三ヶ月の苦難

2005年09月30日 | 出来事 -
一昨日のことだ。
病院から帰宅した時のことだった。

父の両手が、マッチロヶ~になっている。
  「げぇ~、どうしたん?」
  「きたなぁ~。どしたんかいなぁ?」
   父も怪訝な顔で、両手をこすり合わせている。

これは、
・・・ナ、ナ、ナント、
我が家の大家さん(奥様)が、白いペンキを塗ってくれていたのだ。

この家の構造をご説明すると・・・
入口の門扉を開けると、小さな踊り場がある。そして、その下に鉄骨の階段がある。
階段を八段ぐらい降りてくると、我が家の小さな庭と玄関があるのだ。
その鉄骨の階段部分に、マッチロイペンキ・・・
足元のおぼつかない父は、必ず両側の手すりに“しっかり”つかまって階段を降りる。

「良かれ」と思ってしてくれたことだろうけど、
一言・・・言ってくれないと、(はっきり申し上げて)困り果ててしまう!
除光液で(どうにか)ペンキはおちたものの、この程度で良かったと思ってしまった。

今日は、今日で・・・例の大家さん(奥様)が、
勝手に入ってきて、我が家の納戸を開けてスコップを取り出し、勝手に庭仕事・・・。
父がびっくりして、「へんな人がおるよ~」と心配してしまった。
一言・・・言ってくれないと、(はっきり申し上げて)困り果ててしまう!
{いったい何がしたいわけ?}

実は・・・
大家さん問題は、この三ヶ月間“頭痛のタネ”になっている懸案事項である。
世の中には、いろいろな人がいるから・・・本当にいろいろな人がいるから、
とにかく振り回されないようにしなければならない。
父には、余計な心配をかけたくないために、今だ“四苦八苦している”最中である。

引っ越ししてすぐに、「家賃を上げる」「管理費をもらう」という一方的な要求があり、
(その他にも、唐突で理解不能な行為や言動、不当な扱いが、ずっとずっと続いて)
挙句の果てに「うそつき!うそつきぃ~~~」という雄叫び電話があったりもした。
私にとっては、夢にまで出てくるようなオッソロシイ経験を、何度もしてきたのだ。

今日は、頭の中が「ぷつん~」と切れる音がしたので、飛んで出て行ったのだ。
 <突然切れたのではない・・・様々な前段がある:略>
そして、大家さんのご主人と膝を交えて(奥様の行為に対する)話し合い・・・
かなり長い時間を要し、言いたい事を全て吐き出して、相手に伝えた。

   すっきりしたぁ・・・・・

トイレを我慢していて、我慢に我慢をかさね、ついに辿り着いて、
「ふぅ~」というため息と共に、“こと”を終えた瞬間のようだったョ。

大切なのは、たとえ激昂していても、冷静に対処すること。
そして、何よりも建設的な話し合いに持っていくように努力すること。
しかし、言いたいことは我慢せず伝えること。主旨をずらさないように気をつけること。
伝える言葉を選び、明確な姿勢でのぞむこと。信念を曲げないこと。
相手からの“きちんとした返事”を手に入れること。手に入れるまでねばること。
やったことに対する自分自身の心の整理をつけること。

大家さん問題も、最終局面にさしかかってきた。
あと“もうひとふんばり”という感じだ。
仲介業者や代理人を通じて話し合うよりも、“直接”の方がずっとずっと進展が早い。
一日も早く、三ヶ月の苦難に区切りをつけたいものだ・・・。

遅い帰宅

2005年09月30日 | 雑感 -
昨夜の帰宅は、かなり遅かった。
久しぶりに遅かった。
早朝に外出して、渋谷⇒飯田橋⇒川崎と、ぐるりんと東京圏を移動したカタチだ。

「遅くなるからね」と伝えていたが、父は“やはり起きていて、待っていた”。
部屋の明かりをつけ、カーテンを開けて、門柱の方を見ていた。
窓際に座って、(ガラス窓を通して)入口を凝視していたのだ。

これが、きつくて・・・

だんだん帰りが早くなっていった。
そして、いつしかヘビーな仕事が入れられなくなり、もんもんと精神的に苦しむ時期が続いた。
思い返せば・・・実質的に、“全てを一人で抱え込んでいた”という状況が確実にあり、
それは(私にとっては)かなり負担なことでもあった。
だから、徐々に“追い込まれていく”結果となる。

なぜ、きついのか・・・
  自由に時間を過ごしたいのに、気持ちが落ち着かない。
  父が気になって仕方がない。
  一人のときに何かあったら、どうしよう(不安)と思う。
  私の帰りを待つ父の想いが、痛々しく感じる。せつない。
  帰宅後「探した」「心配した」「警察に電話しようと思った」等の発言が繰り返される。
  それを聞くのが、かなりキツイ・・・。

今、ヘルパーさんに頼んで来てもらっても、また同じようなことを経験している。
おそらく「父の存在を気にしないで自分の予定をこなす」ことは、今後も無理だ(限りなく不可能に近い)と思う。

こうして、ずっと“きついことを避けている”と、父にとっては快適かもしれないが・・・現実的には“私がミイラ化してしまう”部分があった。
「やりたいことができない」と思う自分が、“閉塞感”を生んでいる。
だから、“がんばらない介護”を目指した方がより健康的であることに結論は至ったのだが・・・肝心の問題は、周辺の状況ではなくて、私自身の心の中にあるようだ。
“どのような状況なのか”ということは、あまり関係ないのかもしれない。
実際、自分を追い込んでいるのは、自分自身の思考や“この心そのもの”であり、
「私が私自身を追いつめている」からだ。

では、「なぜ、気持ちが落ち着かないのだろうか」・・・。
これからは、この辺りの思考部分を、もっともっと掘り下げていく必要がありそうだ。

やはり“私の心の安定が得られるか否か”が、キーポイントなのだろう。
「感情をコントロールする能力」を、いかに私が駆使して、
・・・この自分自身の想いを克服していけるのか・・・ということなのだと思う・・・。
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