デイサービス

2005年09月27日 | 介護日記 -
今日は、「デイサービス(通所サービス)」初日。

人にも施設にも相性があるので、どうなるかと思っていたのだが・・・
父は大きなお風呂に“ご満悦”だった。
良かった、良かった。

ここは、半年前に営業を始めたばかりの施設だから、館内は非常に清潔である。
奇麗だし、広いし、とにかく環境(景観)が良い。
将来、ショートステイ(短期入所生活介護)を念頭に置いて、この施設を選んだのだが、
他の施設と比べて“すべてのバランスが整っている”ように感じた。
(実は、いくつも施設見学をして、ここを決めたのだ)
父も私も、この施設の皆さんにお世話になり、これから“素敵な関係”が構築できるといいなぁと思う。

「初日」と言っても・・・これまでに父は、すでにデイサービス(週二回)を利用していた。
今日は“新しい施設”に、初めて出向いた日である。

これまで通っていた施設を辞めたのは、あまりにもミスが多かったから―。
とても満足していたのに、今春にスタッフが変わってから、毎回トラブルが続いた。
それまでフツーに出来ていたことが、新しいスタッフには全く出来なくなったのだ。
問い合わせやクレームの事後処理も不完全で、誠意が感じられない。
だから、信用ができなくなった。
そして、追い討ちをかけるように、面倒なことが続いた・・・。
しばらく我慢していたが、父のケアについてシリアスな事件が勃発したのを“きっかけ”にして、辞めることにしたのである。

一般企業だけではなく、(どこもそうだと思うが)やっぱり「人材なんだなぁ」と思った。
「戦略」よりも、「人材」!
私たちは、人を頼りにする。「その人ならば・・・」と物事を決める。
正確に言うと、「その人が施す(実態ある)適切なケア」を利用したいのだ。
“信頼”と“安心”に裏打ちされたサービスを求めているからだ。
万一の場合は「生命」にもかかわる福祉サービスであるからこそ、よりいっそう(家族としては)そういう気持ちが強くなる。
体力が落ちて、理解力や判断力が落ちた高齢者は、(時として)自分の意志を伝達することが厳しいケースもあるだろう。
たとえば、普通では考えられないような(ありえないような)行動を起こしたとき等である。
そういうときこそ、「何故そういう行動をしたのか」「何を伝えたいと思っているのか」等について推し量る度量が求められる。
経験だけではない“人間力”の問題である。
よくあるのは、人をモノ扱いするケース――、
それから、相手の気持ちを考えず、縛り付けてしまうケース――。
双方共に・・・ルールや規約に則して、従わせてしまうということだろうけれど、
そこには施設側の一方的な圧力が垣間見える。
私としては、従わせるのも良いけれど、納得させてから従わせてほしいと思うし・・・
従わせる前に、(せめて)気持ちを楽にしてあげてほしいと思ってしまう。
誰にも「こころ」はあるのだから。

対象が「人」である以上、マニュアルが全てに通用するとは限らないだろう。

施設を幾つも見学して、それぞれのパンフレットに目を通した。
それらの多くには、「癒し」「くつろぎの空間」「楽しいひととき」という言葉が使われ、とにかく“印象的に”飛び込んでくる。
パンフレットでうたっているからには、(完璧は無理でも)そういう環境を目指してほしいものだと感じる。
「人が、人として快適でいられる環境」・・・たとえ判断がつかなくなるほど状態がひどくなったとしても、人である以上、“そういう空間で時間を過ごさせてあげたい”と思う。
将来、私がヨボヨボのボケボケになっても、“そういう空間で時間を過ごしたい”と思うし、
そういう“アッタカイ時間が過ごせれば、ベストだなぁ”と思うから―。

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