先が見えないと「不安」になる・・・誰も先なんて見えないけれどネ

2005年09月15日 | 介護日記 -
歩行を補助する杖をレンタルした。
地面と接しているポイントが四点ある“安定性のある杖”だ。
今日、手元に届いたのだが、背丈が172cmくらいある父には低すぎて、注文をし直す。

父は今(内臓疾患の他)、ヒザが「老人性の関節炎」で、それもかなり変形しているのだそうだ。特に、今年になってからは、足の運びが悪くなった。
できるだけ運動をしなければいけないのだが、痛みをともなうために、どうしても動かすことができないでいる。そうすると、どんどん硬くなって、骨も筋肉も退化してしまうらしい。
だから、重心を移動させると、たびたびバランスを壊して、転倒する。
二ヶ月前ぐらいから、その転倒は頻繁で、風呂場で頭を殴打して動けなかったときには、本当に吃驚したものだ。

先月のお盆あたりの帰省では、「この家で死ぬ」と豪語していた実家の庭で、いきなり転倒!
父は、グンゼの白い下着を真っ赤な鮮血で染めた。
度肝を抜かれた。
私はいつも・・・血を見た時は、一瞬“何がなんだか”分からなくなる。
「ぎゃ~~」と叫ぶ。(蛇を見たときも叫ぶが、血を見るともっと大声で叫ぶ)
本当にドキマギしてしまった。
   余談になるが、
   鮮血から連想するのは、フィリピンのベニグノ・アキノ氏の暗殺事件・・・。
   私の中では、大きな衝撃だったのだと思う。
結局、頭を七針ぐらい縫合して、大事には至らなかったが・・・、これから内出血の危険性も残ってはいる。

現在は、毎日私が運動(リハビリ)をしている。
かかりつけの整形外科医院で、リハビリをし始めた。
このたび(理学療法士が訪問してくれる)在宅リハビリも依頼した。
できることからやっていって、とにかく、現時点で(まず)「歩行」は保持したいものだ。

「歩行」や「視覚」などは、人間の生活機能の中でも、非常に大切なものだと感じる。
母の介護の際には、寝たきり状態になってしまったので、厳しい現実が突きつけられたし、
“目が見えなくなる恐怖を何度も経験した母”を介護したからこそ、同じように“切実な心情”を経験することができたとも思う。
自分に置き換えて、想像してみても・・・、それはすごく怖いことだ。
「冬ソナ」のチュンサンのように達観した表情で、おだやかに“暗闇”を受け容れることなんて、私にはできない。
・・・あの時・・・母も、泣いていた。
緊急の連絡を受けて、実家に帰省したときには、自分の写真を整理しながら、
「この写真を葬儀で使って」と一枚のポートレートを手渡された。
見えるうちにと、家の掃除をして、自分の荷物の整理をしていた・・・。私も、泣けた。
心情が手に取るようにわかって、本当に泣けてしまった。

今、私の中にあるもの――それは、先の見えない介護に対する「不安」。
介護人の誰もが感じることかもしれないが、「介護で、自分の人生が犠牲になっている」と思ってしまうこと―。
これもまた、非常にタチがわるい思考である。
心と身体は、同時に悲鳴をあげてくる。必ずというほど、連動している。
どちらかが“気丈に”持ちこたえられていたら、もう一つも“どうにか”引きずられるように持ちこたえられるものだ。
たとえば、先行きが見えず、イライラしてしまうことがあって、「自分の精神状態が張りつめているなぁ」と感じるときがある。そんな時は、コントロールできず、あたり散らしたくなったり、父に対して優しくなれなかったりする。ほんの少しの心遣いで、相手の気持ちはずっとずっと楽になるし、快適になることを分かっていながら、そうできない自分がいたりするのだ。
昔は、落ち込んで・・・泣いて、逃げ出したくなったりもしたけれど、
最近は少しだけ“折り合いの付け方”を覚えたようだ。
それでも、イライラする時は、父のいない所で思いっきりため息をついて、こう叫ぶんだ。
「あぁ~~、もう嫌だ、嫌だ。やって~ら~ん~なぁいぃ!」
「ふ~~~~~っ!」
そうすると、気持ちが楽になって、もう“どうでもよくなったりする”(笑)。

“溜め込まない”・・・これって、大切かもしれない。
コメント (2)