黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

羽生領総鎮守・小松神社(小松国頼の記憶を求めて)

2021-03-22 20:34:20 | 埼玉県

雨上がりの朝、ひめちゃんと獅子丸は、おとうさんを連れて先にお散歩に出かけました。

小次郎パパとタバサねーちゃんは、第二陣で、おかあさんとお散歩に出ます。

古墳の天井石かな?

さりげなく庭石になって、もうじきチューリップに彩られそうです。

こちらの庭石も、古墳の石のようです。

葛塚村は、古墳だらけの村だったのです。

ハイシニアのパパとタバサねーちゃんは、静かにお散歩から帰りました。

 

静かでない若いもんが、元気に帰ってきます。

 

七海ママのお墓の後ろの桜が、一番先に満開です。

今朝の訪問者は、キジバトさんかな?

 

 

鎌倉時代に上野国山上(こうずけのくにやまがみ)にいた行仙上人(ぎょうせんしょうにん)の著「念仏往生伝」に、小松新左衛門尉国頼(こまつしんさえもんのじょうくにより)の往生譚があります。

日本思想体系『往生伝法華験記』(岩波書店)の中の「念仏往生伝」第48話の最初には、小松[見セ消チ、「柴」と傍書]とあります。

そして彼の往生の様子は、かなり詳しく書かれています。

行仙上人との交流もあったと思われます。

したがって、名前を間違えるはずがありません。

けれども、何かの事情があって、小松では都合が悪くなった。

つまり、本来は小松新左衛門尉国頼が、「念仏往生伝」第48話の主人公です。

そして彼の往生の後、

又没後七日々々夜間。必有音楽。就中行仙当四七日之忌辰。於窪井本房聞之。凡隔本拠十四五里。是仏不思議力歟。

(また、亡くなってから49日までに、七日七日に必ず音楽が聞こえました。
私・行仙は、4度目の命日の七日(28日目)に、窪井の私の房(部屋)でそれを聞きました。
14、5里の距離がありますけど、これは仏の不思議な力に因るのでしょうか?)

山上から14、5里(50~60km)くらいの所に、小松新左衛門尉国頼はいたはずです。

小松が名字の地だとすると、何処だろう?

最近、羽生市小松の小松神社が、山上から14、5里(50~60km)くらいにあることを知りました。

 

小松新左衛門尉国頼の記憶を訪ねて、羽生市小松の小松神社あたりにいってみよう

グーグルで検索すると、国道17号線(上武道路)経由が1時間ちょっとです。

では、そのルートで行こう。

3月16日、羽生の小松神社を目指します。

ところが、車のナビは2時間強の到着時間を出します。

変だなと思いつつ、県境の新上武大橋にいたると、大渋滞です

新上武大橋を渡るのに1時間、こんなことは初めてです

 

その後は、わかりやすい道だったので、難なく到着です

真っ赤な鳥居、元気になります。

羽生領総鎮守なのですね

 

鳥居の横にお堀があります。

その先にお堂があります。

弁財天、弁天様です。

すごい

花や生き物が生きてます

 

鳥居前に戻ります。

文化財の説明板です。

神仏習合時代の仏像もあるんですね

アマビエですね

 

鳥居をくぐって、太鼓橋を渡って、拝殿目指します。

左の方に、小さな墳丘があって、何様か祀られています。

後でお参りしまーす。

 

開け放たれた拝殿です

2礼2拍1礼で参拝です。

あれ、アゲハチョウの平家の紋所があります

由緒書きもあります。

日本武尊が東征途中、ここに祠を建ててイザナギ・イザナミを祀ったんですね

平貞盛・藤原秀郷も平将門討伐祈願したんですね

小松内府重盛が没した後、小松大明神として祀られたんですね

銀杏が目印として植えられたんですね

 

境内の案内図もあります。

「御朱印は社務所へ」とあります。

じゃあ、御朱印を頼んでおこう

社務所で御朱印を頼んで、散策を続けます。

 

それでは、小松大明神に参拝です

不思議なご縁で参拝しました

金色の大銀杏、見事なことでしょう

 

社殿の後ろを一回りします。

小さな石宮も大切に守られています

 

本殿も開け放たれているようですけど。

イザナギ・イザナミの二柱ですね。

 

さっき、素通りしてしまった墳丘上の社に参拝です。

境内案内図だと、浅間神社です。

墳丘の下には、かわいい狐さんがいます。

不思議な稲荷様です

 

御朱印をいただきます。

やはり平家の紋所・アゲハチョウですね

ありがとうございます。

 

この辺りは、平家の荘園であったというお話を伺いました。

それで小松大明神をまつっているのですね

小松新左衛門尉国頼に、ご縁がありそうな空気です

山上から14、5里の羽生領総鎮守小松神社に参拝できました

 

 

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円仁開基の金鑚大師(阿保比丘尼の面影を求めて4)

2020-10-26 20:03:35 | 埼玉県

ひめちゃんと獅子丸の朝散歩が復活です。

ひめちゃんたちは、堀之内の北の方を歩いてきました。

ひめちゃんは、自分のお部屋(サークル)で、ハーネスを外してもらうのをよい子で待ってます

大勢で、テラスで暮らしているので、ひめちゃんのお部屋には柱があります

でも、今のところ飛び込んで激突することもなく過ごしています。

椿が咲き始めています。

絞り西王母かな?

 

 

金鑚神社(かなさなじんじゃ)の隣、金鑚大師にも寄って行きます。

道沿いには大きな華麗な赤門があります。

ちょっと駐車できないので、駐車場の表示まで進みます。

駐車場からは、黒門から参拝です。

金鑚大師の説明板があります。

元三大師と呼ばれるこの寺は、正式には金鑚山一乗院大光普照寺という天台宗別格本山の名刹であり、古くは聖徳太子の開創であり舒明天皇の勅願寺であったと伝える。平安時代の初期、天台宗祖最澄の弟子で、下野国(栃木県)出身の慈覚大師円仁の中興によって本尊に十一面観音が安置され、その別名によって寺号がつけられたのである。

阿保氏の文字はありませんね

でも、御嶽城主の文字があります。

阿保氏は御嶽城主の時代もありましたね

慈覚大師円仁の中興なのですか

 

後で御朱印と一緒にいただいたパンフレットによれば、

平安時代初期仁明天皇の御代(833~850)慈覚大師円仁が入山、本尊に十一面観音を安置して天台宗に所属せしめ、金鑚山一乗院大光普照寺と名付けて開基となられた。

 

黒門をくぐると、左に赤門が見えます。

 

りっぱな本堂です。

 

本堂前に水屋です。

何気なく、上を見上げると、龍がいます

金網で覆われてしまったので、よく見えませんけど、実はかなり凝った水屋なのです

 

さて、本堂に向かいます。

本堂にも、華麗な彫刻がいっぱいです

 

双龍もいる華麗な彫刻です

屋根の上にも、これらを守っている獅子かな?

 

達磨さんもいます。

1月3日に、だるま市があるそうです。

 

御朱印は本堂での案内があります。

本堂内は撮影禁止でした。

手書きでいただいた御朱印です

一緒にいただいたパンフレットによれば、

なお明治維新の神仏分離令により、当山の奥の院金鑚大明神は武蔵二ノ宮金鑚神社として分立し、多宝塔も神社の所有となった。しかし、当山は厄除け元三大師の寺として法燈栄えて揺るぎなく、遠近の善男善女の信仰を集めている関東屈指の霊場として、また児玉三十三霊場三十三番札所ともなっている。

金鑚神社は、神仏分離令によって切り離したのですね。

阿保氏寄進の多宝塔は、元は金鑚大師の多宝塔だったのです

 

さて、ひめちゃんたちが待ってるから帰りましょう

 

おや、向こうの高台に目立つ建物があります。

たぶん鐘楼とおもいますけど、ちょっと足を延ばします。

途中には、ひっそりと薬師堂、素敵な薬師様がおいででした

その隣は、大きな大きなお地蔵様です

やっぱり鐘楼堂です。

 

さて、自宅をナビに入れて帰ります。

ほぼ国道462号線を北上して帰りました

ちょっぴり、『念仏往生伝』阿保比丘の面影に触れて、大満足の神川紀行でした

 

 

 

 

 

 

 

 

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阿保氏ゆかりの金鑚神社(阿保比丘尼の面影を求めて3)

2020-10-23 22:09:31 | 埼玉県

雨の一日でしたけど、ひめちゃんと獅子丸が朝のお散歩に出た時は、まだ降り出していませんでした。

ちょっとだけ、秋の花とのコラボ写真が撮れました

お散歩途中にあった、コスモスとのコラボです。

後ろの石は、古墳の石のような感じです。

ザクロの実とコラボです。

ザクロの実は、いっぱいなっていました。

季節外れの返り咲き、白いツツジとコラボです。

大きな後ろの石は、古墳石室の天井石だと思われます。

古墳の石も、ひめちゃんちの近所では、ごく自然に庭石として利用されています。

明治の頃は、山上に40以上も古墳があったとか。

まさに葛に覆われた古墳の村(葛塚村)だったのです。

 

 

 

阿保氏寄進の多宝塔があるという金鑚神社(かなさなじんじゃ)、阿保氏館跡から10分ちょっとという事で、車を走らせます。

広い意味で、阿保比丘尼の面影を求めてになります

迷わずに到着です。

鳥居の前の道は、国道462号線です。

むむ、この夏、鬼石の緑埜寺(みどのじ浄法寺)に行くときに通ったぞ

あのころは、県境を越えての移動はダメということでした。

ナビの指示通りに、やむを得ず通過だけしたのでした。

 

鳥居脇の付近の地図を確認です。

 

大鳥居をくぐると、まもなく右手に多宝塔が見えてきます。

説明板もあります。

天文3年(1534)に、阿保郷丹荘の豪族である阿保弾正全隆が寄進したもので、真柱に「天文三年甲午八月晦日、大旦那阿保弾正全隆」の墨書銘がある。

 

阿保氏にかかわる遺構で、阿保氏の記憶ですね

500年も経ってるなんて思えないほど、しっかり立ってます

 

 

これだけのものを寄進した阿保氏の実力は、相当なものだったのでしょう

足を延ばして良かった

さて、社殿の方に向かいましょう。

 

金鑚神社の由緒があります。

社伝によれば、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命より賜った火打金を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉納し、天照大神と素戔嗚尊を祀ったのが始まりとされている。

鎌倉時代には、児玉党の尊信が暑く、近隣二十二ヶ村の総鎮守として祀られていた。

 

やはり、阿保比丘尼が生きた時代も、ここ金鑚神社がこの地域の鎮守だったのです

 

社務所があります。

御朱印をお願いします。

書き置きだけということで、日付を入れてもらいます。

武蔵国の二宮だったのです

 

さて、拝殿で参拝です。

あの赤い橋を渡ると、聖なる空間ですね。

古式ゆかしき鳥居をくぐります。

 

真新しい手水社です。

 

隣には、幾星霜を経た付近の案内板です。

鏡岩にまで、行けるかな?

 

ともかく、拝殿で参拝です

拝殿に向かいます。

たくさんの御利益があるようです。

2礼2拍1礼で参拝です。

拝殿の周りを、ちょっとウロウロ。

本殿はなく、後ろの御室山がご神体でした。

ご神体の山への扉が見えます。

 

さて、鏡岩の方へ行ってみます。

おや、鏡岩の説明板のそばに、熊捕獲の罠です。

多宝塔の所でも見ました。

ここはハイキングコースでもあるようですけど、熊が出没するようです。

 

鏡岩の説明板です。

ここから400m上ったところですか?

高崎城が落城したときに火災の炎が明るく映ったんですか

高崎城の落城って何時のこと

尾根続きには御嶽城跡の遺構ですか

阿保氏が御嶽城主の時代もありました

 

ここは阿保氏の記憶がいっぱいの場所だったのです

 

おや、この方はどなたでしょう?

日本武尊とあります。

ちょっとかわゆくて、おみそれしました

 

この先を、しっかり登山の格好で2人連れが行きます。

ハイキングコースでも、ちゃんと準備が必要なようです。

捲土重来を期して、退却です

 

道の脇に句碑がいっぱいです。

俳句愛好者の個人の建立のようです。

こういう自分が生きた証の残し方もあるのですね

 

 

 

 

 

 

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『念仏往生伝』阿保比丘尼の面影を求めて(阿保氏館跡)

2020-10-22 20:18:44 | 埼玉県

今朝は今にも泣き出しそうな空なので、ひめちゃんと獅子丸は、堀之内の北方をお散歩です。

獅子丸も、おかあさんと一緒の時は、ハーネスでお散歩です。

獅子くん、前足が少し上がってます

後ろから、小次郎パパとタバサねーちゃんがやって来て追い越して行きます。

赤と白の彼岸花が咲いていた田んぼの淵も、しっかり刈り取られています。

まもなく、ポツポツと、お空が泣き出しました

早く、帰ろうよ

あまり濡れないうちに帰って、帰ってご飯にしましょう

 

 

(埼玉県)神川町は、神流川沿いの南北に細長い町です。

北半分の地図です。

右側を走る国道256号線、元阿保で左折し、次の信号を右折して進むと、阿保神社があります。

その途中に、阿保氏館跡もあるはずでした。

でも、目に入りませんでした。

 

阿保神社でスマホナビで検索して、いざ阿保(安保)氏館跡へ。

阿保神社の説明板に、「館のすぐ北西に鎮座している」とあったように、本当にすぐでした

 

小さな愛宕神社です。

この左側の道を通って、阿保神社に行ったのです。

目に入りませんでした

横から、もう一枚

風情のある松です

 

説明板があります。

ここが北武蔵野豪族・阿保氏(安保氏)本貫の地なのですね

この館跡は安保氏総領家の居住地として伝えられ、嘉永元年(1848)には、「安保氏遺跡之碑」が建てられている。

 

「安保氏遺跡之碑」って、石宮様の隣の大きな碑かな?

拓本でも撮らないと、文字は読み取れません

安保氏は、鎌倉時代から栄え、戦国時代には没落したと言うことですけど、ちゃんと記憶が残っているのですね

安保氏は北武蔵の豪族だったのですね。

阿保比丘尼(あぼびくに)は、北武蔵の豪族・安保氏の女性で、この付近で念仏往生したのです

 

 

阿保比丘尼の往生譚は、短いので引用しておきましょう

テキストは「日本思想体系7 往生伝 法華験記」(1974 岩波書店)です。

 

第卅七  武蔵国阿保比丘尼
多年念仏者也。至臨終期自云。浄土蓮花既雨下。又云。我前成瑠璃地。如人間水。又光明来照。諸人聞音楽。

 

(非常にマイナーな古典なので、現代語訳等はありません。漢字を眺めての、超意訳になります。)

阿保比丘には、長い間念仏一筋に生きてきました。

そして、臨終の時に言いました。

「浄土の蓮の花は、雨のように降り注いでいます。私の前はもう青い宝石の世界です。蓮池の水は人のようです。」

光明がやって来て、あたりを照らします。

人々は、音楽を聞きました。

 

光明がやって来て、人々が音楽を聞いたことは、彼女が極楽往生した証明になるようです

 

人々が念仏を唱えることによって、極楽に往生できると信じていた時代があったのです

でも、念仏三昧の日々を送れるのは限られた人々だけでした。

 

そんな人達の記録を残した、上野国山上に住む行仙上人は、どんな人だったのでしょう?

 

地図の左下、金鑚神社&大光普照寺にも寄って行きます

 

(つづく)

 

 

 

 

 

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『念仏往生伝』阿保比丘尼の面影を求めて(阿保神社)

2020-10-21 21:18:11 | 埼玉県

ひめちゃんは、昨日から新しいハーネスでお散歩です。

今朝は、獅子丸とのお散歩が復活しました。

堀之内の北の方を歩いてきました。

赤城山の紅葉は進んでいるようです。

 

ひめちゃんと獅子丸は、ともに破壊活動は得意です。

でも、獅子丸は、ぬいぐるみの破壊活動はしません。

彼のぬいぐるみは、みんな生存中です

これは、たぶん養子に行くときに持って行ったぬいぐるみだと思います。

ひめちゃんのぬいぐるみは、みんな解体新書されてしまいました。

 

 

 

鎌倉時代に上野国山上に住んでいたという行仙上人(ぎょうせんしょうにん)、彼の編集といわれる『念仏往生伝』に、「武蔵国阿保比丘尼(あぼびくに)」の話があります。

武蔵国阿保って、何処だろう?

いろいろ検索すると、埼玉県児玉郡神川町元阿保あたりのようです。

元阿保には、阿保神社、阿保氏館跡があります。

車で1時間ほどです。

では、行ってみよう

 

阿保神社の住所、埼玉県神川町元阿保1をナビに入れて出発です。

大体まっすぐ南に下ります。

伊勢崎市内を通って、板東大橋で利根川を渡ります。

途中、「塙保己一旧宅→」も見かけます。

どうも鬼石の緑埜寺(みどのじ、浄法寺)に行くときに近くを通ってます

 

ちょっとの不安はありましたけど、無事到着です。

赤い鳥居が目立ちます。

祭礼があるのでしょうか?

幟はないけど、長い竿が立ってます。

村社阿保神社です。

 

大きな大きな目立つ木があります

瘤がいくつもあります。

注連縄が巻かれています。

御神木です

御神木の後ろにも鳥居です。

もしかして、古い鳥居かな?

 

さて、鳥居をくぐって拝殿に向かいます。

鳥居が少し奥まった所にあるのです。

 

落ち着いた社殿です

 

狛犬の脇に説明板があります。

ここ元阿保の地は、中世丹党の秩父恒房の次子實光は元阿保に住み安保氏をとなえ、以後在所名を姓とした。安保氏は鎌倉期から室町さらに戦国期にまでつながっていく。字上宿には安保氏館跡と伝える地があり、周囲は堀に囲まれた300メートル四方と考えられている。館のすぐ北西には当社が鎮座、南西側には安保泰親が室町初期に建立したと伝える大恩寺跡が隣接する。

念仏を唱えて極楽往生したという阿保比丘尼は、阿保氏の女性と考えられます。

この近くに、彼女は生きていたんですね

 

狛犬の歯までしっかりみえるのは、珍しいです。

こどもは、やんちゃ坊主かな?

 

扉は閉まっているけど、空間があるのはいいですね

2礼2拍1礼で参拝です。

失礼します。

奥に色彩が見えます。

もしかしたら、すごい本殿かも

 

後ろの本殿に廻ります。

あれえ、よく見えない

素晴らしい彫刻があるようだけど、網が厳重に張ってあって見えません。

かろうじて、見えた彫刻です。

 

本殿の後ろには、境内社がいっぱいです

赤い屋根の下の石造物は、馬の文字が見えます。

馬頭観音かな?

 

天満宮です。

石宮も堂宇も新しそうです。

近年、何かお祀りする理由があったのでしょう。

 

天満宮の並びは、たくさんの石宮様です。

すごいパワースポットです

 

ここから、鳥居と御神木が見えます。

大きな御神木です

 

御神木の隣は、元阿保公会堂です。

新里で言う集会所でしょう。

神社に公会堂(集会所)があることが、地域の神社なのですね

 

公会堂の裏に庚申塔がいくつもありました。

 

このあたりに、念仏往生を遂げた阿保比丘尼が生きていたのですね

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

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