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今回は松戸市の『水神宮(平潟神社)』へ
灯篭も狛犬も至って普通なんだけど、
鬼門(方角)に向いて建っているのが珍しい
鹿島神宮も北ににらみを利かせ鎮座しているが
ここも向きに意味があるんだろうか
明治初期の地図だと『八幡宮』と記されている
現在は境内に三峯(みつみね)、稲荷、八坂、秋葉各社を合祀(ごうし)しているようです
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その隣向いには『来迎寺』
(親縁山来迎寺(しんえんさんらいこうじ)は、慶長14年(1609年)創建の浄土宗の寺院で小金東漸寺の末寺)
リニューアルされ、葵の御紋が残っている
こちらは北西の方角に向いています
基本的に本殿は、北を背にし南に向くもの
西に向こうと思えば向けたのになぜだろう
神道と仏教が切り離されてもこうして残っているのは珍しい
神社側に戻る
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本殿の脇に『秋葉神社』
松戸神社も秋葉神社と水神宮の組み合わせ
天水桶が四角いのは珍しい
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水神宮前の水桶も四角の蛇口付き
九十九楼は『平潟遊郭』があった時代に寄付された名残
今の住所は松戸だけど昔は『平潟』
江戸初期の江戸川は今のルートではなく
樋古根川を樋野口村の東側を流れるルートだったのだ
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手水舎には蛇口がない
水神さまとしての、弁財天、白蛇、龍など偶像が見当たらない
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拝殿には鳳凰の彫刻
元八幡宮なら『鳩』と思うのだが
屋根は不等辺形で、波の鬼瓦
祭神は水を司る神の『水波之女命(みずはのめのみこと)』
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その隣は『三峰神社』
鳥居が新しい
日本武尊を祭っているとなると
松戸神社と同じ組み合わせになる
松戸神社も境内は方角が歪んでいる
この共通点はなんだろうか
その角に
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移築された社
卍は見えるが何を祭っているかは不明
来迎寺にあったものと思われる
昔はココには無かったもの
こっちの方角にあるもので気が付いたのは
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京成バス営業所の方の
小僧弁天と根本水神宮
小僧弁天は萬満寺と関連があるようだけど
水神宮がなぜここにもあるのか?
ここのが平潟に移転したのか?
村が違うと別物かもしれないが
こちらも北東を向いている
その先にあるものはいかに
一説によると水戸街道は
樋野口村を通っていたとのこと
大道や大道下の字名が残っている
平潟河岸もあったが川を改修され消滅した