国会議員に支給される月百万円の文書通信交通滞在費(文通費)の見直し問題は、反対する理由がないから簡単にまとまるだろうと思っていたが、そうではなかった。
言い出した維新の会を始めとして、野党全部が日割り支給への変更だけでなく、使途公開(つまり領収書を必要とする)と残余金を国庫に返納することを提案しているが、与党は「見直し」を「日割り計算」だけにしたいらしい。
この制度がいつから始まったか調べてみると、1947年に通信費として月125円支給することが決められ、その後1963年に交通費が加えられ、1988年に文書通信交通費として月75万円に増額され、1993年に文書通信交通滞在費として月100万円に増額された、という経緯を辿って現在に至る。
1993年に滞在費として25万円が増額された時は、さすがに遠隔地の議員も東京首都圏在住の議員も同額の滞在費を支給されることはおかしいという批判があったようだ。確かに東京在住の議員にも滞在費が支給されるのは筋が通らない。東京在住の議員はどんな理由をつけて、反論を潰したのだろうか。
さて、この事案の論点は、「日割り計算」、「使途公開」、「残余金の返納」の三つである。この内の「日割り計算」は新たに当選した議員と、落選して失職する議員だけの問題であり、現職を続ける大多数の議員には関係ないことである。したがって、「日割り計算」は「使途公開」と「残余金の返納」に比べて重要度は格段に低い。しかも、「日割り計算」は常識的に考えて当然のことであり、今まで放置されてきたこと自体が国民をバカにした話である。
より重要な「使途公開」と「残余金の返納」については与党が不賛成であり、その根拠は示されていない。言語道断である。要するに、「無税のお小遣い」という利権は手放したくない、ということだろう。
この案件は、国会議員の「公僕意識」を示すリトマス試験紙のようなものだ。自民党と公明党の議員は彼らの「公僕意識」が問われていることを自覚すべきである。
今回の臨時国会で、「日割り計算」だけが可決され、「使途公開」と「残余金の返納」が先送りになったら、次の参院選での大きな争点になるだろう。野党は大きな武器を手にすることになる。
天下国家の大計という観点からは、この案件は枝葉末節である。しかし、「公僕度」を示すリトマス試験紙と考えれば、重要案件である。もしも、「日割り計算」以外は先送りになったら、爺はこれまでの自民党支持をやめる積りである。