頑固爺の言いたい放題

森羅万象なんでもござれ、面白い話題を拾ってレポートします。

日の出の見頃

2016-03-04 14:46:32 | メモ帳

下に貼り付けた写真は、3月2日と4日の朝6時15-20分に撮影したものだが、これで見較べても日の出の姿は毎日変わることがお分かりいただけるだろう。そして、日の出には季節性がある。

冬場は大気が澄んでいるので、太陽は水平線から顔を覗かせたときから、ピカピカに光っている。ところが、3月になると水平線に靄(か霞)がたなびいて、太陽に薄い膜がかかったようになり、水平線から上がる時は目玉焼きのように赤い。そして、中空に上りきって初めてピカピカに輝く。

4月から10月までは、靄が濃いから、水平線がぼやけており、太陽もぼやけて出てくる。そもそも、日の出の時間がどんどん早くなり、夏場は5時前になるから、そんなに早起きできないし、たとえ早起きしても美しい日の出を見ることができない。

つまり、日の出の見頃は3月なのである。これは日本の太平洋岸どこでも同じだろう。ところがここ湯河原では、日の出の見頃は3月上旬に限られる。そのわけは、日の出の場所は毎日変化し、3月中旬以降になると太陽は水平線からでなく、真鶴半島の上(写真の左)から昇るからである。日の出は陸地からでなく、水平線からの方が荘厳に感じられる。

 


除染で巨額のムダ使い

2016-03-04 14:15:07 | メモ帳

たまたま参院予算委員会の中継放送を見ていたら(3月2日)、小川敏夫民主党議員が「丸川珠代環境大臣は放射線量に関する発言を撤回したとのことですが、どんな発言だったのですか」と質問した。答弁に立った丸川大臣に小川議員はしつこく何遍もこの問題を追求し、矛を収めるまで20分程度を費やした(翌日の各紙はこの問答を無視した)。

この丸川大臣の発言撤回問題とは、今年2月に長野県松本市における講演において、福島第1原発事故を受けて国が原発周辺などで行っている除染で、基準となる年間被ばく量を1ミリシーベルトとしている点について、「『反放射能派』と言うと変ですが、どれだけ下げても心配だと言う人は世の中にいる。そういう人たちが騒いだ中で、何の科学的根拠もなく時の環境大臣が決めた」と述べたことを撤回したことを指す。

この発言は、「今もなお放射線被爆の危険から避難し、故郷に帰れないでいる人々に対する配慮に欠ける」と批判され、丸川大臣が撤回し謝罪した。小川議員は既に終わっていることを蒸し返して、安倍政権への悪印象を強めようとしたのだが、大事な質問時間をすでに終わったことに関して費やしていいのか。もっと建設的な議論に傾注してほしい。

小川議員はともかくとして、そもそも丸川大臣の発言が基本的に間違っていたわけではない。放射線除染作業は、国際放射線防護委員会(ICRP)が、一般人の通常時の被ばく量を年間1ミリシーベルトと勧告しているために、民主党政権が事故当時、この勧告を基に、国が行う除染の基準を1ミリシーベルトに定めたことで始まり、すでに2兆円がこれに費やされている。

事故発生当時から1シーベルトという基準に問題があることは指摘されていたし、「正論」2016年4月号に掲載されている中村仁信大阪大学名誉教授(放射線専門医師)の≪強制的避難は不要だった、無駄な除染は即刻中止を≫という記事にも詳しく説明されている。

実は、私が小川vs丸川の問答に関心を抱いたわけは、風評被害がなぜ起きるかを詳しく説明した≪メディアを読み解く力≫(小島正美著、2013年エネルギーフォーラム新書)を読んでいたからだ。同書の基本テーマは、毎日新聞の記者だった筆者が過去の記事(ダイオキシン、牛肉のBSE、放射線、原発再稼働など)で過剰に不安を煽ったことに対する反省の弁である。

小島氏のダイオキシン騒動に関する部分を引用する。「当時の私は、世論の風を背に受けて書いていたので、自分の書いている記事が世論を煽っているという意識は全くなかった。いまになって冷静に振り返ると、ダイオキシンが人に及ぼす健康リスクはほとんどなかったと思うが、当時はリスク全体(費用対効果、リスクとベネフィットの比較等)を見通す思考を持ち合わせていなかった」

ダイオキシン、牛肉のBSEや遺伝子組み換え作物も、放射線量と同じことで、メディアが必要以上に不安を煽って一旦世論が形成されると、それに対して反論を述べることが難しくなる。政府もやむなくその世論に迎合する。だから、放射線除染に関して、民主党政権で始まったミステークを自民党政権も票を失うことを怖れて是正しようとしない。それで2兆円が消えて、さらにその金額が増えつつあるらしい。安倍さん、なんとかならんかね。