つづき
高輪
二本榎通り
高輪から「中原街道」で丸子の渡しまでが古代東海道ともいわれるが
品川・大井から「品川道」で行くルートも古東海道とされる
高輪から大井までの道が不明
もしかしたら「海路」だったかもしれない
品川とは『目黒川』のことを指している
『品(物資)』の集まる『川』を指し、重要な拠点だったという
品川湊
坂を下り目黒川へ
この辺は鉄道が多く真っすぐに進めない
「寄木橋」~『要津橋(ようじんばし)』へ
見逃してしまったが
「貴船神社」はかなり古く(709年創建)
『荏原神社』と関連があるのだがややこしい
品川神社と荏原神社はともに『天王社』とよばれ
荏原神社は貴船神社だったともいわれる
説明が難しいが『709年』に建てられた神社は
名称と場所があいまいでなので確定されていない
(品川宿へは目黒川沿いを進めば着く)
『ゼームス坂』を登り大井町駅へ
この辺も鉄道で道が遮断されている
『池上道』は鎌倉・室町時代の東海道
駅前はかなり発展している
大井町駅を抜け『光学通り』
この周辺は企業名の通りが多々ある
でもしっかり古道
石碑があります
東海道と中原街道を結ぶ道と書いているが品川道とは書いていません
実はもう一つ南の『滝王子通り』があり、品川道であり古東海道なのです
井の付く地名は井戸すなわち飲料水があるので人が集まり集落ができる
品川歴史館・鹿島神社・光福寺辺りが中心地だったと推測される
光学通りと滝王子通りが交わり細い道になる
踏切を渡ると
伊藤博文のお墓
日本初代総理大臣のゆかりの地
細い道の方が古さを感じる
尾根道になっている
国道1号を越えしばらく行くと
『品川道案内碑』
品川道は府中の大國魂神社と品川荏原神社を結ぶ道の事
大國魂神社のみそぎは品川の海で行われる
この2か所は武蔵国の重要な地
武蔵国は最初は東海道に属していなく
後に東海道に編入してから
この道が東海道になったと思われる
細い道は続き環7を越える
今の所坂らしい坂は無い
ちょっとした商店街を通ると
『中原街道』と合流
道が広くなった
坂を下ると
『洗足池』に到着
ちょっと休憩
(勝海舟のお墓がある)
『千束八幡神社』は860年創建
源頼朝もゆかりがある
浅草の方にも千束の地名があるが
こっちは『洗足』と表記するのが多いらしい
再出発
こっちのエリアからアッダウンが増える
平面の地図では見落としやすい
日本で馬車が発展しなかったのは
坂が多かったからと言われる
再び坂を登り坂を下る
『石川橋』を通過
品川道はここからルートが変わる
また坂を登る
なんとなく栄てきた
田園調布という地名が見えてきた
高級住宅街
環8を越え『旧中原街道』へ
『桜坂』
歌のモデルになった聖地
ここも古代東海道
坂を下る
『沼部駅』
東急多摩川線
初めて見たカラーリング
多摩川に到着
『丸子の渡し』
この先は武蔵小杉で今は神奈川県だけど昔は武蔵国
今回はここまで
川の向こうに『小杉御殿』がある
桜田門から20k位で、自宅から48k
疲れたバテた
つづく
高輪
二本榎通り
高輪から「中原街道」で丸子の渡しまでが古代東海道ともいわれるが
品川・大井から「品川道」で行くルートも古東海道とされる
高輪から大井までの道が不明
もしかしたら「海路」だったかもしれない
品川とは『目黒川』のことを指している
『品(物資)』の集まる『川』を指し、重要な拠点だったという
品川湊
坂を下り目黒川へ
この辺は鉄道が多く真っすぐに進めない
「寄木橋」~『要津橋(ようじんばし)』へ
見逃してしまったが
「貴船神社」はかなり古く(709年創建)
『荏原神社』と関連があるのだがややこしい
品川神社と荏原神社はともに『天王社』とよばれ
荏原神社は貴船神社だったともいわれる
説明が難しいが『709年』に建てられた神社は
名称と場所があいまいでなので確定されていない
(品川宿へは目黒川沿いを進めば着く)
『ゼームス坂』を登り大井町駅へ
この辺も鉄道で道が遮断されている
『池上道』は鎌倉・室町時代の東海道
駅前はかなり発展している
大井町駅を抜け『光学通り』
この周辺は企業名の通りが多々ある
でもしっかり古道
石碑があります
東海道と中原街道を結ぶ道と書いているが品川道とは書いていません
実はもう一つ南の『滝王子通り』があり、品川道であり古東海道なのです
井の付く地名は井戸すなわち飲料水があるので人が集まり集落ができる
品川歴史館・鹿島神社・光福寺辺りが中心地だったと推測される
光学通りと滝王子通りが交わり細い道になる
踏切を渡ると
伊藤博文のお墓
日本初代総理大臣のゆかりの地
細い道の方が古さを感じる
尾根道になっている
国道1号を越えしばらく行くと
『品川道案内碑』
品川道は府中の大國魂神社と品川荏原神社を結ぶ道の事
大國魂神社のみそぎは品川の海で行われる
この2か所は武蔵国の重要な地
武蔵国は最初は東海道に属していなく
後に東海道に編入してから
この道が東海道になったと思われる
細い道は続き環7を越える
今の所坂らしい坂は無い
ちょっとした商店街を通ると
『中原街道』と合流
道が広くなった
坂を下ると
『洗足池』に到着
ちょっと休憩
(勝海舟のお墓がある)
『千束八幡神社』は860年創建
源頼朝もゆかりがある
浅草の方にも千束の地名があるが
こっちは『洗足』と表記するのが多いらしい
再出発
こっちのエリアからアッダウンが増える
平面の地図では見落としやすい
日本で馬車が発展しなかったのは
坂が多かったからと言われる
再び坂を登り坂を下る
『石川橋』を通過
品川道はここからルートが変わる
また坂を登る
なんとなく栄てきた
田園調布という地名が見えてきた
高級住宅街
環8を越え『旧中原街道』へ
『桜坂』
歌のモデルになった聖地
ここも古代東海道
坂を下る
『沼部駅』
東急多摩川線
初めて見たカラーリング
多摩川に到着
『丸子の渡し』
この先は武蔵小杉で今は神奈川県だけど昔は武蔵国
今回はここまで
川の向こうに『小杉御殿』がある
桜田門から20k位で、自宅から48k
疲れたバテた
つづく
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