訪問看護リハビリテーション

2005年09月21日 | 介護日記 -
父の足の具合が厳しいので、ケアマネジャーさんに、訪問看護のリハビリを勧められた。
理学療法士さんをご紹介してくださり、「一度話を聞いてみたら?」ということになった。
自宅に来てくれて、利用者の病状や状態にあわせて“ワンツーマンの専門的リハビリ”を施してくださる医療サービスが、「訪問看護リハビリテーション」ということらしい・・・。

今日お会いした“その人”は、“巨漢”の理学療法士さんだった。
身体が、とっても大きい。
顔も大きいので、笑顔が映えて素晴しい。
髪は短く丸刈りで、お相撲さんのような体型だった。
だから、どことなく“~歩きづらいなぁ~”という歩き方をしていた。

「えぇ?この方が・・・」
頼もしい体型ではあったが、理学療法士さんというのが、ちょっぴり意外だった。
訪問看護リハビリについてのご説明は懇切丁寧で、「ごもっとも!」という内容ではあったが・・・如何せん説得力が薄れてしまうのは何故だろうと探っていると・・・
やはり巨漢の体型からではないかと思ってしまった。

私は、大型タイプの人は、大好きである。
いつしか和んできて触りたくなるし、身体がプヨプヨで温かいし、(いじけていなければ)優しい性格の人が多いからだ。
しかし、医療関係の仕事に関して言えば、少しばかりイメージ的に問題がありそうだ。
決して全ての人がそうだと思わないが、どうしても“自分の身体のコントロールができない人”というレッテルを貼られる危険性をはらんでいると思う。
ダイエットや摂生に努めることは、簡単なことのようで難しいもので・・・
人的な観点から判断すると、「意志の強さ」「信念のあり方」「根性」「自覚の有無」などの言葉で表されるようになってしまう。

私は、決して評価をしているわけではない。
太るのも自由だし、どのような体型であろうと“個性”だと思うけれど・・・
しかし、ある意味では“彼は実質よりも、イメージ的に、かなり損をしているのではないか”と、思ってしまっただけである。
私自身も、ちょっとした違和感から、自分の先入観に気づくことになってしまったし、
そういうことは(おせっかいではあるが)多々起こりうることだと感じてしまう。

「自分は周りからどのように見られているのか」という概念は、かつて“誰もが持っていた意識”である。しかし、最近は、希薄になってしまったような印象がする。
“自分のスタイルを貫く「個人主義」”が台頭して、その果てには「節度」「恥じらい」「思いやり」「健気」「常識観念」など薄れてしまったものもあるのではないだろうか。

とにかく、自分を“効果的にアッピール”して“相手に好印象を与える”に越したことはない。
私自身は、それこそ(無理をしないで)自然と“周囲を巻き込んでいく近道だ”とも思うのだ。

“「アホらしくて、やってられるか~!」ってな気分”の時も、とっても多いけれども・・・
ほんの少しの余裕と、手に入れたい目標が具体的であるならば、いざハカリにかけてみたら、(悩むことなく)明確にチョイスできたりもする。
その「未来像」&「イメージ」が、具体的に描けているかどうかは、大きな分かれ道になってくるようだ。
だから今・・・・・私は・・・・“その未来像”と格闘中である!

今日の父は、一人でお風呂に入ってみたものの、立ち上がれなくなった。
介助をして、どうにか風呂場から脱出。
ヒザの痛みが回復してくれないと、何もできなくなってしまう・・・と、ひとしきり落ち込んだ。

コメント (5)