今回は、歩いて神田周辺を散策しました。
平将門さまで有名な神社です。
東京十社の一つ
日本3大祭り、江戸3大祭りの一つといわれる
神田祭はココがメインです。
江戸城や皇居の鬼門よけとしても重要なポイント。
気になった物を撮って来ました。
いろんな入り口ルートがあるんですけど
今回はこの住宅街みたいな所から入るルートを
発見しました。
この階段を毎日上り下りするなんて大変。
ここから正門に通じます。
正門の横の土地に庭園が出来たのも
今回初めてみました。
井政といった屋号の古民家がありました。
近じか公開するみたいです。
え~、本題の神田明神に入ります。
まず先に気になるのがこの狛犬。
個性的です。
神田神社は元々は大手町の首塚のところにあり
江戸城を開くにあたって今の神田に移転し
関東大震災後に建替えて、東京大空襲はまのがれ
現代にいたるそうです。
屋根の鳳凰なんかもちゃんとしたものもあれば
コミカルなものも。
ちなみにですが、瓦の神紋は『三つ巴』が一般的ですが
ここのは『流れ巴』とよばれ、水が渦巻くイメージだそうです。
この大黒様は石造物日本一だとか?
でも顔つきがなんかユニーク。
下の写真は、山門にある『因幡の白兎』のレリーフです。
大黒様と大国様は同一人物で出雲の神様とされています。
天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
えびす様なんですけど・・・小さい。
一般的には恵比寿駅にある釣竿に鯛を持っているスタイルですが。
珍しいです。
いずれも、関東大震災後に伊東忠太氏がデザインしたそうで
本来の物ではないようです。
そしてメインの将門様は・・・・?
見当たりません。
平家の家紋の蝶は山門に飾られていましたが・・・。
(アゲハチョウは平清盛・将門は左走り馬ですが
微妙に蝶のデザインも違う)
それもそのはず。
首塚があるように、京都で首をはねられ江戸に飛んできたとされるから
本体はないようです。
兜神社・鎧神社など7つに分けられ北斗七星の形に江戸の地に配置されたとされます。
将門様は朝敵になりましたが、東国の武士の英雄でもありました。
本来は武士の神社なんだけど、明治維新後、
東京の総鎮守として今に至るようです。
見づらいですが、菊の紋章があります。
(平家も元々は恒武天皇系の皇族)
ほかに珍しいものは、
君が代のさざれ石と銭形平次の碑です。
国学の碑もありましたが普通。
本殿の裏にも末社が複数あります。
中でもこのお稲荷さんが個性的で
ジャッカルのように見えます。
普通は狐なんですが狐にしてはなんか不自然。
鰹節協会と何の関係があるのか?
字は読めないが、『犬』が入っている。
台座の色が違うのでもしかしたら
狛犬だったのかもしれない。
都市伝説によると、成田山新勝寺系は将門討伐のために設立された寺院なので
敵対関係にあるようです。下谷神社や深川不動尊など。
神田明神の将門、湯島天神の道真。
祟り神を鬼門に並び、午・丑とくれば次は何だろうか?
上野動物園もなんか意味があるのだろう。