今日は、朝一番で「整形外科医院」へ行った。
父は、リハビリとヒザへの注射を施してもらい、自力で歩いて帰宅。
隣のお宅の車が、我が家の前に数台並び(連休だからね)、歩行ルートを妨げている。
「少し歩かなくちゃ駄目だなぁ」
「まぁ、それもリハビリだよ」
自分の中で、私の“思考”がウチワ話しているみたいだった。
雨が降っているので、私が傘をさしかけ、~ゆっくり~ゆっくり~と、足を運ぶ父。
「転ばないように」―ただそれだけを思いながら、その足元に視線を落とす。
昨夜も車列は並び、隣の家からは“楽しげな笑い声”が聞こえてきていた。
パーティでもしていたのかなぁ?
ご友人の家族が訪問しているみたいで、帰り際にも賑やかに挨拶する声が響いていた。
そういうとき、(私には全く関係ないのに) なんとなく“取り残されている感”がする。
「お隣は楽しそうで良かったなぁ」という気持ちよりも、「私も楽しみたいなぁ」という“自分よりの気持ち”が優っている状態だと言えば、わかりやすいだろうか・・・。
これは、おそらく“自分のやりたいことが充分できていないのではないだろうか”という、
“論理的ではない被害者意識にも似た想い”が、潜在的に巣作っているからだろうと思う。
(実際、友人と食事に行ったりすることが、ほとんど無くなってしまったからなぁ)
そして、実際はそうでなくても、「自分を取り巻く社会から、自分自身が“切り離された場所”にいる」ような雰囲気がしてしまうのだろう。
「疎外感」とか・・・「隔離」されているような「孤立感」のようなものだ。
※これらは全て、“以前の私”のライフスタイルや価値観から感じることである。
(かつての私は、連日深夜まで仕事をする“仕事だけ人間”だった)
長きに亘って作られた思考スタイルは、すぐには変わるものではない。
その思考に縛られ、自由を奪われ、囚われきって、自分らしさを無くしていたのが、
同居をはじめてすぐあたりの私自身だった。
どちらにしても、「快適か否か」という観点からは、今も(まだまだ)充分ではない。
同様に、現在の“父の立場”に想いをはせてみると、
“若い頃とは違う身体の不甲斐なさに四苦八苦している”ために、同じように「閉塞感」を感じているのではないかと思う。
“思うようにならない気持ち”と、“自分自身の現状”、そして、“むなしさ”・・・。
だから、この二人の精神状態と現実生活に「希望を見出す」のは大変なことだったりもする。
このことは、いつも考えていることだ。
・・・また、あえて見つけようと模索していることが、私の「希望」だと言えなくもないが(笑)。
そうして、こういう行為を、何度も何度も、繰り返していくうちに、
父との生活を“違う見方”で見て、解釈するようになってきた。
完全に受容できているわけではないにしても、うまく一緒にやっていけなければ、
私自身の心の中で “日々粉雪が舞い続ける”だけである。
自己の思考や感情などと、徐々に“折り合いをつける作業”を繰り返しながら、
私の中で、やっと(具体的に)芽生え創めている幾つかの「希望」―。
これらを考えるとき、キーワードのように、いつも忽然と“意識する言葉”がある。
それは・・・
仏陀が残した「悟り」に対する簡潔な定義である。
――「悟り」とは、「苦しみの終わりである」――
仏陀は、これ以上のことは何も語らず、残さず・・・
苦しみが取り除かれた後に“残るもの”についても、あえて言及していない。
もしかすると、これは「悟りの正体は、貴方が自分自身で見つけなさい」ということであり、
「悟りの定義は、人それぞれによって違うものだ」ということだろうか。
それとも、「悟りなんてものは、誰もが到達できるゴールである」ということなのだろうか・・・。
私は無宗教者だし、「悟り」というものに過剰に反応しているわけではないが、
自分にとっての「苦しみ」って、“いったい何なんだろう”と思う。
そして、“苦しみの終わりにどのような境地が待っているのか”に関しては、
“あれやこれやの想い”をめぐらせることがある。
そして、同様に、“介護の終わりにどのような人生(私自身)と出会うのか”についても、
あれやこれやと・・・想像力を働かせて、イメージを膨らませている。
それは父との別れを意味することでもあるが、新しい旅立ちを表わす世界観でもある。
「今、大事だと思うこと」は、後悔しないように「遣り遂げること」・・・これに尽きる。
もしも、自分が納得するように遣り遂げられなければ、
将来出会うであろう“私自身”の中に、大きな“わだかまり”ができてしまうだろう。
だから、いつも思うんだ。
「介護」は、現在の私の中で、“とっても大きなものなんだなぁ”・・・って。
父は、リハビリとヒザへの注射を施してもらい、自力で歩いて帰宅。
隣のお宅の車が、我が家の前に数台並び(連休だからね)、歩行ルートを妨げている。
「少し歩かなくちゃ駄目だなぁ」
「まぁ、それもリハビリだよ」
自分の中で、私の“思考”がウチワ話しているみたいだった。
雨が降っているので、私が傘をさしかけ、~ゆっくり~ゆっくり~と、足を運ぶ父。
「転ばないように」―ただそれだけを思いながら、その足元に視線を落とす。
昨夜も車列は並び、隣の家からは“楽しげな笑い声”が聞こえてきていた。
パーティでもしていたのかなぁ?
ご友人の家族が訪問しているみたいで、帰り際にも賑やかに挨拶する声が響いていた。
そういうとき、(私には全く関係ないのに) なんとなく“取り残されている感”がする。
「お隣は楽しそうで良かったなぁ」という気持ちよりも、「私も楽しみたいなぁ」という“自分よりの気持ち”が優っている状態だと言えば、わかりやすいだろうか・・・。
これは、おそらく“自分のやりたいことが充分できていないのではないだろうか”という、
“論理的ではない被害者意識にも似た想い”が、潜在的に巣作っているからだろうと思う。
(実際、友人と食事に行ったりすることが、ほとんど無くなってしまったからなぁ)
そして、実際はそうでなくても、「自分を取り巻く社会から、自分自身が“切り離された場所”にいる」ような雰囲気がしてしまうのだろう。
「疎外感」とか・・・「隔離」されているような「孤立感」のようなものだ。
※これらは全て、“以前の私”のライフスタイルや価値観から感じることである。
(かつての私は、連日深夜まで仕事をする“仕事だけ人間”だった)
長きに亘って作られた思考スタイルは、すぐには変わるものではない。
その思考に縛られ、自由を奪われ、囚われきって、自分らしさを無くしていたのが、
同居をはじめてすぐあたりの私自身だった。
どちらにしても、「快適か否か」という観点からは、今も(まだまだ)充分ではない。
同様に、現在の“父の立場”に想いをはせてみると、
“若い頃とは違う身体の不甲斐なさに四苦八苦している”ために、同じように「閉塞感」を感じているのではないかと思う。
“思うようにならない気持ち”と、“自分自身の現状”、そして、“むなしさ”・・・。
だから、この二人の精神状態と現実生活に「希望を見出す」のは大変なことだったりもする。
このことは、いつも考えていることだ。
・・・また、あえて見つけようと模索していることが、私の「希望」だと言えなくもないが(笑)。
そうして、こういう行為を、何度も何度も、繰り返していくうちに、
父との生活を“違う見方”で見て、解釈するようになってきた。
完全に受容できているわけではないにしても、うまく一緒にやっていけなければ、
私自身の心の中で “日々粉雪が舞い続ける”だけである。
自己の思考や感情などと、徐々に“折り合いをつける作業”を繰り返しながら、
私の中で、やっと(具体的に)芽生え創めている幾つかの「希望」―。
これらを考えるとき、キーワードのように、いつも忽然と“意識する言葉”がある。
それは・・・
仏陀が残した「悟り」に対する簡潔な定義である。
――「悟り」とは、「苦しみの終わりである」――
仏陀は、これ以上のことは何も語らず、残さず・・・
苦しみが取り除かれた後に“残るもの”についても、あえて言及していない。
もしかすると、これは「悟りの正体は、貴方が自分自身で見つけなさい」ということであり、
「悟りの定義は、人それぞれによって違うものだ」ということだろうか。
それとも、「悟りなんてものは、誰もが到達できるゴールである」ということなのだろうか・・・。
私は無宗教者だし、「悟り」というものに過剰に反応しているわけではないが、
自分にとっての「苦しみ」って、“いったい何なんだろう”と思う。
そして、“苦しみの終わりにどのような境地が待っているのか”に関しては、
“あれやこれやの想い”をめぐらせることがある。
そして、同様に、“介護の終わりにどのような人生(私自身)と出会うのか”についても、
あれやこれやと・・・想像力を働かせて、イメージを膨らませている。
それは父との別れを意味することでもあるが、新しい旅立ちを表わす世界観でもある。
「今、大事だと思うこと」は、後悔しないように「遣り遂げること」・・・これに尽きる。
もしも、自分が納得するように遣り遂げられなければ、
将来出会うであろう“私自身”の中に、大きな“わだかまり”ができてしまうだろう。
だから、いつも思うんだ。
「介護」は、現在の私の中で、“とっても大きなものなんだなぁ”・・・って。