頑固爺の言いたい放題

森羅万象なんでもござれ、面白い話題を拾ってレポートします。

新型コロナ:病床使用率が65%の怪

2021-10-27 17:24:14 | メモ帳
本日、TV朝日の羽鳥慎一モーニングショウにチャネルを合わせたら、「東京の病床使用率は65%(今年9月1日時点)で6406床中4218床だった。病床ひっ迫が改善できなかった理由として、医療従事者の確保が課題だったとした」という案件をテーマにしていた。

この話題は記憶にある。十分確保されていたはずの病床だが、実際には入院できず、自宅療養中に死んだ人もいた、といるショッキングな話だった。コロナ患者のためのベッド数は確保されていたにも関わらず、使用率が65%だった理由は医療従事者が不足していたことだという。この失敗を反省して、今後の改善につなげようという趣旨の話であり、それは結構なことである。

ここで気になるのは、補助金の支出である。病床を確保するためには、厚労省が補助金を支出したはずである。ネットで調べてみると、重症者用の病床には1床1,950万円とある。この確保病床数とは、<補助金を支出して確保できた数>と解釈できるが、実際にはそれが不足していたということであるなら、補助金を受け取った病院は詐欺行為を働いたことになる。

それとも、病床確保数とは、病院が「受け入れ態勢ができました」と申し出た時点で、<病床確保>とカウントされ、補助金の支出は病院が患者を受け入れる時点まで保留されたのか。それなら「病床確保見込み数」であるべきだ。

今日のモーニングショウでは、補助金の支出については論じられなかった。これまでの新聞記事も同様である。

まさか、補助金を受け取った病院が、「これから患者を運び入れますよ」と連絡を受けたら、「駄目です」と断ったということではないと思いたい。この点につき、マスコミは明確に報道すべきだと考える。

日本海の呼称

2021-10-25 10:38:33 | メモ帳
かねてより韓国は日本海の呼称を<東海>にすべきであると主張している。この問題に関し、日本の外務省は10月24日、YouTubeに「日本海の呼称は<日本海>(Sea of Japan) とするのが正しい」という主張を日本語・英語・韓国語で掲載した*。一方、韓国も負けじとばかり、自分の主張をYouTubeに掲載した**。

*(注)YouTubeで<外務省日本海>と検索
** (注)同様に、<韓国東海>で検索

この二つの動画を見た所感を述べたい。

日本の動画のキモは「19世紀から国際社会はこの海域を<日本海>と呼んでおり、この呼称が国際慣行になっている」であるのに対し、韓国側の動画は「韓国の古文書に<東海>とあるように、韓国では2千年も前からこの海域を<東海>と呼んできた。しかし、日本が韓国を併合したために、<東海>と呼ぶ機会が失われた。したがって、呼称は<東海>または<東海>および<日本海>の併記とすべき」と主張している。

なお、韓国の動画は日本が併合時代に「創氏改名を強制した」としているが、「朝鮮人も日本名を名乗って構わない」としただけである。実際に、朝鮮人の名前のままで陸軍中将にまで昇進した軍人もいた。枝葉末節の事柄だが、こうした誤りは正すべきである。

さて、<東海>が正しいなら、なぜ戦後47年も経ってから言い出したのか。この論争が始まったのは外務省の動画にもあるように1992 年である。この年は宮澤首相の訪韓にタイミングを合わせて、朝日新聞が「慰安婦には日本軍が関与」という誤報を流したことで、韓国で暴動に近い巨大デモが起きた時であり、「反日元年」ともいうべき時である。したがって、この事案は、2011年に始まった旭日旗問題と同様、反日運動の一環であると認識すべきである。

ともあれ、韓国の動画が<東海>の論拠を「大陸の東にあるから」としているのは、「韓国の東にあるから」では、“自分勝手”感があるからだと思われる。そして、「韓国の東にあるから」と主張すると、「それならば、韓国の西にある海は<西海>であるべきだが、なぜそう主張しないのか。中国の機嫌を損ねたくないからだろう」というロジックで攻め立てられるからだろう。とにかく、「大陸の東にあるから」は説得力に欠ける。

そもそも、地名に東西南北を入れると、なにかと矛盾が生じる。この海域は、日本にとっては西側だし、ロシアから見れば南側である。欧州大陸の北西側と英国の間の海域を北海としたのは、それが周辺諸国にとって中立的だったからだと思う。

こういう細かいことは抜きにして、日本が論点を「<日本海>は国際慣行として19世紀から定着している」という一点に絞ったことは、論理的に適切だと評価する。

こうした中、韓国のロビー活動によって、日本海をThe East Seaと表記している国がいくつかある。韓国は今後もしつこく各国にロビー活動を展開するだろう。この案件は動画の応酬で終わったのではなく、歴史問題の一環としてまだまだ続くことだろう。日本は心して対応しなくてはならない。


「ワニの口」再論

2021-10-22 16:42:11 | メモ帳
前回、矢野財務次官の「歳出が税収を大きく上回って日本の財政は危機的状況にある」という趣旨の「ワニの口」論をテーマにしたが、今回はさらにこの問題を掘り下げたい。

財務省対リフレ論者(高橋洋一、三橋貴明など)の国家財政に関する論争は今に始まったわけではなく、何年も前から議論されてきたことである。だから、財政のプロである矢野次官はリフレ論者の主張を十分承知していたはずだ。それでもなおかつ「ワニの口」論を繰り広げたのはなぜか。

この問題に関して、本日の読売新聞の「主張」欄から引用する。(赤字)

懸念するのは、具体的な数字を列挙する分配政策に比べて、財源論にあいまいさが残ることだ。・・・自民が成長と分配の両面が必要とするのに対して、立民は「分配なくして成長なし」と分配を優先する。成長志向の強いアベノミクスに対抗する意図もあるのだろう。ならば、分配がもたらす発展の姿を丁寧に語ってもらいたい。

朝日新聞も今日の社説で次のように論じている。

かつてこれほど財政規律が論じられない国政選はあっただろうか。財源を棚上げし、経済対策の規模を競い合うような論戦が繰り広げられている

主要国で最悪とされてきた日本の財政は、コロナ禍でさらに急速に悪化した。3月末の国の借金残高は1200兆円超。国内総生産の2・3倍にのぼり、戦時中の比率をも上回る。

コロナ禍で傷んだ暮らしや経済への手当ては必要だろう。だが同時に、各党には収束後を見据えた財政再建の道筋を示すことも求められる。その議論は置き去りにされたままだ。

読売と朝日の意見がこうも一致するのは珍しいことである(笑い)。

こうした中、TVのニュースで、立民の候補者が「分配が先だ!」と叫んでいたが、その叫びは野党が成長への道筋を示すことができないことを物語る。税制の改革にしても、法人税の税率を上げれば企業は海外へ逃避するだろうし、株式配当への税率を上げれば海外投資家は投資を引き上げるだろうから、そう簡単ではない。

一方、リフレ派の「日本経済は破滅しない」という議論の根拠である「国内で国債が消化されるから問題なし」という理屈にも限界がある。遠からず、国債の引き受け手が国内にもいなくなる日が来るだろう。さらに、今は超低金利だが、高金利時代になれば負債の負担が大きくなる。そうなってからでは体勢を変えることが難しい。

コロナ禍では財政収支を均衡させることは無理としても、そう野放図にバラマキをやるわけにはいかないのである。政治家はともすれば人気取りのために大衆迎合的政策(たとえば、給付金とか減税)に走り勝ちだから、衆院選挙を控えて事前に歯止めをかけておこうと矢野次官は考えたのではないだろうか。

矢野次官の「ワニの口」論はネットでリフレ派の総攻撃に晒されているが、彼はこうなることを覚悟の上であえて発言したと推察する。


衆院選各党公約と財務次官の発言

2021-10-20 14:19:07 | メモ帳
来る衆議院選挙の各党の公約を見ると、給付金とか減税など有権者にとって耳触りのいいものが目立つ。それらは確たる財源があるわけでもなく、結局は赤字国債(つまり借金)の発行で賄うことになる。

一方、文芸春秋に寄稿された矢野康治財務次官の「財務次官、モノ申す」は、歳出が税収を大幅に上回る状況が何年も続いており、国家財政が破綻に瀕していることを批判している。そして、この論考は衆院選挙の各党の公約のバラマキ的部分を批判していることになるから、選挙妨害だという声も上がって、論議の的になっている。

この矢野次官の主張はリフレ派(経済成長を優先せよと主張する論者)によれば誤りだという。すなわち、国債が自国通貨で発行されている限りは、国家財政は破綻しない。過去に破綻した例では、2012年のギリシャはユーロ建てで国債を発行していた。また2001年のアルゼンチンはドル建てだった。これに対して、日本は円建てだから問題ないという。

この理論を家計に例えれば、次のようになる。月収50万円の家計があったとして、毎月100万円の支出が必要なので、月に50万円の赤字になる。ところが、この家計は多額の資産を所有しているため、銀行が毎月の赤字程度なら簡単に貸し付けてくれるので、家計は維持されている。

この例における「多額の資産」とは、国民の銀行預金残高と企業の内部留保に相当する。そして、リフレ派は、矢野次官説はこの例における「多額の資産があること」を無視しているから誤りだという。

リフレ派の説明はその通りだと思う。しかし、税収をはるかに上回る歳出が毎年続いていることは異常であり、日本の問題点は財政赤字(矢野氏はこれを“ワニの口”に例えているーイラスト)が減るどころか、毎年増えていることにある。さらに、コロナ禍で“ワニの口”はさらに大きく広がった。



税収を増やすには経済を成長させることが必要であり、これまで政府はその努力を続けてきたが実現していない。実際に、日本の経済成長率は年率2%以下で、他国よりも低い。そのために、国民所得は増えず、所得格差が広がりつつある。

これをどう解決するかが、日本の最大の且つ喫緊の課題である。










靖国神社論

2021-10-17 16:38:29 | メモ帳
去る10月15日に産経新聞に掲載された小堀桂一郎氏(東大名誉教授)の「新政権成功の鍵は靖国神社に」と題する論考を今回のテーマとする。その論考の要旨は次の通り。(青字)

▼昭和59年までは、総理大臣の靖国神社参拝は全く問題がなかった。しかし昭和60年(1985年)夏、中国政府は不意に総理の不満と非難の声を挙げた。その中国の不快感とは、靖国神社に祀られている昭和殉難者の中に東京裁判におけるA類の被告が含まれているという事実だった。
▼これは日中平和条約(昭和53年)に記されている相互の内政不干渉の原則に違反する行為だった。この時、日本政府はこの原則を盾に、中国政府の非難を断固撥ねつけるべきだったが、これを怠った。政府は対応を誤ったのである。
▼これに先立って、昭和28年(1953年)8月の特別国会において、東京裁判の被告を含む昭和殉難者を犯罪人として認めないという全会一致の決議を行っている。すなわち、外国がこの人々を戦犯呼ばわりするのは筋違いなのである。
▼現在、日本は中国の覇権思考の動きや新型コロナの猖獗など、未曾有の国難に見舞われている。この日本を救うには国民は結束しなくてはならないが、その国民感情の統合の要となるのは国家国民の守護神である靖国神社である。

この論考を読んで爺が気になったことは、まず次の点である。
それまで靖国問題に関心を示さなかった中国が、なぜ突然1985年から総理の靖国参拝に異を唱えるようになったのか。

この問題については、「朝日新聞が中国をそそのかすような記事を書いた」という記憶があるので、ネットで調べてみると、確かにその記事は存在した。それは1985年8月4日の〈靖国神社は戦前、戦中を通じて国家神道のかなめに位置していた。(略)軍国主義日本のシンボルだったことも見逃すことのできない歴史的事実である〉および 同月7日の〈靖国問題が今「愛国心」のかなめとして再び登場してきたことを、中国は厳しい視線で凝視している〉である。

実は、1979年にも朝日新聞は靖国神社に対する懸念を記事にしているが、その時には中国は反応しなかった。しかし、「中国が厳しい視線で凝視している」とまで言われれば、中國は黙っているわけにはいかなかったのだろう(笑)。つまり、中國は朝日に教えられて、靖国神社が日本に対する心理戦の武器になることを覚り、行動に移したわけだ。靖国問題も慰安婦問題と同様、朝日が火付け役だったのである。

ところで、この小堀氏の論考を読んで気になったことがもう一つある。それはなぜ、日本は中國のイチャモンを断乎として撥ねつけなかったのか、である。

日本人は東京裁判で「日本悪者論」を叩き込まれていたところに、朝日新聞に連載された本多勝一記者による「中国の旅」によって、「日本悪者」説がさらに裏書された。だから、日本人は贖罪意識に苛まれて、中國のイチャモンに反論する気力がなかったのではないか。もちろん、この「日本人」には当時の総理大臣だった中曽根康弘氏も含まれる。

当時は巨額の対中援助ODAが進行していたから、中曽根氏はODAを靖国問題と絡めて反論し、有利な立場に立つこともできたはずだが、そうしなかったのは、贖罪意識がよほど強かったのだろう。

さらに、中曽根氏は朝日新聞の「靖国神社は軍国主義の象徴」等の主張を無視するわけにはいかなかったのではないか。その理由は、今と違って当時は、朝日新聞は日本でもっとも権威あるクオリティーペーパーとして評価が高かったからである。小堀氏は「政府は対応を誤った」と述べているが、中曽根氏は「誤った」というより、靖国参拝を控えることが日本人の総意であると解釈したのではないだろうか。

さて、小堀氏は「日本人は靖国神社を精神的支柱として団結すべきである」と述べている。爺はこの意見に不賛成ではないが、今の日本人は靖国神社に対する関心が薄れているので、現実には無理だと思う。

そうした中、2013年に当時の安倍首相が靖国神社に参拝したときは、米国政府が不快感を表明した。しかし、今は米中の激しい対立があり、日本の首相が靖国に参拝しても、米国が同じ反応を示すとは思えない。国際情勢は確実に変化している。

一方、「靖国神社は軍国主義の精神的支柱となった国家神道の中心的施設」(朝日新聞2021年8月17日社説)という主張は、戦後76年を経過した今、時代錯誤である。軍国主義どころか、自衛隊の存在を認めることさえも出来ていないではないか。(笑)

ここまで書いたところで、NHKの昼のニュースは、菅前首相が本日、靖国神社に参拝したことを報じた。そして、岸田首相は真榊を奉納したという。現状ではこれが精一杯だろう。

そもそも、日本の総理大臣が日本国内で行くことができない場所があるということ自体、馬鹿げている。こんな国家主権を無視するような状態は、早急に打開を図るべきである。


日本人のふりをして日本食を売る韓国人

2021-10-14 11:04:06 | メモ帳
早稲田大学の有馬哲夫教授が、Moving Beyond Hate という学生団体からネット上で批判されている。事の発端は有馬教授が次のようにツイートしたこと(9月26日)。(赤字)

ヨーロッパでもアメリカでも韓国人とか韓国系〇〇人は日本ブランドを利用して商売している。いかにも日本人がやっているように見せかけて、寿司とかラーメンを売っている。ヨーロッパ人やアメリカ人はそれを見抜いてる。・・・

この発言をMoving Beyond Hate なる日本の学生グループが次のように批判した。(赤字)

有馬氏はふだんから「慰安婦」ヘイトや歴史否定を用いて中国人、韓国人を攻撃しています。社会的地位を利用して差別や歴史否定を煽ることは許せません。私たちは早稲田大学が有馬氏を処分し、講義中にも差別が行われていなかったかを調査し再発防止措置をとるよう要求します。

この文面に使われている「慰安婦ヘイト」とか「歴史否定」という用語から判断して、このMoving Beyond Hate なるグループは在日韓国人が主体のように思える。一方、有馬教授は最近「慰安婦はみな合意契約をしていた―ラムザイヤー論文の衝撃」(WAC新書)を上梓して、慰安婦の嘘を暴く活動をしている。

なお、この論争は韓国の中央日報も取り上げて(10月7日)、韓国では評判になっているようだ。

さて、本稿では慰安婦問題の観点ではなく、有馬教授の「韓国人が日本人になりすましている」と発言した部分に焦点を当てたい。

韓国人の常日頃の反日的言動に接していると、彼らが「いかにも日本人がやっているように見せかけて寿司とかラーメンを売っている」のは怪しからん、と憤慨したくなる気持ちは十分に理解できる。

しかし、その韓国人たちは韓国料理店よりも寿司店やラーメン店の方が、集客力があると判断しただけで、単なる経済的選択にすぎない。そして、彼らは「われわれは日本人です」と嘘を言っているわけでもない。この点で、有馬教授の発言は過剰反応といわざるをえない。

このブログで、繰り返し述べてきたように、海外の日本食ブームは主に海外在住のアジア人のお蔭である。彼らに感謝する必要はないが、非難するのは的外れなのである

発展する「日本食レストラン株式会社」

2021-10-11 10:31:04 | メモ帳
前々回、海外の日本食レストラン業界の大部分はノンジャパニーズが支配する世界になったと述べたが、今回はその結果どういうことが起きたかについて述べる。

1990年代の初頭、米国東部のノースカロライナ州の日本食レストラン業界の動向を調べに行った時のことである。アッシュビルという田舎町を探索していた時、Akata Japanese Steak & Seafoodなる店を見つけた。多分、ベニハナの模倣店だろう。(写真)

その看板を見ると、AKATAの左側のスペースが不自然に空いている。近づいてよく見ると、以前はNAKATAだったようで、Nの字を塗りつぶした跡がある。近くの飲食店で聞いたところでは、そのオーナーは中国人らしい。新しいオーナーが、看板を全部書き変えなくても、一部を塗りつぶすだけで済むから経費を節約できるという理由で、店名をAKATAにしたとしか思えない。日本食レストラン業界は、何でもありの戦国時代に入ったのである。

こうしたノン・ジャパニーズの参入で起きた現象の一つは、アジア系料理店が寿司バーを併設するようになったことである

▼Asia Sushi & Chinese Cuisine は中国料理店に寿司バーがある店、Cuisine Malaya & Sushi Barはマレー料理店に寿司バーがある店、Arirang Hibachi Steak & Sushi Barは寿司バーが併設されている紅花式鉄板ステーキ店で、アリランの文字から韓国人の経営だと推測できる。

店名にSushi と謳ってなくても、寿司バーがあるアジア料理店も出現した。サンタモニカのMonsoon Café には巨大な寿司バーがあった。(写真)


▼寿司の人気上昇は「日本」に対する好感度が増すことにつながり、その結果Japanese food 全般の人気上昇をもたらした。Teriyakiという単語は寿司ブームが始まる前から英語になっていたが、Beef Teriyakiをメインにするファーストフード店が急増した。Papa’s Teriyaki、Seoul Teriyaki (これは韓国人の経営だろう)など。Yoshinoyaの牛丼(Beef Bowl)の急成長もこの線上にある。

▼ショッピングモールの中のフードコートでは、ハンバーガーやピザ、チャイニーズフードに並んで、カリフォルニア・ロールなどのJapanese food をメインにする店が現れた。

▼ビュッフェ形式の食べ放題店がJapanese foodをメニューに入れるようになった。Taipei Tokyo Buffetは台湾出身者が経営する中国料理プラス日本食のビュッフェである。

さて、米国ではインスタントラーメンが日常の食べ物として定着していたが、なぜかラーメン店は成功しなかった。1970年代後半、ドサンコがニューヨークで数店舗をオープンしたが、集客力がなく、間もなく撤退した。

昔から、ベトナム料理にPho(フォー)というスープ麺があるが、客層はアジア系人で、一般アメリカ人には人気がない。ベトナムそのものに馴染みがないことが理由だと思う。

こうした中、2004年にニューヨークの下町に日本人のミュージシャンが副業でオープンしたMincaというラーメン店に、にわかに客が押し寄せるようになった。NYタイムスが取り上げたことで火がついたのである。

NYタイムスがこの店を記事にしたのは、日本食人気という下地があるからだが、1990年代に始まったアニメブームも、日本に親近感を持つ理由だったと考えられる。その後、ラーメン店は急速に増え、ラーメンは寿司に次ぐ大スターに成長した。

これまで日本食レストラン業界は理想的な形で発展してきた。地域的、人種的拡がりは言うにおよばず、メニューも多岐化した。業態も高級店、大衆店に加え、ファーストフード店もある。あたかも、「日本食レストラン株式会社」という大企業が存在し、統一した経営方針のもとに事業を拡大してきたような感がある。「同社」は、今後も新しいスターを産みつつ発展を続けるだろう。


試行錯誤を重ねた日本食レストラン業界

2021-10-07 14:36:47 | メモ帳
前回の「寿司ブームの主役は巻物」で書き足りなかったことを、今回と次回のテーマにする。

1980年代の終わり頃、LA郊外のベニスにあるHAMAという店がとてつもなく繁盛しているという噂を聞いて、実地見分に出かけた。ベニスは芸術家の住人が多く、スケボーが盛んな所である。

その店は大通りからややはずれた所にある一戸建てだった。店頭にはなんの飾り気もなく、倉庫のような外見で、おまけにHAMAのMの部分のネオンが消えている。寂れた感じだが、駐車係に渡される車がベンツとかBMWなどの高級車。そして、店の前には10人ほどの空席待ちの客。「ナニこの店は? どうなってんだ?」が率直な印象だった。

15分ほど待ってようやく店内に案内されたが、その賑やかなことにビックリ仰天。待たされたのだから満席は当然だが、20席のカウンター席含め50席ほどがすっかり埋まり、音量を上げたロックミュージックと大声の会話で騒がしいいことこの上なし。店いっぱいに熱気があふれている。(写真)


客は寿司シェフにグラスを渡してビールを注ぎ乾杯して、シェフは冗談で場を盛り上げる。客は白人がほとんどだが、黒人もちらほら。ジャパニーズ、熟年、家族連れの客は皆無。

日本では、焼き鳥やおでんなど、客の目の前で調理するのはこくごく当たり前の光景だが、米国では少ない*。ところが、寿司バーではシェフが魔術師のような手つきで寿司をこしらえるのを目の前で見ることができる。おまけに、客とシェフの間に会話があるのも新鮮である。Sushi Barはアメリカ人にはまったく新しい文化だったのである。

*注 例外は紅花式の鉄板ステーキ。また、カウンター席につけば、シェフが調理している様子を見ることができる大衆食堂もある。

オーダーは注文書方式。あらかじめアイテム名(マグロ握りとか)が印刷されていて、食べたいアイテムに✓マークを入れ、個数を記入して接客係に渡す。これなら魚の知識がなくても間違いがおきない。ただし、注文する品はほとんどがアメリカンロール。

寿司ブームとは分かっていたが、こんな形もあるとは想像していなかった。カルチャーショックである。

Hamaのような超繁盛店はほかにもあった。ベニスから車で20分ほど南のハモサビーチのCalifornia Beachは、大きなモールの一番奥の2階にあったが、HAMAとまったく同じ熱気があった。

HAMAとCalifornia Beachには共通項がいろいろあったが、その一つはロックミュージック。寿司バーとロックは相性がいいらしい。そういえば、ディスコの中にある寿司バーもあった。ニューポートビーチ(エンゼルスの本拠地アナハイムの隣町)のマリオットホテル内にあるディスコに寿司バーがあった。(イラスト参照)


横道にそれたが、話をCalifornia Beachに戻す。この店が大通りに面した1階の、前面が総ガラス張りの物件に移転した。立地条件は以前の店よりいいはずだが客が来ず、移転後半年ほどで閉店した。なぜ客が消えたのか。想像だが、以前の店はわかりづらい場所にあって,隠れ家的雰囲気があったから客が集まったのではないだろうか。

HAMAも数年後に訪れてみると、繁盛ぶりは変わりないが、客の車は大衆車に変わっていた。明らかに、客層が変化したのである。

こうした超繁盛店がある一方、苦戦する寿司店もあった。HAMAのあるベニスの隣町のMarina del Rey にあった「真里奈」は、ファミリーレストランを思わせる明るい雰囲気で、アメリカンロールがメニューにあるものの、日本人経営の、日本人が握る正統派寿司店だった。しかし、なぜか客が集まらず、5年ほどで閉店した。

総体的に考えてみると、HAMAやCalifornia Beachでの熱気は、われこそは時代の先端をいくと自認した人たちが、Sushi Barという未経験の食文化にエキサイトして生まれた連帯意識の結晶だったのだろう。

日本食レストランの店舗数の推移というマクロ的データだけ見ているとわからないが、日本食ブームは右肩上がりに一本調子で伸びたのではない。ミクロの部分では幾多の試行錯誤があり、紆余曲折を経た結果なのである。

追記 この文章は、拙著「アメリカ日本食ウォーズ」(2006年発行)を参照しつつ書いた

寿司ブームの主役は巻物

2021-10-04 13:18:49 | メモ帳
今回は9月28日の「日本食レストラン業界を牽引するノンジャパニーズ」の続編である。

日本食ブームは寿司の人気が高まったことに端を発するが、その寿司人気を支えてきた主役は伝統的な江戸前握り寿司ではなく、巻物(ロール)である。

元来アメリカ人はあまり生魚を好まない。そこで、寿司職人は生魚を使わないか、またはナマの印象を薄める工夫をした。そこで生まれたのがアボカドとカニカマを具にして、寿司飯を外側にして巻いた巻物(ロール)であり、カリフォルニア・ロールと呼ばれる。

これが大ヒット商品となったので、いろいろなヴァリエーションが生まれた。
▼カリフォルニア・ロールを油で揚げたフライド・カリフォルニア・ロール。

▼エビの天ぷらを具にしたシュリンプ・テンプラ・ロール。

▼ソフトシェル・クラブを具にしたスパイダー・ロール。両端にはみ出たカニの脚が蜘蛛(スパイダー)のように見える。

▼アボカドのスライスを外側に張りつけたキャタピラー・ロール。触覚や目玉もつけるので、まるで巨大な芋虫(キャタピラー)である。

▼スライスしたマグロ、ヒラメ、サーモン,ハマチを外側に貼り付けたのがカラフルなレインボー・ロール(写真)。

こうした定番ロール以外に各店それぞれ工夫をこらして、オリジナル・ロールを考案するから、20種類ぐらいのロールがメニューに載ることになる。

ところで、なぜ海苔を内側にしたのか。そもそも、アメリカ人は海苔を知らないし、黒い紙のような食べ物は異様に見える。和英辞書には海苔の訳語としてsea weedと記載しているが、weedは雑草だから印象が良くない。おまけに、磯の香を好まないアメリカ人が多い。それなら、いっそのこと海苔を見えなくして、香りも消してしまおう、ということだったのではなかろうか。結局、業界では海苔をnoriのままで押し通すことになった。

ともあれ、アメリカ人を主な顧客とする寿司店では、握り寿司にはあまり重きを置かないからネタ数が限られる。そして、ノンジャパニーズの寿司シェフは寿司の握り方を知らない。手が空いた時、セッセとシャリ玉を拵え、魚をスライスしておく。これではネタもシャリ玉も乾いてしまうが、意に介さない。注文があると、用意してあったスライスをシャリ玉にのせて、ハイ出来上がり。

握り寿司の達人は三手で握るというが、彼らはシャリを何度もこねくり回して、なんとか楕円形にまとめる。

寿司飯はその日の内に使い切るのが常道だが、彼らは余ると翌日に使う。それでは寿司飯が水分を吸い込んで柔らかくなってしまうが、客もそんなものだと思っているから苦情を言わない。

握り寿司は素人でもなんとかそれらしき形に作れるが、巻物はそう簡単ではない。そこで巻物ロボットが寿司店の必需品になった(写真)。


生魚の管理も心配である。実際に食中毒も起きているようだ。

今や、寿司に限らず、日本食ビジネスは日本人の手を離れた。ノンジャパニーズが経営者で、ノンジャパニーズが調理し、ノンジャパニーズが客である店が大部分なのである。イタリア発のスパゲッティがイタリア人抜きの世界になったのと同じ構図である。

それでは、日本食ブームでも日本人には何のメリットがないのか、といえばそうではない。必需品の醤油はキッコーマンの独壇場だし(但し、主力工場は日本ではない)、日本酒や味噌、寿司ロボットのメーカーも我が世の春を謳歌している。

コロナ以前は外国人観光客が激増したが、本場の寿司やラーメンに興味があった人も多かった。業界はコロナ収束をさぞ待ちわびていることだろう。

それやこれやで、日本食の人気上昇は日本経済の拡大に多大な貢献をしているのである。



高市氏の靖国参拝に期待する

2021-10-01 14:18:57 | メモ帳
自民党総裁選が終わった。爺が支持した高市氏が落選したのは残念だが、まずは穏当なところに収まったと思う。われわれ一般国民としては高見の見物だったが、いくつか興味深い出来事があった。

▼小石河連合プラス菅首相のサポートもあり、マスコミはあたかも河野氏の楽勝のごとく報じたが、現実は違った。石破氏、小泉氏は男を下げた感がある。

▼河野氏決起集会に参加した人数よりも、河野氏の議員得票数が2票少なかった一件には笑った。

さて、高市早苗氏が自民党政調会長に就任した。次期総裁への布石になることを期待する。注目すべき点は、高市氏が靖国神社参拝を明言したこと。これまでの高市氏ならともかく、自民党の要職にある人物ともなれば、その靖国参拝には中韓が反発するのは必至である。

韓国の反発は無視すればいいが、中國についてはどう対応するか。尖閣国有化の際はレアアースの対日輸出禁止という手を打ってきたし、日本品ボイコット運動も記憶に新しいところである。

しかし、中國の立場はこれまでとは違う。米中の対立激化という新しい要素があるから、ここで日本も敵に回すことは得策ではないはずだ。高市氏が靖国参拝を強行した場合、貿易問題に絡めるとか日本品ボイコットなどの強硬な報復措置は、国際社会の目には過剰反応に映るだろう。したがって、せいぜい口頭での非難に終わる可能性が高い。

ついては、中國が反発してきたら「主権の侵害である」と一蹴し、堂々と論破して中国の理不尽ぶりを際立たせてもらいたい。靖国問題は大局から見れば些細なことだが、国家主権の問題であり、いつまでも放置しておくわけにはいかない。

米中の対立激化は、靖国問題を潰すにはいい機会である。高市氏が約束通り靖国参拝を強行するよう期待する。
 

日本食レストラン業界を牽引するノンジャパニーズ

2021-09-28 16:23:05 | メモ帳
昨日(9月27日)の読売新聞は、外食大手が海外への出店攻勢を強めているという趣旨の記事の中で、「海外の日本食レストランは約156,000店(2019年)で、2013年の3倍近くに増えた」と報じている。念のため<海外の日本食レストラン数>で検索したところ、農林水産省のHPに次のデータが見つかった。

アジア                          101,000
北米                                29,400
欧州                                12,200
その他                            13,600
合計                              156,200

同データによれば、全世界の日本食レストラン数は、13年前の2006年対比6.5倍となった。通常、レストランの店舗数は人口の自然増程度しか増加しない。だから、13年間に6.5倍になったのはとてつもない急成長なのである。

本論に入る前に、なぜマスコミが「日本食レストラン」という用語を使うかについて説明しておきたい。

Chinese restaurant の日本語訳が「中国料理店」であるのと同様、Japanese restaurant の日本語訳は「日本料理店」のはずである。しかし、海外ではラーメン店、牛丼店、「牛角」のような焼肉店もJapanese restaurantのカテゴリーに入れており、こうした料理は日本人の感覚では日本料理ではない。そこで、「日本食レストラン」という用語が考案されたと考えられる。

さて、日本食レストランの急増が始まったのは1970年代の後半、米国においてである。それまでは日系人が日系人と日本企業の駐在員を相手にする店が大半だったが、寿司ブームが起きて、にわかにアメリカ人が寿司店に押し寄せるようになった。

なお、寿司ブームは健康志向の高まりとともに、日本製の車・カメラ・TV受像機などの品質が高く評価されるようになったことで、日本そのものに対する信頼感が生まれたことが背景にあった。

その寿司店急増の原動力は中国系アメリカ人だった。当時、中国料理店は過当競争状態になっていたため、中国人のオーナーシェフが寿司に転向したのである。彼らは日本人経営の店で寿司の調理法を学んで新しい店を開き、その店で学んだ別の中国人がまた新しい店を開いた。つまり、中国人の間で、ねずみ算式に寿司店が増えたのである。そこで発生した問題は調理技術の低下だが、これについては別の機会に譲る。

その後、鉄板焼きやラーメン、牛丼なども人気を呼び、日本食レストラン業界が多角化したことも、店舗数の増加をもたらした。そして、日本食ブームは米国東海岸から、大西洋を隔てた欧州に飛び火した。

そうした中、韓国人、タイ人、ベトナム人なども、コメに馴染みがあることや、日本人の振りをしてもアメリカ人にはわからないこともあり、人気がある日本食レストラン業界に参入した。

2005年時点*で北米(米国・カナダ)に約10,000店あった日本食レストランの内、約40%が中国人の経営だった。そして日本人と韓国人の経営がそれぞれ15%、残りの30%がタイ、ベトナムなどのアジア人と白人だった。

*注 「2005年時点」としたわけは、その時まで爺は米国の日本食業界に関与していた関係で、当時のデータが手元にあるため。

2000年代以降、グローバルな視点でみると、日本食店の増加はアジア、特に中国で加速したようだ。冒頭に引用した読売新聞の記事によれば、回転寿司店の「スシロー」が広州にオープンし、1時間以上の待ち時間になる繁盛ぶりというが、こうした日本資本の店は全体から見ればほんの一部で、中國ではほとんどが中国人がオーナーシェフの店と思われる。

一般論として、エスニック料理店はその民族がオーナーシェフであるのが通例だが、日本食レストランだけは例外で、全世界的に見れば、日本人経営の店は1%程度ではなかろうか。つまり、ノンジャパニーズが業界の急成長の主役であるという点で、日本食は特異な存在なのである。


丁寧語システムが崩壊した韓国

2021-09-25 17:33:56 | メモ帳
1週間ほど前、このブログで「させて頂く」を乱用する政治家を批判したが、韓国では敬語・丁寧語の乱用が日本どころではないらしい。次の文例をご覧いただく。(「日本語の行間」扶桑社新書、シンシアリー著 から引用)

「コーヒーがいらっしゃいました」
「価格は〇〇ウォンでいらっしゃいます」
(ゴルフ場でキャディーが)「ボールがバンカーに落ちられました」

この問題に関するシンシアリー氏の見解を「日本語の行間」(以下、本書)から、かいつまんで引用する。(青字)

AとBが会話する時、Bが目上ならAはBに対して、尊敬の意を示すために謙譲語、丁寧語を使う待遇を与える。これを「尊待(ジョンデ)する」と言う。Bが目下なら、くだけた口調で上から目線の言葉使いになる。これを「下待(ハデ)する」と言う。AとBが対等な立場なら、「平待(ピョンデ)する」となる。

尊待する側は常に尊待し、下待する側は常に下待する。子どもならともかく、大人同士ならなにかしかの上下関係を適用し、「平待」になることはない。この上下関係を決める要素は、生年月日、職業、職位、性別、教育水準、乗っている車、住んでいる場所、着ている服、親や配偶者の職業、など無数にある。

自分が相手より上であると思うことで自然に、侮蔑、軽蔑、差別の感情が生まれる。

だれもが尊待されたいと願い、下に位置する側は相手が「尊待されたい」と願っているはずだ、と忖度する。モノに丁寧語を使うのは、間違った語法だと知っていても、そういう表現にしないと、会話の相手が気を悪くすると考える。その結果が敬語・丁寧語の乱発なのである。

日本人も相手をリスペクトする場合は敬語や丁寧語を使うが、韓国人の敬語・丁寧語はそんな生易しいものではなく、常に相手が自分より上か下かを判断することから始まるようだ。

そもそも、「相手よりも自分の方が上だ(下だ)」と思っても、「だから何?」と聞かれれば、われわれは答えようがない。

例えば、同期入社の同僚よりも数日早く生まれたことで上になっても、別にどうってことはない。しかし、韓国では違うようだ。

ましてや、その上下関係が侮蔑、軽蔑、差別の感情に発展すると言われても、なぜそうなるのかよくわからない。

シンシアリー氏は「日本語を覚えて初めて敬語の意味を理解した」と述べているが、これは韓国語の敬語には相手をリスペクトする感情が込められていないという意味だと解する。





平成天皇の訪中、その背景と影響

2021-09-22 17:01:26 | メモ帳
今回は前々回の「中国共産党 暗黒の百年史」(本書)の書評の続編であり、本書に記された中国の反日運動に関する石平氏の見解について考察する。

以下、石平氏の「中国の反日運動」観をかいつまんで紹介する。(青字)

1989年の天安門広場における大虐殺事件で、中国は世界から孤立し、西側諸国による経済制裁によって、経済崩壊が起こりかねない状況にあった。その中国を救ったのは、江沢民総書記などが宮澤喜一内閣に執拗に働きかけて実現させた平成天皇の訪中である(1992年)。

天皇の訪中を契機として、日本は対中制裁を解除し、他の西側諸国も追従した。天皇訪中は中国にとり、その後の発展の突破口となったのである。それからの30年、中國は経済の高度成長をなしとげ、GDPで世界第二位の経済大国となり、日本の安全保障を脅かす軍事大国にのし上がった。

立場が逆転した中国はその後、日本を見下すようになる。1998年に来日した江沢民主席は滞在中、終始威圧的且つ横暴な態度を貫いた。極めつけは、宮中晩餐会で出席者全員が礼服を着用する中、ひとり人民服で列席し、「日本軍国主義は対外侵略の誤った道を歩んだ」と言い放った。

そして、江沢民政権は国民の求心力を高める方策として、反日運動を中心とする愛国主義精神高揚運動を推進した。日本を悪魔的存在ときめつけ、メディアを利用して国民に日本への憎悪の感情を煽り立てた。愛国を題材にする歌、本、映画が作られ、学生たちは全国に350ヵ所ある抗日記念館を見学することを義務づけられている。

2005年、国連のアナン事務総長が日本の常任理事国入りを示唆すると、中國各地で数万人単位の暴動が起き、北京や上海では日本の公館襲撃事件に発展した。暴徒は日本に対して抱いている人種差別的な偏見と憎悪感情により一種のヒステリーを起こし、日本の常任理事国入りに感情的に反発したのである。この「理由なき反日デモと暴動」は、まさに1990年代以来中国共産党政権が行ってきた反日教育の大いなる成果であり、反日運動の総決算というべきである。

そうした中、習近平国家主席は「中華民族の偉大なる復興」というスローガンを掲げて、アジア支配と世界制覇の野望を露わにした。このスローガンの意味するところは、かつての中華帝国の威光を取り戻し、共産中国を頂点とする新しい「華夷秩序」を形成することである。

今、振り返ってみると、1992年の平成天皇の訪中は、日本にはメリットが少なかった反面、中国にとってはまさに起死回生の策だった。だからといって、中國が日本に感謝したわけではない。むしろ、恩を仇で返す形で反日運動を仕掛けた。それを元中国人が語っていることが興味深い。

では、日本政府はなぜ天皇の中国訪問を受け入れたのか。日本が「お人好し」だったことは確かだが、それだけとは思えない。そこで思いつくのは先の戦争に対する贖罪意識である。

当時の日本は、中國や韓国の言うことは、多少の無理難題でも受け入れようという精神状態になっていたのではなかろうか。天皇訪中(1992年10月)の同年1月、慰安婦日本軍連行説に激昂した韓国人の暴動に対し宮澤首相が何度も謝罪したのは、朝日新聞の嘘を信じたこともあるが、基本的には宮澤氏の深層心理に、戦争に対する贖罪意識があったからだと想像する。さらに、記事を書いた朝日新聞の記者にも贖罪意識があったのだろう。

そもそも、日本国憲法が日本人に贖罪意識を植え付けた。前文の、<平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した>は、次のように解釈できる。<悪い戦争を起こした我々悪い日本人は、善人である諸国様の善意にすがって生きさせていただきます>。*

*(注)この解釈は「性善説に蝕まれた日本」(ケント・ギルバー著)からの引用。

さて、コロナ禍が起きなければ、習近平国家主席は2020年3月に国賓として訪日し、天皇にも拝謁していたはずだった。この来日未遂は<お人好し+贖罪意識>に<経済の結びつき>が加わった結果だろう。また数カ月前、中国共産党の結党百周年に祝電を打った日本の政治家が数人いたが、その様は殴られても、コケにされても、揉み手ですり寄っているようで、見苦しいことこの上ない。習近平の高笑いが聞こえてきそうである。

こうした中、米中対立の激化などいろいろな事件が発生し、中國の国家主席が訪日する可能性はなくなった。しかし、経済面での深い結びつきがある以上、中國と今後どう向き合っていくかは日本に課せられた難しい課題になっている。


地域商品券は税金の無駄使い

2021-09-20 11:20:24 | メモ帳
自民党総裁選で新型コロナ対策や年金改革などいろいろな課題に論戦が交わされている。問題はどの案件でも、何兆円単位の莫大な予算を必要とすること。一方、いずれの候補者も消費税を上げることは考えていないようだ。それはいいとして、その莫大な予算をどう手当てするのか。

結局、国債発行に頼ることになるのは自明である。国債が国内で消化されている限り、日本経済はパンクしないという議論もあるが、それでも野放図に赤字を増やすわけにはいかない。政治家は票にならないことは言いたがらないが、無駄な支出を減らすことも考えなくてはならない。

その無駄削減策の一つとして、地域商品券の廃止を提案する。

爺の住む湯河原町では、500円券11枚綴りの地域商品券が5,000円で買える。1人3万円が限度だから、限度いっぱい買えば、3千円の節約になる。毎回、販売開始と同時に売り切れになるので、最近は予約制になった。なお、冒頭に「湯河原では」と書いたが、この地域商品券制度は全国ほとんどの市町村で実施されているはずだ。

この制度の目的は、「個人消費の喚起と地域経済の 活性化を図り、地域の振興に資すること」(内閣府ホームページ)であるが、実際にはその目的が達成されているとは思えない。なぜなら、消費者は日常の買い物において10%安く買えるからといって、消費量を増やすことはないからである。中には、より高額の商品、例えば純米酒でなく吟醸酒を選ぶ、といったケースもあるだろうが、たかが知れている。

節約できた分はなにかに使われるはずだから、それだけでも「個人消費の喚起」になるという議論もあるだろうが、小田原へ行って映画を見たら「地域経済の振興」にはならない。銀行預金残高を増やすだけに終わってしまう家計もあるだろう。

プレミアム部分(節約額)が呼び水になって、経済を拡大する効果があるなら話は別だが、それは期待できない。しかも、そのプレミアム部分の原資は税金であり、国民経済全体から考えれば、よくてプラスマイナスゼロか、もしくはマイナス(銀行預金を増やす場合)である。

要するに、地域商品券は単なるバラマキにすぎない。誰も廃止を提案しないから、惰性で続いているだけではないだろうか。

地域商品券の国の負担額は1回数千億円であり、決して少ない金額ではない。この数千億円はコロナ禍で疲弊した飲食業・宿泊業などの差し迫った分野に配分すべきである。

「中国共産党 暗黒の百年史」書評

2021-09-17 17:16:04 | メモ帳
「中国共産党 暗黒の百年史」(石平著、飛鳥出版 2021年7月発行)には “えっ、そうだったの? 知らなかったなぁ!” という話が満載である。その内から、いくつかの話題をかいつまんで紹介する。(青字)

▼共産党は情報戦で国民党に勝利した
今でこそ、国民党が台湾に逃げて中国は共産党の独裁になっているが、中國で共産党が生まれたのは1920年であり、1949年まで29年間にわたり国民党と戦った結果である。

その最大の勝因は、共産党が国民党の内部情報を入手したことである。その手口は、共産主義を信奉する優秀な青年を選んで、国民党に入党させることに始まる。その工作員は才覚と努力で国民党幹部の信頼を勝ち取り、出世して機密情報を自由に入手できるようになる。日本の敗戦後に本格化した国民党との戦闘においても、この機密情報が勝利に大きく貢献した。

情報戦略は今でも中国共産党の得意とするところであり、例えばオーストラリアにおける諜報活動は「目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画」(クライブ・ハミルトン)によって暴露された。

秘密裡に工作員(つまりスパイ)を相手の中枢に送り込む以外にも、公然と情報戦を展開するケースがある。例えば、日本にもある孔子学院で、学生たちを洗脳しているのがそれである。

また米国のマイク・ホンダ下院議員は、2007年に米国下院議会で行われた「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」の代表提案者であるが、彼は中国の代弁者として、合法的に日本と米国の離反工作を行ったと考えられる。すなわち、情報戦における中國の勝利である。

▼中国共産党は殺人集団
毛沢東が率いる紅軍は、中國全土で「一村一焼一殺」のスローガンのもとに、農村地主や素封家を殺して、その財産を没収した。1928年から始まる5年間で、全国で10万人の富裕層が殺された。

1948年、日本敗戦後の満洲で、長春市内に立て籠もった国民党軍と市民に対して、共産軍は周囲を囲んで兵糧攻め作戦を展開した。籠城以前の長春の人口は50万人だったが、33万人が餓死して、生き残ったのは17万人だった。

共産党が内戦に勝利したあとの1950年には、かつての「一村一焼一殺」運動が再現され、全国で200万人もの富裕層が殺された。

きわめつけは1966年から10年間の文化大革命。この時期に殺されたのは数百万人とも数千万人とも言われ、実数は不明である。

世界史を見れば、異民族を理由もなく虐殺することは珍しくない。米国における白人の先住民虐殺や、古くは十字軍戦争である。しかし、罪もない同じ民族を虐殺するのは中国人の特質ではないだろうか。少なくとも、日本では稀である。精々、織田信長による比叡山の僧侶大虐殺ぐらいで、現代では到底考えられない。

しかし、中國では文化大革命のごとく、現代でも大虐殺が行われる。ましてや、相手が異民族となれば、虐殺は日常茶飯事である。チベットでは120万人、内蒙古では5万人が虐殺されたと言われる。また、ウィグルにおける女性に対する不妊手術の強制も、実質的には虐殺のようなものである。

さて、「中国共産党 暗黒の百年史」を読んでいて疑問に思ったことは、信じられないようなエピソードがすべて真実なのか、ということ。

石平氏は1962年、中国四川省成都の生まれ。1984年北京大学哲学科を卒業、1988年来日、1995年神戸大学大学院博士課程修了、2007年日本国籍取得。以後、執筆活動に入る。「なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか」(PHP新書)など数々の著作があり、HANADA、WILL、正論などの論壇誌や産経新聞にも頻繁に寄稿している。

経歴からして信頼すべき人物と判断する。また本書におけるエピソードは全て実名入りで、発生年月日も入っており、全部ではないが引用文献も記されている。

ということから、本書の記述はすべて真実に基づくと判断する。