ニュースを観る度に心が痛む。地震発生から時間が経つにつれ、被害者個人の事柄がクローズアップされるものが多くなった。
今朝のニュースでは、被災して家を失った女子児童が小学校卒業を迎える様子が放送されていた。「今の生活は辛いけど、守ってくれている地域の人々に、毎日感謝です」みたいなことを言うのである。ぽろぽろと大粒の涙を流しながら。若干12歳の女の子が。健気すぎる。
福島第1原発3号機のタービン建屋にいた3人が40~50分の作業で170ミリシーベルト以上被ばくした。うち2人の両足の皮膚に放射性物質が付着していたため、福島市の福島県立医大病院に搬送。
ついに被ばく者が出た。出てしまった…。ショックだ。
程度は違うにせよ、大分前に読んだ「朽ちていった命―被曝治療83日間の記録―」(NHK「東海村臨界事故」取材班)を思い返して背筋が凍った。
(感想:2008年12月05日)
今回被ばくをした、命がけの作業をしてくれていた人たち。
どうかどうか、彼らが元気になりますように。
お願いしますと祈りながら、涙が止まらない。
水騒動だが、相変わらず水道水で沸かしたお湯で紅茶やコーヒーを楽しんでいる。
これだけ騒がれているのに。
でも歯磨きのうがいの時に、放射能を思い出し、急に吐き気をもよおすことが無きにしも非ず。
頭では「心配ない」って理解しているのに…。
先日、地震被害に対して瀬戸内寂聴先生がコメントを出した。
>
「無常」とは、同じ状態はつづかないことと、私は法話のたび、話してきました。その通りです。
今、生き地獄のどん底の状態の日本も東北の被災地の方々も、このどん底から、気がつけば、変化していたと気づく日が必ず訪れるはずです。これだけ国民のすべてが心を一つにしてがんばっている努力が報われないことはないと、希望を忘れないでいてください。私は体がきくようになれば、何でもして少しでも役に立ちたいと今、切実に思っています。待っていてください。
昨年十一月から背骨の圧迫骨折で入院したり、自宅で治療をつづけていて、自分の足で歩けなくなっていた先生。
これまでのように、すぐ現地に飛んでいって被災者を慰問することも励ますこともできずにやきもきなさっていたらしい。
88歳の先生。
力強い言葉だ。
あの日、あの時間まで確実に生きていた命。
一瞬で絶望に飲み込まれた。
連日放送されている死者何人…という数字に隠れている、その数字の分の悲しみを思うと切なくて苦しくなる。
あの地震で被害に遭われた人に比べれば、私の悩みなんて本当取るに足りないもんなんだと思う。
健康で、毎日食べて仕事して笑っていられる。
これが幸せでなくてなんだろう。
6年近く前。
私もどん底を味わった。
初めて死にたいと口にした。
今回の地震とは比べられないほど、超個人的なミクロな事柄なのだが。
でも、今、ようやくこうして笑えるようになった。
いずれ私にも訪れるだろう人生の終焉に。
中学2年生の時に偏差値を20ほど上げたことと、この這い上がれた根性だけは誇りに思えると確信している。
瀬戸内先生の仰るように、悪い状態はずっと続かない。
良いこと、悪いことの繰り返しなのだろう。
Mr.Children 終わりなき旅 (PV)
今朝のニュースでは、被災して家を失った女子児童が小学校卒業を迎える様子が放送されていた。「今の生活は辛いけど、守ってくれている地域の人々に、毎日感謝です」みたいなことを言うのである。ぽろぽろと大粒の涙を流しながら。若干12歳の女の子が。健気すぎる。
福島第1原発3号機のタービン建屋にいた3人が40~50分の作業で170ミリシーベルト以上被ばくした。うち2人の両足の皮膚に放射性物質が付着していたため、福島市の福島県立医大病院に搬送。
ついに被ばく者が出た。出てしまった…。ショックだ。
程度は違うにせよ、大分前に読んだ「朽ちていった命―被曝治療83日間の記録―」(NHK「東海村臨界事故」取材班)を思い返して背筋が凍った。
(感想:2008年12月05日)
今回被ばくをした、命がけの作業をしてくれていた人たち。
どうかどうか、彼らが元気になりますように。
お願いしますと祈りながら、涙が止まらない。
水騒動だが、相変わらず水道水で沸かしたお湯で紅茶やコーヒーを楽しんでいる。
これだけ騒がれているのに。
でも歯磨きのうがいの時に、放射能を思い出し、急に吐き気をもよおすことが無きにしも非ず。
頭では「心配ない」って理解しているのに…。
先日、地震被害に対して瀬戸内寂聴先生がコメントを出した。
>
「無常」とは、同じ状態はつづかないことと、私は法話のたび、話してきました。その通りです。
今、生き地獄のどん底の状態の日本も東北の被災地の方々も、このどん底から、気がつけば、変化していたと気づく日が必ず訪れるはずです。これだけ国民のすべてが心を一つにしてがんばっている努力が報われないことはないと、希望を忘れないでいてください。私は体がきくようになれば、何でもして少しでも役に立ちたいと今、切実に思っています。待っていてください。
昨年十一月から背骨の圧迫骨折で入院したり、自宅で治療をつづけていて、自分の足で歩けなくなっていた先生。
これまでのように、すぐ現地に飛んでいって被災者を慰問することも励ますこともできずにやきもきなさっていたらしい。
88歳の先生。
力強い言葉だ。
あの日、あの時間まで確実に生きていた命。
一瞬で絶望に飲み込まれた。
連日放送されている死者何人…という数字に隠れている、その数字の分の悲しみを思うと切なくて苦しくなる。
あの地震で被害に遭われた人に比べれば、私の悩みなんて本当取るに足りないもんなんだと思う。
健康で、毎日食べて仕事して笑っていられる。
これが幸せでなくてなんだろう。
6年近く前。
私もどん底を味わった。
初めて死にたいと口にした。
今回の地震とは比べられないほど、超個人的なミクロな事柄なのだが。
でも、今、ようやくこうして笑えるようになった。
いずれ私にも訪れるだろう人生の終焉に。
中学2年生の時に偏差値を20ほど上げたことと、この這い上がれた根性だけは誇りに思えると確信している。
瀬戸内先生の仰るように、悪い状態はずっと続かない。
良いこと、悪いことの繰り返しなのだろう。
Mr.Children 終わりなき旅 (PV)