15時間のご無沙汰でした。
ご無沙汰の間隔がだんだん小さくなっていくような…
小さくなるって言うことで、今回はビートルズ関連の小ネタを披露!
まあ既に知っている人から見れば、それがどうした?ってことになるし、知らない人がそれを知って果たしてためになるかといえばなんともいえないのだが…
以前このブログで紹介したことのある、ジョージのダーク・ホース・レーベル所属の男性デュオバンド、スプリンター。
彼らは1974年にファーストアルバム、THE PLACE OF I LOVEをジョージのプロデュースとジョージと気心の知れた仲間によるバックの演奏で素晴らしいアルバムが出来上がった。
少し前、そのスプリンターの音源を求めて、ユー・チューブを彷徨っていると、IF SOMEWHERE AND SOMEHOWと言う曲に遭遇。
あれ?どっかで聴いたような曲!
それもそのはず、大昔中村雅俊(五十嵐刑事)と今は無き松田優作(中野刑事)がコンビを組む1975年日テレの刑事ドラマ、“俺たちの勲章”の副題歌で吉田拓郎が作曲した“いつか街で会ったなら”と言う曲の英語バージョンであった。
早速、調査してみると日本コロンビアから1979年にあのゴダイゴの英語バージョンの“ガンダーラ”とカップリングでシングルが出ていたではないか!
これらの曲は、日本テレビ音楽出版10周年記念として、ゴダイゴのメンバーなんかも参加して制作された、日本コロンビアからコンピ・アルバム、“MY FAVORITE SONGS”にも収録されている。
当時スプリンターは、3枚のLPをダークホース・レーベルから出した後、日本コロンビアと契約を結びちょこちょこと仕事をしていたようで、その絡みでこのレコードに彼らの歌った曲も収録されたようだ。
その少し前の、多分洒落って事で起用されたカローラ・スプリンターのコマーシャルのバックに流れた爽やかコーラスの1977年の楽曲、SUN SHINE ON MEなんかも思い出す。
そこで、新たな発見として、ジョージ・ハリソンと中村雅俊、そしてスプリンターのメンバーが一緒に映っている写真を発見ユーチューブの動画から発見。
動画の画像を切り抜くソフトが無いので残念ながらこの場にアップすることは出来ないが…
では何で、刑事がジョージと一緒に写真に写っているのか?
これは、1975年スプリンターが出した第二弾のアルバム、HARDER TO LIVEに纏わる話で、このアルバム、前回とは異なり、ジョージはソロ・プロジェクトで忙しかったのだろうか、一曲を除きジャズ・フージョン系のサックスの奏者で、かってジョージのコンサートのバックを勤めたLA EXPRESSのリーダーでもあったトム・スコットにプロデュースを依頼。
プロデューサーが変わり、ジョージのソロ・アルバムかと思えるような前作のインパクトが無かったためか、世界的にはヒットしなかったが、アルバムでトム・スコットと共同ではあったが唯一ジョージがプロデュース関わった、 “LONELY MAN”が日本では好意を持って迎えられた。
そこで、その楽曲を日本語で歌い翌年の1976年に日本限定のシングルで出す企画が持ち上がり、そこで中村雅俊が登場。
彼の日本語の翻訳で、スプリンターのレコーディングはロンドンで行われた。
その場に立ち会った中村雅俊が、スプリンターのボスであるジョージの屋敷に招待され、その時に採った写真をユー・チューブの動画上で見つけたわけである。
中村雅俊曰く、いくらかの写真はジョージの肖像権の絡みもあるので、当時の雑誌のグラビアなんかを除けばあまり表に出ていないらしい。
しかしジョージの豪邸を訪問した日本人がいるなんて、スゲーね~って。
しかもジョージのイメージから関連性がまったく想像できないような五十嵐刑事が訪問したギャップなんかも意外。
エッ! それがどうしたって?
いや~、特に無いです。
しかし、スプリンターのことだけは忘れないで欲しい。
特に彼らのファースト・アルバム、THE PLACE OF I LOVEは隠れた名盤と言える。
一昨年に出た紙ジャケ、まだ“何処かの街で”売ってるかもね?
在庫切れになる前に、ジョージ・ファンなら是非ゲット!
ご無沙汰の間隔がだんだん小さくなっていくような…
小さくなるって言うことで、今回はビートルズ関連の小ネタを披露!
まあ既に知っている人から見れば、それがどうした?ってことになるし、知らない人がそれを知って果たしてためになるかといえばなんともいえないのだが…
以前このブログで紹介したことのある、ジョージのダーク・ホース・レーベル所属の男性デュオバンド、スプリンター。
彼らは1974年にファーストアルバム、THE PLACE OF I LOVEをジョージのプロデュースとジョージと気心の知れた仲間によるバックの演奏で素晴らしいアルバムが出来上がった。
少し前、そのスプリンターの音源を求めて、ユー・チューブを彷徨っていると、IF SOMEWHERE AND SOMEHOWと言う曲に遭遇。
あれ?どっかで聴いたような曲!
それもそのはず、大昔中村雅俊(五十嵐刑事)と今は無き松田優作(中野刑事)がコンビを組む1975年日テレの刑事ドラマ、“俺たちの勲章”の副題歌で吉田拓郎が作曲した“いつか街で会ったなら”と言う曲の英語バージョンであった。
早速、調査してみると日本コロンビアから1979年にあのゴダイゴの英語バージョンの“ガンダーラ”とカップリングでシングルが出ていたではないか!
これらの曲は、日本テレビ音楽出版10周年記念として、ゴダイゴのメンバーなんかも参加して制作された、日本コロンビアからコンピ・アルバム、“MY FAVORITE SONGS”にも収録されている。
当時スプリンターは、3枚のLPをダークホース・レーベルから出した後、日本コロンビアと契約を結びちょこちょこと仕事をしていたようで、その絡みでこのレコードに彼らの歌った曲も収録されたようだ。
その少し前の、多分洒落って事で起用されたカローラ・スプリンターのコマーシャルのバックに流れた爽やかコーラスの1977年の楽曲、SUN SHINE ON MEなんかも思い出す。
そこで、新たな発見として、ジョージ・ハリソンと中村雅俊、そしてスプリンターのメンバーが一緒に映っている写真を発見ユーチューブの動画から発見。
動画の画像を切り抜くソフトが無いので残念ながらこの場にアップすることは出来ないが…
では何で、刑事がジョージと一緒に写真に写っているのか?
これは、1975年スプリンターが出した第二弾のアルバム、HARDER TO LIVEに纏わる話で、このアルバム、前回とは異なり、ジョージはソロ・プロジェクトで忙しかったのだろうか、一曲を除きジャズ・フージョン系のサックスの奏者で、かってジョージのコンサートのバックを勤めたLA EXPRESSのリーダーでもあったトム・スコットにプロデュースを依頼。
プロデューサーが変わり、ジョージのソロ・アルバムかと思えるような前作のインパクトが無かったためか、世界的にはヒットしなかったが、アルバムでトム・スコットと共同ではあったが唯一ジョージがプロデュース関わった、 “LONELY MAN”が日本では好意を持って迎えられた。
そこで、その楽曲を日本語で歌い翌年の1976年に日本限定のシングルで出す企画が持ち上がり、そこで中村雅俊が登場。
彼の日本語の翻訳で、スプリンターのレコーディングはロンドンで行われた。
その場に立ち会った中村雅俊が、スプリンターのボスであるジョージの屋敷に招待され、その時に採った写真をユー・チューブの動画上で見つけたわけである。
中村雅俊曰く、いくらかの写真はジョージの肖像権の絡みもあるので、当時の雑誌のグラビアなんかを除けばあまり表に出ていないらしい。
しかしジョージの豪邸を訪問した日本人がいるなんて、スゲーね~って。
しかもジョージのイメージから関連性がまったく想像できないような五十嵐刑事が訪問したギャップなんかも意外。
エッ! それがどうしたって?
いや~、特に無いです。
しかし、スプリンターのことだけは忘れないで欲しい。
特に彼らのファースト・アルバム、THE PLACE OF I LOVEは隠れた名盤と言える。
一昨年に出た紙ジャケ、まだ“何処かの街で”売ってるかもね?
在庫切れになる前に、ジョージ・ファンなら是非ゲット!