ひめちゃんと獅子丸は、男の子2名女の子2名の計4名で生まれました。
七海ママにとって、4名同時出産は初めてでした。
ひめちゃんは、真っ黒黒助でした。
今ではだいぶ色白になってます
獅子丸は一番大きくて白足袋を履いていました。
ミニドッグランで養子に行く日まで思いっきり遊びました。
一番手前が獅子丸、後ろから二番目がひめちゃんです。
こちらは、一番手前がひめちゃんで、後ろから二番目が獅子丸です。
桐生川紀行総集編(左岸菱カルタの世界 1)
今回はかなりの部分、今年4月17日の撮影です。
塩之宮神社から、桐生川左岸を下ります。
しばらく行くと左に菱カルタがあります。
茂倉沢 奥に鎮座の お釈迦様
奥に通じる道がありますけど、カルタの説明をよく読むと、お釈迦様が鎮座しているのはしばらく行ってからのようです。
しばらくがどのくらいか分からないので、今回もパスです。
そのうちに、お釈迦様にぜいお会いしたいです
道の反対側に、もう一枚菱カルタがあります。
跳滝に落城の悲話姫のかげ
桐生城落城の時に追い詰められた奥方や姫は神仏に祈りながら大滝を飛び越して逃れたという伝説から跳滝の地名が生まれたとあります。
まあ、でも逃げることができてよかった
橋の方にいってみます。
上流の流れです。
去年の11月の上流の流れです。
飛び込んで渡るのは、ちょっと大変そうです。
でも、秋も春も清流です
またしばらく下ります。
菱カルタがありました。
切りだした天然氷の土の倉
なんとか読めますね。
「氷池のそばに氷倉を建て保存に成功し桐生近在に大量に出荷するまでに至った。」とあります。
氷池ってどこだかわかりませんでした。
かつては、天然氷は食べるためではなく、蚕の卵の孵化(ふか)を調節するために使われたといいます。
絹織物の産地の近くで、この商売は成り立ったそうです。
一番最初にであった菱カルタは、「伝えきく黒闇沢の古戦場」です。
山上の隣、善城の殿様が暗闇沢で討ち死にしたというので、その場所を確かめに行ったのです
場所は定かではないのですけど、このあたりで桜咲く柄杓山(ひしゃくやま)が見えるところがありました
ふだんはわからないですけど、桜が咲いているので分かります。
桐生川を挟んで、柄杓山城の東なのですね