実は去年に少し下見をしていました。
相模台にある工兵校の跡地ルートです。
なんとこっちには2つのルートがあったのでした。

上本郷駅から元工兵校へ向かいます。
この辺は当時のルートを利用しています。
道なりに進む。

電車は右に行きますが、道なりに真っ直ぐです。
緩やかなカーブが続きます。
この道は当時の名残です。

郵便局を過ぎ、大きい通りを渡ると一本松。
そこから2又にわかれていますが右です。
この郵便局の裏にもう一つのルートがあります。
(そちらは次回に)

国道6号線に出ます。
道が消えたかと思いきや、あの細い道です。
横断歩道へ迂回します。

再び戻りますが、本当にここなのかとさえ思えます。
広い道の方がそれらしき雰囲気があるのですがここです。
この辺は昔は広場だった写真もあります。
また真っ直ぐすすむと

またさらに道が細くなり坂道。
間違えたのかな~と思いきや、
ちゃんと石漂がありました。

情報によると石漂は動かしたともいわれるが
大きい通りよりはズレているので合っているのかもです。
でも何で坂なんだろう?橋があったのかな?

なんとなくだけど大きい道の方がプラットホームとか
回転台がありそうに思えますが、面影と情報がありません。
自分の予想では、校内に入り込んでいると思っていました。

初期の頃はココと八柱演習場を結んでいたもようです。
千葉市の方からは、鎌ヶ谷を通り松戸にきていています。
カーブが多いのは練習になるし爆撃をかわすためともいわれています。
でも、東京大空襲があったのに
市川や松戸のこの軍の施設はなぜ狙われなかったのかが不思議です。
兵士を養成しているとなると真っ先に狙われてもおかしくはないのだが。
松戸には飛行場もあったのに迎撃しなかったのもなんででしょう。
鉄が足りなく、線路を剥がして使っていたとも言われるので
ほとんど機能していなかったのかと思われますが、真実はいかに。