黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

駆け足で水戸弘道館

2019-10-18 20:15:46 | 親鸞ゆかりの旅

夕方は雨になりました。

ひめちゃんは、一人でレインコートを着てお散歩になりました。

途中、赤柴の小太郎くんに逢いました。

「雨の日は、いつも着せてるんかい?」

「着せたいんですけど、その時々で色々です。」

今日は小次郎パパが一緒じゃないので、思い切って絡み合ってご挨拶です

そのうち、ひめちゃんのレインコートのマジックテープが外れてしまいました。

小太郎くんとおとうさんは、ひめちゃんがマジックテープを付け直すのを、興味深そうに見ていました。

 

 

10月5日、稲田の石切山脈の後、那珂湊で昼食をとり、その後水戸弘道館を訪れました。

弘道館の案内図があります。

かなり広そうです。

でも、あとで確認すると、訪れたのは緑色の部分の一部だったようです。

 

正門は閉まってます。

脇に説明板があります。

見学は右側の門から入りました。

 

まず目に付いたのは、右近の桜です。

第九代藩主徳川斉昭の夫人登美宮が、降嫁の時に持ってきた桜ということです。

 

散策を続けます。

 

 

靴を脱いで屋内を廻ります。

 

 わー、尊皇攘夷だ

広い

弘道館記碑の拓本ということです。

畳の縁に葵の紋があります

 

徳川慶喜の長持ちです。

葵の紋が大きい

徳川慶喜はここで学んだということです

彼は江戸城明け渡し後、しばらくここに謹慎していたといいます

知りませんでした

 

不思議なものがありました

説明板がなければなんだか分からなかったでしょう。

昭和20年の空襲で焼けた孔子廟の、降り棟の四隅にあった鬼龍子(きりゅうし)だということです。

「虎に似た霊獣で成人の徳に感じて現れる」とあります

けっこう大きかったです

 

駆け足で弘道館でした

何時の日か、ゆっくり散策できるといいな

さて、親鸞聖人のゆかりの専修寺(せんじゅじ)に向かいます

 

 

 

 

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地図にない湖(稲田の石切山脈)

2019-10-17 20:18:19 | 親鸞ゆかりの旅

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出てお散歩です。

堀切跡の北、岩神沼にも秋が来ています

今朝の赤城山は、霞んでいます。

でもよく見ると、少しだけ「逆さ赤城」が映ってます

 

 

 

10月5日、親鸞聖人ゆかりの旅・玉日姫廟のあと、稲田の石切山脈に寄りました。

パンフレットによれば、

稲田石は今から約6千万年前に誕生しました。マグマが近くを破って地表めざして噴出しそこから長い時間をかけて、世界で類をみない真っ白な御影石になりました。通称石切山脈とよばれる稲田沢は八溝山系東西約10km、南北約5kmの広大な地域で採掘され、地下には深さ1.5kmまで続いているといわれています。

稲田石は、真っ白な御影石なのですね

 

湖が見えます

パンフレットによれば、

この山は地下65mまでの深さまで採掘した。大部分の岩石を採取したため2014年に休止した。3年の時を経て、石切山脈から染み出る湧き水と雨水により透明性の高い神秘的な湖となった。深さにして水深35mとされる。最近では、「地図にない湖」として認知されつつある。

 

採掘会社の担当者の案内で散策です。

柵の向こうは湖です。

アートなのでしょうね

 

湖を眺め下ろします

 

いい感じだけど、何を表現しているのかな?

 

稲田のビーナスかな?

稲田石はいつ頃から、広く流通するようになったのでしょうか?

施行実績としてあげられているのは、新東京駅とか日本橋、新茨城県庁など、比較的新しいものです。

 

 

 

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ちょっぴり哀しい玉日姫(親鸞の妻?)御廟

2019-10-13 15:39:44 | 親鸞ゆかりの旅

野分の朝(あした)です。

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。

浅間山は見えませんでしたけど、榛名山と赤城山ははっきり見えました。

(カメラを忘れました、残念

 

みんなの写真がないとちょっと寂しいので、ちょうど15年前、2004年の秋のメモリーです。

ピチピチギャルの七海ママです。

このころ、ひめちゃんちには、「ムーちゃん」というペルシャ猫のおばあちゃんがいました。

ひめちゃんちは、ムーちゃんち(むーはうす)だったのです

 

 

西念寺のあと、玉日姫廟(たまひひめびょう)に向かいました。

いただいた資料によれば、

親鸞の妻、恵信尼の廟(墓)とされている。恵信尼は、越後の豪族三善氏の娘で、親鸞の妻となり、越後に流罪となった親鸞とともに常陸にやってきた。~中略~恵信尼は、弘安3年(1280)9月18日、87歳で亡くなった。稲田大古山の木崎台で荼毘に付され、墳墓が作られた。恵信尼が玉日姫とされる説もあり、御廟を「玉日姫廟」と呼んでいる。

 

大正年間に「玉日講」の人々によって、山門・休憩所・参拝所・灯籠などが整備されたともあります

「玉日講」と言えば、西念寺でも、この文字を見かけました

奥津玉日講とあります。

説明板の右には、滑川玉日講とありました。

玉日講が盛んな時代があったのです


参道ではなく脇から境内に入りました。

思ったよりりっぱな、雰囲気のある山門です

でも、ちょっとくぐって、正面を確認です。

古き良き日本の雰囲気です


右手の休憩所です。

ジャパネスクという感じです。

御詠歌らしいですけど、文字が消えかかっています


正面の参拝所は、きれいに整えられています

恵信尼の肖像も懸かっています


手を合わせたあと、参拝所の後ろに回ります。

りっぱな宝篋印塔です。

でも、周囲はちょっぴり哀しい状態です

行政の補助とかは望めないそうです


山門を出て、参道を帰ります。

参道の入り口には、「玉日君本廟」と大きくあります。


帰宅後検索すると、恵信尼と玉日姫は同一人物なのか、別人なのか、はたまた実在の人物なのか、いろいろ説があるようです

 

 

バスが駐車した所に戻ります。

そこは小さな神社でした。

鳥居の石は、この地方特産の石だそうです

これから、鳥居の向こうの山腹中央に見える、石切山脈に向かいます

 

 

 




 

 

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親鸞聖人ゆかりの寺・稲田禅房西念寺

2019-10-12 14:30:10 | 親鸞ゆかりの旅

今朝のお散歩は、台風接近で、つらい雨の中でした。

だれにも逢いません。

もの哀しい牛の鳴き声が聞こえます

東の牧場の牛たちです。

ひめちゃんたちは、最近はあまり行ってませんけど、牛さんの大きな小屋の奥にヤギさんがいました。

彼は、どうしてるかな?

 

 

新着記事です。

 

10月5日、茨城方面へのバス旅行に行く機会に恵まれました。

かなりの強行軍でハードスケジュールでしたけど、世界が広がる旅でした

浄土真宗の開祖・親鸞聖人ゆかりの旅でした。

親鸞聖人の名前は知っていましたけど、まさか関東に、常陸国に長くいたなんて知りませんでした

同級生に「親鸞」で卒業論文を書いたつわものがいました。

今頃どうしているかな?

 

バスはひたすら東に走りました。

高速を降りて田園風景の中を行きます。

田園風景の中に駐車です

 

右手が親鸞聖人ゆかりの寺・稲田禅房西念寺(いなだぜんぼうさいねんじ)です。

なんともクラシックな味わいのある山門です

「親鸞聖人教行信證御製作地 浄土真宗別格本山」とあります

 

山門をくぐると、左に太鼓堂があります。

参拝者に時を知らせたとか。

萩の花は、わずかに開き始めた所です

 

本堂に向かいます。

左手に大きな銀杏があります。

説明板もあります。

「親鸞聖人が実を銀杏の葉に包んで蒔いたところ、実が葉に付いた」とあります

 

本堂で、和尚さんのありがたいお話を聞きました。

残念ながら、よく覚えていません

でも、別格本山さすがという広い本堂の記憶は、はっきりあります


目立たない奥の方に売店がありました。

書籍や、稲田米を売っていました。

「御朱印有りますか?」

「ありますけど、ハンコです。」

「お願いします

 

急ぎ足で、みなさんの後を追います。

ピンクの芙蓉が目立ちます。

この右手の階段を登ると、太子堂や聖人の御廟があるようです。

また機会があったら、其の時は是非参拝しましょう。

 

右の灯籠脇に何やら説明板があります。

「ぬくめ鳥の記」とあります。

本来は1枚ですけど、見やすく2枚です。

天明の飢饉の時に、移住してきた人々の話です。

飢饉からの復興のために、この寺の和尚さんが加賀で説法して、移住者を連れてきたのです。

ぬくめ鳥とは、冬タカが足を温めるために小鳥を捕らえ、翌朝その鳥を放し、その日は鳥の飛んでいった方向には行かないことだそうです。

恩に報いるということです。

お寺は長年の恩顧に報いるべく行動し、責任を取ったのです。

 

現在は、お葬式や法事だけのお寺が多いのに、命を懸けて村の復興に尽力した大切な記憶です

 

 

 

 

 

 

 

 

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