「伝わらないもの」 と 「自然と伝わってしまうもの」

2005年09月17日 | 介護日記 -
今日は、ヘルパーさん初日!

父が実家(四国)で一人暮らしをしていたころには、一年ぐらいお願いしたことがあったが・・・・・こちらに住居を移してからは、今日が父にとって“初めてのヘルパーさん経験”だった。

私は、二人しかいない我が家に、誰かが入ってくれることが凄く嬉しかった。
それに、四国にしか友だちがいない父にとって、私以外の人間と接する機会は、非常に貴重である。
依頼して具体的になったときには、密かにウキウキしてしまった。
たとえ、お金を支払って介護サービスを受けるとはいえ、私自身は「とてもとても有難いことだ」と、感謝の気持ちであふれていたのだが・・・
しかし実際は、慣れていない二人ゆえ、いろいろとあったようだ。

まさに、“ボタンの掛け違い”――。
昨晩、ゆっくりと打ち合わせて、ご説明したことが・・・適切には伝わっていなかったようだ。
見守り、コミュニケーション(話をすること)、献立、運動リハビリについて・・・
すべてにおいて、(若干ではあるが)ボタンが掛け違ってしまったようである。

そのうえ、父の体調についての“現状”を認識していないヘルパーさんは、かなり無理な散歩を強いる結果になってしまった。
内臓疾患(肝臓)の状態や、日頃のサイクルなども説明したのだが、そのニュアンスは相手の理解度によって“全く別のニュアンス”にすりかえられてしまっていた。
足の状態については克明に説明して、「散歩は今後良くなったら」という補足も付け加えていたのだが・・・、そういうコメントは意識の中から外れてしまっていたようだ。

今日は、ヘルパー依頼した二時間のほとんど(具体的には一時間半)を、「散歩」に費やしてしまったのだと言う。歩けない父は、動けなくなってしまい・・・、ヘルパーさんも困り果ててしまったようだ。道端で休む場所もなく、足が曲がらないので座り込むこともできず、お互いにとって“無理な散歩”をしてしまったみたいである。
私が帰宅すると、父の足は“象”のそれのように、パンパンにふくらんでいた。
あまりにもすごいので、温浴ケア(大きな洗面器にお湯をはって足を温める)をして、ぐっすりと寝られるようにしたところである。
今夜の膨張した足を見たときには、一年前に当地に来てすぐのことだが、迷子になって帰り道がわからなくなった時のことを思い出した。警察に保護され、連絡を受けて引き受けに行った時の“父の両足”――パンパンにふくれて、歩きつかれて、親指のツメが剥がれ落ちていた。
本当にせつなかった。あの足を思い出してしまったのだ。
軽い認知症のために、自分の住所を言えず、住所を書いた紙や財布も持っていかず(忘れてしまう)・・・オートロックのため(カギを忘れて)部屋にも入れず・・・・・
とにかく、当時のマンションでは、本当に様々なトラブルがあった。
田舎の大きな家で、一人のびのびと住んでいた人間が、ウサギ小屋みたいなコンクリートの塊りに押し込められてしまったのだから。

ヘルパーさんに対しても、批判をしているわけではない。返って、私たちの期待すること(できるだけ早く歩けるようになること)を優先してくれたことによって、「散歩」をしようとしたわけだし・・・悪意などあるはずもなく、“ボタンの掛け違い”のほとんどは、「良かれと思ってしてくれたこと」なのである。

しかし、これらの経緯の中で感じたことがある。
それは・・・「伝達することの難しさ」だ。
人間は、通常「言葉」を用いて意志を伝える。
「1+1=2」というような判然としたことを伝達する場合は、共通認識があるので問題ない。
しかし、それ以外の事というのは、どうしても的確には伝わらないものだ。
自分の言葉で伝えた後で、“私の言ったことを相手は分かってくれただろう”と期待する(勝手に理解する)ものだが、これが曲者(クセモノ)だったりする。
今日のボタンの掛け違いもしかり――、とにかく、「ニュアンス」が伝わらない。
「程度」が伝わらない。「質」が伝わらない。「プライオリティー」も伝わらない。
言葉の意味も其々に違うので、「具体的な事例を示し、いやというほど言葉を尽くして説明しないと、こちらのニュアンスは伝わらないのだなぁ」とあらためて思い知らされた。
父にしてみても、初対面に近い関係のために、どうしても真意を言えなかったり、伝えようとしてもうまく伝えることができなかったり・・・(おそらく耳が悪いので、聞き取れていないことも多かったと推測され)・・・そうして、勝手に思い込んだり、勘違いしたり、誤解したり、あきらめたり・・・そういう繰り返しだったのだろう。

自信が無くなったヘルパーさんは、薬を飲む父をいさめたことによって、その不安な気持ちが、父にまで伝染してしまっていた。
私が帰宅すると、部屋中の薬を机の上に集めて、「薬は大丈夫かな?」と聞いてきた。
“どういうこと?へんだなぁ”と思ったのだが、ヘルパーさんの言葉や行為から、何らかの不安材料が、ふつふつと湧いてしまったのだろう。
ことの流れを報告されて、「なるほど」と人間心理について納得した次第である。
まさに、言葉で伝わらないものがある一方で、“勝手に伝わってしまうものがある”ということであろう。心の不思議を感じてしまう。何故伝わってしまうのか、私にはわからない。
これに関しては、父との関係の中で、常に自分自身が“身をもって感じていること”でもある。

今日の【希望】は・・・・・
「今日ご一緒にいて、よくわかりました」というヘルパーさんの最後の言葉・・・。
やはり、自分で経験して、見て、聞いて、初めて分かることがあるのだろう。
次回は、うまくいきますように!
「おたのみしまっせ!」
コメント (2)

物事には、二つの局面があるようだ

2005年09月16日 | 介護日記 -
私には、このブログで書いている“負の部分”の他に、「動」と「明」の部分がある。
性格的にも(我ながら)「前向き」であると思っているし、なんらかの障害が出てきたときも、これまで“それなりに対処してきた”という“かわいい自負”があったりもする。

私は、人生の折り返し地点に、ちょうど“今”立っているようだ。
年齢的にも、ライフバイオリズム的にも、この数年間は「正念場」だと感じているし、
そういう大切な時期である印象と、そのために必要な“ある覚悟”は持っている。
これまでも全てがうまくいくわけではなかったが、等身大の私自身が向き合って「駄目なら方向転換しましょう」と常に舵取りをしながら、ただ“生き延びて”きただけのことだ。助けてくれる人がいたわけではないし、人間そのものに大きなバックボーンがあるわけでもないから。
これまでの半生を振り返ってみると・・・「しなやかに」そして「柔軟に」“今”と向き合うことがキーポイントだったような気がする。

このブログで“負の部分”を書き込んで、心のウミを吐き出し、すっきりするのは良いことだ。
しかし、すでに処理してしまった辛い思い出などが“再び現出してしまう”というのは、負の部分を“パワーアップさせているのではないか”とも感じてしまう。
上辺だけの心模様ではなくて、ちゃんと意味合いを確認しながら日々を生きることには価値観を見出すが・・・、負に引きずられて「明」と「動」が“しぼんでしまう”ことは本意ではない。

人は誰も、「気持ちの持ちようで変わる」ものだ。
そして、人間がもつ“意欲”は、“環境”によって変わるものでもある。
このブログとの対峙の仕方を、あらためて感じている私が“ここにいる”。
父の介護に対しては過剰に思い込まず、現実をタンタンと受け入れ、これからは「心と体のバランスを調えよう」と思う。
これも、それも、やってみて気がつくことだが、・・・物事には二つの局面があることが多い。
そういう気づきもまた、非常に貴重である。
体験して初めて知る“もう一つの要素”―――こういう“私の姿”や“心の在り様”との出会いが、私の決断や選択を後押ししてくれるはずだ。
ちょうど今“人生の折り返し地点”だから、まだまだ先はありそうだし・・・
こんなところで疲れていたら、「アホみたいじゃんか~!」。

自分自身と向き合い、付き合い、折り合いをつけることこそ、
(私にとっては)奥がふかぁ~い“人生の課題”なのだろう。
コメント (2)

先が見えないと「不安」になる・・・誰も先なんて見えないけれどネ

2005年09月15日 | 介護日記 -
歩行を補助する杖をレンタルした。
地面と接しているポイントが四点ある“安定性のある杖”だ。
今日、手元に届いたのだが、背丈が172cmくらいある父には低すぎて、注文をし直す。

父は今(内臓疾患の他)、ヒザが「老人性の関節炎」で、それもかなり変形しているのだそうだ。特に、今年になってからは、足の運びが悪くなった。
できるだけ運動をしなければいけないのだが、痛みをともなうために、どうしても動かすことができないでいる。そうすると、どんどん硬くなって、骨も筋肉も退化してしまうらしい。
だから、重心を移動させると、たびたびバランスを壊して、転倒する。
二ヶ月前ぐらいから、その転倒は頻繁で、風呂場で頭を殴打して動けなかったときには、本当に吃驚したものだ。

先月のお盆あたりの帰省では、「この家で死ぬ」と豪語していた実家の庭で、いきなり転倒!
父は、グンゼの白い下着を真っ赤な鮮血で染めた。
度肝を抜かれた。
私はいつも・・・血を見た時は、一瞬“何がなんだか”分からなくなる。
「ぎゃ~~」と叫ぶ。(蛇を見たときも叫ぶが、血を見るともっと大声で叫ぶ)
本当にドキマギしてしまった。
   余談になるが、
   鮮血から連想するのは、フィリピンのベニグノ・アキノ氏の暗殺事件・・・。
   私の中では、大きな衝撃だったのだと思う。
結局、頭を七針ぐらい縫合して、大事には至らなかったが・・・、これから内出血の危険性も残ってはいる。

現在は、毎日私が運動(リハビリ)をしている。
かかりつけの整形外科医院で、リハビリをし始めた。
このたび(理学療法士が訪問してくれる)在宅リハビリも依頼した。
できることからやっていって、とにかく、現時点で(まず)「歩行」は保持したいものだ。

「歩行」や「視覚」などは、人間の生活機能の中でも、非常に大切なものだと感じる。
母の介護の際には、寝たきり状態になってしまったので、厳しい現実が突きつけられたし、
“目が見えなくなる恐怖を何度も経験した母”を介護したからこそ、同じように“切実な心情”を経験することができたとも思う。
自分に置き換えて、想像してみても・・・、それはすごく怖いことだ。
「冬ソナ」のチュンサンのように達観した表情で、おだやかに“暗闇”を受け容れることなんて、私にはできない。
・・・あの時・・・母も、泣いていた。
緊急の連絡を受けて、実家に帰省したときには、自分の写真を整理しながら、
「この写真を葬儀で使って」と一枚のポートレートを手渡された。
見えるうちにと、家の掃除をして、自分の荷物の整理をしていた・・・。私も、泣けた。
心情が手に取るようにわかって、本当に泣けてしまった。

今、私の中にあるもの――それは、先の見えない介護に対する「不安」。
介護人の誰もが感じることかもしれないが、「介護で、自分の人生が犠牲になっている」と思ってしまうこと―。
これもまた、非常にタチがわるい思考である。
心と身体は、同時に悲鳴をあげてくる。必ずというほど、連動している。
どちらかが“気丈に”持ちこたえられていたら、もう一つも“どうにか”引きずられるように持ちこたえられるものだ。
たとえば、先行きが見えず、イライラしてしまうことがあって、「自分の精神状態が張りつめているなぁ」と感じるときがある。そんな時は、コントロールできず、あたり散らしたくなったり、父に対して優しくなれなかったりする。ほんの少しの心遣いで、相手の気持ちはずっとずっと楽になるし、快適になることを分かっていながら、そうできない自分がいたりするのだ。
昔は、落ち込んで・・・泣いて、逃げ出したくなったりもしたけれど、
最近は少しだけ“折り合いの付け方”を覚えたようだ。
それでも、イライラする時は、父のいない所で思いっきりため息をついて、こう叫ぶんだ。
「あぁ~~、もう嫌だ、嫌だ。やって~ら~ん~なぁいぃ!」
「ふ~~~~~っ!」
そうすると、気持ちが楽になって、もう“どうでもよくなったりする”(笑)。

“溜め込まない”・・・これって、大切かもしれない。
コメント (2)

せっまい風呂場よ。広くなぁ~れ。

2005年09月14日 | 介護日記 -
風呂好きの父の体調がすぐれず、今日はシャワーで我慢・・・。
ゆっくりゆっくり足をすすめる父を、せっまい風呂場までうながして、背中から勢いよくお湯をかける。
「うわぁ~」といつものように“うなる”ので、気持ちがよいのか、快適ではないのか、その声の調子から様子をはかる。

我が父は、認知症がすすんでいる。
それに二ヶ月前ぐらいから転倒を繰り返し、頭を殴打してから、
なんとなく具合が悪くなって、反応がかなり鈍くなっている。
今日は「良し」でも、明日は「良し」ではない可能性が強い。
そんな父は、今「この瞬間(とき)」を生きる人になってしまっているので、介護する私を気遣うようなシャレたことは“しない”。
そういう反応のキャッチボールを繰り返しているうちに、私自身も「今を生きる人」になってしまったようだ。

お風呂は、大好き・・・だから、やっぱり嬉しいみたいだ。
今日は、お布団も干して、パイルシーツも洗濯して、
アッツイ~ヨナガのために「ひんやりアイスまくら」も用意した。

「天国でしょう?」
そう声をかけたら、にんやりと笑って、一言つぶやいた。
「そりゃ~、ええわなぁ」
この言葉は、すくわれた気持ちがした。
今日のご褒美は、この言葉にするかいなぁ。

しかし、せまい風呂場には、へとへとになってしまう。
「ウサギ小屋」の中の[ウサギ風呂]だから、どうやっても広くはなんないけれど、
大きな大人が二人も入ると、湯気だけで窒息してしまいそうだ。

【今日のお願い】
明日、目が覚めると、風呂場が二倍の広さになっていてほしい!!

おつかれ、おつかれ!!
コメント (2)

自分で、自分を追いつめないように!

2005年09月14日 | 介護日記 -
昨日のアッツイ一日を、あたふたと過ごした。
・・・えらく、疲れ果てている自分を感じる。
頑張らないようにしようと思っても、気がつくと頑張ってしまっているし・・・
ひとしきり頑張ると、心身ともに「限界ポイント」に近づくイメージを持ってしまう時もある。
涙が止まらなくなって、いつも“どん底”っぽく感じたり、
それでも美味しいご飯に勇気付けられたり・・・
そんな日常の「あれや・これや」を、このブログで「ばくは~つ!」させていきたいなぁ。
現在、私が取り組んでいる「父」の介護が、このブログの内容になってくるだろう。

昨日は、(大学病院での疲れが影響して)、近くの治療院で、点滴治療をしてもらった。
疲れの原因は・・・・・一昨日の大学病院での出来事――
CT予約をしていたので、“ついでに”整形外科にかかろうとしたのが大きな間違いだった。
とにかく、待たされた。
それに、看護士さんや事務員さんなど病院のスタッフの“心のこもっていない態度”(事務的にならざるおえない労働システムが大いに影響しているのは重々承知の上で、あえて申し上げたい)には、本当に閉口した。
どうして、あのようになってしまうのか・・・これに関しては、いつか具体的に言及したい。

午後には、ケアマネジャーさんが来てくれて、今後のことについて相談をした。
本当に、「あれやこれや」「なんだかんだ」あるものだと感じながら、それでも「前向きに」と・・・。
助けていただけることは助けていただきながら、ほどほどに頑張らなければと思う。
自分を追いつめて、苦しい日々を過ごした昨年の精神状態を思い出せば、「今」の私はシアワセ者だと思うが、まだまだ本来の“あるべき姿”には程遠い。
自分で、自分自身の首をしめないように!
自分で、物事の結論を出さないように!
自分で、あせって先を急がないように!
とにかく「快適な精神状態」を求めて、「今」を生きていくのが一番だろう。
そのためには、私は“何をすればよいのだろう”。
今の私に必要なものは、いったい何なのだろう。
コメント (4)