去る10月15日に産経新聞に掲載された小堀桂一郎氏(東大名誉教授)の「新政権成功の鍵は靖国神社に」と題する論考を今回のテーマとする。その論考の要旨は次の通り。(青字)
▼昭和59年までは、総理大臣の靖国神社参拝は全く問題がなかった。しかし昭和60年(1985年)夏、中国政府は不意に総理の不満と非難の声を挙げた。その中国の不快感とは、靖国神社に祀られている昭和殉難者の中に東京裁判におけるA類の被告が含まれているという事実だった。
▼これは日中平和条約(昭和53年)に記されている相互の内政不干渉の原則に違反する行為だった。この時、日本政府はこの原則を盾に、中国政府の非難を断固撥ねつけるべきだったが、これを怠った。政府は対応を誤ったのである。
▼これに先立って、昭和28年(1953年)8月の特別国会において、東京裁判の被告を含む昭和殉難者を犯罪人として認めないという全会一致の決議を行っている。すなわち、外国がこの人々を戦犯呼ばわりするのは筋違いなのである。
▼現在、日本は中国の覇権思考の動きや新型コロナの猖獗など、未曾有の国難に見舞われている。この日本を救うには国民は結束しなくてはならないが、その国民感情の統合の要となるのは国家国民の守護神である靖国神社である。
この論考を読んで爺が気になったことは、まず次の点である。
それまで靖国問題に関心を示さなかった中国が、なぜ突然1985年から総理の靖国参拝に異を唱えるようになったのか。
この問題については、「朝日新聞が中国をそそのかすような記事を書いた」という記憶があるので、ネットで調べてみると、確かにその記事は存在した。それは1985年8月4日の〈靖国神社は戦前、戦中を通じて国家神道のかなめに位置していた。(略)軍国主義日本のシンボルだったことも見逃すことのできない歴史的事実である〉および 同月7日の〈靖国問題が今「愛国心」のかなめとして再び登場してきたことを、中国は厳しい視線で凝視している〉である。
実は、1979年にも朝日新聞は靖国神社に対する懸念を記事にしているが、その時には中国は反応しなかった。しかし、「中国が厳しい視線で凝視している」とまで言われれば、中國は黙っているわけにはいかなかったのだろう(笑)。つまり、中國は朝日に教えられて、靖国神社が日本に対する心理戦の武器になることを覚り、行動に移したわけだ。靖国問題も慰安婦問題と同様、朝日が火付け役だったのである。
ところで、この小堀氏の論考を読んで気になったことがもう一つある。それはなぜ、日本は中國のイチャモンを断乎として撥ねつけなかったのか、である。
日本人は東京裁判で「日本悪者論」を叩き込まれていたところに、朝日新聞に連載された本多勝一記者による「中国の旅」によって、「日本悪者」説がさらに裏書された。だから、日本人は贖罪意識に苛まれて、中國のイチャモンに反論する気力がなかったのではないか。もちろん、この「日本人」には当時の総理大臣だった中曽根康弘氏も含まれる。
当時は巨額の対中援助ODAが進行していたから、中曽根氏はODAを靖国問題と絡めて反論し、有利な立場に立つこともできたはずだが、そうしなかったのは、贖罪意識がよほど強かったのだろう。
さらに、中曽根氏は朝日新聞の「靖国神社は軍国主義の象徴」等の主張を無視するわけにはいかなかったのではないか。その理由は、今と違って当時は、朝日新聞は日本でもっとも権威あるクオリティーペーパーとして評価が高かったからである。小堀氏は「政府は対応を誤った」と述べているが、中曽根氏は「誤った」というより、靖国参拝を控えることが日本人の総意であると解釈したのではないだろうか。
さて、小堀氏は「日本人は靖国神社を精神的支柱として団結すべきである」と述べている。爺はこの意見に不賛成ではないが、今の日本人は靖国神社に対する関心が薄れているので、現実には無理だと思う。
そうした中、2013年に当時の安倍首相が靖国神社に参拝したときは、米国政府が不快感を表明した。しかし、今は米中の激しい対立があり、日本の首相が靖国に参拝しても、米国が同じ反応を示すとは思えない。国際情勢は確実に変化している。
一方、「靖国神社は軍国主義の精神的支柱となった国家神道の中心的施設」(朝日新聞2021年8月17日社説)という主張は、戦後76年を経過した今、時代錯誤である。軍国主義どころか、自衛隊の存在を認めることさえも出来ていないではないか。(笑)
ここまで書いたところで、NHKの昼のニュースは、菅前首相が本日、靖国神社に参拝したことを報じた。そして、岸田首相は真榊を奉納したという。現状ではこれが精一杯だろう。
そもそも、日本の総理大臣が日本国内で行くことができない場所があるということ自体、馬鹿げている。こんな国家主権を無視するような状態は、早急に打開を図るべきである。