錆鉄人と天女の感動人生

幸福度日本一の福井で一番幸せな夫婦の登山や温泉旅行、ガーデニング・Doit等の楽しい日々の記録です。

新しき明日の来るを信ず

2016-02-16 22:54:14 | 生活習慣病
新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に嘘はなけれど

          啄木

錆鉄人の大好きな啄木の短歌ですが、
友の死に臨み、新しき明日さえ「疑問符」が付く歳になった事を痛感している錆鉄人であります。


新しき明日を無邪気に信じられた若い自分
新しき明日に無限の可能性を信じられた若い自分は・・・

もういない。


だから、
新しい明日を信じて今日を無駄に生きる事は出来ない。
だから、
今日を、今を一生懸命生きるのです。

けれど、
やはり新しき明日も信じたい
やはり新しき明日の無限の可能性も信じたい


願いは叶わないかもしれない。
しかし、願わなれば叶う事もない。
(どこかで聞いたフレーズのような・・・)


まずは、
無事に新しい明日を迎えたら
新しい今日に感謝して
(つまり、新しい明日ってものは永遠に来ないものなのです。)
「今」を一生懸命に生きたいと思う錆鉄人であります。
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今夜は痛飲!

2016-02-16 20:52:16 | 生活習慣病
本日は先日出来なかった特定健康診断を受けたので、昨日の夜9時から飲まず食べず。
検診は1時間足らずで終わり、10時には帰宅しましたが、
折角なので昼まで食事は抜いた錆鉄人でありました。
ちなみに、我が家で血圧測定している時は120台なのですが、148も出ました。
やはり白衣症でしょうか・・・
天女に看護婦さんのコスプレをしてもらうと良いのかも?

という事でうが、
今夜は友のお通夜
我が家からは片道約40km、仕事帰りの渋滞もあって1時間半かかって到着。

毎年、お正月に遊びに行った時だけ顔を合わせていた奥様に
(気さくな人なのでいろいろ話しをしてはいましたが・・・)
「残念です・・・」
としか言えませんでした。

「フタを開けていますから、顔を見てあげて下さい。」
と言われたので、お焼香のあとでお棺に向かった。
(焼香台の後ろにお棺は置いてあった)
「間違いであってくれ」とか言う人がいるが、
連絡を受けてきているのだから、それは単なる偽善

まぎれもなく友人「だった」Kであった。
苦しんだようには見えなかったのが救いである。

天女は
「ありがとうございました。」
と口の中で唱えたと言っていた。
錆鉄人は複雑な心境で何を考えていたか思い出せない。

もうこれでお正月に遊びに行く事もなくなった。
行くのはいつも2日の午前中だった。
そう言えば、社長になる前は帰宅途中にあるトレーニングセンターでトレーニングしている話を聞いたが
聞かなくなったのはやはり忙しかったからであろうか。

錆鉄人の人生は彼とは「対極」の人生である。
地位も名誉もお金も望まず、
(望まずというよりも、そういうものは錆鉄人の性格には合わないものだと知っていたので
 望みようがなかったというのが本当かもしれないけれど・・・)
伊能忠敬を憧れ(彼の偉業ではなく、単に50歳で隠居したという事実に対してであったが)
去年から隠居生活をしているが、
彼は現役のまま死んだ・・・

人の人生、生き方は人それぞれ、
幸不幸も結局は自分の心が決めるもの
やっぱり「一生懸命」が決決め手
スローライフなんて錆鉄人には死んでも理解出来ない。

彼も一生懸命生きた。
今夜は彼を偲んで飲むぜよ!

という事で、
今夜も甘いあま~い一夜はお預け間違いなしの錆鉄人であります。




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友を偲ぶ

2016-02-16 11:08:09 | 田舎暮らし
今夜は13日に急死した友の通夜である。
会社勤めでは社長、会長と1社員の関係であったが、
大学のボート部以来の付き合いだから友人と言って良いだろう。

再会したのは、「丸岡古城マラソン」
子供が小学生の頃で、親子マラソンで入賞し、さらに10kmを走ったような・・・
錆鉄人はいまだに「いかにもボート部」というようなガッチリした体形であるが、
彼はボート部時代もスリムで、
ボート部恒例の30kmマラソン(金沢城~湯涌温泉往復)では一度も勝った事はなかったが、
その時は錆鉄人のほうが走力がはるかに上で、
翌年に福井マラソンを一緒にスタートした時もすぐに置いていったものであった。

錆鉄人はその後マラソンの練習は止めてしまい、
天女が出るフルマラソンの送迎をしてついでにフルを走るという状態が数年続いたが、
彼は錆鉄人に負けた事が悔しかった訳ではないと思うが、
その後も10年位はマラソンを続けていた。

そんな事もあって、彼の紹介で彼の努めている会社に入る事になり
(それまで勤めていた会社があまりにもひどい会社であったからであったが・・・)
それ以来、正月には毎年、天女と一緒に彼の家に遊びに行った。
最初の頃は、仕事に行き詰っていたのか、
「50位で会社を辞めて喫茶店をしたい」
と言っていたが、人付き合いが上手で人望もあった彼はやがてその才能を発揮し
グングン出生し、やがて社長になり、多忙な生活をしていた。

2年前に会長に退いて、楽になったのかと思っていたが、
会長になっても、その人脈を生かして社外的な事はほぼ一手に行っていたので
出張が多く、社長時代を含めて10年以上ものそういう生活が彼の身体を蝕んだのではないかと思う。

死因は動脈破裂らしい。
ここ十数年は仕事ひと筋で、成し遂げた成果は大きい。
今年の正月に遊びに行った時も仕事の話しばっかり、まだまだやる気満々だった。

だから、悔いもあっただろう。
そんな事を考える時間があったかは分からないが・・・

「おまえのおかげでいい人生だったと俺が言うから、必ず言うから・・・」
と言う時間があったかどうかも分からない。
でも、死を覚悟して考える時間があったら、自分の人生に満足していたのではないかと思う。
それは、彼が力一杯生きてきたから。

人の人生は様々だから、
それは彼の人生のように必ずしも結果が伴うものではないかもしれないけれど
大切な事は「一生懸命生きる事」だと思う。

錆鉄人はこれまで一生懸命に生きてきたと胸を張って言える。
62歳で退職したけれど、その後も常に一生懸命である。
勝手に自分がそう思っているだけであるが、
錆鉄人にとって大切なのは他人の評価ではなく「自己評価」である。(自分にとっても甘い採点であるが・・・)

明日は分からない
彼のように数分後はわからないのが人生かもしれない・・・

とりあえず、
毎日言っているけれど
「おかあさん、ありがとう。おかあさんのおかげで僕はしあわせだよ。」
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