CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ウエスト・コースト・ロックは何処へ?

2025年02月12日 | Southern Rock

シンガー・ソング・ライターのダン・フォーゲルバーグのバック・バンドだった4人組バンドのFools Goldが1976年にセルフ・タイトルでアルバム・デビューした。

このアルバムは初期イーグルスのアルバムを担当したグリン・ジョンズがこのアルバムの5曲をプロデュースし、更にグレン・フライやジョー・ウォルシュらも数曲プロデュースに関わっている事から聴かずともウエスト・コースト系ロックを絵に描いたような爽やかさ溢れるコーラスのついたバラードやカラッとしたロック・サウンドが売りとなっている。

この手のサウンドが好きな人にはもう間違いない仕上がり。

本国アメリカでは、大ヒットはとはならずとも最高チャート100位と無名の新人バンドとしてはマズマズ。

当時のオイラもこの手のレコードを愛聴していたものだ。

ところで最近のヒット・チャートをチラッと眺めていると和洋問わずもう知らない人ばっかり。更に今の若い人は特にヒップ・ホップ系を好んで聴いているなんて話も。

もうウエスト・コースト・ロックなんて言葉、お前はもう死んでいる…って感じかもね。

ところで、カニエ・ウエストってウエスト・コースト・ロックの人だっけ?


懲りずにストーンズ

2025年02月11日 | ROLLING STONES関連

ミックもキースも80代に突入したわけだが、いまだに現役ミュージシャンである事には驚く。彼らの最新オリジナル・スタジオ・アルバム、Hockney Diamondが23年に発売され健在をアピールしたのは記憶に新しい。

それ以上に、ツアーの数だけライブ音源があるって感じでここの所過去の音源ではあるがライブ盤がどんどん生み出されている。

そのきっかけとなったのはやっぱり1999年の未発表正規音源のハイレゾ・デジタル配信じゃないだろうか? その第一弾として出たのは1973年のライブ音源、Brussel Affairだった。ちょうど大ヒット・アルバム、山羊の頭のスープ頃でまだミック・テイラーが在籍していた時代のライブ音源でデジタル配信のみの販売スタイルが結構話題に上り、オイラもついストーンズのサイトから購入し音源を楽しんでいたら、その後次々と音源が発掘され販売されていく。

まあレコード会社からすれば、ストーンズと高額の契約を結んでいる事から商売になるものは洗いざらい出していくのは分からないでもないが、流石のオイラもそのすざましい新譜攻勢にはタジタジで、金銭的な余裕とじっくり鑑賞する時間がないため購入に二の足を踏んでいる次第。

てな事で、豪華なおまけ付きの価格の張るデラックス・エディションはとても無理なので、安価な輸入盤のスタンダード・エディションをたまにお付き合いで買っている。

本日は昨年末に出たライブ・アルバム、Welcome To Shepherd’s Bushでも。勿論SHM-CDでは無い通常の輸入盤。

1999年、No Security Tourで6月11日のロンドンのウェンブレー・スタジアムでのアリーナ公演の数日前、1900人とストーンズにしては比較的小ぶりな会場、Shepherd’s Bushでの予行演習的なライブを収録したもの。

まあ会場が小さい事から臨場感もアップし、またライブであまりお目にかかれない曲を演奏するなど結構楽しめる。

しかしながらオイラとしては彼らのライブと言えばやっぱりABCKO時代のGot Live If You Want!やGet Yer Ya-Ya’s Out!かな? 

演奏における円熟さには欠けるかも知れないがやっぱり若さが爆発しているのがいいね。


失われた週末とはお別れ

2025年02月09日 | BEATLES-BADFINGER関連

1973年オノ・ヨーコとの別居生活が始まり、ジョンはLAへと流れてゆき行きすぎた自由を謳歌するが如くグータラな生活を送っていたそうな。

そして次作にオールディーズのカバー作品の制作を企画していたジョンはLAでレコーディングをスタートさせた。

プロデューサーにはその企画にうってつけのフィル・スペクターを招いたものの、フィルの精神的不安定によりレコーディングからセッション・テープを持ったまま疾走する事件に。

オールディーズのプロジェクトは一旦棚上げとなり、飲んだくれた生活別れを告げジョンは新規一転、ニューヨークでオリジナル・アルバムを制作することに。

完成したアルバムが、1974年のWalls And Bridges。

(それまで見たことがなかったほんわかムードのポートレート、尖りすぎた角が取れたのかも)

イマジンのようなアルバムのコアになる様な曲はなく地味といえば地味な部類のアルバムではあるが、エルトン・ジョンの提供した曲が話題を集めただけでなく、それまでの政治的なメッセージではなく全体的に自身の心の内面を歌った誠実なアルバムに仕上がった。

やっぱり飲んだくれてばっかりじゃダメってことね。

オイラも十二分に肝に銘じた次第で…


YOU ARE LUCKY MAN。

2025年02月08日 | PROG ROCK

60年代末、それまでのロックから派生したサイケデリック・ロックなるブームが始まり、69年にはテーマをもってさらに進化したクリムゾンやイエスなどに代表されるプログレッシブ・ロックが誕生。70年になると更なるバンドが次々とこのカテゴリーに参入することに。

元クリムゾンのグレッグ・レイク、元ナイスのキース・エマーソンに元アトミック・ルースターからカール・パーマが集まりエマーソン・レイク・アンド・パーマーを結成し、1970年末にセルフ・タイトルのアルバムでデビューを果たす。

ロックにクラシックやジャズをスマートに融合させた本作は、新しいジャンルにも関わらず英米のチャートでそれぞれ4位と18位を記録し、デビュー・アルバムとしては文句なしに大成功したと思う。

またグレッグにとってはアメリカのマーケットでのクリムゾンの宮殿超え(全米28位だった)を果たし、さぞやご満悦だったでは?


いまだ健在

2025年02月07日 | URIAH HEEP

1972年のユーライア・ヒープは4枚目のアルバム、Demons And Wizardを出した。

この当時は半年毎に1枚のアルバムを出していて、彼らの創作意欲が結構高かった頃でアルバムの出来も良かった。

確か全英・全米チャートでそれぞれ20位と23位に食い込み彼らの一番ヒットしたアルバムだったと思う。

ゆったりとしたアコギの伴奏で始まる1曲目のWizardsの演奏に次第に厚みが加えられてゆき、2曲目のTraveller In Timeでさらにエネルギーが充填され、3曲目のEasy Livin’で爆発。

初めてこのLPに針を下ろした時ぶっ飛んだね。

この後数枚同傾向のアルバムを制作し人気を保持するも、時代の流行について行けず次第に勢いを無くしていった。

ただ当時の5人のメンバーのうちリーダー格のケン・ヘンズレーを含む4人がすでに鬼籍に入ってしまったものの、一人残ったギターのミック・ボックスが今だにユーライア・ヒープを率いて活動を継続しているのは流石にスゴイと言わざる得ない。


ギター控えめ

2025年02月06日 | AMERICAN ROCK/POPS

本日はラテン・ロックの雄、サンタナの1974年の6枚目のスタジオ・アルバム、Borboletta(邦題、不死蝶)でも。

全12曲中歌物が5曲、残りはインスト・ナンバーの構成でパーカッションがリズムを刻むラテン・タッチのジャズ・フュージョンって印象。更に歌ものには万人受けするようポップさ加えて聴き易い味付けがなされている。

アルバムの前半から中盤にかけては割とあっさりした展開で、最終盤にようやくサンタナのギターが炸裂し盛り上げをみせ、ゲストのアイアート・モレイラの作品でもあり彼のパーカションとチャントをフューチャーしたタイトル曲、Borbolettaでアルバムは静かに幕を閉じる。

ただこのアルバム、デビュー当時の快進撃した頃と比べると売り上げが落ちたそうな。

やっぱりギター控えめが原因だったのかな?


甘美のハード・ロッカー!再び

2025年02月05日 | BRITISH ROCK

本日はロック・バンド、Mr. Bigに再登場してもらおう。エリック・マーチンがいたアメリカン・ロック・バンドMr. Bigではない70年代に登場した幻の英国ハード・ロック・バンド Mr. Bigの事である。

このブログを立ち上げた9年ほど前にこのバンドは一度登場しているがその時結構腐していたので、名誉挽回、汚名返上ってことで9年ぶりにそのレコードを再び手に取ることに。

バンドはギター・ボーカルそして作詞・作曲を担当のディッケン、ベースとツイン・ドラムスの変則的な編成の4人組ロック・バンドだった。1974年エピックと契約しシングルを出すものの不発。1975年EMIに移籍して出したのがアルバム、Sweet Silence。

ツイン・ドラムスが関わるハードな演奏にディッケンの少々ねちっこくしゃがれたボーカルが絡み独特な雰囲気を醸し出すWonderful CreationやSweet Silenceなんかがバンドの売りだが、それだけでなくスロー・バラード、カントリー、中華風、ボードビル調の曲などが散りばめられて収録されるなど工夫が凝らされていて悪くない。

残念ながらアルバムのライナーに記された”ビッグ・グループになることはもう既に運命付けられている”なる当時の宣伝文句を果たし得ることはなかった。

しかしながら改めてレコードを再生すれば買った当時の70年代の次から次に登場した新しいバンドでワクワクだった記憶が蘇ってくる。まあ悪しき思い出はなかった事として脳内で改竄されているのではあるが…

久々に甘味な思い出を味わわせてくれるハード・ロッカー達だった。


悪くはない

2025年02月04日 | BRITISH ROCK

10ccのメンバー達は60年代からそれぞれのバンドで活動しながら腕を上げてきた。そして70年代になって意気投合した4人が10ccを結成したが、当時は他のミュージシャンの裏方に回るセッション活動に時間を取られ、自身のバンド活動がおざなりとなっていた。

メンバーの一人、エリック・スチュワートの友人のジョナサン・キングがレコード会社、UK Recordsを設立した事を聞きつけ、新曲のDonnaのテープを送りなんとか契約に漕ぎ着ける事に。

そして1972年にDonnaがシングルとして発売されるとなんとUKチャート2位と人気を博し、翌年セルフ・タイトルのアルバムを出すことに。アルバムからカットされた3枚目のシングル、Rubber Bulletsがチャート1位に輝きアルバムも36位と幸先の良いスタートを切った。

その翌年の1974年にはセカンド・アルバム、Sheet Musicが登場し、これまた全英9位とさらに躍進することに。

ただ弱小レーベルからレコードを出すと、どうしてもマーケティングが弱い。一応販売ルートはイギリスがデッカ、アメリカはロンドン・レコードとストーンズと同じ販売ラインではあったが大手のレーベルが直接管理するバンドではなかったので、後一押しが足りないと10ccのメンバーは考えたのか、彼らは1975年大手のポリドール系のマーキュリー・レーベルに移籍して3作目のアルバム、Original Soundtrackの制作することに。

一方ドル箱の10ccが抜けると売り上げに影響が大きく出たのか翌年にUK Recordsはあえなく解散する羽目に。

その後80年代、10ccの初期2枚のアルバムはマーキュリー・レーベルが再発し、90年代になるとイギリスのキャッスル・コミュニケーションが再発の権利を獲得も、その後廃盤

ちなみに日本ではオリジナル盤はキング・レコードが出していたが、UK Recordsの解散によってその後は廃盤扱いとなる。2000年代になってテイチクがインペリアル・レコード名義で日本での再発権を獲得するも再発されたのはCDのみ。

このセカンド・アルバム、Sheet Musicを持っていなくて、いつか手に入れようとオリジナル盤の中古を探していたのだがコンディションが良くない割に結構な値付けされているので諦めていたところ、イギリスの再発専門レーベル、ノット・バッド・レコードがジョナサン・キングからの許諾を得て2014年に再発したので衝動的に買ってみた。

(赤丸に白抜きの宣伝文句が記載されているが、これがシュリンクの上に貼られたスティッカーではなくジャケに直接印刷されていて、ヒプノシスの渾身のデザインをぶち壊し)

(透けて見える黄色のカラー・レコードはジャケの色合いにマッチしていてNot Badかな?)

(OKの指サインがNot Badを意味している)

ジャケの仕様が完全にオリジナルに準拠していないのは残念だが、レコードは180グラム重量盤の黄色のカラー・レコードで針を下ろしても新品のレコードだけの特典とでも言えるビチパチ音が全くなくオイラは大満足。

社名通りノット・バッドなレコードだった。


デッドラインには間に合ったものの......

2025年02月03日 | PROG ROCK

本日はイギリスのプログレ・ロック・バンド、Strawbsでも。

A&Mレーベルから1968年にフォーク・ロック・バンドとしてデビュー。その後プログレ色が強まりサウンドもヘビーになりそこそこ活躍したものの、8枚目のアルバム、Nomadnessの売れ行きが力作だったにも関わらず芳しく無かったことからA&Mとの長期契約が打ち切りとなる。

1976年、ポリドール傘下のマイナー・レーベル、オイスターと契約しプログレ・サウンドは継続し更にポップ度を高めるも何故か不発。2枚のアルバムを出した後契約が終了。

バンド・リーダーのデイブ・カズンズはこれをもってバンド活動の停止する意向だったものの、大手のアリスタ・レーベルのボスである、クライブ・デイヴィスに口説かれたことから契約を交わし1978年に渾身のアルバム、Deadlinesを出す。

(ジャケのデザインもヒプノシスを起用して結構気合入っていたんだけれどね.....)

しかし時代が悪かった。

時はニュー・ウェイブ。旧態のプログレ・サウンドでは見向きもされず結局このアルバムを出して契約解除となり、バンドも一旦解散と相成った。

いくら長年の経験があっても流行を掴むって至難の技なんだと改めて思った次第。


ちょっぴり侘しい気分

2025年02月02日 | AMERICAN ROCK/POPS

今日は日曜日、健康管理を考えてお昼前に小一時間ほどジョグに出掛けた。

オイラの暮らす地域には私鉄の駅があってその周りにはその昔映画館、パチンコ・ホール、ボーリング場、ゲーセンやフィットネス・クラブなんがあって結構活気に満ち栄えていたのだが、時代の変化とともに娯楽の形態も変わり次第にそれらの需要がなくなり消えていった。

また商店街には食料品、衣類や日用雑貨などを扱うさまざまな店があったのだが、近場の大手スーパーが入るショッピング・モールに客を奪い取られ閉店の憂き目に遭い、今や通りは食べ物屋さんかもしくはシャッターが閉まっている感じ。

不況の昨今、新規の店が長続きする保証も無く1−2年の結構早いサイクルで代替わりしているみたい。仕方ないと言えばそうなんだけれど、やっぱり侘しく感じてしまう。

ところで商店街の街灯に設置された小さなスピーカーから有線放送なのかいつもポップ・ソングが流れていて、結構70年代の洋楽ポップスが多いみたい。

本日はフリートウッド・マックの1977年のアルバム、Rumorsに収録されシングル・カットされたスティーヴィー・ニックスが歌うDreamsが聴こえてきた。

そんな商店街にDreamsが流れるってちょっと場違いかなと思うけれど、考えてみたら洋楽好きだった今の年配者にとっては青春時代のヒット曲ってことで、若者の少ない時間帯のオンエアするのはあながち間違ってはいないかも….

ただスティーヴィーのDreamsが商店街に流れると、男女の別れを淡々と歌うその様があらかじめ歌詞の対訳を読んでいるオイラからすると余計に侘しさを感じてしまう....


ジョー・ウォルシュの癒しのソロ・アルバム

2025年02月01日 | West Coast Rock

本日はジョー・ウォルシュの1978年のジェームス・ギャング脱退後の4枚目のアルバム、But Seriously, Folksでも。

イーグルスに加入し、1976年のメガ・ヒット・アルバム、Hotel Cariforniaを出した後、次のアルバムに取り掛かるまでのインターバルを利用して制作された。

ジョー・ウォルシュが起用したバック・ミュージシャン以外にイーグルスのメンバー達もレコーディングに参加。

これまでのジョー・ウォルシュのアルバムと言えば少々暗めの曲も収録されているのだが、このアルバムでは全体的に明るいウエスト・コースト・サウンドに包まれ、それが功を奏したのかアルバムも全米チャート8位に輝きミリオン・セラーを達成。

ただイーグルスのサウンドはこのアルバムとは相反してより翳りを帯びていく事に。