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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ジェフのターニング・ポイント、 BECK, BOGERT & APPICE

2015年08月06日 | Jeff Beck, Eric Clapton and etc.

1944年生まれだから、今年でなんと71歳。

9月に開かれるBLUE NOTE JAZZ FESTIVALに参加ということで、昨年に続き来日する運びに。

年齢に関係なく、未だにスーパー・ギタリストとして第一線で精力的な活動を続けるという驚くべき存在である。

自身の肉体の一部を楽器として使うボーカリストの場合、物理的に歳を取れば当然肉体は劣化し、声に衰えが出てくるのは避けられないので、この年齢まで活動はできないであろう。

一部の例外もあるが、ライブとなるとボーカルのキーを下げなければならず、レコードやCDなどから聴こえた往年の声は期待出来ないのである。年を取ったから仕方がないとは思うのだが、やっぱり現在の声量とのギャップにがっかりするのである。

ジェフの場合は、ギター演奏専任ということで、体力の衰えはあったとしても腱鞘炎などにならなければ、ボーカリストの其れと比べればまだ余裕がある。また歳を重ねることにより蓄積された人生の経験から、演奏に関しても円熟の境地というような評価が得られるのである。

ボーカルという切り口で、ジェフのキャリアを線引きすると、BBAのアルバムとBLOW BY BLOW の間にそれは入ると思う。

ターニング・ポイントのきっかけとなったのが、1973年発売のBECK BOGERT & APPICEである。このスタジオ・アルバムは、彼らのハード・ロックの演奏スタイルにアメリカ南部のロックやソウル系の曲がうまく噛み合い、非常に聴きやすいものになった。実際、全米12位とヒットした。

様々な理由でバンドに専任ボーカルを決定することができず、仕方なしにメンバ-3名がボーカル・パートを分け合って各楽曲が録音されたのだが、ボーカルが非力だったことをカバーしようとしたのか 、各自エンジン全開の演奏を行い、最小編成のトリオの演奏にも関わらず非常に迫力のあるものとなった。

このスタジオ録音盤は、後日発売された日本でのライブ盤の迫力には負けるが、スタジオ録音ゆえ各楽器の音が明瞭になっており、かつ演奏におけるミスタッチもない。特に、ジェフのギターの様々なフレーズは美しく聴こえ、ファンとしては楽しむことが出来る。

そう、ターニング・ポイントのきっかけとは、まさしく一曲目のジェフがボーカルを取っBLACK CAT MOANのこと。これを自身で聴いて二度とボーカルと関わらないと決め、その後はインスト中心のアルバムを出すようになったのでは、と勝手に想像する。

Beck Bogert & Appice - Superstition


ライブバンドついに完成、WINGS OVER AMERICA

2015年08月05日 | BEATLES-BADFINGER関連
ビートルズは過去のこと。

俺たちはウィングス。俺たちの曲をライブで聴いて楽しんでくれればそれでいい。

とは言え、俺も, そしてウィングスのライブを見にきてくれている多くのファンも、ビートルズのことは片時も忘れてはいない。

ファンが望むなら、ビートルズ時代の曲をライブで演奏したっていい。しかし、ウィングスがビートルズと肩を並べるような人気と実力がついていないのなら、ビートルズの曲を演奏するのはごめんだ。

RED ROSE SPEEDWAY、 BAND ON THE RUN、 VENUS AND MARSとWINGS AT THE SPEED OF SOUND、4枚続けてチャート1位に送り込んだ今、もう誰も、過去の栄光にすがってウィングスで活動を続けているとは言わないだろう。

じゃ、やってみるか! しかし最初はやっぱりさりげなくやってみよう。

大ヒットのLET IT BEやHEY JUDEをセットリストに組み込んで、ビートルズの曲をライブで演奏したくてウズウズしていたなんて思われるのも癪だし。

やるからには、やっぱり”いかにも”って感じは避けたいね。

というわけで、わざわざ、大ヒット曲ではないが、ビートルズというよりはポールの印象が強い、LONG AND WINDING ROADと LADY MADONNAをセット・リストの曲に選び、さらにコンサートの中間あたりに、アコースティック・セットというプログラムを組み、しかもいきなりビートルズの曲から入るのではなく、サイモン・アンド・ガーファンクルのRICHARD CORYとウィングスのBLUEBIRDを演奏した後、ようやくI'VE JUST SEEN A FACE、BLACKBIRDに YESTERDAYを続けて演奏するという非常に奥ゆかしい構成となった。

その後ウィングスが解散し、ソロでのライブとなると、ウィングスは過去に属したバンドの一つという位置付けになり、ビートルズの曲もタガが外れたようにライブでバンバン演奏するようになったので、ビートルズ・ファンとしては非常に喜ばしいことになった。

しかしながら、私としては当時このライブを行うにあたって、ポールのウィングズに対するというこだわりがすごく感じられ好感が持てた。

ウィングスはもちろんポールが中心のバンドであるが、ライブ活動に置いて、マルチ・ミュージシャンであったデニー・レインの活躍無しに、ポールがベース以外のギーターやピアノを弾くことは出来なかった。また、元々ミュージシャンではなかったリンダが、バック・コーラスやキーボードでの演奏で堂々とバンドの一員としてウィングスのライブに貢献し、バンドにアットホームのイメージを出させることが出来たのは、彼女の努力の賜物であろう。

ポールが出したライブはいろいろあるのだが、彼の代表作とを一つ挙げろと言われれば、1976年11月に出された、WINGS OVER AMERICAになるだろう。(RED ROSE SPEEDWAYから5枚連続で全米1位を獲得)

WILDLIFE制作時に目指したライブ・バンドはついに完成したのであった。


2013年のリマスターCD。ジャケットに描かれていた機体の色が青みがかっている。

WINGS OVER SAN FRANCISCO, このCDは18000円もする、スーパー・デラックス・エディションを購入しなければ入手出来なかったのであるが、アメリカの家電量販店大手のBESTBUY社が、通常盤にこのディスクをつけてプロモーション販売をしていたのを運良くゲットした。

Paul McCartney & Wings - I've Just Seen A Face (Wings Over America)

あれ? ランディーがいない! ポコ ファースト

2015年08月03日 | West Coast Rock

バッファロー・スプリングフィールドの最終アルバム、LAST TIME AROUNDが1968年に発売された。このアルバムはメンバー全員が一緒になって演奏したものでは無く、楽曲の作者が各々ボーカルを取り個別に仕上げたもので、契約消化をするため無理やりだしたコンピ・アルバムに近い代物だった。ジャケットの表にある写真も個別に撮ったものを張り合わせただけで、ベース担当だったブルース・パーマーは、表ジャケットに写真すら載せて貰えないというひどい仕打ちだった。

LAST TIME AROUND、左からスティーブン・スティルス、ジム・メッシーナ、リッチー・フューレイ、デューイ・マーチンとニール・ヤング(一人だけ反対を向いて反抗している?)

中心メンバーだったスティーブン・スティルスはCS&Nを結成することになり、ニール・ヤングはソロとなる。リッチー・フューレイは、彼の楽曲の制作を手伝ったジム・メッシーナとバッファローにセッション・ミュージシャンとして一曲だけペダル・スティールを弾いて参加したラスティー・ヤングの3人を軸にして新グループ結成を決めた。

オーディションでベースにランディー・メイズナーを決定し、ドラムにはラスティーと以前バンド仲間であったジョージ・グランサムが入ることになった。それが、1969年に出したファースト・アルバムでカントリー・ロックのパイオニアと言うべきPICKIN’ UP THE PIECESである(全米63位)。 

ランディーは録音終了後、リッチーとジムにアルバムのミックス・ダウンに参加したいと申し出たところ、二人に却下されたことから、憤慨してバンドから急遽脱退した。そのため、ランディーがボーカルを努めたパートはジョージによって再録され、差し替えられたのだ。だから、アルバム・ジャケットには4人しかいないのである。表ジャケットを飾るバンドのイラストも急遽変更されて、ランディーが描かれていた場所には、犬の絵にこれまた差し替えられたのだ。

アルバムのジャケット内側、ランディーはいない。

アルバムのジャケット裏側、やっぱりここにもランディーはいない。

ランディーはしばらくセッション・ミュージシャンを続けたが、最終的に故郷に戻り別の職を得た。しかし、ミュージシャン仲間からの呼び戻しに従い再びロスに戻ったところ、そこで後にイーグルスを結成するメンバーと一緒に仕事をすることになった。人生なにが幸いするか分からないものである。

ランディーが脱退する原因を作った中心メンバーのジムは3枚目のライブ・アルバム、DELIVERIN’の後、ポコを脱退しロギンス&メッシーナを結成。リッチーも6枚目のCRAZY EYES制作後脱退し、結局二人ともポコに於いて大ヒットという結果を出すことは出来なかった。

言い方は悪いが、おまけみたいな形でバンドに参加したラスティーは、リッチーやジムがポコに在籍していた時は、ほとんど作曲にも加わらずまたボーカルをとることもなく 演奏のみに専念していたのだが、バンドの看板であった二人が脱退し窮地にさらされた。しかし、その逆境をはね返し、つい最近出された2013年の最終作のスタジオ・アルバム、ALL FIRED UPをもってポコの活動停止するまで、ポコの中心メンバーとして長年活動を続けたのである。しかもリッチーやジムがポコで成し遂げられなかった大ヒットを産むのである。

1978年のアルバムLEGENDが14位で、シングルカットのCRAGY LOVEが17位(アダルト・コンテンポラリー部門では1位)。 そして1989年のLEGACYからシングルカットされたCALL IT LOVEが18位(アダルト・コンテンポラリー部門では2位)

普段おとなしくのんびりした性格の人でも、リーダーが急にいなくなり追い詰められた立場に置かれると、自身の責任感が目覚め、今まで隠れていた力が発揮され難局を乗り切る力が出てくることがある。

そのため、ポコを聴くと、いつもラスティーの頑張りに勇気づけられる。

ところで、オレの隠された力はいつ出てくるのだー

そんなものは、ありゃせん。

やっぱり。

ラスティーのインスト・ナンバー。彼は、演奏するスティール・ギターでオルガンのような音色も自在に出すことのできる凄腕の奏者であります。

Poco - Grand Junction




キース・ジャレットのEXPECTATIONS、1973年頃

2015年08月02日 | JAZZ・FUSION
暑い、暑い、本当に暑い。

こんな日は、とてもじゃ無いが外に出る気にはならない。仕方が無いから、クーラーを効かした部屋で、ビールでも飲みながら音楽でも聴こうか。

と思ったところ、ビールが無いのに気がついた、ハイ・ボールでもと思ったが、ソーダ水も品切れ。

これまた仕方が無いので、インスタントのネスカフェでも。飲み方は、500CCぐらいの容量のガラス製の急須に、お湯をほぼ満杯になるぐらい注ぐ。大体、コーヒーカップ2.5杯分のお湯に、目分量であるがアメリカン・コーヒーの濃さになるよう、コーヒー・パウダーを急須に投入し、砂糖やミルクなしのブラックでガバガバと飲むのである。

そして、本日CDプレーヤーのトレイに載るのは1973年発売、キース・ジャレットのEXPECTATIONSというアルバムである。

えー、どうしてクラッシック・ロックと称したブログにジャズの話がアップされるの?

ロックの話も少し出てくるので、クロス・オーバーって感じで読んでください。

今回のアルバム制作のメンツは当時26歳だった若いキース、ベテランのチャーリ・ヘイデン(ベース)とポール・モチアン(ドラムス)らのお馴染みアメリカン・トリオにデューイ・レッドマン(サックス)を加えたカルテットの編成で、サム・ブラウンのギターやアイアート・モレイラのパーカションが絡むのである。

どういう経緯かはわから無いが、今回はマイルスなどが所属した、大手のコロンビア・レーベルからの発売となり、しかもLP2枚組という大物並みの破格の待遇であった。キースも2枚組での発売により収録時間が倍になったことで、ジャズ、ロック、フォークやストリングスの使用、さらにアイアートのパーカッションが印象的なラテン調のものなど、目一杯バラエティー感が味わえるものの制作を意図したようだ。特にサム・ブラウンのギターが絡む曲は、フィージョン・ロック系のフレイバーに溢れ、ジャズとロックの垣根がなくなり、普通のロック・ファンでもジャズを難しく意識すること無く、すんなり受け入れられるのではないか。またキースも例の掛け声を所々で発して結構気合がはいっているように見受けられる。

翌年、MCAから発売されたアルバム、“宝島”もアイアート以外は同じメンツで、同じベクトルで制作されており、ドイツのECMレーベルから出されるキースのアルバムとは全く異なる印象を受けた。どちらのスタイルが好みかは人それぞれであるが、ロックが好きな人は、私のコーヒーの飲み方と同じでアメリカン・トリオもしくはカルテットの方からキースを聴いた方が違和感が無くキースの世界に入っていけるのでは?

アルバム、宝島

本を読みながら、新聞を読みながら、あるいはネット・サーフィンをしながら、バック・グランド・ミュージックとしてこのアルバムを聴くと80分ほどの時間があっと言う間に過ぎてしまう。時間が短く感じられるのは 明らかにエンジョイしている証拠。

そのようなことを言うと、ジャズ博士から“そんなのは邪道じゃ、もっと集中して様々な音を正確に捉えて、楽曲の表現の深さを味わうのだ。”と言われるかもしれないが、個人的には、アメリカン・コーヒーはエスプレッソのようにちびちびと飲むものじゃ無くて、ガバガバと飲む、それと同じ感覚で大まかに楽しんでも良いと思う。

ジャケ裏には、22カ国の国旗が示されており、これらの国々からキース・ジャレットは音楽家、評論家そして国民からの賞賛と尊敬を勝ち取った、などと書かれている。

ジャケ裏に22カ国の国旗が示されている。

おーい、なんで日本の旗がないの? 日本のリスナーこそキースの最大の理解者だと思うのだが。

心配ご無用。キースが来日したのは1974年のことで、それ以前は一部のマニアを除いては、彼のことをあまり知らなかったし、彼自身も来日するまで日本のことをよく知らなかったのだと思う。何しろ、1978年に発売された、彼の代表作かつ超大作10枚組ソロ・ライブ・アルバム、サンベア・コンサートの楽曲は、すべて日本のファンの前で録音されたのだから。

暑い、暑い、本当に暑い昼下がりの事でした。