前回、シカゴの四枚組ライブのボックス・セットについてちょっと書いてみた。
外装の箱はボロボロでも、四枚のLPレコードは、その表面に傷らしい箇所は見受けられなく、ターン・テーブルに乗せて音を出しても、雑音は聴こえなかった。
よく、自慢げにレコードが擦り切れるくらい聴き込んだものだというような話を聞くが、実際のところ40−50年ほど前に買ったレコードで比較的よく聴き込んだものでも擦り切れるほどではなく、また中古で買ったレコードでも、そのようなコンディションのものにお目にかかったことはない。
音の悪いレコードは、ほとんどの場合、その所有者の扱い方が雑で、表面に不用意に傷をつけたりカビを生やしたりって感じがする。
まあ、当時シカゴの四枚組ライブのボックスセットを擦り切れるぐらい聴き込みのできる人って、よっぽどのファンであるか暇人と言える。
だから1971年に発売されて箱がボロボロになっていたとしても、レコードにはほとんどダメージがなかったってのは理解できる。
若い頃は、給料も安く趣味にお金を多く投入できないし、結婚すれば、家族の生活費とか、ローンなんかに追い回され稼いだお金はあっという間に消えていき、無駄遣いなんて出来なくなる。
壮年になって、ようやく少しぐらいは趣味の世界にお金を投入できるようになるわけだが、実際のところ今から買い集めたとしても、それらをすべて隅から隅まで聴き込む時間は残されていない。
それじゃ置き場所のとる聴かないレコードを中古屋に持っていっても、二束三文で買い叩かれるのが関の山。
ひどい場合は値段がつかないこともあり、重いレコードをそのまま持って帰ることもそれ以上に気が重くなり、結局ただで引き取ってもらうという悲惨なことにもなりかねない。もちろん中古屋は、それに値段をつけて売りさばくのではあるが…
以前だったら、わざわざ電車に乗ってショップに出かけない限り、レコードは買えなかったのだが、ネットによる通販の普及で、マウスをワン・クリックさせることで購入が成立、商品が届いてから何でこんなの買ったのだろうっていつも後悔する。
まあ買ったものは仕方がない、たとえ聴き込みが出来なくてレコード棚の肥やしとして眠らせているよりは、ブログでレコードの購入の記事をアップことにより、買ったレコードも多少は浮かばれるのではないかと思い、押し売り的ではあるが、前回の続きとなる。
ところで、どう言うわけか、ネット・ショップでの商品説明には登場しなかった、MP3のダウンロードクーポンが付いてたのを発見し、得した気分になる。
早速ダウンロードしてみる。
今回のLPのリマスター音源から作成されたのか、もしくは1年前に出された、CDのボックスセットの音源から取り出されたのか、よく分からないが、320kbsのMP3ステレオ・サウンドの音質は、悪くはない。以前のCDと比べると音圧は少し上がっている。
それから、ボックス・セットに収録されたLPとおまけのピクチャー・ディスクの音源が全てMP3化されたわけであるが、何かの手違いからか、ALL THINGS MUST PASSの一枚目のLPの楽曲9曲がダウンロード出来なかった。どこかの誰かが、クレームを入れて差し替えのダウン・ロード・ファイルができるまで気長に待つとしよう。
それでは残りのダーク・ホース時代のLPを紹介したい。
1976年の アルバム33 1/3である。ダークホース・レーベルは、当時アメリカではA&Mレーベル が配給権を持っていたが、それまでジョージ以外の小物アーティストはレコードを出していたものの、肝心のジョージが中々アルバムを出さないことから、A&Mはついにしびれを切らし、配給権を更新せずワーナー・レーベルから登場した。
アメリカ盤のジャケットは、厚手のゲート・ホールドでさらにタイトルと作者名を銀のエンボス加工と大盤振る舞い。しかしレーベルが期待したほどチャート的には大したことはなかった。全米11位で前作より3ランクダウン。
ところで、このアルバムのロシアで製作されたと思われる海賊盤を持っている。
本当に簡単に破けそうなペラペラの紙質のシングル・ジャケットで、表はオリジナル・ジャケットの内側の写真を、そして裏ジャケはなんとLIVING IN THE MATERIAL WORLDのこれまたうちジャケットに会った晩餐会の写真を使用。レコードのレーベルは、おなじみのあの宗教的な印が使われている。
ロシア人にかかればもうなんでもありっていう世界である
お次は、1979年のセルフタイトル・アルバム。少し地味ではあるが割と好きなアルバムである。全米14位。
右は、発売当時アメリカで買ったやつ。今回のリイシューと比べると、色彩が少し薄いかな?
そして1981年のSOMEWHERE IN ENGLANDと1982年のGONE TROPPOと続く。ただ80年代は新米の薄給サラリーマンとして働き始めた頃で、それまで趣味であったレコードをほとんど全く買わなかったので、これらのアルバムが発売されていたとは知らなかった。
どちらも言っちゃ悪いが、ジャケットのデザインも平凡というか手抜きの感じ。
SOMEWHERE IN ENGLANDは、レコード会社があまりの地味な内容に収録曲とジャケのデザインが発売直前に変更させた。レノンの追悼歌として製作されたシングルALL THOSE YEARSが13位とそこそこヒットしたので、アルバムも11位まで上昇したものの、初めてゴールド・ディスクを逃すことなった。GONE TROPPOに至っては108位とひどいものになった。
ジョージはこの低迷期から果たしてどのように復活するのであろうか?
その3に続く…
外装の箱はボロボロでも、四枚のLPレコードは、その表面に傷らしい箇所は見受けられなく、ターン・テーブルに乗せて音を出しても、雑音は聴こえなかった。
よく、自慢げにレコードが擦り切れるくらい聴き込んだものだというような話を聞くが、実際のところ40−50年ほど前に買ったレコードで比較的よく聴き込んだものでも擦り切れるほどではなく、また中古で買ったレコードでも、そのようなコンディションのものにお目にかかったことはない。
音の悪いレコードは、ほとんどの場合、その所有者の扱い方が雑で、表面に不用意に傷をつけたりカビを生やしたりって感じがする。
まあ、当時シカゴの四枚組ライブのボックスセットを擦り切れるぐらい聴き込みのできる人って、よっぽどのファンであるか暇人と言える。
だから1971年に発売されて箱がボロボロになっていたとしても、レコードにはほとんどダメージがなかったってのは理解できる。
若い頃は、給料も安く趣味にお金を多く投入できないし、結婚すれば、家族の生活費とか、ローンなんかに追い回され稼いだお金はあっという間に消えていき、無駄遣いなんて出来なくなる。
壮年になって、ようやく少しぐらいは趣味の世界にお金を投入できるようになるわけだが、実際のところ今から買い集めたとしても、それらをすべて隅から隅まで聴き込む時間は残されていない。
それじゃ置き場所のとる聴かないレコードを中古屋に持っていっても、二束三文で買い叩かれるのが関の山。
ひどい場合は値段がつかないこともあり、重いレコードをそのまま持って帰ることもそれ以上に気が重くなり、結局ただで引き取ってもらうという悲惨なことにもなりかねない。もちろん中古屋は、それに値段をつけて売りさばくのではあるが…
以前だったら、わざわざ電車に乗ってショップに出かけない限り、レコードは買えなかったのだが、ネットによる通販の普及で、マウスをワン・クリックさせることで購入が成立、商品が届いてから何でこんなの買ったのだろうっていつも後悔する。
まあ買ったものは仕方がない、たとえ聴き込みが出来なくてレコード棚の肥やしとして眠らせているよりは、ブログでレコードの購入の記事をアップことにより、買ったレコードも多少は浮かばれるのではないかと思い、押し売り的ではあるが、前回の続きとなる。
ところで、どう言うわけか、ネット・ショップでの商品説明には登場しなかった、MP3のダウンロードクーポンが付いてたのを発見し、得した気分になる。
早速ダウンロードしてみる。
今回のLPのリマスター音源から作成されたのか、もしくは1年前に出された、CDのボックスセットの音源から取り出されたのか、よく分からないが、320kbsのMP3ステレオ・サウンドの音質は、悪くはない。以前のCDと比べると音圧は少し上がっている。
それから、ボックス・セットに収録されたLPとおまけのピクチャー・ディスクの音源が全てMP3化されたわけであるが、何かの手違いからか、ALL THINGS MUST PASSの一枚目のLPの楽曲9曲がダウンロード出来なかった。どこかの誰かが、クレームを入れて差し替えのダウン・ロード・ファイルができるまで気長に待つとしよう。
それでは残りのダーク・ホース時代のLPを紹介したい。
1976年の アルバム33 1/3である。ダークホース・レーベルは、当時アメリカではA&Mレーベル が配給権を持っていたが、それまでジョージ以外の小物アーティストはレコードを出していたものの、肝心のジョージが中々アルバムを出さないことから、A&Mはついにしびれを切らし、配給権を更新せずワーナー・レーベルから登場した。
アメリカ盤のジャケットは、厚手のゲート・ホールドでさらにタイトルと作者名を銀のエンボス加工と大盤振る舞い。しかしレーベルが期待したほどチャート的には大したことはなかった。全米11位で前作より3ランクダウン。
ところで、このアルバムのロシアで製作されたと思われる海賊盤を持っている。
本当に簡単に破けそうなペラペラの紙質のシングル・ジャケットで、表はオリジナル・ジャケットの内側の写真を、そして裏ジャケはなんとLIVING IN THE MATERIAL WORLDのこれまたうちジャケットに会った晩餐会の写真を使用。レコードのレーベルは、おなじみのあの宗教的な印が使われている。
ロシア人にかかればもうなんでもありっていう世界である
お次は、1979年のセルフタイトル・アルバム。少し地味ではあるが割と好きなアルバムである。全米14位。
右は、発売当時アメリカで買ったやつ。今回のリイシューと比べると、色彩が少し薄いかな?
そして1981年のSOMEWHERE IN ENGLANDと1982年のGONE TROPPOと続く。ただ80年代は新米の薄給サラリーマンとして働き始めた頃で、それまで趣味であったレコードをほとんど全く買わなかったので、これらのアルバムが発売されていたとは知らなかった。
どちらも言っちゃ悪いが、ジャケットのデザインも平凡というか手抜きの感じ。
SOMEWHERE IN ENGLANDは、レコード会社があまりの地味な内容に収録曲とジャケのデザインが発売直前に変更させた。レノンの追悼歌として製作されたシングルALL THOSE YEARSが13位とそこそこヒットしたので、アルバムも11位まで上昇したものの、初めてゴールド・ディスクを逃すことなった。GONE TROPPOに至っては108位とひどいものになった。
ジョージはこの低迷期から果たしてどのように復活するのであろうか?
その3に続く…