雨上がりの朝、ひめちゃんと獅子丸は、おとうさんを連れて先にお散歩に出かけました。
小次郎パパとタバサねーちゃんは、第二陣で、おかあさんとお散歩に出ます。
古墳の天井石かな?
さりげなく庭石になって、もうじきチューリップに彩られそうです。
こちらの庭石も、古墳の石のようです。
葛塚村は、古墳だらけの村だったのです。
ハイシニアのパパとタバサねーちゃんは、静かにお散歩から帰りました。
静かでない若いもんが、元気に帰ってきます。
七海ママのお墓の後ろの桜が、一番先に満開です。
今朝の訪問者は、キジバトさんかな?
鎌倉時代に上野国山上(こうずけのくにやまがみ)にいた行仙上人(ぎょうせんしょうにん)の著「念仏往生伝」に、小松新左衛門尉国頼(こまつしんさえもんのじょうくにより)の往生譚があります。
日本思想体系『往生伝法華験記』(岩波書店)の中の「念仏往生伝」第48話の最初には、小松[見セ消チ、「柴」と傍書]とあります。
そして彼の往生の様子は、かなり詳しく書かれています。
行仙上人との交流もあったと思われます。
したがって、名前を間違えるはずがありません。
けれども、何かの事情があって、小松では都合が悪くなった。
つまり、本来は小松新左衛門尉国頼が、「念仏往生伝」第48話の主人公です。
そして彼の往生の後、
又没後七日々々夜間。必有音楽。就中行仙当四七日之忌辰。於窪井本房聞之。凡隔本拠十四五里。是仏不思議力歟。
(また、亡くなってから49日までに、七日七日に必ず音楽が聞こえました。
私・行仙は、4度目の命日の七日(28日目)に、窪井の私の房(部屋)でそれを聞きました。
14、5里の距離がありますけど、これは仏の不思議な力に因るのでしょうか?)
山上から14、5里(50~60km)くらいの所に、小松新左衛門尉国頼はいたはずです。
小松が名字の地だとすると、何処だろう?
最近、羽生市小松の小松神社が、山上から14、5里(50~60km)くらいにあることを知りました。
小松新左衛門尉国頼の記憶を訪ねて、羽生市小松の小松神社あたりにいってみよう
グーグルで検索すると、国道17号線(上武道路)経由が1時間ちょっとです。
では、そのルートで行こう。
3月16日、羽生の小松神社を目指します。
ところが、車のナビは2時間強の到着時間を出します。
変だなと思いつつ、県境の新上武大橋にいたると、大渋滞です
新上武大橋を渡るのに1時間、こんなことは初めてです
その後は、わかりやすい道だったので、難なく到着です
真っ赤な鳥居、元気になります。
羽生領総鎮守なのですね
鳥居の横にお堀があります。
その先にお堂があります。
弁財天、弁天様です。
すごい
花や生き物が生きてます
鳥居前に戻ります。
文化財の説明板です。
神仏習合時代の仏像もあるんですね
アマビエですね
鳥居をくぐって、太鼓橋を渡って、拝殿目指します。
左の方に、小さな墳丘があって、何様か祀られています。
後でお参りしまーす。
開け放たれた拝殿です
2礼2拍1礼で参拝です。
あれ、アゲハチョウの平家の紋所があります
由緒書きもあります。
日本武尊が東征途中、ここに祠を建ててイザナギ・イザナミを祀ったんですね
平貞盛・藤原秀郷も平将門討伐祈願したんですね
小松内府重盛が没した後、小松大明神として祀られたんですね
銀杏が目印として植えられたんですね
境内の案内図もあります。
「御朱印は社務所へ」とあります。
じゃあ、御朱印を頼んでおこう
社務所で御朱印を頼んで、散策を続けます。
それでは、小松大明神に参拝です
不思議なご縁で参拝しました
金色の大銀杏、見事なことでしょう
社殿の後ろを一回りします。
小さな石宮も大切に守られています
本殿も開け放たれているようですけど。
イザナギ・イザナミの二柱ですね。
さっき、素通りしてしまった墳丘上の社に参拝です。
境内案内図だと、浅間神社です。
墳丘の下には、かわいい狐さんがいます。
不思議な稲荷様です
御朱印をいただきます。
やはり平家の紋所・アゲハチョウですね
ありがとうございます。
この辺りは、平家の荘園であったというお話を伺いました。
それで小松大明神をまつっているのですね
小松新左衛門尉国頼に、ご縁がありそうな空気です
山上から14、5里の羽生領総鎮守小松神社に参拝できました