錆鉄人と天女の感動人生

幸福度日本一の福井で一番幸せな夫婦の登山や温泉旅行、ガーデニング・Doit等の楽しい日々の記録です。

卒業写真

2016-02-24 20:10:23 | 田舎暮らし
テレビを見ていたら(録画だったかもしれません)
ユーミンの卒業写真がバックに流れていた。

あわせて口ずさんでいたら涙が出た。
高校1年生のクラス会を考えていたので、センチになっていたのかもしれない。


 人ごみに流されて変わっていく私を
 あなたは遠くで時々しかって
 ・・・・
 あの頃の生き方をあなたは忘れないで
 ・・・・・

誰かにそんなふうに言われた事はないけれど
そんなふうに言われたら素敵だなぁ・・・


錆鉄人は人生を振り返った。

「あの頃の生き方」って・・・、
とりたてて言うほどの凄い生き方なんてしてなかったけれど、
あの頃と全然代わっていない、=成長していない事は間違いない。

「おかあさん、ボクって全然成長していないね。やっぱり子供のまんまだね。」
と言うと、
「おとうさんは汚れのない純真な心の人だわ。」
と言われた。

汚れのない純真な心の錆鉄人は「ほめられた」と思う事にしました。
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高校1年生のクラス会の相談の後で

2016-02-24 19:52:06 | 田舎暮らし
昨日、クラス会の開催に関して相談したIさんとの電話で
(Iさんは影のクラス会長みたいな人で、天女の事も良く知っています)
「旦那と仲良くしてる?」と聞いたのですが、
「○△×□」と言うので
「僕らは相変わらず仲良くしてるよ。夜中にトイレに行った後もまたくっついて寝るよ。」
と言ったら、
「本当は嫌がっているんじゃないの?」
と言われたので、心配になった錆鉄人は電話が終わった後で天女に聞きました。
「おかあさん、くっついて寝るの本当は嫌じゃない?本当の事を言えばいいよ」
と言ったら
「嫌じゃないわ、うれしいわ!」
と言ってくれました。

返事の前に
「朝になったら首をくくっているかもしれないよ」
と釘を指しましたから・・・

という事で、今夜もくっついて寝ます。
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高校1年生のクラス会

2016-02-24 06:03:22 | 田舎暮らし
昨日、高校1年生の時のクラスメイトのIさんに電話でクラス会の事を相談した為か
今朝は3時に目が覚めてクラス会の案内文などを考えていたら、もう眠れない。

またしても遠足病のようだ。
といっても、お盆に開催するつもりなので、お盆まで遠足病が続いたら死んでしまう。
早い所、案内文を作ってしまうのが良いのかもしれない・・・


普通、クラス会というと
小学校なら6年生、中高なら3年生の時のクラス会をするものであるが
(錆鉄人も実際に中学3年生のクラス会を数回開催して、今は後任の人に幹事をやってもらっている)
「なぜ高校1年生のクラス会を行うのか」と不思議に思う人が多いかもしれない。


その最大の理由は、担任のI先生が素晴らしい先生だった事だと思う。
教師になって我々のクラス担任が始めてという若くて情熱と理想を持った素晴らしい先生だった。
しかも背が高く美人で(女性教師でした)自慢したくなるような素晴らしい先生だった。

2番目の理由は、クラスメイトがみんないいやつだったからだと思う。
いいやつばかりだったけれど、その時は先生の素晴らしさに気付かず
(そんな余裕がなかったのかもしれない)
みんな不器用で青春のエネルギーをうまく燃焼出来ず、クラスとしてまとまる事が出来ず
先生の理想に燃えたクラス運営はうまくいかない事ばかりで、
先生は我々の前で何回涙を流した事か・・・

それはクラスの級長(武生高校では九兆と呼ばず会長と呼んだ)をしていた錆鉄人の統率力のなさが最大の原因であったと思うが・・・
錆鉄人は田舎者で真面目という文字に制服を着させたような生徒で、
他人を思いのようにリードするなんて芸当はまるで出来ず
(それは生涯獲得できなかった能力で、というか、錆鉄人は獲得したいとも思わなかったような気もするが・・・)
授業をさぼったり、
掃除をさぼったり、
授業中に居眠りしたり、
授業中に雑誌を読んだり早弁をしたり・・・
というような行為とは無縁な「カタブツ」だった。
そんな統率力のない錆鉄人なのに、
何故か2学期も3学期も選挙で会長に選ばれたのが不思議であるが、それがそのクラスの不幸でもあり、
選挙制度の無意味さを意味していると思う。

(ところが、誰から見ても会長には不適格だと思う錆鉄人なのに、
 2年生の1学期、2学期、3学期、3年生は前期・後期に切り替わったが前後期とも、
 つまり高校の3年間選挙で選ばれてクラス会長を続けたという「偉人」ならぬ「異人」なのですが・・・)

1年生が終わる前に、先生はみんなに希望などを書かせてクラスの文集を作って下さいました。
その頃になって、我々は(錆鉄人を除いてと言ったらボコボコにされるかも?)ようやく反抗期を過ぎたのか
それまでの1年を反省するとともに先生の素晴らしさに気付かされたのだと思う。
(反省しなければならない第一人者は錆鉄人であったが、
 会長不適格者を選挙で選んだ衆愚政治が原因であると弁解しておきたい。)

そんな事もあって、先生が2番目の女の子を産んだ2年生の時には
みんなで連絡を取って先生の実家まで御見舞い(お祝い)に行った。
2年生終わりの頃になって、ようやくクラスとしてもまとまりが出来たのであった。
(もうなくなっていたけれど・・・)

そんな事やこんな事やで、
大学を卒業した年、1年生のその先生のクラス会をしよう、して欲しいという事になって
当然、3学期とも会長だった統率力の無い錆鉄人が幹事を勤め
ちょうどオリンピックの年だったので、
オリンピックの年に開催しようという事になり、
先生がガンで20年ほど前になくなられた後も、みんなでお墓参りに行ってからクラス会を行い
先生がいらっしゃらなくなったので、次のオリンピックの年は開催しなかったのだけれど、
やっぱりやって欲しい、みんなに逢いたい・・・という声で復活させ
今年もオリンピックの年を迎えたのでありました。

大学を卒業してちょうど40年
開催しなかったのは1回だけだったと思うので、10回目の高校1年生のクラス会である。
幹事の回数が、高校のクラス会長をした回数よりも多くなってしまった。

クラス会長を3学期ともしたので、幹事を他の人には頼めないという訳ではないが
「会長、またたのむね」と言われると「うん」と言ってしまう素直な錆鉄人である。

案内を出すと、近況報告など書いてきたのを真っ先に読むことが出来、
みんなから「会長、ありがとう」と言ってもらえるある意味「お得な役割」だと思っている錆鉄人であるが
マンネリ化も著しいので(メンバーが変わらないので当たり前のような気もするが・・・)
やりたい人がいたら代わってもらおうとも思うが
きっと内気な錆鉄人は自分からは言い出さないと思う。


みんな元気でいるだろうか
元気でいて欲しい
そして、みんな集まって欲しい

もう、すでに、今から楽しみな錆鉄人は、遠足病で死なないよう気をつけなければ・・・
(天女はきっと「子供なので何でも楽しみなんだ」と思っているに違いありません。
 送迎などまたお世話を掛けます。いつもありがとう!)
コメント (2)
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