物事には、二つの局面があるようだ

2005年09月16日 | 介護日記 -
私には、このブログで書いている“負の部分”の他に、「動」と「明」の部分がある。
性格的にも(我ながら)「前向き」であると思っているし、なんらかの障害が出てきたときも、これまで“それなりに対処してきた”という“かわいい自負”があったりもする。

私は、人生の折り返し地点に、ちょうど“今”立っているようだ。
年齢的にも、ライフバイオリズム的にも、この数年間は「正念場」だと感じているし、
そういう大切な時期である印象と、そのために必要な“ある覚悟”は持っている。
これまでも全てがうまくいくわけではなかったが、等身大の私自身が向き合って「駄目なら方向転換しましょう」と常に舵取りをしながら、ただ“生き延びて”きただけのことだ。助けてくれる人がいたわけではないし、人間そのものに大きなバックボーンがあるわけでもないから。
これまでの半生を振り返ってみると・・・「しなやかに」そして「柔軟に」“今”と向き合うことがキーポイントだったような気がする。

このブログで“負の部分”を書き込んで、心のウミを吐き出し、すっきりするのは良いことだ。
しかし、すでに処理してしまった辛い思い出などが“再び現出してしまう”というのは、負の部分を“パワーアップさせているのではないか”とも感じてしまう。
上辺だけの心模様ではなくて、ちゃんと意味合いを確認しながら日々を生きることには価値観を見出すが・・・、負に引きずられて「明」と「動」が“しぼんでしまう”ことは本意ではない。

人は誰も、「気持ちの持ちようで変わる」ものだ。
そして、人間がもつ“意欲”は、“環境”によって変わるものでもある。
このブログとの対峙の仕方を、あらためて感じている私が“ここにいる”。
父の介護に対しては過剰に思い込まず、現実をタンタンと受け入れ、これからは「心と体のバランスを調えよう」と思う。
これも、それも、やってみて気がつくことだが、・・・物事には二つの局面があることが多い。
そういう気づきもまた、非常に貴重である。
体験して初めて知る“もう一つの要素”―――こういう“私の姿”や“心の在り様”との出会いが、私の決断や選択を後押ししてくれるはずだ。
ちょうど今“人生の折り返し地点”だから、まだまだ先はありそうだし・・・
こんなところで疲れていたら、「アホみたいじゃんか~!」。

自分自身と向き合い、付き合い、折り合いをつけることこそ、
(私にとっては)奥がふかぁ~い“人生の課題”なのだろう。
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