Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

朝鮮人犠牲者追悼式典の会場占用許可を、東京都がようやく認める

2020-08-03 | Weblog
あと三年で、関東大震災から100年。

震災が起きた9月1日に、毎年、震災の混乱の中で虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式を主催している団体に、会場となる都立横網町公園の使用許可を例年通り出さないと、昨年末、東京都が言い始めました。
都は、許可を出すに当たり「公園管理上支障となる行為は行わない」などとする誓約書を書くよう要求。提出が行われていないとして、使用許可申請を受け付けようとしなかったのです。

これは間接的に、朝鮮人犠牲者追悼式の妨害をするヘイト団体の要望をのむもので、許しがたいものでした。
二ヶ月前、それはおかしいとして出した声明に加わりました。
虐殺犠牲者への追悼を捧げ、民族差別による暴力を「繰り返さない」と誓う場は、守られねぱならないからです。
(https://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/70ab12cb5b393318900a59cfcfbb4da9)

7月29日の建設局との交渉を経て、ついに東京都が「誓約書を提出する必要はない」と明言、占用許可の申請を受理しました。

今年は抑えられましたが、歴史の改竄を企てる勢力の動きは、今後も確実に封じられなければなりません。
歴代都知事で初めて朝鮮人犠牲者追悼式典に追悼文を出さなくなった小池都知事の欺瞞も、許してはなりません。

今年の式典はコロナ対策のため、一般参加はできないということになりました。IWJ等でネット中継はするそうです。

9月1日(火)午前11時から1時間強。youtubeチャンネル「Movie Iwj」にて。
https://www.youtube.com/user/IWJMovie/videos?shelf_id=4&view=2&sort=dd&live_view=501 
(yahooやgoogleで「Movie Iwj」と検索すればアクセス可能)


写真は、私が一昨年と昨年に上演した、この内容と関連のある劇、燐光群『9月、東京の路上で』(原作・加藤直樹)より。撮影・姫田蘭。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さようなら、立石涼子さん

2020-08-03 | Weblog
訃報を聞き、どうしても顔を見たくて、昨夕、お別れにうかがいました。

初めてお話ししたのは二十年以上前だと思いますが、そのとき既に、まるで昔からの知り合いみたいに、話してくれました。

演劇集団円に所属されていたとき、私が『ブラインド・タッチ』(出演=岸田今日子・塩見三省 演出=国峰真)を書き下ろしたことから、いろいろお話しするようになりました。

涼子さんは実力ある俳優であることはもちろんですが、私はその行動力と意識の高さに、敬意を抱いていました。

『ビューティー・クィーン・オブ・リーナン』の上演を決意してからの、探究と努力の、熱さ。イギリスに留学し、激しいダイエットに取り組み、鬼気迫る、しかし芳醇な演技でした。これで絶対に賞を取るだろうと思ったら、実際、そうなりました。

もともと定評ある声のキャパシティを広げるため、ホーミーを学び始めてからの、自分自身の声への取り組みの、ストイックさと幅広さ。これはもう、ある時期から、すっかり変わったのです。

その他、枚挙にいとまがない俳優としての実践の数々から、学ぶものは多かったのです。
梅ヶ丘BOXで俳優向けのワークショップをやっていただいたこともあります。
身体と声についての探究もされていて、俳優は目の前の仕事に追われがちですが、彼女のような取り組みを多くの人が共有するためにも、せめてそうした仕事を共有するセクションを持つ「演劇センター」のようなものが必要だったのではないかと、あらためて思っています。

私の劇作家としてのロンドン・デビューは、1998年。『くじらの墓標』がノッティングヒル・ゲートシアターのレパートリーに選ばれたときでしたが、その作品にコンプリシテのリロ・バウア、クライブ・メンデスが出てくれて、サイモン・マクバーニーも稽古場に来たりしてくれていたこともありました。立石さんがサイモン演出の「エレファント・パニッシュ」「春琴」に出ることになり、話してわかる相手だと思われたのか、そのあたりの創作の裏話を、山のように聞いたものです。
とくに「春琴」は、現代の語り部としての彼女のキャラクターが劇全体の基調を作っていて、サイモンが立石凉子を軸に作品を作ったことは、明らかでした。

私が書き下ろした、蜷川幸雄演出『エレンディラ』では、中川晃教さん演じる少年の、霊感の強い母親、その極めて印象的な役回りで、作品世界を支えてくれました。

燐光群『上演されなかった三人姉妹』では、マーシャ役で出演していただきました。姉妹役の神野三鈴さん、中山マリさんと舞台上を駆け回る、極めてフィジカルな次女でした。

そして立石さんは、ご近所さんでもあり、いつも演劇の話をする仲間の一人でした。

何年か前に千歳烏山に引っ越されたので、ついつい疎遠になっていました。
最後にじかに話したのは、『罪と罰』の稽古中だったと思います。私は見られなかったのですが、先頃亡くなった三浦春馬さんも出ていたはず。海外の演出家は、彼女がいるとやりやすかったんじゃないかと思います。

電話で、昨年夏、今後また何かやろうという話はしていました。病気がわかったのは、その直後だったようです。

これから、を、楽しみにしていました。
残念です。

あなたの励ましと、熱意は、これからも多くの人の中に生き続けると思います。


写真は、燐光群『上演されなかった三人姉妹』。2005年、紀伊國屋ホール。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする