋の様子が記されている

『馬橋一帯は砂丘で水が乏しかったため諏訪神社を歓請』

砂丘なのに水が乏しい?というのは砂漠のようなイメージか??

この先の横須賀まで砂洲だったら歩けないから坂を上がっていったのかも

江戸時代とは地形が違っていたと思われる

(長津川があるので津の可能性もあり茜津驛の候補地)


江戸川じたいも江戸時代に人工に造られた川という

古くは太日川(ふといがわ)と呼ばれていた

太日の由来が大日寺だったら?ここ馬橋は重要な地なはずだけど

鰭ヶ崎の東福寺の方が歴史は古いので違うかも



新しい情報が入り次第追記

では




























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高輪ゲートウェイ駅探見

2022-10-26 | 名所
久しぶりに電車に乗りました
(今年初)

今年は鉄道開業150年

今頃ですが高縄ゲートウェイ駅へ



駅構内は吹き抜けの明るい感じ

天気の心配はいらなさそう

設計者は隈研吾

木材を使うのが特徴

国立競技場も彼の作




二階が入口でまだ一ヵ所しかなく

構内もまだ未完成


改札口はJRぽい




エキナカは無人場売店のみ

窓口には人はいる


スタバがあるも



いったん外に出なくてはならない

微妙なエキソトナカ

商魂が排除されている




傘のサービスとコインロッカーのサービスはある

公衆電話は見つけられなかった

今どき





インフォメーションサービスはタッチパネルのガイダンス

一番必要なのはトイレかな

ベンチは木目




トイレもおしゃれ

昔の黒い壁のような便器ではない

トイレと言ったらタイルが常識だったような




くつろげるスペースは展望テラスの前

外には出られないがレインボーブリッチが見えた

電車好きは電車を眺める


1階へ


電車のホームは一階

東京上野方面

京浜急行は坂を上っていく




品川渋谷方面

いずれ品川駅と一体化されるらしい

駅前は開発中




エキナカもそろそろ完成しそうなところもある

まだ乗車人数が少ないから大丈夫そう

いずれは人だらけになるのか




気になる柱を発見

なんの扉?

意味はありそう




他にはモニターが縦型に2つ

ブラウン管時代は横だったような


ラッシュ?

混み具合もこれを見れば対応できそう




その他、今流行りのピアノ

ご自由にどうぞなやつ

あとは大きいモニター

映像は必需

正面は見ずらいけど横から見やすい工夫




そして最後に

『駅名』が書いてある看板が少ない

昔だと柱や吊るした看板があったけど

完全に完成してから付けるのかな?

唯一無二なので書かなくても認識できるのか?

3年後にどうかわるのか楽しみ

では




















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ライズツアー(水元公園編)前半

2022-09-27 | 名所


今回は近場の水元公園へ

片道10kで園内を散策すると往復27kくらいなコース

ちょっとした避暑地でもあります


葛飾橋から右折して

金町関所跡の方から坂を下って向かいます

オニバス池口からIN


はす池

菖蒲が終わると蓮の季節

泥でも咲く花は美しい




今回は『小合溜』を一周します

水元公園は都内最大級の広さです

自転車も走れるのがいい





菖蒲園エリアを抜け橋へ

水元大橋

橋の西の方が『釣り堀エリア』

東は三郷公園




噴水広場

売店と近くに食事処がある

トイレは色々とあるので安心


ポプラ並木



水元公園の見どころは森林

特に『メタセコイア』は生きた化石と言われるくらい希少

個人的にもお気に入りのエリア




森林道がつづく

夏は日蔭でいいです

烏がうるさいですけど






道は学習が必要







場所によっては通行止めに

※スズメバチ注意







小合溜は『S字』になっているのでショートカットもできる

キャンプ広場やバーべキュー広場もあるので

この辺で折り返すのもいい

(中央広場一周)








橋のところに『カワセミの里』

カワセミの池がある

水元公園はバードウォッチングも有名

(カワセミを見てみたいです)





公園の出口





つづく












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ライズツアー(水元公園)後半

2022-09-20 | 名所
つづき



閘門橋

明治のレンガつくり

土木建築文化遺産





埼玉県

大場川沿いを進む

『鎌倉』の地名の名が残る

葛飾区の方にも鎌倉があるけど関連性は如何に




旧有料橋(上葛飾橋)からくるとこの道が近い

埼玉側から水元公園に入る道は限られている

間に橋があるといいのだが


疲れていたら

ここからダイそーやホームセンターに向かい

上葛飾橋で帰れる




この辺から道が狭くなる

車道は狭いのであえて抜け道を

川沿いの道がある所と無い所がある





久兵衛通りから右折

小合溜沿いを走る

町工場の多いエリア







三郷公園入口

最初はここも水元公園だと思いました

こっち側の公園もなかなかいいです




桜の時期が最高です

広場も充実

向こう側に見えるのが水元公園





水元公園とはここで合流

閘門橋からここまで水元公園にはアクセスできません

この辺の県境は曖昧なんだそうです




一周しました

ま、一周しなくてもいいけどなんとなく

疲れたので休憩





今回のベストポジション

日蔭で風通しのいい所

人気が無くて最高でした


(べスポジを求め園内を散策するのもお勧め)




その他、時間があれば

『しばられ地蔵』の南蔵院と

ボルダリングの『クライミングセンター』をおさえるといいです


では
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松戸神社①

2022-07-01 | 名所
今回は松戸神社の探索


前回は『虎』探したのですが見つからず


今回のテーマはなぜ『フクロウ』?




基本的情報は

1626年創建のヤマトタケルを祭る神社

古くは『御嶽権現社』で木曽の御嶽山をご神体とする

明治の神仏分離で松戸神社に改名

鳥居は伊勢神宮系の神明タイプ







古地図で確認できるのは

・御嶽権現(松戸神社)

・秋葉(秋葉神社)

・松尾(松尾神社)

・庚申(庚申塔)

・痘瘡(痘瘡神)

配置が正確なのかは不明







正面参道は西側の旧水戸街道沿いから

二の鳥居の右の灯篭に注目

左は『∴』だが右は『∵』

ここだけ唯一さかさま

なぜなのかは不明

戦前の写真はちゃんと『∴』になっている





橋の名は『潜龍橋』

由来は不明

境内で唯一『朱色』のデザイン

魔除けの意味合いかも?







橋を渡ると『手舎』

龍タイプは最近できた模様

見どころは屋根の方






『朱雀・玄武・青龍・白虎』の四神獣が揃う

虎を確認できるのは唯一ココ


風水の基本は

・北 玄武 黒 山 土

・東 青龍 青 川 水

・南 朱雀 赤 海 火

・西 白虎 白 道 木


陰陽五行だと、木火土金水

中央が麒麟 黄色 金 となるが

仏教は、空 風 火 水 地 を五要素とする


松戸神社のお祭りに四神像を祭る『神幸祭』がある





こちらがメインの松戸神社拝殿

境内の中心にはあるのだか

参道からの正面にはない

『天子南面』なんだけど微妙なズレ

なんでだろう

御嶽山に向いているのか?





参道からの正面は『秋葉神社』

ご祭神は『火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)』

『火伏の神』で静岡の秋葉山が本宮

東に配置され西に向く










その隣というか松戸神社の対面が『水神社』

水神と言ったら『亀・龍・蛇・河童』が眷属なんだけど『狛犬』

後から移転してきたと南に配置し西を向く


その横に『龍』のオブジェ

ご神水


最近は『蛍』の飼育をしている













そして隣は秋葉神社の対面が『金毘羅神社』(隣は市の神)

ご祭神は『大物主神』で香川県に本宮がある

金毘羅様はインドの神でワニの化身とされる

山の名は『象頭山』

金毘羅様は『船乗りの信仰』でもある

祠の中には『天狗の面』が奉納されている

秋葉神社も天狗と関連がある・・・


ここで気づいた人もいると思うけど

木・火・水・金とくれば『土』はどこ?


水神さん以外は『山岳系の神社』

『日本においては水神は田の神と結びついた。田の神と結びついた水神は、田のそばや用水路沿いに祀られていることが多い。』

『また、水源地に祀られる水神(水分神(みくまりのかみ))は山の神とも結びついている。農耕以外の日常生活で使用する水については、井戸・水汲み場に水神が祀られる。』ウキ情報


隣へ



松尾神社

『お酒』の神様で『亀』とリンクしている

古地図にも載っていて松戸神社の横隣なので重要度は高い




問題は対の



『フクロウ』のオブジェ

なぜフクロウなのかが今回のメインテーマ

鳥の仲間だけど、どこの眷属か不明


『ふくろうは「福来朗」や「不苦労」などの字があてられる幸運を呼ぶ吉鳥。 ヨーロッパでは知恵の象徴とされています。 取り囲む花々も縁起の良い意味を持っています』
『ふくろうは漢字で書くと「梟」ですが、「木」の上に「鳥」の略体が使われているのは、昔、ふくろうの死骸を木の上にさらして、小鳥を脅したことに由来する』とのこと



松戸神社の日本武尊は『白鳥』


前回はこの亀・鳥・竜があるから『虎』があるはずと探した

亀は黒ポイ石で鳥は赤ぽい石で竜は青っぽい石だとすると

白っぽい石の虎があるはずだとにらんだのだが・・・

唯一虎がいない、見つけられず




本殿の扉には

なぜか北側に『青龍門』

西側に『白虎門』(消えかかっている?消したのか?)

北側に神田川が流れ、西に水戸街道があるからそうしたと推測する

山は東側にあるので玄武だと思うが無い


間違いなく風水を意識している神社

『土』『虎』はどこ?

『戊寅(つちのえとら、ぼどのとら、ぼいん)は、干支の一つ。
干支の組み合わせの15番目で、前は丁丑、次は己卯である。陰陽五行では、十干の戊は陽の土、十二支の寅は陽の木で、相剋(木剋土)である。』


秋葉神社の火之迦具土大神の名に土はあるが


つづく













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松戸神社⓶

2022-06-30 | 名所
つづき


北側にも入口がありトイレが配置されている

その横に末社

『水神社、八幡社、疱瘡社、三峰社』が集められている

痘瘡は古地図に載っている


・水神 亀
・八幡 鳩
・痘瘡 不明
・三峰 狼





富士山の浅間神社

ご祭神は『木花之佐久夜毘売命』

富士塚がある




古地図にある『庚申社』と稲荷神社

本殿の裏にある意味は?

・庚申 猿
・稲荷 狐





もう一つお稲荷さんがある

伏見稲荷は神道系で豊川稲荷は仏教系だとか



『厳島神社(弁天様)』


灯篭は普通に『∴』

橋がある意味は?

弁天様には『水(池)』があるのが定番


本殿の北東に位置する






一番東には『山車』の倉庫

駐車場もある












東側からの入り口

唯一『鳥居』らしきものは東口には見当たらない

社殿の入り口は『青龍門』なはずだけどなぜ?

厳密にいえば南から入るんだけど

ここだけ鳥居が無いのも不思議




社務所にはお守りと御朱印が販売されている

レアなお守りはどれなんだろう






最後に新築の『神楽殿』

四神獣の絵が有名



その隣に



交通安全祈願の塔

秋葉神社と神楽殿の間にある

金毘羅様と同じく水運の安全を祈るのだと思われる



その他


お百度石

『お百度参りとは、神様に願いを聞いてもらうために神社で100回お参りをする風習です。民間信仰の一種で、何度もお参りの回数を重ねることで願いが成就するといわれています。
お百度参りはもともと、氏神神社に100日間欠かさず参拝する百日詣と呼ばれていました』


神社にお願い事をする人が多いみたいだけど

願いを聞いてもらうのはお百度参りなのでは?

拝殿は感謝、挨拶のお陰参りに思う






『土』に関するのは見つからなかったけど

本殿にある彫刻が『麒麟』でした

ここにあるタイプは珍しい


・麒麟:土=中央=黄




整理すると

・麒麟 松戸神社 黄

・鳳凰 秋葉神社 赤

・青龍 水神神社 青

・玄武 松尾神社 黒

・白虎 不明   白


・木 松戸神社

・火 秋葉神社

・金 金毘羅宮

・水 水神社

・土  ?




十干は、「甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)


戊辰の辰が『龍』ならば、竜神を祭っている水神が『土』の可能性もある

『産土神(うぶすながみ)』?

水は厳島神社の弁財天?・・・・?


この一つ足りなく違うのが松戸神社

完璧を嫌っているのか?

単なる偶然なのか?あえてなのか?


探索はつづく




「四神相応の地」とは、「東に青龍の宿る川」、「南に朱雀が宿る海」、「西に白虎が宿る大道」、
「北に玄武が宿る山」がある土地




















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古代道(松戸市内候補)

2022-03-14 | 名所


二十世紀ヶ丘の『いちご公園』に残る標識

松戸方面から大橋を通る道と

市川方面から常盤平(金ケ作)へ向かう道の交差点(辻)

ここが下総国府と常陸国府を結ぶ

『古代東海道』ではないかと推測される






道祖神の猿田彦と月山と湯殿山の石碑があり

秩父と坂東の文字が読める

けどこの辺は区画整理されているので当てにはならない

秩父は武蔵国、坂東は常陸国







北総線の矢切駅の裏道からが

(松戸と市川の市境の道は狭いけど)

ここが『古代東海道』有力候補

20世紀ヶ丘の郵便局辺りまで続く


20世紀ヶ丘は区画整備され道が一旦消える

再び『陣が前』から『南部市場』裏の細い道へと続く

この道は 『御鹿 ( おしし ) 狩 ( がり )』 の時の『御成道』ともいわれる







八柱駅の周辺に『白鬚神社』と『徳蔵院』がある

その近所に【内海道(うちうみどう)】という小字名が

公園に残っている

これがかなりポイントが高い





公園からは徳蔵院が見える位置

春木川・国分川が流れ、この辺まで海だったとも言われる

内海とは『香取の海』を指し、今の東京湾側に対して呼ぶらしい

香取の海は、霞ケ浦と手賀沼と印旛沼を足したくらい大きく

海の入り口には鹿島神宮と香取神宮が祭られている


東京湾は市川の前まで海だったので今とは地形が全く違う

いつ頃変わったのかがまだはっきりしない

その時にルートが変わったのかもしれない

この辺の想像力が難しい









将門の逸話が白鬚神社にあり、将門に襲われたってことは

この日暮村周辺は朝廷の領地だったのではと推測する

徳蔵院も同じ敷地内だったとも言われる

ここも『茜津驛』の候補地

徳蔵院の創建が平安時代なのか戦国時代なのかがあいまい







白鬚神社の西側に
金毘羅様と水神様が祭られていた

『船と水』に関連あり

徳蔵院に移転されて石碑だけ残る

白鬚神社の猿田彦は道の神様


八柱までは『鮮魚街道』と同じルートで

八柱から栗ヶ沢までは御成道と同じ

高木村で馬橋村からの印西道と交わり

逆井、藤心へと進む








下の囲ったのが『白鬚神社と徳蔵院』

上の囲いが『茂呂神社』

少し離れるが茂呂神社は『延喜式神名帳』に「下総国葛飾郡 茂呂神社』と記されている

流山と船橋にもあるが、この道が官道だとすれば本物の可能性が高くなる

小金原エリアも区画整理され昔の道は消える



このルートの問題点は

香取の海を渡るのか?回避したのか?というところ

回避したとなると呼塚の方を通る

海を渡るなら藤心・塚崎から船

手賀沼周辺は島が多かったと推測される

そして大井は将門が独立国を創る計画があったとされる地

岩井には将門神社やゆかりの寺がある

この辺が腑に落ちない所


柏市塚崎の『神明社』が伊勢神宮と関係が深く

『相馬の御厨』ではないかと推測されている

我孫子の湖北に群衛と御厨があり、『於賦(おぶ)驛』の有力候補地となっている

神社の創立が戦国時代らしいので怪しい

ここから水戸街道の方を周って行くのは不自然


やはり香取の海の形はどうだったのか?

ルートはそれに尽きるのかな

以後柏を調査

























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山手線一周サイクリング(品川駅~)

2021-12-02 | 名所


品川から上野辺りまでは平坦な地形

山手線は初めから環状線になる構想は無かったらしい

ロンドン・パリ・ドイツ・イタリアなどのヨーロッパの鉄道は

日本みたいにターミナル駅が環状線で繋がっていない

日本の鉄道包囲網は素晴らしい








日本橋まで8k

出発から35k

第一京浜を進む





『新八山橋』

予定では内側を走るはずだったんですけどしくじり

日が暮れてきたので少し急ぐ



青い京浜急行を初めて見た



【品川駅(1872年開業)明治5】

仮運転だと新橋より先に運行したことになる

山手線としての『0kポイント』はこの品川駅にある


品川駅の不思議は地下鉄が乗り入れていない事

ターミナル駅は必ず通っているが大江戸線もない

唯一の京浜急行はここから地下を走り成田へ向かう

いずれリニアの始発駅になるが地下鉄が今まで乗り入れされていない

なんか理由があるんだろうか?新幹線も止まる大きい駅なのに

地下になんか秘密があるのだろうか?

品川駅だけど港区

品川駅の南にあるのに北品川駅






品川~高輪は再開発中

『品川車両センター』を整理してスペースを造った土地

品川田町間は標高ゼロメートル地域







【高輪ゲートウェイ駅】

山手線で一番新しい30番目の駅

2020年に暫定開業で2024年に本開業予定

(駅前はまだ工事中)








ここがゲートウェイの由来の『高輪大木戸』

関所じゃないけど夜には門を閉めていたようです

治安は守られるが自由がないような






前から気になっていた『御田八幡宮』に寄る

「和銅二年(709)東国鎮護の神として鎮祀され延喜式内稗田神社と伝えられる」とあるようにかなり古い

今は旧東海道に面しているが、その昔はこの裏の古東海道の方にあったとされる








【田町駅(1909年開業)明治42】

慶応大学とラーメン次郎が有名

森永のビルがありエンゼルなんちゃらが多い









再び第一京浜を走り線路沿いへ向かう

日が落ちて撮影が難しくなる

この時期は日没が早い









こっちのエリアは線路の反対側に移動するの難しい

線路が低くトンネル通路も低い

品川からほぼ平坦

昔の東海道本線より向こうは海でした









ここで気になる寺を発見

『法伝寺』慶長七年(1602年)開創

江戸三大毘沙門天の一つで『虎』の狛犬があります

虎の狛犬は希少です

増上寺が近いせいか寺が多いエリア










首都高の下に川があるがこれが古川であり『渋谷川』

川沿いに進めば坂なしで渋谷まで行けます

地図だと首都高に隠れていて気が付きません





線路沿いに進むと


【浜松町駅(1909年開業)明治42】

駅のホームに『小便小僧』がいるのが特徴

モノレール乗り場であり、東京タワーの最寄り駅

港区








駅周辺は再開発中

勘違いしていたが、海側にあるのが浜離宮と思っていたら

『芝離宮』でした









新橋のイタリア街を走る

イタリアのトスカーナ地方がモチーフ

石畳はお洒落だが揺れる









その昔、SLの転車台があった場所

ここで方向転換して戻る

プラットホームの駅でのSL機関車は前後向きを変えなくてはならない










【新橋駅】

出発してから42k

東口に駅舎があり正面はこっち側


ここの説明は難しい

最初の新橋駅は汐留の方

こっちは新しくできた駅

でも最初の名は『烏森駅』

その後に改称され『新橋駅』となる


1872年に新橋横浜間が日本初の鉄道路線とされるけど

ここの場所ではない

東京駅が出来るまで東海道本線のターミナル駅であった



有楽町駅へつづく








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ライズツアー(清水公園)中

2021-11-09 | 名所
つづき

自転車は山登りと同じく

引き返すタイミングが難しい

目標達成するのも大切ですが

無事に家まで帰るのがもっとも大事です






ちょっといくと右側に

『見晴らし公園』があり

ここを曲がって行くのが清水公園への近道です





ここで休憩して帰るもありです

『関東の富士見100景』になっています

残念ながらこの日は見えませんでした


古地図によるとこの辺りに「御嶽社」がありました

清水公園周辺とこの辺りまでは沼地だったようです

とはいえ貝塚や古墳もあるエリアです






今回は前回と同じく自分の自転車の20k地点まで行きました

『海から42k』位が江戸川放水路と同じくらいでした

記念撮影

ここから清水公園に向かいます


途中でスーパーに寄る


トイレと給水は出発前にすませましょう

流山市街地を過ぎると野田橋までありません






清水公園の入り口到着

(普通にくれば2時間で来れます)

ここは『フィールドアスレチック』が名物

『水落』が面白いです

可哀そうではありますがハプニング大賞





園内を散策

なんと室町時代からこの寺院は存在していたのでした

明治時代に開園し今にいたります







実は紅葉を期待していたのですが

まだ少し早かったのでした

部分的に切り取り撮影






光が上手く差し込んでいる所を

裏から撮る

紅葉は逆光がポイント





花鳥風月

鳥も撮る


(200m望遠ズームレンズ使用)



公園を出て帰宅


3時ごろに出れば着く頃には日没

夕陽のチャンスだが雲に沈んでしまい残念

その代りに月星が見れました

この日は『金星食』だったのでした

終わった後でしたが月と金星が近くに並びました


夕暮れまでに帰ってこれるように計算した方がいいです

夜の江戸川は真っ暗

雨が降ったらもっと最悪になるので要注意

暗闇をライトを持たずに走っている人がいるので怖い

対向車のライトも浴びてしまうと目がくらむので恐怖になります

冬は日が短いので計算を間違えがないように


暦の上では立冬

トータル46k位

無事に帰宅しました




















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